第176話 対価
コンコン、と外から部屋の扉がノックされた。
フィリーネは少し緊張した面持ちでこちらを見る。
クレア様と私が頷くと、フィリーネも頷いて、来訪者を室内に招いた。
「失礼します……おや」
ヒルダは室内にクレア様と私の存在を認めると、意外そうに眉をピクリと動かした。
「姫様がお話があるとうかがって来ましたが、お二人もご一緒でしたか」
「ええ、二人にも関係のあることなの。同席して貰っても構わないわよね?」
「もちろんですとも。ですが、こんな私でも多忙な身です。お話は出来るだけ手短にして頂けると助かります」
さりげないプレッシャーだが、以前のフィリーネならこれで気圧されて会話の主導権を握られていただろう。
しかし、
「ええ。お忙しい中、時間を作ってくれてありがとう。長くはかからないわ。でもまあ、座ってちょうだい」
フィリーネは落ち着いた様子でヒルダに椅子を勧めた。
ヒルダが意外そうな顔をする。
以前よりやりづらいことに気がついたのだろう。
フィリーネはやれば出来る子である。
特訓の成果は確実に現れている。
ヒルダは観念したように一つ溜め息をつくと、椅子に腰を下ろした。
「それで、お話とは?」
ヒルダは以前のフィリーネ専用スマイルを投げ捨てて、冷たい表情で問うた。
「ヒルダ、あなたは今の帝国をどう思っていますか?」
それでも、フィリーネは負けることなく会話を進めていく。
いちいち相手の顔色に怯えることはなくなっていた。
「随分と抽象的なことをお尋ねになりますね。帝国は素晴らしい国です。世界で最も優れた国でしょう」
「そうですね、私もそう思います。でも、このままでいいのかしら。帝国は敵を作りすぎたのではなくて?」
模範解答しかしないヒルダに対して、フィリーネが一歩踏み込んだ。
ヒルダの顔は能面のように動かない。
「確かに帝国には敵がいます。ですが、そうした敵もいずれは帝国の支配下となるでしょう。帝国にはその力があります」
「そうかしら? 先日のスース、アパラチア、バウアーの三国軍事同盟の件は? 今回は上手く立ち回りましたが、あの同盟が現実のものとなっていたら、帝国は危うかったと思わない?」
「もしもの話をしても仕方ありません。実際には同盟はならず、帝国は今も健在です」
ヒルダは結果論に終始した。
「実現性のない仮定なら無意味でしょう。でも、潜在的な脅威は現実に存在する危険です。確かに帝国は今も健在です。でも、帝国はとても不確かなロープの上を綱渡りしているのではないかしら?」
フィリーネも一歩も引かない。
自らの仮定には実際に検討する価値があると主張している。
「なるほど。確かに現状危うい要素はあるかもしれません。しかし、外交は常に手探りです。万全の外交など存在しません。どんな危険性が想定されていても、結局その中で最善を選んでいくしかないのです」
ヒルダはフィリーネの憂慮を机上の空論と批判している。
「私とて皇族の一人です。外交の難しさは知っています。ですが、今の帝国の外交方針は最善でしょうか? 私たちはもっと他に選び取れる選択肢があるのではなくて?」
フィリーネがさらに踏み込んだ。
対案がある、と暗に示している。
「……結局のところ、姫様は何が仰りたいのですか? 帝国はどうするべきだと?」
「侵略的な外交方針を止め、融和的な外交方針に切り替える時期に来ていると私は思います」
フィリーネが勝負の一手を放った。
さあ、ヒルダはどう出る?
「……それは、そちらのバウアーの方々に吹き込まれたので?」
ヒルダがじろりとこちらを睨んだ。
「違います。私が常々感じ、考えていたことです」
「姫様は何を仰っているのか分かっていらっしゃいますか? あなたは陛下のご判断に異を唱えると?」
「そうです」
「陛下に刃向かった者がどのような末路をたどるのか、姫様だってご存知でしょう。自殺願望でもおありなのですか?」
ヒルダの口元が皮肉げに歪んだ。
「私は皇族です。この国の未来に責任があります。たとえお母様に刃向かうことになったとしても、民を危険にさらす今の外交方針は正さなければなりません」
「出来るとお思いですか? 失礼ながら、姫様は皇族とはいえ大した力をお持ちではない。嫡子でもなく、大きな派閥を持っているわけでもない」
「はい。ですから、あなたの力を貸して頂きたいのです」
「……」
ヒルダが黙り込んだが、フィリーネは構わず続けた。
「あなたは個人としても優れた政治的手腕を持っていますし、帝国の一大勢力である魔法技術部門に太いパイプがあります。あなたが力を貸してくれるなら、私はもう力なき皇女ではありません」
ヒルダは黙したままじっとフィリーネを見ている。
その目は彼女の真贋を見定めているかのように、私には見えた。
「この国のため、民のために、どうか力を貸して下さい、ヒルダ」
フィリーネは真摯に訴え、そして頭を下げた。
有能な官僚とはいえ臣下に過ぎないヒルダに対して、皇族であるフィリーネが頭を下げることの意味は軽くない。
しかし、
「それで、私にどんな旨味がある?」
「えっ……?」
それまでの慇懃な調子とは打って変わったぞんざいな口調に、フィリーネは虚を突かれたようだった。
その様子をおかしげに見やりつつ、ヒルダはタバコを取り出してくわえた。
「だから、旨味だよ、旨味。あんたに協力して、私にどんな得があるかってこと」
「それは……」
「国? 民? 未来? いやいやいや、今に困ったことがない方は言うことが違うね。ご立派すぎて涙が出てくる」
「ヒルダ……」
豹変したヒルダにフィリーネは当惑を隠せない。
付け焼き刃の交渉術も、ここまでだろうか。
「私が今の地位を得るまでにどれだけの労力を払ったか、あんた分かってんのか? 今日食いつなぐのもやっとなどん底の生活から、ここまで成り上がるのにどれだけ苦労したと思ってんだ? ああ?」
「……」
恫喝に、フィリーネは黙って身体を震わせている。
「力を貸せだ? 簡単に言ってくれるなあ、おい。あんたは当然、それに相応しい見返りを用意してるんだろうなあ? まさか善意だけで協力が取り付けられると思ってやしねぇよなあ?」
なぶるように言葉を重ねるヒルダに対して、フィリーネは一言も発しない。
加勢しようと口を開きかけた私を、クレア様が止めた。
その目が、もう少し様子を見ましょうと言っている。
「力を貸して欲しいんなら、相応の対価をよこせ。それが出来ねぇんなら、もっともらしい口出ししねぇで、大人しくお飾りのお姫様してろってんだよ!」
ヒルダが叩きつけるように言うと、部屋は沈黙に包まれた。
しばし、そのまま時が流れた。
交渉は決裂だろうか。
このままヒルダに言われっぱなしでいいのだろうか。
そんなことを私が考えていると、
「……言いたいことは、それだけですか?」
沈黙を破って、フィリーネが決然と口を開いた。
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