第261話 回復

「あなたは……?」

「ふむ、完全に解けているわけでもないと見えます。どうも半端に掛かってしまっているようですね」


 その制服から、女は恐らく学院の関係者だと思われるが、私に見覚えはない。

 中肉中背、髪はミディアムロングで、特筆すべき特徴のない顔立ちである。

 リリィ様に視線で問いかけるが、彼女も首を振っている。


「何かご用ですか?」

「ええ、少し野暮用を。火種は早い内に消しておくに限りますから」

「な、何を仰ってるのか分かりませんが、それ以上近づかないで頂けますか!」


 リリィ様が警戒感を露わにした。

 女の言うことは全く分からないが、私も何故か脳裏に危険信号が灯っている。

 この相手は、何かよくない存在だ。

 私は魔法杖を取り出した。


「リリィ様、私の後ろに」

「何言ってるんですか! レイさんこそ下がっていて下さい! まだ病み上がりなんですよ!?」


 リリィ様も魔法杖を取りだした。

 王族列席のパーティーに参加していたため、短剣は持って来ていないようだった。


「仲睦まじいことです。全て忘れたままでいれば、幸せでしょうに」


 女はくっくっと楽しげに笑った。


「忘れている、と言いましたね? やはり私は何かを忘れているんですね? あなたは私から記憶を奪った張本人ということで間違いないですか?」

「ええ、間違いありません。あなたの記憶を改ざんするのに最適な魔法を検索したら、丁度いいものがあったのですが、生憎と使用者が再起不能状態でしてね。暗示魔法のデータ採取には苦労しました」


 女はやれやれと肩をすくめてみせる。


「暗示魔法ということは……あなたはサーラスの関係者ですか?」

「おっと、口が滑りましたね。でも、いいえ。私はサーラス=リリウムの関係者ではありません。ただ、あなたに使ったのはそのサーラス=リリウムの暗示魔法で相違ありませんよ。データ採取が不完全で、掛かりは悪かったようですけれどね」


 またサーラスか。

 どこまでも私たちの邪魔をしてくれる。

 でも、この女はさっき、ヤツが再起不能状態だと言っていなかったか。

 ヤツはドル様が仕留めたと聞いているが。


「黒幕がのこのこおいで下さるとは都合がいい。あなたを倒せば、私の記憶も取り戻せるということでしょう?」

「ええ、そうなります。ですが、私は荒事は苦手でして。なので、絡め手を使わせて頂きますよ」


 そう言うと、女の瞳が怪しく光った。

 その視線の向く先は――リリィ様!


「くっ……、リリィ様!?」

「……」


 リリィ様は私を羽交い締めにした。

 彼女は見かけによらず力が強い。

 革命直後の巡礼の時期に、相当鍛えたと聞いている。

 巡礼……?

 いや、彼女は私とずっと一緒にいたはず……。


 記憶が、混乱している。


「では、レイ=テイラー。今度こそ、完全に忘れなさい。あのクレア=フランソワのことはね」

「――!」


 その名前が耳に届くと同時に、私の中で記憶の爆発が起きた。

 転生直後、メイドとなったこと、平民運動、恋の天秤での一幕、バカンス、それから、それから……。


「タイム!」

「おや、思い出しましたか。さすが永遠の恋などということを考えつくだけのことはある」

「私は魔王とは違います!」

「同じですよ。あなただって、いずれ道を誤る時が来る。管理者が私なら、その心配はありません」


 タイムは涼しい顔で言った。

 こいつをこのままにしてはおけない。

 でも、どうやって。


「さあ、全て忘れなさい。今度の暗示は解析が完了した完全なものです。あなたがクレア=フランソワのことを思い出すことは、二度とないでしょう」

「この……っ……!」

「心配はいりません。あなたはもう十二分に頑張りました。後の人生はリリィ=リリウムと一緒に、穏やかな暮らしを送ればいい」


 タイムの目が光を放ち始める。

 それと同時に私の視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。

 忘れない……忘れるもんか……!

 クレア様との思い出を、あのかけがえのない日々を、なくしたりしてたまるものか!


 私は賢明に意識をつなぎ止めようとするが、徐々に頭の中にもやがかかっていく。

 くっ……このままでは……。


「抵抗は無駄ですよ。苦しみが長くなるだけ……ぐっ……!?」


 ふと、視界が元に戻った。

 記憶は……失っていない。

 私はクレア様のことをはっきりと覚えている。


「れ、レイさん……? あれ……? 私、どうして……?」

「リリィ様! 良かった。説明は後です。あの女を拘束します」

「は、はい!」


 リリィ様と私は反応のなくなった女の腕を決めて地面に押し倒した。


「これは……ドル=フランソワの夢幻魔法ですか……。暗示を完璧なものにしたせいで起動条件が……なるほど……迂闊でした」


 苦しげに顔を歪めつつ、タイムは何事かを呟いた。


「観念しなさい、タイム」

「お忘れですか、レイ=テイラー? この人間は私にとっては依り代に過ぎません。私を捕まえることは不可能ですよ。それでは」


 それだけ言うと、タイムは目を閉じて気を失った。


「くっ……」

「どういうことなんですか、レイさん?」

「今のが黒幕です。ヤツは色んな人間に取り憑くことが可能なので、この女性を取り押さえても意味がないんです」

「黒幕……? 今のは一体誰なんですか?」

「説明すると長くなります」


 全てを思い出した今、私がすべきことはただ一つ。

 クレア様をタイムから取り戻し、ヤツを倒すことだ。


「それなら一度、家に――」

「すみません。それは事情があって出来ない――いえ、したくないんです」

「……レイさん?」

「約束したんです。帰るときは四人一緒にって」

「……それは……リリィのことではないんですね?」


 リリィ様が儚く笑った。


「すみません」

「いいんです。それなら、今夜は一旦お開きにしましょう。明日、改めてお話を聞かせて下さい」

「はい。出来れば、魔王戦……いえ、三大魔公戦に参加した皆も交えてお話させて頂きたいです。集めて頂けますか?」

「それは……少し難しいと思います。皆さん戦後処理でお忙しいですから。今夜の祝賀パーティーが例外的なものなんです」

「……そうですか」

「あ、でも、お手紙になさったらどうでしょう? レイさんはもはや英雄です。優先的に読んで貰えるでしょうし、それなら――」

「それじゃあ遅いんです!」


 思わず、声を荒らげてしまった。


「……レイさん……」

「ごめんなさい、リリィ様。でも、一刻も早くクレア様を助け出さないと……。今、こうしている間にも、クレア様がどんな目に遭わされているか……」


 目的のためには手段を選ばない――それこそ、世界中の人間からクレア様の記憶を消すようなことをやってのけるタイムのことだ。

 クレア様に何をしているか分かったものではない。


 最愛の人を忘れてしまっていた悔しさ、タイムへの敵意、クレア様の安否への不安で、私はどうにかなりそうだった。

 負の感情に飲まれかけていた私をすくい上げてくれたのは、柔らかい抱擁だった。


「リリィ様……?」

「レイさん、まずは落ち着いて下さい。やるべき事を順番に考えてみましょう。焦る気持ちは分かるつもりですが、いつものレイさんらしくありません。それでは、上手く行くものも上手く行きませんよ?」


 一回り以上小さなリリィ様だが、そう言って私を落ち着かせてくれる彼女は、まるで母親のようだった。

 ずっと前、前世の私が不登校になったばかりの頃、母がこうしてくれたのをふと思い出した。


 思わず、涙が流れた。


「私……忘れてしまっていた……! 絶対に忘れちゃいけないことだったのに……! クレア様のこと……忘れちゃってた……!」

「はい……はい……」

「助けに行かないといけないのに……私、何も分からない……! タイムが本気なら、もう二度と……クレア様に会えないかも知れない……!」

「大丈夫です……大丈夫ですよ……」


 迸る思いの丈を、そのままリリィ様にぶつけた。

 リリィ様からすれば、恋人が突然わけの分からないことを言い出したようなもののはずなのだ。

 しかも、自分ではない女性の名を呼んでいる。

 傷ついていないわけがない。

 それでも、彼女は私の全てを受け入れてくれた。


「レイさん、きっと大丈夫です。出来ることを少しずつやって行きましょう。リリィが力になります。今度はリリィがレイさんを助ける番です」


 私の顔をのぞき込んで笑う彼女は、確かに聖女だと私は思った。

 普段は頼りないところもあるけれど、彼女の本質は心の強さだ。

 私が落ち着くまで、リリィ様はずっと私を慰めてくれた。


「……すみません。取り乱しました」

「ふふ、こんなレイさんを見られるなんて、リリィは役得ですね」

「あの、このこと、クレア様には……」

「ふふ、分かっています。秘密ですね」

「すみません」


 いや、別に不可抗力だと思うのだが、何となくばつが悪いし。


「明日、ちゃんと聞かせて下さいね。そのクレア様――レイさんの大切な人のこと」

「はい」

「教皇様にも相談してみましょう。教皇様ならきっと力になって下さいますよ」

「はい」


 それから岐路で別れるまで、リリィ様はずっと私のことを励まし続けてくれた。

 治療院の部屋に帰る頃には、私の気持ちはもうすっかり穏やかになっていた。


「リリィ様……ありがとうございます」


 いつか、彼女に恩返しをしなければ。

 そのためにもまず、クレア様を取り戻さないと。


 私は決意を新たにしながら、深い眠りに落ちていった。

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