第260話 献身
「ふぅ……」
王城の大広間に面したバルコニーで、私は一息ついていた。
空を見上げれば、夜空に星が瞬き月も柔らかい光を注いでいる。
広間の喧噪から逃げてきた私は、自然がもたらしてくれる静かな風景に心を落ち着かせていた。
「お祝い事は大事だっていうのは分かるんだけど、その主役になるのは苦手だなあ……」
今夜城で――いや、バウアー全体で開かれているのは、戦勝祝賀会である。
魔族の王たる三大魔公を倒し、長きにわたる魔族との争いに幕が下りたことを祝して、国を挙げてお祝いをしているのだ。
ここ、王城には戦功のあった者たちが招かれ、セイン陛下から労いの言葉と褒賞を給わっている。
私もその一人として参加しているのだが、何しろ声を掛けてくる人が多すぎる。
見も知らずの人から賞賛の声を雨あられと掛けられるのは、最初の内はよかったが段々と辟易して来た。
元々、あんまりお祭騒ぎはそれほど好きじゃないのだ。
特に、時どき求められるダンスに困る。
私はダンスがあまり得意ではないのだ。
練習してだいぶマシになったものの、それでもダンスの相手を求めてくるようなセレブたちの相手が出来るほどではない。
――練習の成果、見せてちょうだい?
そう言えば、以前にも誰か高貴な人と踊った気がする。
その時はこんなに憂鬱な気持ちにはならなかったような気がするのに。
あれは一体、いつのことだっただろうか。
「やっぱり、ここにいましたね」
頭を悩ませながらバルコニーで一人夜風に当たっていると、背後から掛けられる穏やかな声があった。
「リリィ様……」
「祝賀会の主役がこんなところでサボっていていいんですか?」
正装の場だが、リリィ様は精霊教会の修道服だ。
精霊教徒の服装は、そのまま正装として通じる。
平の修道女に降格になっていたリリィ様だが、今回の功績でまた枢機卿にという声もあるらしい。
リリィ様は自然に隣に来て、飲み物を渡してくれた。
お酒ではなく、水のようだった。
ありがたい。
「もう勘弁して下さいよ。猫の皮を被るのも限界がありますって」
「普通にしていたらいいじゃないですか」
「だって、ここに招かれているのは、バウアーや他国の要人ばかりでしょう? セイン陛下の顔に泥を塗りたくありませんもん」
「ふふ、何も考えてないようで、ちゃんと考えてるのがレイさんらしいですね」
リリィ様はくすくす笑う。
「何も考えてないようで……って、酷いですね。私だって色々考えてますよ」
「ご、ごめんなさい。悪気はなかったんですよぅ。例えば、今は何を考えていますか?」
「今ですか。そうですね……、これからどうしようかな、とかでしょうか」
「これから?」
リリィ様は不思議そうに首を傾げた。
「帝国の脅威がなくなり、魔族との戦いも終わりました。じゃあ、これからはどうしたらいいのかなって」
「そ、そんなの簡単じゃないですか。普通に、幸せに暮らせばいいんですよ。リリィたちと一緒に、四人と一匹で」
リリィ様が言わんとすることは分かる。
彼女は家に帰ってきて欲しいのだ。
実は、私はまだバウアーの自宅に戻っていない。
療養を理由に、精霊教会の治療院を間借りさせて貰っているのだ。
本当はもう身体はほとんど治っているのだが、私の中の何かが家に帰ることを拒否している。
「リリィ様、祝賀会、抜け出しません?」
「……え?」
「ちょっと、歩きたくなったので」
「え、え? いいんでしょうか?」
「もう式典は終わりましたし、後は飲み食いするだけです。抜け出したって迷惑は掛かりませんよ」
「そ、そうですね。なら、ご一緒します」
リリィ様は飲み物のグラスをウェイターに返すと、私の隣に並んで歩き出した。
「……どこいくんだ、レイ」
「あ、お義父様、お義母様」
「リリィちゃんまで……。あなたたちは今夜の主役ではないの?」
この世界での両親――バン=テイラーとメル=テイラーである。
二人は魔族との決戦の後、昏睡状態になった私を心配してユークレッドから駆けつけてくれていた。
こうして無事な姿を見せられることを嬉しく思う。
「ちょっと、出てくるよ」
「二人でか?」
「うん」
「宴の主役がそんなことでは――」
「あなた、野暮なこと言わないのよ。ねえ、リリィちゃん?」
「え、えええ!? えっと……はい……」
何かを察したのか、パチリとウィンクをする母の言葉に、リリィ様は赤面して頷いた。
「そうか。外は暗い。気を付けてな」
「うん」
「失礼します、お義父様、お義母様」
「いってらっしゃい」
二人に見送られて、私たちは祝宴会場を後にした。
王城を出ると、王都もまだ賑やかだった。
戦勝を祝う人があちこちで歓声を上げている。
この世界には写真がないので、私の顔を知っている人はほぼいない。
お陰で呼び止められることもなく、町の中を歩いて行くことが出来た。
「どちらに向かうんですか?」
「学院へ」
「レイさんにとっては思い出の場所ですね」
「はい」
王立学院と王宮はそれほど離れていない。
ほどなくたどり着くと、入り口で夜間入場の手続きをしてから中に入る。
夜の学院は町の中央に比べると幾分静かだった。
学生たちも何かしらの形でお祝いはしただろうが、もう消灯の時間である。
研究棟にはまだ灯りのついている所もあったが、学院はほとんど眠りに就いていた。
「学院では、ミシャさんとご一緒の部屋だったんですよね?」
「ええ。彼女には随分お世話になりました」
クールビューティーで素っ気ない態度な割に世話焼きなミシャは、何かにつけて私の世話を焼いてくれた。
特に――。
……あれ?
特に何についてだったっけ?
「……レイさん?」
「すみません、ちょっとぼうっとしてしまいました」
「祝賀会の疲れが出たのかも知れませんね。座りますか?」
リリィ様が中庭の東屋を指さした。
私は大人しくそこに腰を下ろすことにした。
「学院生活は楽しかったですか?」
「ええ、とても充実していました。好きなことに夢中になっていましたからね。バイトもしましたし」
「そうなんですね。いいなあ。リリィも学院に通っていたら、レイさんともっと早く出会えていたのに」
「ふふ」
リリィ様に笑い返しながら、私はまた一つ引っかかりを覚えていた。
好きなことってなんだったっけ。
何に夢中になってたんだっけ。
バイトは何をしていたんだっけ。
「レイさん、震えてるんですか?」
「……え?」
指摘されるまで、気がつかなかった。
でも、私は確かに自分の身体を抱きしめて震えていた。
「寒いですか? まだ本調子じゃないのですから、無茶したらダメですよ?」
リリィ様が手を握ってくれた。
暖かい。
でも、震えは一向に収まらなかった。
「リリィ様、私は何かとても大事なことを忘れている気がします」
「大事なこと……?」
「ええ。決して忘れてはいけない、とても大切で致命的なことを」
「……」
リリィ様は戸惑うような顔をしている。
私は震える身体を押さえつけて続けた。
「この世界は平和になりました。帝国の脅威もなくなり、魔族との戦いも終わりました。リリィ様がいて、メイがいて、アレアがいて、もう何も不満に思う事なんてないはずなんです。でも――」
「……でも?」
リリィ様は優しく先を促してくれた。
「でも、足りないんです。何かが決定的に欠けているんです」
「レイさん……」
「世界がどんなに平和でも! 誰も何も疑問に思わなくても! 私だけはそれを忘れちゃいけないんです! 私にはその何かが必要なんです!」
突然、取り乱した私を、リリィ様は気味悪がるだろうか。
愛する家族を置いて家に帰ってこない私が、こんなことを言うことに憤慨するだろうか。
あるいは、いつものように泣いてしまうかも知れない。
私はそう恐れながらも、言わずにはいられなかった。
リリィ様の反応は――。
「そうなんですね。なら、それを思い出さないといけないですね」
私の危惧したどれでもない、温かくて慈愛に満ちた微笑みだった。
「信じて……くれるんですか……?」
「信じますよ。他でもないレイさんが言うことですもの。今までもこれからも、リリィはずっとレイさんの味方ですから」
「リリィ様……」
私は言葉が出なかった。
恐らく、リリィ様は気がついている。
私が思い出そうとしていることは、リリィ様とのこの幸せを壊してしまう。
私がこの今を受け入れさえすれば、リリィ様とずっと幸せに暮らしていけるのに。
それでも。
それでも、リリィ様は私の選択を無条件に受け入れてくれた。
「どうして……どうしてリリィ様はそんなに……」
「簡単なことです。レイさんが好きだからですよ。リリィの幸せは、レイさんの幸せなんです。レイさんに取り繕った笑いをずっと浮かべさせることなんて、リリィには出来ません」
ということは、リリィ様はずっと私の様子がおかしいことに気がついていたのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい、リリィ様……」
「あはは……。リリィも何となく変だなとは思っていたんです。リリィなんかがレイさんと一緒にいるのは」
「そんなこと……!」
「いいんです。リリィは別に諦めたわけじゃありません。レイさんが忘れていることを思い出したら、もう一回恋人になって貰えるよう、リリィは頑張るだけです」
覚悟していて下さいね、とリリィ様は笑った。
胸が張り裂けそうなくらい切ない、でも、一片の陰りもない微笑みだった。
「リリィ様……私……」
「それより、レイさんが何を忘れていらっしゃるかが問題ですね。何か手がかりはありますか?」
取り繕おうとする私を遮って、リリィ様は話を先に進めた。
私は言い訳がましく何かを言いたかったが、言葉を飲み込んでそれに答える。
「具体的なものは何も……。ただ、時々誰かの声を思い出すんです」
「声、ですか?」
「はい。自信満々でプライドが高くて、でもちょっぴりもろいところがあるような、そんな声です」
ほとんど切れ端のような記憶の断片なのに、どうしてこんなに具体的に語れるのだろう。
自分でも不思議に思っていると、
「ふむ。やはりまがい物の暗示では浅かったようですね?」
その声は唐突に聞こえた。
後ろを振り向くと、そこには学院の制服を着た見知らぬ女性が立っていた。
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