第171話 劣等感
クレア様とダンスを終えた私は、一息つこうと料理が並んでいるホールの端に来ていた。
頑張って改善に取り組んだ結果、舞踏会の料理はかなり美味しいものになっている。
帝国の郷土料理に工夫をこらしたものや、属国から取り入れた新しい料理が、色とりどり所狭しと並んでいる。
「美味しくなったよね!」
「うん、以前とは段違い!」
料理を口にした舞踏会の参加者からはそんな声が口々に聞こえてきて、私としても嬉しい限りである。
美味しいと感じるのは帝国の人間ばかりでもないようで、
「え、ソーセージだけでこんなに種類があるの?」
「このプレッツェルっていうパンもメチャクチャ美味いぞ」
「帝国料理なんて馬鹿にしてたのに……。悔しい……、でも食べちゃう!」
バウアーからの留学生も、ちょっとしたカルチャーショックを受けているようだ。
いつまでも自分たちの食文化の方が上だなんて侮るなかれ。
食は常に進化し続けるものなのだから。
クレア様と踊るという最大の目的は達したので、私があとすることは料理を堪能することくらいだ。
まずはソーセージからと、取り皿にひょいひょい料理を載せていると、
「ああ、ここにいましたか、レイ」
ヒルダがやって来た。
彼女も今日はイブニングドレス姿である。
ミシャやイヴの系譜である氷雪系美人であるヒルダは、青色のロングドレスに身を包んでいた。
整いすぎてて近寄りがたくすらある。
「どうしたんですか、ヒルダ様?」
「一言、お礼を言いたいと思いまして」
そう言うと、ヒルダは例の微笑を浮かべた。
「あなたのお陰で帝国の食事は大幅に改善されました。姫様のお披露目にも間に合いましたし、本当にありがとうございます」
「いえ、私なんて大したことしてませんよ」
「レイ、謙遜は時に美徳ではありません。あなたは功績を挙げたのですから、それは誇るべきです」
「はあ……」
謙遜ではなくて、本気でそう思ってるんだけどね。
「ヒルダ! 来ていたのね!」
「姫様、ご機嫌麗しゅう」
フィリーネもやって来た。
既に何人かのダンスの相手をするのを見ていたので、おそらく小休止といったところだろう。
「姫様も召し上がりますか? 料理が大変美味しいですよ」
「ありがとう。でも、動けなくなりそうだからやめておくわ。ねえ、レイ。クレアはどこ? 私、クレアとも踊りたいの」
「クレア様なら、ホールにいたと思いますよ。すれ違いじゃないですかね?」
「そう……。クレアなら引く手あまたでしょうね」
「ええ。パートナーとしては誇らしさ半分、嫉妬半分といったところです」
「……そうでしょうね」
パートナーという言葉に、フィリーネが面白くない顔をした。
や、そんな顔してもそこは譲らないよ?
「では、私と踊って頂けませんか?」
ヒルダがそんな提案をした。
「ええ、いいわよ」
「あ、姫様ではなく、レイに言いました」
「……え……?」
フィリーネの顔色がさっきとは段違いにさっと青ざめた。
ヒルダはそれに気付かない様子で、
「どうですか、レイ?」
「ごめんなさい、私、クレア様以外とは踊らないことにしてるんです」
「そうですか。残念です」
「下心ありありでしょう?」
「分かりますか」
「そりゃあ、そうですよ」
などという腹の探り合いをしていると、
「……わ、私、ホールに戻りますね」
そう言って、フィリーネは行ってしまった。
「……今のもわざとですか?」
「分かりますか?」
「いいんですか、出世に響きますよ?」
「姫様はどうも落ち目と見ました。あなたの方が、私の役に立ってくれそうですので」
いよいよ、隠すつもりがなくなってきたらしい。
「私、帝国の人間じゃないですよ?」
「それでも、あなたは陛下にとても近い。ひょっとしたら、姫様よりも」
「それはさすがに買いかぶりというものです」
「そうでしょうか? 陛下は姫様など眼中にありませんが、あなたは別だ。あなたと、そしてクレア=フランソワは」
そう言って、ヒルダは興味深そうに笑った。
これはいつもの微笑ではない。
腹黒い、彼女本来の笑みだ。
「ヒルダ様、残酷なことをしますね」
「何のことです?」
「フィリーネ様のことです。彼女は帝室関係者の中では、あなたに一番懐いていたはず」
「おや、どこでそんなことを知ったんですか?」
「むしろ逆に聞きますけれど、どうして知らないこと前提なんです? 学館のいち学生ですら知っている事実なのに」
好感度情報を提供してくれるアナは、別に特別な存在ではない。
「ふふ、これは手厳しい。簡単なかまかけには引っかかりませんか」
「私への評価はどうでもいいんです。フィリーネは芯の強い女性ですけれど、限度というものがあります。信頼していた人の裏切りが、堪えないはずがない」
「ご自分の立ち位置をよく分かっていらっしゃる」
くすくすと笑うヒルダ。
フィリーネは今、少し不安定になっていると思う。
思い人のクレア様には私という相手が既にいる。
その私は、手前味噌だが革命を始めとしていくつかの手柄を上げている。
彼女の実の母であるドロテーアの寵愛も受けているし、この上ヒルダまでもが私を優先するようになったら、フィリーネは劣等感に苛まれない方がおかしい。
「私と組むのは、あなたにとっても悪い話ではないでしょう? あなた方はこの国のあり方を変えたいはず」
「ここでするような話ではありませんね」
私はヒルダの元を離れた。
今のところ帝国から危害を加えられている様子はないとはいえ、この先も同じとは限らない。
余計な火種は抱えたくないのだ。
はあ……、面倒くさい。
これ、帝国籠絡にとってプラスなのかマイナスなのか。
おそらくマイナスだろう。
私たちの当初の予定では、フィリーネを焚きつけて帝国の侵略外交に待ったをかけることだった。
ところが、その当のフィリーネから私は隔意を持たれつつある。
これは多少、作戦を変更した方がいいかもしれない。
「どうしたんですか、レイセンセ?」
しばらく歩くとラナを見つけた。
前に話していたとおり踊るつもりはないようで、取り皿一杯に料理を並べている。
「あ、うん、なんでもない。イヴは?」
「ヨエルと踊りに行きましたよぉ。せっかくだからって。あの子、意外とミーハーなとこあるんですよぉ」
ラナはあはは、と明るく笑った。
その普段と変わらぬ軽いノリが、今の私にはありがたい。
ヒルダとの腹の探り合いはとにかく疲れるのだ。
「ラナ、ほんとに踊らないんだね」
「うん。アタシ、ああいうの出来ないんで」
そう言うと、ラナはまた明るく笑った。
「学院でもダンスの講義はあったでしょう?」
「ありましたけどぉ、アタシはなんか向いてないみたいです」
「そう……。まあ、私も似たようなものだけどね」
「踊れたら、センセと踊りたかったなあ。あ、何なら夜のダンス大会とかしますぅ? アタシぃ、そっちなら大得意ですよぉ?」
ラナは今度は身体をくねくねさせながら言う。
「バカ言ってるんじゃありませんわよ」
「痛っ!?」
ラナの肩をぽかりと叩いたのは、我らがクレア様である。
クレア様も小休止しに来たようだ。
「クレア様、フィリーネと会いました?」
「ええ。ダンスに誘われましたけれど、ちょっと疲れていたのでお断りしましたわ」
「あちゃあ……」
なんてタイミングの悪い。
「何かありましたの?」
「実は……」
私は先ほどのヒルダとの一件を説明した。
「……そうでしたの」
「今からでも踊って上げてくれませんか?」
私は嫌われても、クレア様が好かれていれば、まだ当初の予定に目はある。
「逆効果でしょう。一度断ったのにどうして、とフィリーネが考えたら、下心に気付かれる恐れもありますわ」
「そうですか……」
上手く行かないものだ。
結局、舞踏会はその後何事もなく終わった。
ただ一点。
主役のフィリーネが、途中退室したということを除けば、であるが。
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