第170話 舞踏会
いよいよ舞踏会当日となった。
会場は学館ではなく、帝国が所有するダンスホールの一つである。
かなり広く、造りも豪奢なもので、これほどのものはバウアーでもそれほど多くない。
これまで見てきた帝国の建物が質実剛健に寄っていることが多かったのだが、こうして見ると、豪奢にするところは豪奢にしているのだなあと分かる。
そんなことを、天井から吊り下げられた大きなシャンデリアを見ながら、私は考えた。
ダンスパーティーということで時間帯は夜である。
日はとっぷりと暮れ、会場は魔力の灯りに照らし出されている。
そんな中を、正装した若い男女が歓談しつつ、舞踏会の開始を待っている。
「わっととと……」
慣れないハイヒールに転びそうになる。
これ絶対、靴擦れするよね。
前世から通して、女性らしい服装と私は相性が悪い。
「大丈夫ですの?」
転びかけた私の腕を取って支えてくれたのは、他でもないクレア様である。
長い髪をアップにして、イブニングドレスに袖を通し、お化粧もバッチリな今日のクレア様は、完全に美の化身である。
眩しくて直視出来ない。
でもガン見しちゃう。
「そ、そんなにまじまじみるんじゃありませんわよ。流石に恥ずかしいですわ」
「クレア様に見られて困るようなところあります?」
「ありませんけれど、それでも!」
チークではなく頬を赤く染めて、ぷいっとそっぽを向くクレア様。
はい可愛い。
「レイセンセ可愛いー! え、センセって、隠れ美人じゃん!」
「……生意気」
ラナとイヴもやって来た。
二人も髪型は普段と違う。
ラナはいつもはカチューシャだけの長い髪だが、今日はまとめてアップにしている。
カチューシャはこだわりなのか、つけたままだ。
イヴも普段は三つ編みにしている髪を、まとめてお団子にしている。
シニョンキャップをつけているので、少しエキゾチックな雰囲気がある。
何が言いたいかというと、可愛い女の子がたくさん見られて、私は嬉しいということだ。
「お前たちも来たか。遅かったな」
ヨエルもいた。
髪をオールバックになでつけ、燕尾服を着ている。
普通に男前だ。
「こんばんは、ヨエル。燕尾服、似合いますわね」
「ありがとう、クレア」
「ヨエル、この間街で見かけたんだけど、あなた色町にもがもが――」
「ちょっと、レイ!」
ドレス選びの日にあったことを注意しておこうと思ったのだが、何故かクレア様に口を塞がれた。
「あなたこの場で説教するつもりですの? やめておきなさいな」
「ですが、ああいう場所には危険が多いものです。色々と教えておかないと」
「そうだとしても、衆目の面前で言われる身になってごらんなさいな。後日、二人きりの機会を作って、ある程度ぼかしながら上手く伝えなさいな」
「それもそうですね」
二十一世紀の日本では、人前で叱ることが良しとされる文化があったが、これには結構問題がある。
誰かが問題を起こしたとき人前で叱れば、確かに聞いている他の人間にも注意は伝わるから、効率的と考える人もいるかもしれない。
ただ、人前でさらし上げられることに非常に強い恥辱を覚える文化、というのもあるのだ。
この世界はどちらかというと日本よりの文化だが、個人的にはクレア様の意見に賛成である。
私はクレア様の助言に従って機会を改めることにした。
ちなみに、クレア様が認識している危険と、私が認識している危険の内容には齟齬があったことが後に判明する。
主に、犯罪的な意味と、性病的な意味で。
それが明らかになった時のクレア様の顔は、トマトもかくやというほどに真っ赤だったことを記しておく。
「そろそろ始まるようですわよ」
クレア様のその声とともに、会場の照明が落とされた。
「お集まりの皆様、本日は舞踏会に足をお運び下さってありがとうございます」
会場前方でスポットライトを浴び、風魔法の力を借りて挨拶をしたのはフィリーネだった。
「本日は私のお披露目を兼ねさせて頂いております。どうぞよろしくお願い致します」
優雅に一礼するフィリーネは、やはり皇女だけあって仕草が洗練されている。
彼女が身に纏うのは、ドレープをたっぷり使ったクリーム色のドレスだった。
間違いなくトップテーラーの手による作品と分かる、極上の一品である。
そんなドレスに着られていないフィリーネもまた凄い。
私の中ではなぜか残念美人のイメージが強いフィリーネだが、こうしてみると立派なお姫様である。
「それでは挨拶はほどほどにしまして、今宵はぜひ楽しい夜をお過ごし下さいませ」
挨拶を終えたフィリーネに惜しみない拍手が送られる。
拍手がやむと、三拍子の音楽が流れ始めた。
「いよいよですわね」
舞踏会の始まりである。
「さて、クレア様。私と踊って頂けますか?」
クレア様と踊りたい人は、男女問わずたくさんいる。
さっきからクレア様のことをちらちら見ている人は、五人や十人ではきかないのだ。
パートナーとしての特権、とばかりに、私は優先権を主張した。
「ふふ、もちろんですわ。わたくしずっと、着飾ったあなたとこうして踊ってみたかったんですのよ?」
差し出した私の手に、白くて細い手が重なった。
「練習の成果、見せてちょうだい?」
「望むところです」
私は腕に少し力を入れて、クレア様の手を引いた。
クレア様の小さな身体が、すっとポジションに収まる。
緊張する。
こんな綺麗な人と踊るのに、足を踏んでぐだぐだになったらどうしよう、と。
でも、クレア様にたたき込まれたステップは、自分でも驚くほどスムーズに動いた。
「ふふ、上手ですわよ、レイ」
「からかわないで下さい」
「からかってなどいませんわ。本当に上手に踊れていますもの。ふふ、わたくし、帝国に来てから今が一番楽しいですわ」
そう言って、クレア様は花が咲くような笑顔で微笑んだ。
あ、ダメだ。
この至近距離でその笑顔は無理。
「レイってば、顔が真っ赤ですわよ?」
「全部、クレアのせいですからね」
「ふふ、そうですの……え?」
足を踏まれた。
「ご、ごめんあそばせ!? で、でも、あなたが急に……!」
「落ち着いて下さい、クレア。ほら、いち、に、さん」
「れ、レレレ、レイ!?」
だってしょうがないじゃない。
今日くらい格好つけたいんだもん。
こんな美しい人のパートナーとして、恥ずかしくないように。
私はクレア様の身体を支える手に力を込めた。
「……なんかずるいですわ」
「ご存知だったでしょう?」
「ええ、そうでしたわね。本当にずるい人。でも、そんなあなたが、私は大好きよ、レイ」
だからもう、それ以上可愛いこと言ってどうするの。
周りに人がいなければ、ここが舞踏会場という場所じゃなければ、押し倒して唇を奪ってめちゃくちゃにしていただろう。
クレア様への愛おしさが溢れてたまらない。
「楽しいですわね、レイ」
「ええ、クレア」
この時間が永遠に続けばいい。
私はそう願わずにはいられなかった。
この時はまだ知らなかったのだ。
永遠――その意味するところを。
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