第189話 動く情勢

「やあ、クレア、レイ。帰ったか」


 バウアーの寮に戻ると、ドル様が出迎えてくれた。

 寮の中はいつもより幾分慌ただしい雰囲気が漂っていて、人や物がせわしなく行き来している。


「その様子だと、もう既に知っているのかね?」

「ええ。スースが首脳会談を提案したとか」

「その通りだ」


 部屋で話そう、と言うドル様の後について自室に戻ると、メイとアレアがクレア様の胸に飛び込んで来た。


「クレアおかあさま、おかえり!」

「おかえりなさいませー」

「ただいまですわ」


 クレア様は満面の笑みを浮かべると、メイとアレアの額にキスを落とした。


「……私もいるんだけど?」

「レイおかあさまもおかえりー」

「おかえりですわ」

「……なんかそっけない」


 いいもん、寂しくなんかないもん。


「わたくしたちはお父様と大事な話がありますから、二人はお部屋で遊んでいてちょうだい?」

「メイたちもきいたらダメなの?」

「わたくしたちもおじいさまとおはなししたいですわー」


 む。

 ドル様人気あるなあ。

 これは決して嫉妬ではない。 

 ないったら、ない。


「ごめんよ、メイ、アレア。大人のお話なんだ。後でたくさん遊んで上げるから、今は我慢しておくれ」

「いいけど、やくそくだよー?」

「やくそくですわー」


 メイとアレアはドル様と指切りげんまんしてから部屋に引っ込んでいった。

 どうでもいいけど、この中世ヨーロッパ風の世界で指切りって凄く浮いてる。

 こんな所にも妙に日本っぽい文化が顔を覗かせている。


「リビングでよろしくて? レイ、お茶をお願い」

「かしこまりました」

「すまないね」


 二人がテーブルにつくのを見ながら、私は紅茶を淹れ始めた。


「それでお父様、首脳会談の提案があったというのは、本当のことですの?」


 お茶が入るのも待ちきれない、といった様子で、クレア様が話を切り出した。

 私にも話は聞こえているので、何の問題もない。


「ああ、そのようだ。ついさっき、ここにもバウアー経由で情報が入った。提案者はマナリア女王のようだね」


 三カ国同盟の件もそうだが、マナリア様は随分積極的に外交に勤しんでいるらしい。


「このタイミングで、というのが少し解せませんわね。今は三カ国同盟の成立に専念すべき時期ではありませんの?」


 クレア様が疑問を口にする。

 私は淹れたお茶を二人に配ってから席に着いた。


「これは私の予測だが、三カ国同盟を形にしてしまえば、帝国との対立が決定的なものになってしまう、と女王は考えているのではないかな」


 ドル様は紅茶をすする。

 美味いな、という感想が嬉しい。


「それは予め予測できたことではありませんの? 元々三カ国同盟自体が、帝国との戦争を前提にしたものだったように聞いていますわよ?」

「少し違う。三カ国同盟の目的は、帝国に侵略外交を放棄させることだった。戦力差を見せつけ、戦わずして勝利することが肝だったのだよ」

「でも、それが出来なくなった、ですか?」

「その通り」


 ドル様は難しい顔をした。


「同盟成立に先んじて打たれた、帝国からの融和の申し出が利いたな。うまく時間を稼がれてしまった。この数ヶ月で帝国は軍備をかなり拡張した。スースを始めとする三国もそれを黙って見ていたわけではないが、結局、帝国に上を行かれてしまった」


 ドル様に言わせると、直接対面した私たちが思う以上にドロテーアは外交上手らしい。

 ドロテーアにそんな腹芸が出来るとはあまり思えないが、事実が全てを物語っている。

 あるいは、よほど優秀なスタッフがついているのかも。


「とはいえ、このまま手をこまねいていては元の木阿弥だ。そこで女王は新たな国際秩序の中に、帝国も組み込んでしまおうと考えているようだ。首脳会談はそのための布石だろう」


 三カ国同盟を結んで帝国と争うのではなく、枠を広げてその中に帝国も絡め取ることで、動きを封じようというのがその要旨らしい。


「ちょっとお待ちになって。新たな国際秩序と仰いますけれど、現状、一国の国力としては帝国が頭一つ抜きん出ているのでしょう? その国際秩序が帝国の良いように使われる可能性はありませんの?」


 クレア様がもっともな懸念を口にする。

 そりゃそうだ。

 二十一世紀の世界にあった国連だって、大国のエゴに振り回されることはしょっちゅうあった。


「そこはマナリア女王を始めとする各国の手腕次第だろう。まあ、万一クレアが言うようなことになったら、改めて三カ国同盟を結んで、帝国と相対するという可能性もあるだろうね」

「つまり、ダメで元々ということですの?」

「平たく言えばそうだろう。だが、外交というのはそういう迂遠な立ち回りも必要なのだよ」


 やれやれ、とドル様が溜め息をついた。


「クレア、レイ、お前たちから見た帝国はどうだね? 皇帝ドロテーアはどう動くと見る?」


 ドル様がそんなことを問いかけてきた。

 クレア様は少し考え込んでから、


「ドロテーアが侵略外交を諦めるとは到底思えませんわ」

「理由は?」

「つい今しがた、わたくしたちはフィリーネ皇女が追放される所を目にしたばかりですの。ドロテーアに少しでも融和外交をする気があるのなら、それを訴える娘を追放するはずがありませんわ」

「ふむ……。レイはどうだね?」

「私もクレア様と同感です。ただ、どうもドロテーアは、何か理由があって侵略外交を推し進めている気配があります。そこを上手くつつくことが出来れば、あるいは翻意させることも出来るかもしれません」


 じいやさんも言っていた。

 ドロテーアは好き好んで侵略外交をしているわけではない、と。

 侵略の正当化に使う言い訳なら聞く耳を持つつもりはないが、よくよく考えればドロテーアは最初から自分の行いを正当化してはいなかった。

 ドロテーアに最初に謁見した際、彼女の外交を侵略と非難したクレア様の言葉に対して、ドロテーアは違わない、道理であると答えていた。

 彼女は自分自身を必要悪と見なしている気がする。


「その理由というものに見当はつくかね?」

「残念ながらそれがさっぱり。というか、ドロテーアに一番近しいと思われる側近の人ですら知らないようでしたし、本人以外知らないっぽいです」

「それじゃどうしようもないじゃありませんのよ」

「そうなんですよねぇ」


 これも最初の謁見の時の話だが、ドロテーアはその理由について、配下にならなければ教えられないと言っていた。


「レイのその……なんと言ったか。予言書には皇帝の真意について何か書かれていなかったのかね?」


 ドル様はレボリリの原作知識のことを言っているのだろう。

 原作知識について、ドル様にはクレア様にしたのと同様の説明をしてある。

 革命前のメイド採用試験の時に、こってり絞られた。


「ドロテーアの真意については、何も。彼女は想定されるどのケースでも、最後まで自説を曲げませんでした」


 ドロテーアルートで母娘が恋仲になるケースでは、フィリーネはドロテーアのパートナーとなって世界統一に乗り出す。

 革命ルートではフィリーネが帝国で革命を起こすが、そのルートでもドロテーアは最後まで敵として立ちはだかるのだ。

 他のいずれのルートにおいても、ドロテーアが自説を覆すことはない。


「ならば、今回マナリア女王が提案した首脳会談がそのきっかけになるかもしれんな。レイが言うように、もし侵略外交がやむにやまれぬ事情によるものなら、その事情を聞き出して翻意を促すことは出来るやもしれん」


 やむにやまれぬ事情、ねぇ。

 他の国に戦争しかけて占領するようなことに、事情も何もないと思うけど。

 いや、外交の本質にそういう弱肉強食的な部分がある現実は否定しないが、私は政治家ではないし、私は自分の庶民的な価値観を大事にしたい。


「いずれにしても、これから少し動くことになりそうだ。これでまたメイやアレアと遊ぶ時間が減ってしまうよ」

「ドル様はもう政治や外交から身を引かれたのでは?」


 ぼやくドル様に私は紅茶のお代わりをついだ。


「いやそれが、今回の件を機に助力をせがまれてね。首を縦に振らなければ、その役割をクレアたちにさせると言われれば、頷くしかあるまいよ」


 アーラもアーバインも、なりふり構ってないな。

 半ば脅しに近い形でも、ドル様を政治の舞台に戻すなんて。

 バウアーにはまだまだ余裕がないらしい。


「わたくしたちに任せて下さってもいいんですのよ?」

「そうですよ。ドル様はもう十分過ぎるほど働いたじゃないですか」

「はっはっは、ありがとう。だが二人とも、それは少し慢心があると言っておこう。政治や外交の最前線に立つには、お前たちはまだ力不足だよ」

「……ぐうの音も出ませんわ」

「仰る通りです」


 奇しくも革命の乙女などと言われることになったクレア様と私だが、革命は私たちだけで成し遂げたものではない、ということは繰り返し述べている通りだ。

 私の裏には常にドル様のバックアップがあったし、貴族勢力を平民によって打倒させるという構図を最初に描いたのもドル様だ。

 極論すると、クレア様と私は、ドル様というチェスの名手のコマだったに過ぎないという見方も出来る。

 そう言ったら、ドル様は全力で否定するだろうが。


「まあ、私が働くことがメイやアレアの未来にも繋がるのだから頑張ってみるさ」

「お手伝い出来ることがあれば、何でも仰って下さいな」

「そうですよ」

「はは、ありがとう」


 部屋のドアが激しくノックされたのはその時だった。

 顔を見合わせるクレア様とドル様を残して、私は席を立つと応対に出た。


「はーい……って、ラナ? どうしたの?」

「大変なんです、ヨエルが!」

「落ち着いて。ヨエルがどうしたの?」


 ラナの顔は真っ青だった。

 彼女は息を必死に整えてから言った。


「ヨエルが帝国の兵士に連行されました」

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