第十六章 帝都襲撃編

第215話 ドロテーアの真意

「……魔王?」


 え、なにそれ。

 原作でも影が薄かった魔族なんていうものがいたんだから、そりゃ魔王だっているかもだけど、そんなコテコテの存在は設定資料集でも聞いたことがない。

 ドロテーアの言う魔王とやらが私の想像しているそれと一致すればの話だが。


「お母様、魔王とは一体……?」


 フィリーネがおずおずとドロテーアに問う。

 その顔には以前のような気後れはないが、ドロテーアの発した言葉に対する戸惑いのようなものが感じられる。

 ドロテーアはそれには気付かないように続けた。


「その名の通り、魔物や魔族たちを統べる存在のことだ。余はそれに会ったことがある」


 驚いたことに、ドロテーアの声には僅かな怯えがあった。

 あの傲岸不遜、豪放磊落を絵に描いたようなドロテーアが、である。


「あれは、余がまだ帝位を簒奪する前のことだ」


 ドロテーアによると、彼女がその魔王とやらに遭遇したのは、全くの偶然だったらしい。

 当時の彼女はまだ七歳になったばかりだった。

 早くも剣の才の片鱗を見せていたドロテーアは、実戦経験を積むために魔族との戦いに参加したらしい。


 もちろん、参加と言っても最前線ではない。

 いくらドロテーアの武威が凄かろうと、彼女は帝室の人間である。

 実戦経験というのも、どちらかというと経歴に箔をつけるとかそういった意味合いが大きかったようだ。

 過去のデータから比較的安全と思われる戦場へ赴き、後方から戦地を見学するくらいのはずだった。


 しかし、そこで彼女は出会ってしまったのだ。

 魔王、と呼ばれる存在に。


「魔族の強さは余も聞いていた。だが、ヤツは……魔王は圧倒的であった。当時、余は三大魔公くらいならなんとか出来るつもりでいたが、魔王は恐らく今の余でもどうにもならん。あれは人の身で相対するものではない。あれは災害である」


 ドロテーアが参加していた討伐隊は一瞬で殲滅された。

 彼女も剣を振るったが、魔王には全く歯が立たなかったという。


「さしもの余も死を覚悟した。だが、不思議なことに、ヤツは余を殺さなかった。他の者は皆殺しにしたのにな」


 不思議に思ったドロテーアは、魔王に問うた。

 なぜ殺さないのか、と。


「ヤツめはこう答えた。余を殺してしまうと歴史が変わりすぎてしまうから、と。その発言の真意は分からぬ」


 ともかく、ドロテーアは命を拾った。

 そして、彼女はこう決意した。


「魔王を滅ぼすには、人類の総力を結集する必要がある」


 ドロテーアはそれを達するために、最善を尽くしてきたのだ、と言った。

 つまり、彼女が推し進めて来た侵略外交も、そのための方便に過ぎないのだ、と。

 その賛否は別にしても。


「そんな強大な存在が、今まで広く知られることなく存在していたというのかい?」


 ウィリアム陛下がもっともな疑問を口にした。


「これはただの推測に過ぎんが、恐らくヤツのいう歴史を変えるうんぬんに関係しているのだろう」

「というと?」

「あれだけの脅威なら、世界に与える影響は絶大だろう。ヤツが歴史に極力干渉したくないというのなら、ヤツが自ら出張ることは少なかろうよ」

「ふーん……なんだか雲を掴むような話だねぇ。なんにしても、人類にとっていい話じゃなさそうだ」


 ウィリアム陛下が面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「そんな脅威があったのなら、それを説明すればいいだけの話じゃないですのよ。わざわざ侵略なんていう方法を採らずとも、協力を取り付ける方法なんていくらでもありますわ」

「クレア=フランソワ、お前はまつりごとが分かっておらぬ。こと国と国との間の利害が絡む外交において、話し合いなどというものは弱すぎる方法ぞ」


 軍備、経済、思想、倫理――外交で用いられる手段はたくさんあるが、ドロテーアは会話の価値をそう評した。

 私は彼女には同意できないが、そう考える人は二十一世紀の日本でも少なくなかった。


「強大で共通の敵がいると、あなたの口から言えば聞く者もいるでしょうに」


 クレア様がドロテーアを重ねて非難するように言う。

 それに対してドロテーアは分かっていないなとばかりに首を振って、


「であろうな。だが聞くだけだ。魔族の脅威は我が帝国が押し留めている故にな」

「フィリーネのように全体の舵を取ることだって出来たでしょう」

「余という敵を前にしたようにか。すでに言ったが、魔族領からの侵略は帝国が防いでいる。故にどの国も本気で魔族に対しての危機感など持っておるまいよ」


 これはドロテーアの言うことにも一理ある。

 少なくとも私はバウアーで暮らしていた頃、魔族という存在を脅威に思ったことは一度もなかった。


「だからと言って、武力で他国を隷属させることが正しいとは思えませんわ!」

「然り。余も自分が正しいとは思ってはおらぬ。ただ、これが最善と思うただけだ」


 お前たちに敗れ去ったがな、とドロテーアは自虐的に笑う。


「ドロテーア、あなたの真意は分かりました。でも、魔族が大挙して押し寄せる、というのはどういうことですか?」


 どうしてこのタイミングで?


「魔族はこの帝都に入ることが出来ぬことは知っていよう」

「ええ。結界のせいですよね?」

「然り。だが、魔族は人間を間者として送り込んでくるのだ」


 先ほどの戦闘中に逃げた帝国の官僚が、まさにその間者だったとドロテーアは言う。


「間者は魔族たちに、余が貴様らを皆殺しにしたと伝えよう。さすれば、ここぞとばかりにヤツらは攻めてくる」

「ひょっとして、さっきの皆殺し発言もそのためですの?」


 クレア様が問う。

 もしそうなら、演技にしてもやり過ぎだと私は思った。


「演技ではない。余に殺される程度ならそれまで。逆に余を殺せるほどならば、貴様らに任せようと思ったまでのこと」

「フィリーネ、あなたのお母さん、こじらせすぎ!」

「すみません! 本当にすみません!」


 私が悲鳴のように言うと、フィリーネが何度も頭を下げた。


「で、どうするんだい、これ? 首脳会談が無茶苦茶になったわけだけど?」


 戦闘が一段落して非戦闘員が戻ってくると、ウィリアム様が辺りの惨状を見回して言った。


「ドロテーア。魔族が攻めてくるまでにどれほどの時間があると見る?」


 ドル様が尋ねると、ドロテーアは少し考えてから、


「途中の砦を全て突破するのに、二週間ほどであろうな」


 と答えた。


「二週間……時間が足りなさすぎるな」


 ドル様が苦い顔をする。

 帝国に一番近いバウアーでも、応援がぎりぎり間に合うかどうかというところだ。

 このままでは人類が総力を結集なんて夢のまた夢である。


「キミも無策のままこんな無茶をしたわけじゃないだろう、ドロテーア?」

「お姉様! 回復なさいましたのね」

「うん、なんとかね。心配掛けたね、クレア」


 感極まったクレア様が、マナリア様の胸に飛び込む。

 ちょっとジェラりそうになったけど、気持ちは分かるので今は見逃すことにする。

 ふんだ、私はいつでもクレア様とハグ出来るもんね!


「策ならある」


 マナリア様の問いかけに、ドロテーアは肯首した。


「魔族領と帝都の間にある砦の一つに、大規模な設置型攻撃魔道具が仕掛けてある。発動すれば、砦もろとも魔族どもを吹き飛ばせよう」


 ドロテーアの言う設置型魔道具というのは、帝国の魔法技術の粋を結集したとっておきらしい。

 その威力は地図を書き直さなければならなくなるほどだという。


「そんな都合のいいものがあるなら、さっさと魔族領で起爆すればいいじゃありませんのよ」

「どこにでも設置できるものではないのだ。火山帯の地脈が必要な魔道具なのでな」


 ドロテーアのその説明に、私はピンと来るものがあった。


「ドロテーア。もしかして、その魔道具でサッサル火山を噴火させましたか?」


 私の問いにクレア様とドル様、そしてセイン様がぎょっとした顔をした。


「鋭いな、レイ=テイラー。その通りだ。その魔道具は地脈に流れる火と土の要素を活性化させるものだ」


 悪びれもなく、ドロテーアはあっさりと答えた。

 なるほど、ようやく腑に落ちた。

 原作の時よりも噴火の時期が早かったのは、帝国が裏で糸を引いていたからか。

 いや、ひょっとしたら原作でも、噴火は帝国の策略だった可能性は残るが。


「……貴様!」


 ドロテーアの襟首につかみかかったのは、驚いたことにセイン陛下だった。

 いつも憂鬱そうな表情ばかり浮かべている彼の顔に、今ははっきりと激情が浮かんでいる。


「……その魔道具のせいで、バウアーにどれほどの被害が出たと思っている! 今もバウアーでは飢えと紙一重のような国民がたくさんいるんだぞ!」


 王として民を誰よりも慈しんでいるセイン陛下は、サッサル火山の噴火から続く王国の惨状に心を痛めている。

 ましてそれが人為的に起こされたものだと言われたら、許せるはずがないだろう。


「言い訳はせぬ。余は貴様の国を支配するつもりでいたし、そのために手段を選ぶつもりもなかった」

「……開き直るのか!」

「では、余に何を求める?」


 セイン陛下につかみかかられたまま、ドロテーアは問うた。


「……貴様に求めるものなどなにもない。地獄に落ちろ」

「いやいやいや、セイン陛下。それは悪手ですよ。せめて謝罪と賠償くらいはきっちり確約させないと」


 心情的には理解出来るが、感情論で済ませていいことではない。

 そこははっきりさせておいて、今後につなげなければ。


「余としては、賠償も謝罪もする用意はある。だが、全てはフィリーネ次第だ」

「へ? わ、私ですか?」


 急に名指しされたフィリーネが目を白黒させた。


「そう。貴様だ、フィリーネ。余は帝位を退く。貴様が次の皇帝ぞ」

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