第191話 裁判

「みなさん静粛に。これより裁判を始めます」


 老年の裁判長が厳かに開廷を宣言した。


 ここは帝都ルームの一角にある裁判所である。

 今からここでヨエルの裁判が始まるのだ。

 クレア様と私は、被告人側の証言者としてこの裁判に出席している。


 裁判といっても、もちろん二十一世紀の日本で行われているようなものとは違う。

 法に則って行われることはかろうじて同じだが、その裁きは客観性よりも裁判長への心証が大きくものを言う。

 また、原則として被告人側は不利、告発側が有利なことが多い。

 この辺りは変に前時代的だなあと私は思った。


 ちなみに裁判長は精霊教会から派遣された聖職者である。

 精霊教会はこの世界で司法の役割も果たしているのだ。


 辺りには聴衆もおり、裁判の行方を見守っている。

 傍聴席などはなく、皆、立ち見である。


「では原告側から発言してください」

「はい」


 私たちの対面に座っている男性が返事をして立ち上がった。

 弁護士なのだろう。

 中肉中背で背格好に特徴はないが、その鋭い眼差しはやり手という印象を与える。

 相手側の弁護士は隣にいる女性――ベルタに何事か声をかけてから証言台に立たせた。


「あちらにいるベルタ=バールケは被告人ヨエル=サンタナから暴行を受けました。事件が起きたのは帝国歴――」


 弁護士は原告席から事件についてのあらましを彼らの視点から朗々と語った。

 声色や身振り手振りを交えて、彼らの主張がいかに揺るぎない者であるかを裁判長に訴える。

 流石は専門家というべきだろう。

 手慣れている。

 打ち合わせも完璧なようで、事件の供述が乱暴の部分になると、証言台のベルタは涙を流して見せた。


「以上の事実により、本件における被告人の有罪は揺るぎないものと断言致します」

「ふむ……」


 裁判長は思慮深い顔で頷いた。

 これで納得されても困るのだが。


「続いて、被告人側の発言を許します」

「はい」


 こちら側の弁護士が返事をし、ヨエルが証言台に立った。


「告発側の言い分には状況証拠しかありません。そもそもこの事件は、原告の証言以外に何も根拠がありません」

「異議あり」


 告発側の弁護士が遮ってきた。


「告発者の身体には多数の外傷があります。傷は深く、中には女性にとって非常に不名誉な傷もあります。嘘をつく理由がありません」

「異議を認めます。告発には一定の説得力があると私は考えます」


 裁判長は告発者側の言い分を認めてしまった。

 これは悪い流れだ。


「し、しかし裁判長! 事件があったとされる場所は屋内で目撃者もなく、告発側の証言だけで被告人を有罪と決めつけるのはあまりにも乱暴です!」


 こちら側の弁護士は二十一世紀の言葉で言えば国選弁護士に近い。

 依頼する弁護士が見つからない場合に、国から派遣される弁護士だ。

 彼が無能だとは思わないが、高いお金を払って依頼される弁護士とは当然能力差はあるだろう。


「ならば被告人が反駁すればよろしい。被告人は事件当時、どこで何をしていたのですか?」

「証言を拒否する」


 証言台のヨエルが短く言う。

 その答えに原告側の弁護士がほくそ笑んだ。


「被告人、あなたは反駁の機会を放棄するのですか? それでは私はあなたが有罪であると判断するしかありませんが」

「俺は罪を犯してはいない。だが、その質問には答えることが出来ない」

「……困りましたね」


 こと今に至っても、ヨエルが有罪と断じられないのは、裁判長が寛容だからだ。

 たまたまこの人だったからいいものの、もしこれが気の短い人だったら、ヨエルの有罪は確定していてもおかしくない。


「裁判長、証人の発言を許可願います」


 私は自ら手を上げて発言の許可を求めた。


「あなたは?」

「ヨエルと同郷で、彼の教師をしているものです」

「ふむ……、いいでしょう。発言を許可します」

「ありがとうございます」


 私は立ち上がってヨエルを見た。

 彼は温度のない視線をこちらに向けている。


「ヨエル、あなたが事件当時どこで何をしていたかを調べたよ。あなたは事件当時、ベルタさんが乱暴されたと証言している彼女の自宅にいた。そうだよね?」


 私の発言に聴衆たちがざわめいた。


「待ってください。あなたはヨエル=サンタナの弁護をする証人なのですよね?」


 裁判長が確かめるように聞いてくる。


「はい、間違いなく」

「……少し釈然としませんが、いいでしょう。続けてください」

「はい」


 私はヨエルからベルタに視線を移して続けた。


「ベルタさんは酒場で働く一方で、別の仕事をしていました。公にはしていなかったようですが……」

「異議あり。根拠のない話です」

「根拠はあります。クレア様」


 私の言葉にクレア様が立ち上がって、いくつかの書類を見せた。


「これらはベルタさんからを受けた方々の証言をまとめたものですわ。これらを証拠として提出します」


 クレア様は書類を裁判長に差し出した。


「どれも舞台俳優や舞台女優のものですね。依頼内容は……化粧?」

「はい。ベルタさんは化粧師としての一面を持っているのです」


 私の発言に、ベルタの顔が歪んだ。

 以前、帝国の料理事情を述べたときに少し触れたが、帝国では華美・贅沢を悪しきものとする風潮がある。

 故に、化粧は女性の嗜みではあっても、それを専門に生業にすることを公言するのははばかられる傾向があるのだ。

 ベルタがそれを隠したがっていても不思議はない。


「ベルタさんは腕の良い化粧師としてその筋では有名な方だそうです。そして、ヨエルは彼女だとは知らずにその有名な化粧師に会いに行った。そうよね?」

「……」


 ヨエルは沈黙を続けている。


「よく分かりませんね。それが今度の事件とどう関係しているのですか? 結局、ヨエルはベルタに会いに行ったのでしょう? ならば疑いはますます深まったという他ありません。あなた方は何を仰りたいのですか?」


 裁判長が当惑している。

 無理もないだろう。

 これから私たちが話すかも知れないことは、一般の人にはあまり理解出来ないことだろうから。


「ヨエル、ここから先も話していい? 私はあなたの尊厳を尊重したい。あなたがもしこの不名誉な事件の罪を被ってでも、全てを秘密のままにしておきたいというのなら、私はこれ以上は何も言わない」

「……」

「このまま証言を続けたとして、きっとあなたはどちらにしても帝国にはいられなくなる。だから、無理にとは言えない。ただ――」


 私はヨエルをしっかりと見つめて言った。


「ただ、これだけは言わせて欲しい。私はあなたにこんな濡れ衣の罪を被って欲しくないし、あなたが隠そうとしていることを受け止める覚悟もある。私はあなたと一緒に悩みたい」

「……」


 ヨエルの顔が悲痛に歪んだ。

 彼にも葛藤があったのだろう。

 彼が抱えている事情を考えれば当然のことだ。

 私は辛抱強く、彼の発言を待った。


「……続けてくれ」

「……分かった」


 ヨエルが決断してくれたのだ。

 後は私が全力でヨエルの嫌疑を晴らすのみ。


「ヨエルがベルタさんの家に行ったのは、先ほども言った通り、化粧師としての彼女に会うためです」

「ですから、どうしてですか。彼は別に舞台俳優ではないのでしょう?」

「ええ、違います。彼女はただ普通に化粧をして貰いたかったのです」


 皆が不理解の表情を浮かべる中、私は言った。


「ヨエルは女性なのです」

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