第222話 失策

 往路はテレポートで送って貰ったが、復路はずっと馬で走った。

 魔物たちの進軍速度に合わせるためと、途中でクレア様の姿が見えなくなったら、魔族たちが進路を変更してしまうかも知れないからだ。

 馬に乗り慣れてるはずのクレア様も流石に少しお尻が痛そうだった。

 もしかすると、平民としての生活で乗馬とは無縁の時期が続いていたせいかもしれない。

 私?

 聞かないでよ。


 クレア様と自分に治癒魔法をかけつつ第五砦に帰還すると、ザシャ将軍が出迎えてくれた。


「聞きましたぞ。大成功だったようですな」


 ザシャ将軍は武人らしくあまり表情が豊かな方ではないが、それでも細い目をさらに細めて私たちの活躍を賞賛してくれた。


「貸して頂いた部隊の方々のお陰ですわ。復路もずっとわたくしたちを守って下さいましたもの」

「それは当然です。あなた方はドロテーア陛下……いや、今は違いましたな。フィリーネ陛下からお預かりした身。万が一すらあってはなりません」

「恐縮ですわ」


 ザシャ将軍は続けた。


「魔物たちの軍勢は無事にこの砦へ進路を取ったようです。我々もこれより撤退戦に移ります」

「ええ」

「クレアさんとレイさんは、どうぞお先に帝都へお戻り下さい。テレポートが使える者を同行させます」


 お役目お疲れ様でした、とザシャ将軍は言ってくれたのだが、


「……将軍。もう少しこちらの部隊でご厄介になってもよろしくて?」


 クレア様はそんなことを言い出した。

 ザシャ将軍が怪訝な顔をした。


「それは構いませんが……なぜです?」

「嫌な予感がするんですのよ。抽象的な予感でしかないので、上手く説明出来ないのですけれど」

「ふむ……?」


 クレア様の言葉に、ザシャ将軍は顎を撫でて少し考え込んだ。


「いや、戦には時にそういった第六感も大事。何より、革命の乙女が撤退線に加わって頂けるのなら、こんなにありがたいことはない」

「では……?」

「ええ。もうしばらく、ご同行願います」

「ありがとうございますわ」


 クレア様とザシャ将軍が握手を交わした。


「勝手に決めてしまってごめんなさいね、レイ」

「それは別に構いませんけれど……悪い予感、ですか」

「ええ。アリストの姿がなかったことといい、魔物たちがあまりにも簡単に挑発に乗ったことといい、何かおかしいですわ」


 クレア様は上手く行きすぎている、と感じているようだ。


「杞憂じゃないですか?」

「それならそれでいいんですのよ。万一の時に備えたいだけですもの」


 クレア様はそう言って淡く笑った。


 こうしてクレア様と私は第五砦の撤退線にも同行することになったのだが、私たちがすることはほとんどなかった。

 クレア様も私も優秀な魔法使いではあるものの、集団戦や兵法とは無縁の人間である。

 撤退戦と言われても、何をすればいいのか分からない。

 私たちはザシャ将軍の指示に従って待機し、必要に応じて戦いに参加するよう依頼された。


 撤退の準備は予め進めていたため、実際に砦を放棄するまでさほど時間はかからなかった。

 クレア様と私はザシャ将軍と共に、撤退する軍勢の中程に位置しながら帝都までの道のりを進んでいる。


「魔族の軍勢が第五砦に入った模様です!」


 遠見の魔法を使える兵士が報告を上げた。

 いよいよだ。


「よし、魔族たちが完全に効果範囲内に入ったら合図しろ、インフェルノを起動する!」


 ザシャ将軍は進軍を続けながら、監視を続ける部下にそう命じた。

 じりじりした時間が流れる。


 そうして数分後、


「魔族軍の最後尾、効果範囲内に入りました!」


 監視の兵士が叫んだ。


「よし! インフェルノ、起動!」


 ザシャ将軍が手のひら大の魔道具に魔力を込めた。

 これは一種の認証機械のようなもので、みだりにインフェルノを発動させないための起動キーらしい。

 魔道具が赤い光を放った。


「……?」


 数分の時が過ぎた。

 しかし、何も起こらない。


「ど、どういうことだ!?」


 インフェルノについてはフィリーネから私たちも事前に説明を受けている。

 地脈にある火と土の要素を活性化させ、擬似的な噴火を起こす魔道具だという。

 もしそれが正常に起動したなら、もっと劇的な変化を感じていいはずだった。


「監視!」

「い、インフェルノ……起動しません!!」


 監視の兵士が悲痛な叫びを上げた。


「も、もう一度だ!」


 ザシャ将軍が再び魔道具に魔力を流した。

 起動キーは問題なく動作しているように見える。

 しかし、インフェルノは発動しない。


「ふむ……。何度見てもいいものだね。人間が絶望する姿というものは」


 その声は頭上から聞こえた。


「……アリスト」

「ご機嫌よう、クレア=フランソワ。どうだね、起死回生の策が空振りに終わった感想は?」


 コウモリのような羽根を持ち、フロックコートを身につけた魔族は愉しげに言った。


「お前の仕業だと言うんですの……?」

「そうとも」


 そう言うと、アリストは何か大きなものを放ってよこした。

 攻撃かと私は身構えたが、それは違った。


「で……殿下!!」


 それは人の遺体だった。

 外傷は胸に大きな刺し傷が一つ。

 ザシャ将軍の言葉から察するに、それは外遊中だったはずのある皇子のものらしい。


「人間とは醜い……実に醜い……」

「貴様ぁ! 殿下に何をしたぁ!?」


 ザシャ将軍が剣を抜き放ち、上空のアリストに斬りかかった。

 凄まじい跳躍力だ。

 アリストも爪を伸ばして応戦する。


「なに、大したことはしていない。ただ、そのインフェルノなる魔道具の起動キーを聞かせて貰っただけのこと」

「バカを言うな! 殿下がそのような甘言にのるはずがない!」


 空中で二度、三度と切り結びながら、ザシャ将軍はアリストの言葉を否定した。


「無論、普通ならそうだろう。だが、こちらには人間の心の隙間に入り込むのに長けた者がいるのでね」

「――! サーラスですわね!」

「ご明察だ、クレア=フランソワ」


 クレア様の言葉を、アリストは肯定した。


「帝国の秘密兵器については随分前から間者が情報を掴んでいて、私も度々この辺りに出向いて探していたんだよ。だが、どうにも見つからない。そこで我々は知っていそうな人間に近づくことにした」


 その相手が皇子だと言う。


「彼は随分と頑固でなかなか教えてくれなかったんだがね……。サーラス=リリウムの暗示にもなかなか掛からなかった。だが、つい先日、彼にとって不本意なことが起きた」

「何だと言うのだ!」


 ザシャ将軍の猛攻を、しかし余裕で裁きながらアリストは続けた。


「帝位の譲位だよ」

「――!」


 そうか、そういうことか。


「彼もドロテーア=ナーがそう易々と譲位するとは思っていなかっただろうが、まさかそれをフィリーネ=ナーに取られるとはね。彼の失望を思うと心が痛むよ」

「戯れ言を――!」

「いやいや、本当だとも。傷心の彼はとうとうサーラスの暗示に屈した。お陰で我々はインフェルノの起動キーを変更することが出来たわけだ」


 くっくっく、とアリストが低く笑う。


 だから言わんこっちゃない。

 譲位の際、ドロテーアがちゃんと根回しをしておかないからこういうことになるのだ。

 ドロテーアは個人としては最優に近いのかも知れないが、人の機微に非常に疎い。

 自身が強すぎるため、人の心の弱さが分からないのだろう。


「しかしまあ、人間とはよく分からんな。起動コードを吐かせたはいいが、さらに情報を抜き取ろうとしたら、私の爪で自らの胸を突きおった。精神操作が完全にかかりきっていなかったようだね」


 アリストには分かるまい。

 恐らくだが、皇子は最後の最後で魔族の操り人形になることを拒んだのだろう。

 心の弱さを突かれはしたが、それを克服するのもまた心の強さだ。


 そんなことには微塵も興味のない様子のアリストは、ゆっくりと地面に着地すると私たちに向けてこう宣告した。


「というわけで、虎の子の魔道兵器は無効化させて貰った。ここからは蹂躙の時間だ」

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