第192話 勝者なき判決

「ちょ、ちょっと待ちなさい。ヨエル=サンタナは男性でしょう? 入国書類でも男性として申請されていますよ?」

「はい、裁判長。ヨエルは生物としては完全に男性です」

「あなたが何を仰りたいのか、私には理解出来かねます」


 裁判長が困惑している。

 無理もない。

 二十一世紀の世界ですら、まだ全面的な支持が得られたとは言えない考え方なのだから。


「性別には身体の性別とは別に、心の性別があるのです、裁判長」

「心の性別?」

「はい。普通の人はその二つが一致しているので意識することはありませんが、希にその二つが一致しないで苦しんでいる人がいるのです」

「それがヨエル=サンタナだと?」

「そうです」


 裁判長がヨエルをまじまじと見た。

 ヨエルは背格好も顔つきも男性そのもので、女性らしい部分はほとんどない。


「確かに戯曲などでは、男性のような女性や女性のような男性が登場しますが、彼はどう見ても普通の男性でしょう」

「見かけは問題ではないのです。これは自分の性別がどちらであると認識しているか、という問題なのです」


 ヨエルは、以前私がユー様の事件の時に述べた、性別違和の状態にあるのだ。


「ヨエル、あなたの口からも聞かせてくれる? あなたが何を考え、何を悩んできたのか」


 私がヨエルを促すと、彼はしばらく口を引き結んで逡巡していたようだが、やがて口を開いた。


「俺は兵士の家の嫡男として生まれた」


 そう語り出す彼の声は、低いバリトンである。


「男として生まれ、男として育てられた。将来は兵士になるように、と常に強い男であれと育てられてきた」


 淡々と語るその様子が、私にはむしろ痛ましく思えた。


「だが、俺は幼い頃からずっと思っていた。俺はどうしてこんな身体の中に閉じ込められているんだろう、俺の身体はこんなはずじゃあないのに、と」


 この発言は、性別違和を抱える者によく見られるものだ。


「訓練をすればするほど、俺の身体は男らしくなっていく。成長するに従って、自分の身体に対する違和感は大きくなっていった。自分の身体に対する嫌悪感は、いつしか抑えられなくなって行った」


 ヨエルの言葉は平坦だった。

 それはまるで、感情が溢れるのを必死に抑えているように私には見えた。


「俺は時々、母親の目を盗んで化粧をすることを覚えた。もちろん、こんな顔じゃあ似合いっこない。でも、そうしている間だけは、不思議と心が落ち着いたんだ」


 それを代償行為とか自分を偽っているとか対症療法だとか言う人もいるかもしれない。

 だが、治らなくても痛み止めが必要なくらい痛むことはあると私は思う。


「バウアーにいる頃から噂を聞いていた。帝国には神業ともいえる程の化粧師がいる、と。俺は帝国に来てから、その化粧師をずっと探していた。そいつなら俺を……こんな顔の俺でも、生まれ変わらせてくれるかもしれない……そう思ったからだ」


 以前、ヨエルの姿を色街で見かけたことがあったが、彼は別に女性と遊ぶためにあそこにいたのではないのだ。

 彼はずっと、噂の化粧師を求めて探し歩いていたのだった。


「ベルタと会ったのは、その途中だった。腕のいい化粧師がいると聞いて、俺はベルタの家に行った。俺は覚えていなかったが、彼女は俺のことを覚えていた。そして、どうして化粧なんてするのかと言われた。俺は正直に答えた。だが――」


 ヨエルはそこで顔を歪ませた。


「ベルタは秘密をばらされたくなければ、金を寄越せと言ってきた。化粧師の報酬としてではない、法外な額だった。俺が拒否すると、彼女は俺のことを言いふらすと言ってきた。俺はもう終わりだと思ってその場を去った。後はレイの言う通りだ」


 ヨエルはそこまでを淡々と語った。

 だが、もう一つ重要な点を確認しておかなければならない。


「ヨエル、辛いだろうけどもう一つ聞かせて。あなたが恋愛的な意味で好きになるのは、男性女性のどっち?」

「……男だ」


 聴衆が色めき立つ。

 教え子が珍獣を見るような目で見られることは耐え難かったが、今はヨエルにかけられた嫌疑を晴らすことが先決だ。


「裁判長。以上のように、彼にはベルタさんを乱暴する理由がありません」

「しかし……、ならばどうしてベルタ=バールケは傷を負っていたのですか?」


 そう。

 不可解だったのはそこだ。


「それにつきましては、わたくしがこんな証言を得ておりますわ。発言を許可願いますわ、裁判長」

「許可します」


 クレア様も立ち上がって口を開く。


「ベルタさんには以前からお付き合いされている――いいえ、つきまとわれている男性がいるようです。名前はダミアン=カロッサ。ダミアンは何かベルタさんの弱みを握っているようで、事あるごとに彼女からお金をせびっていた、と彼女が働く酒場の同僚から証言を得ております」


 クレア様は続ける。


「また、ダミアン本人からも証言を得ております。いえ、あれを証言と呼べるかどうか怪しいですが」

「どういうことです?」

「ダミアンは違法な薬物に手を出しているようでしたわ。ほぼ正気を失っております。ここからは推測に過ぎませんが、ベルタさんを乱暴したのは、ダミアンではないでしょうか。違いまして?」


 クレア様が問うと、ベルタは何も言わずに俯いてしまった。


「異議あり! 根拠のない推論です」

「異議を却下します。ベルタ=バールケ、神の名の下に誓って答えて下さい。あなたはダミアン=カロッサから暴行を受けましたか?」

「……」


 裁判長の問いに、ベルタは沈黙を保った。

 恐らく、弁護士に不利な発言はしないように言い含められているのだろう。


「黙秘なさいますか。いいでしょう。ですが、ヨエル=サンタナへの告発は棄却します。よろしいですね?」

「いえ、裁判長!」


 弁護人が色めき立ったが、


「……はい、構いません」


 ベルタはか細い声でそう言った。


「ベルタ! まだ戦える!」

「……いえ、いいんです。もう結構です」


 そう呟くと、ベルタは証言台の下に座り込んでしまった。

 彼女がなぜダミアンをかばうのか、なぜ最初からダミアンを告発しなかったのか、なぜヨエルに罪を着せようとしたのか。

 彼女には彼女なりの切実な理由があるのだろう。


 前世で女性が男性に性的なえん罪を着せることを取り扱った小説やアニメがいくつかあったが、中には女性がとても悪意に満ちた存在として描かれることもあった。

 だが、現実にそんなことが起きる割合はとても少ない。

 ないとは言わない。

 でも、少ない。

 男性の立場からすれば、女性からそういったえん罪を着せられることを危惧してしまうのだろうという気持ちは、異性の私にも推察出来る。

 だが、一般の女性にはそんなことをする意味も理由もないのだ。


 もちろん、だからと言って、女性の側の主張ばかりが通るのはおかしい。

 転生前の日本の裁判制度に問題があったことも間違いない。

 でも、全てはケースバイケースで考えなければならない。


 ベルタの場合はどうだったのかは、結局私にははっきりとは分からない。

 ダミアンが全ての元凶だったのかも知れないし、ベルタの独断だったのかもしれない。

 全ては憶測の域を出ないまま、裁判は終わろうとしている。


「そして、ヨエル=サンタナ。あなたには別に言い渡すことがあります。あなたの帝国への留学資格を取り消します」


 私は驚かなかった。

 やはりそうなるか。


「あなたの事情は分かりましたが、あなたの身体は神が与えたもうたもの。それに異を唱えるのは罪です。罪人をこのまま帝国へ留め置くことは出来ません」

「……」


 ヨエルも驚いていない。

 それは裁判長の判断に不服がないのではなく、そうなるだろうという諦めがあるからだ。


 ヨエルのケースは、異性病だったユー様のケースとは決定的に異なる部分がある。

 ユー様の場合は――王国上層部がどう言ったかは別として――元の身体に戻ったケースである。

 対してヨエルは自分の「元々の」身体を否定しているケースである。

 精霊教会の教義上、両者に与える判断は大きく違う。


 ここが二十一世紀の日本であれば、こんな判決が下ることはなかっただろう。

 だがこの世界にはまだ、そういう価値観が育っていない。


「ヨエル=サンタナはバウアー王国に強制送還するものとします。期限は一ヶ月。それまでに国外に退去して下さい」


 これにて閉廷、と裁判長は裁判を締めくくった。

 誰も救われない、虚しい裁判だった。

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