第23話 王凌《おうりょう》:司馬懿を呪い殺した王允の甥

 王凌おうりょうは字を彦雲げんうんといいます。


『三国演義』では貂蝉ちょうせんの義父だった王允おういんの甥にあたります。


 王允は董卓とうたくの誅殺に成功しますが、そののち、董卓の手下である李傕りかく郭汜かくしの反乱にあって殺されてしまいます。


 李傕たちは王允の一族をも皆殺しにしようとしました。

 当時王凌おうりょうはまだ幼く、兄の王晨おうしんとともに城を脱出。郷里へと逃げ帰りました。


 のちに王凌は推挙されて県長となりますが、なにかの事件にひっかかって五年の刑罰をいいわたされます。


 労役のために道路の掃除をしていたところ、曹操の車が通りかかりました。

 曹操は王凌が王允の甥だと知ると、罪を許したうえ、自分の属官に抜擢したのです。


 王凌は青州の統治をいいわたされます。

 青州は法整備もととのっていないので治安も悪く、政治も腐敗しており、少し前までは黄巾賊の残党がはびこっていたような場所です。

 しかし王凌は民を教化して見事に治めたため、多くの人たちから感謝されました。


 そののち王凌は、統治能力を認められて兗州、豫州などに転任。うまく治め、民たちによろこばれます。

 こうして王凌は、淮南地方に大きな権力を持つようになりました。


 やがて三公(三つの最高官位)の一つ、司空にまで昇進。司馬懿しばいのクーデターによって曹爽そうそうが殺されたのちは、三公の一つ、太尉になります。


 さて、このころの魏の天子はまだ若い曹芳そうほう

 曹爽の死後、朝廷の権力は司馬懿に移っており、もはやただの傀儡でしかありません。

 

 王凌は曹芳を廃し、曹操の子である曹彪そうひょうを新たな天子に立てようと画策しました。

 曹操への恩返しなのか、曹一族の権力復活をもくろんだのです。


 王凌は曹彪に使者を送って連絡をとりあい、反乱の機会をうかがいます。

 ところが密告によって司馬懿にばれてしまいました。


 司馬懿は大軍をひきいて王凌討伐に向かいます。

 王凌は勝てないと悟って降伏。都へ送り返される途中、毒を飲んで自殺しました。


 ちなみに同年八月、司馬懿は病にかかります。

 干宝の『晋紀』によると、司馬懿は、王凌がたたりをなす夢を見て気を病み、やがて亡くなったといいます。

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