第9話 公孫淵《こうそんえん》:二枚舌外交をくりひろげた朝鮮北部の支配者
公孫淵は前回登場した
建安九年(204年)、遼東に勢力をもった公孫度が亡くなったのち、長男の
また次男の
しかし公孫康は曹操が攻めてくるのをおそれ、二人を斬首してその首を曹操に送りとどけます。この功績によって左将軍に取り立てられました。
公孫康には
公孫康が亡くなると、弟の公孫恭が政治をとりおこないます。
公孫恭は、兄の長男である公孫晃を魏の都に住まわせ、魏との関係をよくしようとしました。
しかし公孫恭は国を治める能力に欠けていたため、公孫淵がその位を奪い取ってしまいます。
さらには南方に使者を送り、呉と関係を結びました。
孫権からも使者が送られ、公孫淵を「燕王」としました。
驚いたのは、魏の都にいた公孫晃です。
弟が遼東の支配者となり、しかも魏の敵国である呉と手を結んだというのです。反乱を疑われてもしかたがありません。
公孫晃は責任を逃れようと、「弟は危険人物です。いずれ反乱するので、いまのうちに討伐すべきです」と何度も上奏します。
ところが公孫淵は呉からの使者を斬り殺し(呉から送られた財物はそのままふところに)、その首を魏にとどけたので、魏は公孫晃の言葉を聞き入れませんでした。
公孫淵としては、遠くにある呉はいざというときに頼りにならない、けど贈り物は欲しいという判断でしょう。
魏と呉の二大国家を手玉にとる朝鮮北部の勢力。なんだか……やめておきましょう。
やがて公孫淵は独立し、魏は
すると公孫淵は呉に助けを求めます。使者を殺しておいてずいぶん面の皮が厚いというかなんというか。
呉は助ける義理などあったものではないのですが、魏への牽制として利用しようと、兵を動かします。
しかし間に合わず、公孫淵は殺されてしまいます。
さて、魏の都にいた公孫晃ですが、公孫淵の反乱によって投獄されてしまいました。
公孫淵の首が都に到着すると、公孫晃も「兄弟だから」という理由で殺されてしまいます。公孫淵討伐をあれだけ魏に唱えていたのに、理不尽な最期です。
こののち、倭国から
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