第177話 綺麗な神輿
「あ?」
フィリーネの物言いに、ヒルダが気色ばんだ。
「お飾りのお姫さんが偉そうになんだい? 話がこれだけなら私は帰――」
「座りなさい、ヒルダ」
「だから、私は――」
「座りなさい」
その言葉には有無を言わせない冷厳さがあった。
席を立とうとしていたヒルダが、思わず、といった様子で椅子に座り直した。
その表情は、少し気圧されているようにも見えた。
「あなたの言いたいことは分かりました。そうですね。確かに対価は必要でしょう」
「……ああ、だからそれを用意出来ないんなら、この話はなかったことに――」
「あなたは誰に口を利いているのですか?」
「……!」
フィリーネの様子が変わった。
普段のおどおどとした様子がなりを潜め、威厳と冷徹さを備えた声がヒルダを打ち据えた。
「お飾りとはいえ、私は皇女。そんな口の利き方をして、ただで済むと思っていて?」
「……ハッ! 今さら権威を笠に着るか。力尽くで従わせるって? いいぜ、やってみろよ」
「口の利き方だけなら確かに、あなたが罰せられることはないでしょう。しかし、皇女に薬を盛った一件については?」
「……っ!?」
静かに問うたフィリーネの言葉に、ヒルダが言葉に詰まった。
フィリーネは私が彼女に首を絞められた時のことを言っているのだ。
あの時、フィリーネの様子がおかしかったことは、私からも彼女に伝えてある。
その直前にヒルダは思わせぶりなことも言っていたし。
しかし、ここでそのカードを切るのか。
「何のことか分からないね」
「とぼけますか。確かに証拠は残っていませんからね」
「だろう?」
「ですが、私が事を表沙汰にすれば、魔法技術勢力はあなたをどう扱うでしょうね?」
「……私を脅そうっていうのか」
ヒルダと魔法技術部門の繋がりは太い。
だが、魔法技術勢力にとって、ヒルダは欠かすことの出来ない存在、という程ではない。
経歴に傷のついた一人の官僚を、彼らが果たして重用し続けるかどうかには疑問がある。
そしてその疑問は、ヒルダの反応を見る限り邪推でもないようだ。
「脅したってムダだぜ。私はそんなものには屈しない。何なら私の支持基盤を使って、あんたを陥れることだって――」
「いいえ、ヒルダ。そうではありません。私が言いたいのはそういうことではないのです」
フィリーネの顔に微笑みが戻っていた。
つい今し方までの、まるでドロテーアを思わせるような口ぶりは、嘘のように消え失せていた。
ヒルダが怪訝な顔をする。
「今のような交渉の仕方が、まさにお母様のやり方です。相手を力でねじ伏せ、敵を作るやり方。イヤでしょう、こんなの? 私ならこんなやり方はしません」
「……」
「以前、こんな光景を見ました。小さな子どもたちがその中でも一際小さな身体の女の子をいじめていたんです。私はそれを諫めようとしました。そうしたら、彼らはなんと言ったと思いますか?」
「……さあ?」
「ドロテーア陛下の真似をしているだけ……そう言ったんです。私は言葉を失いました」
帝国の徹底した能力主義はいわば諸刃の剣だ。
能力があれば居心地がいいだろうが、弱者にとっては救いがない。
もちろん、帝国にも弱者救済策がないわけではないが、民主化したバウアーに比べれば圧倒的に小さい。
「行き過ぎた弱肉強食は、正さねばなりません」
「……話は分かった。だが、ならどうする? 私は対価なしには動かない」
「あなたを私の騎士に任命します。地位も名誉も欲しいあなたにとって、皇女のお付きとなることは、それなりにメリットがあると思いますが?」
「!」
私は正直、フィリーネを侮っていた。
それだけに、ここまでの話の運び方には舌を巻いた。
フィリーネは最初からヒルダと取り引きする材料を持っていた。
だが、話の主導権を握られたまま、ヒルダの言うなりになってそれを差し出してしまえば、その効果は半減どころではないだろう。
そこでフィリーネは対決姿勢を装い、一旦険悪な雰囲気を作ってから、改めて交渉をするという方法をとった。
クレア様も顔負けの交渉術である。
「……そんなもので私が満足すると?」
「逆に、私に協力することであなたに何かデメリットがありますか? 確かにあなたは魔法技術勢力と太いパイプを築き、それなりの地位を得た。でも、その地位だって盤石のものではない。先ほどちらつかせてしまいましたが、彼らはいつだってあなたを切ることが出来る」
「それは姫さんだって同じだろう」
「いいえ。私とあなたはいわば共犯者になるのです。私はあなたを裏切れないし、あなたも私を裏切れない」
「……」
ヒルダは注意深くフィリーネを見つめている。
その脳裏では恐らく、自分が得るメリットとデメリットが綿密に計算されている。
フィリーネが続けた。
「ねぇ、ヒルダ。そろそろ腹を割って話しましょう。私は本音を言いました。お芝居はもういいんですよ」
「……!」
ヒルダが目を剥いた。
フィリーネはお芝居、と言った。
それはすなわち、本性をさらけ出して皇女に声を荒らげたヒルダへの譲歩だ。
彼女の非礼をなかったことにする、とフィリーネは言っているのである。
フィリーネはヒルダに微笑みすら浮かべて見せた。
「私があなたに差し上げられるものは決して多くはありません。しかし、私はどうしてもあなたが欲しい。帝国を変えて行くその最初の協力者として、まず誰よりあなたにお願いします、ヒルダ」
フィリーネは再度ヒルダに協力を依頼した。
一周回って同じ事の繰り返しのように見えるかも知れないが、そこに至る経緯が違う。
ヒルダはしばしの間沈黙していたが、やがて、
「……ふふ……ふふふ……」
肩を震わせて笑い始めた。
「あっはっは! 参りました……降参です、姫様。やはりあなたはドロテーア陛下の血を引く方ですよ。大した方だ」
目尻に涙まで浮かべて、ヒルダは笑った。
その様子はまるで、憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
「お母様と比べられるのはあまり好きではありません」
「ああ、それは失礼。そうですね。陛下とは似てはいません。陛下ならもっと強引に私を従わせたでしょう。でも、あなたはそうはしなかった。それが私には好ましいです」
「どうしてですか?」
「融和外交を謳う当の本人が、強硬な手段に訴えてしまうのであれば、それは大変な自己矛盾でしょう」
ヒルダはフィリーネの一貫性を高く評価しているようだった。
「でも姫様、覚えておいて下さい。政治や外交の世界において、理想を貫くのは並大抵のことではありません。時には自説を曲げてでも、目的達成のために手段を選ばないことも必要です」
「ヒルダ……」
「姫様はそのままでいい。汚れ仕事は下の者にやらせればいいのです」
「そんな!」
「姫様、あなたは神輿です。泥で汚れた神輿など、誰が担ぎたくなりますか。あなたは誰もが進んで汚れたくなるような、そんな素敵な神輿であり続けなければならない。それは、汚れ仕事をするのと同じくらい辛いことです」
綺麗な神輿でい続けるということは、どんなに辛くても汚い手段に訴えることが出来なくなる、ということだ。
その厳しさを、ヒルダは指摘している。
「クレア、レイ、静聴に感謝します。もしもあなた方が途中で姫様に手を貸していたら、その時点で私は席を立っていました」
「フィリーネ様のなさりたいことを考えれば、あなたを口説くことくらいはして頂きませんとね」
「ええ、そうです。あなた方の判断は正しい。そしてそれもまた、フィリーネ様が力強い味方を得ていることの証左です」
ヒルダが満足そうに頷いた。
「ではヒルダ、協力して頂けますか?」
「いいでしょう……と、申し上げたいところですが、生憎私もそう簡単に折れるわけにはいきません。条件をつけさせて頂きます」
「言ってみて下さい」
「私が姫様の側につく場合、帝国の魔法技術勢力への説得材料、あるいは手土産が必要と考えます。それが欲しい」
彼らを動かす材料が欲しいのだ、とヒルダは言う。
「でも、残念ながら私は、魔法技術に関してはそれほど通じていません」
「ええ、存じております。ですが、それに関してはちょうどいいものがあります」
「それは、なんですか?」
フィリーネの問いに、ヒルダが答えたのは思いもかけないことだった。
「禁忌の箱――帝国の元主席研究員トレッド=マジクの残した遺産の謎を、あなた方に解決して頂きたい」
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