第188話 別れ
「……負けちゃいました」
フィリーネに追放宣言がなされてから数日後。
私たちは国外に追放されることになったフィリーネの見送りに来ていた。
見送りのメンバーは、クレア様、ヒルダ、じいやさん、私の四人である。
フリーダは来ていない。
彼女たち反政府勢力はドロテーアにその存在を認識されてしまったようなので、最低限の人間を残して姿をくらましている。
ここは帝都ルームの東門である。
以前、レーネが王国から追放処分になった際にも似たようなことはあったが、帝都の門はバウアーで見たそれよりも数段上だ。
大きさも頑強さもそこを通る人々の数も。
検問の規模も数倍大きく、人知れず追放されるフィリーネがやたら小さく見えた。
「せっかく協力してくださったのに、皆さんにはなんとお詫びしたらいいか……」
フィリーネは心底申し訳なさそうな顔をして詫びた。
フィリーネは表向き周辺諸国への外遊へ行くことになっている。
ただし、その期間は無期限であり、事実上の追放であることに変わりはない。
従者は五人ほど。
荷物も最小限で、とても皇女の外遊とは言えない支度だ。
「わたくしたちこそ十分にお力になれず、申し訳ございませんでしたわ。ドロテーア陛下を少し侮っていたようです」
「いえ。私もまさか監視の目がそこまで厳しいとは思っていませんでした。これは私の失策です」
クレア様のフォローも、今のフィリーネには届かないようだ。
「でも、こう言ったら何ですけど、極刑じゃなかったのは不幸中の幸いですよ。なんかあの場で処断されそうな雰囲気でしたから」
フィリーネやクレア様からは反感をくらうかもしれないが、私はそう思う。
何事も、命あっての物種だ。
「命は繋ぎましたけれど、追放処分の身でこれから一体何が出来るでしょう」
「お察ししますわ」
フィリーネとクレア様は完全にお通夜ムードである。
「何だって出来ますよ。追放になったからには、もう帝国からは自由な身じゃないですか。それならフィリーネ様のしたいことをすればいいんですよ」
「ふふ、レイは前向きですね」
「レイは単純過ぎますわ」
「落ち込むのは別に悪いことじゃないですけれど、気持ちの切り替えも大事です。一通り落ち込んだら、後は上がるだけじゃないですか」
まあ、こればっかりは性格的なものもあるとは思うが。
「それにしても……ドロテーア陛下には少し失望しましたわ」
「お母様に?」
「ええ」
クレア様が顔をしかめている。
「陛下は暴君であっても、それは国を思ってのこと、とわたくしは思っていたんですの。あまり共感出来る方ではありませんでしたが、それでも能力は折り紙付きですし、あれはあれで君主の一つのあり方だとわたくしも思っていましたのに」
「ああ、あれですか。クレア様は、ドロテーアの後のことは知らんっていう発言が気に入らないんですね」
「そうですわ。為政者にあるまじき暴言ですわよ」
「あはは……。母が失礼しました」
すっかりご立腹のクレア様に、フィリーネが力なく謝った。
「ドロテーア陛下に初めて謁見した後、わたくしたちは陛下の印象を語り合いましたが、どうやらレイの見立てが一番正しかったようですわね。あの方は子どもですわ。能力に偏りがありすぎる子どもですわ」
なんとなくだが、クレア様はきっと裏切られたような気持ちになっているのだと思う。
共感は出来なくても、クレア様はドロテーアに君主というものの一つの完成形を見ていたのだろう。
しかし、それは思い違いだった。
クレア様はそれが腹立たしいのだと思う。
しかし――。
「皆様は陛下を誤解しておられる」
静かな口調でそれを咎めたのはじいやさんだった。
「ドロテーア陛下はそこまで短慮ではありませぬ。後のことは後の者に任せると仰ったのは、確かに誤解を受ける発言でしたが、陛下には陛下なりの思慮があるのですよ」
「それは、どのような……?」
フィリーネが興味深そうに尋ねた。
追放という処分をされてなお、フィリーネは母親に対する興味・敬意を失っていない。
「皆様が憂慮されている通り、この国はドロテーア陛下という超人が占める割合が大きいのです。陛下はそのことを分かっておられます」
「なら、どうしてあんなことを……」
「陛下は以前、こうこぼしておられました。自分一人で色々やり過ぎた、と。後のことは後の者に任せるというのは、ご自分が崩御した際には、皆が協力して国の運営に当たるべし、という意味なのです」
陛下は言葉が足りないのですよ、とじいやさんは寂しそうに呟いた。
「フィリーネ様のことも同じですぞ」
「私のことも?」
「はい。ドロテーア陛下はフィリーネ様のことを案じておられるのです」
「そんな……まさか……」
「本当です。ドロテーア陛下は、フィリーネ様が政争に巻き込まれることを嫌ってこのような計らいをなさったのです。陛下は御身を案じておられます」
「……」
フィリーネの表情は複雑だった。
すぐには信じられないが、出来れば信じたいというような、そんな顔だった。
「フィリーネ様。あなたがしたことは間違いではなかった。私自身も帝国は融和外交に舵を切る時期に来ていると思います。ですが、陛下とて今の政策を好き好んでやっているわけではないのですよ」
「ではなぜ?」
「詳しいことは私にも分かりませぬ。ですが、陛下はずっと苦しんでおられます。陛下は元々、不要な血を流すことをよしとするような方ではないのです」
じいやさんの言うことはにわかには信じがたかった。
ドロテーアが戦線を拡大し、数多の国を侵略したことは紛れもない事実だからだ。
それに、たとえ何かしらの理由があったとしても、侵略を受けた国々からすればそんな弁解など聞く気にもならないだろう。
「そろそろ出立のお時間です、フィリーネ様」
御者の者がそう告げた。
いよいよ、別れの時だ。
フィリーネは沈鬱な面持ちのまま馬車に乗り込んだ。
別れの言葉を交わす暇もなかった。
ゆっくりと馬車が動き出す。
その時。
「クレア、レイ、ヒルダ、じいや。私、決めました」
「フィリーネ様!?」
馬車の戸からフィリーネが顔を出し、こちらに向かって懸命に叫んでいる。
「私、お母様を信じてみます! 信じた上で、この国の未来も諦めません! 私は、必ずまたここに戻ってきます!」
その瞳には強い意志が宿っていた。
出会ったばかりの頃の、内気で何も出来なかった彼女はもういない。
次に会うときは、きっとさらに成長していることだろう。
馬車はあっという間に小さくなっていく。
私たちはそれをしばらくの間見送っていた。
「行っちゃいましたね」
「ええ」
「ヒルダは良かったんですか、結局、なんにも言わずに見送っちゃいましたけれど」
「ええ、まあ。特にかける言葉もありませんでしたし。というか、てっきり無視されてるのかと」
「こじらせてますねぇ」
きっと交わしたい言葉もあっただろうに。
「帝国籠絡作戦も、一からやり直しですね」
「そうなりますわね」
「……私の前でそのような話をなさるのはやめて頂きたいものですな」
じいやさんが渋い顔をする。
「あれ? じいやさんも帝国のあり方に疑問を覚えている一人なのでは?」
「それはそうですが、大原則として私はドロテーア陛下の味方ですぞ」
「なるほど」
じいやさん、苦労人としか言いようがない立ち位置だなあ。
などと私が感慨にふけっていると、若い制服姿の男性がやって来た。
「ヨーゼフ様、こちらにいらしたのですか」
「どうした?」
「スース王国から書状が届きました。陛下はもうご覧になりましたが、ヨーゼフ様もご確認を」
「ふむ……?」
じいやさんは書状を受け取るとそれにざっと目を通した。
その表情は硬い。
「なにかあったんですか?」
「ちょっと、レイ。国と国の間で交わされる書状の内容を、わたくしたちなんかが教えて頂けるわけないでしょう」
「いや、構いませぬ。どうせバウアーの寮にも同じ内容が届いておりましょうからな」
そう言うと、じいやさんは書状を渡してくれた。
私は受け取って、クレア様と目を通した。
そこにはこう書かれている。
――スース、アパラチア、バウアー、ナーの四カ国首脳会談を行いたい。 マナリア=スース
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