第168話 セクシュアリティ

「ここ、どっちに曲がるんでしたっけ?」

「右ですわよ。ここを右に行って、少し行った所の左手ですわ」

「あはは、レイセンセってば方向音痴なんですかぁ?」

「……どうして私がここに」


 上から私、クレア様、ラナ、イヴの発言である。

 バウアーからの留学生女子四人で、今日は舞踏会で着るドレスを選びに行くのだ。

 相変わらず帝都の往来には人が溢れていて、左右に見える店にもたくさんの人影が見える。


「いやだって、帝都の中をゆっくり見て回る暇なんてなかったんだよ」

「でも、フィリーネが地図を書いてくれたじゃありませんの。その通りに行くだけですわよ?」

「……まあ、私が方向感覚に優れていないということは認めます」


 方向音痴というほど酷くはないのだが。


「あは、アタシは割と方向感覚鋭いですよぉ! 子どもの頃から今まで迷子になったことないんですぅ!」

「それは凄いね」

「イヴはー?」

「……別に普通」


 イヴは相変わらず無愛想である。

 元々愛想がないタイプなのに加えて、私がいるせいでさらにご機嫌斜めである。

 同行して貰ったのには理由がある。


 舞踏会で着るドレスについては留学活動の一環ということで、バウアーから補助金が支給されることになっている。

 他のメンバーは既に購入済みのようなのだが、この四人だけ料理勝負のせいでドレス選びが遅れていたのだ。

 留学団の会計担当からせっつかれて、今日まとめて買いに行くことになったのである。


「ドレスかぁ……」

「どうして声色が暗いんですのよ。ドレス選びですわよ? もっとウキウキするものじゃありませんこと?」

「そうですよそうですよぉ! しかも限度額はあるとはいえ、自分でお金出さなくていいなんて最高じゃないですかぁ」

「……ラナ、最低」

「ええっ!?」


 まあ、みんなの言うことは分からないでもない。

 私だって服を買うのは好きだし、それが自腹でなくていいのなら言うことない。

 でも、問題は買う服が舞踏会で着るドレスということだ。


「クレア様が踊って下さるっていうからOKしましたけど、私、スカートあんまり好きじゃないんですよ」

「前もそんなこと言ってましたわね? どうしてですの? むしろ、女性でスカート以外の格好をする人の方が少数派だと思いますけれど」


 中世ヨーロッパに似た世界観ということで、この世界の女性の標準的なボトムスはスカートである。

 職人や農家の仕事着にはズボンもあるものの、平服ではやはりスカートが圧倒的に多い。


「なんか足下がスースーしません?」

「むしろズボンの方が締め付けられてイヤじゃないですかぁ?」


 ふむ、こればかりは好みの違いなのかもしれない。


「それは……ひょっとしてレイの性的指向と関係があることですの?」

「え? 全然関係ないですよ?」

「でもほら、男性はスカートを履くのを猛烈に嫌うでしょう?」

「や、でも私、純然たる女性ですし」


 ああ、これはひょっとしてそういうことだろうか。


「クレア様、ひょっとして私が自分のこと男性だと認識してると思ってます?」

「……いえ、そういうわけではないのですけれど、女性を好きになるということは、男性らしいものが好きなのかなあとは思っていましたわ」

「いやいやいや、それは全然違います。ちょっと難しい言葉を使いますけれど、性的指向と性自認は別物ですから」

「性自認ってなんですかぁ?」


 ラナが問うてきた。

 イヴは無表情なのでよく分からないが、クレア様も顔にハテナマークを浮かべている。


「性自認っていうのは、自分が男性と女性のどちらであると思っているか、のことだね。普通はそれぞれの人にとって当たり前のことだと思うんだけど、中にはこれが身体の性別とズレちゃう人もいるの」

「へぇ? じゃあ、男性の身体なのに自分のことを女性と思ってたり、女性の身体なのに自分のことを男性と思ってたりする場合があるってことですかぁ?」

「そうだね」


 これは前に述べた美咲がまさにそれだった。

 二十一世紀の地球では、性同一性障害と呼ばれていた。


「それは……生きづらそうですわね」

「ええ、多分、想像を絶する苦痛だと思います」


 それこそ、美咲のように自ら命を絶ってしまう人がいるくらいには。


「まあ、難しい話はともかくとして、私の性自認は女性ですから、別に男性になりたいと思っているわけじゃないんです」

「そうなんですのね」

「多少、色々な好みに男性的な部分があることは認めますが、そんなの誰だってそうでしょう?」

「あ、それ分かるぅー。アタシ、甘い物が苦手なんですけどぉ、そう言ったら友だちに変って言われて、なんか納得いかなかったことありますぅ」


 ラナがうんうんと頷いて同意してくれた。

 男性と女性という二分法的な性別概念を完全に否定するつもりはない。

 それは人間の中に確かに存在する生物学的な差異を調整してきた、偉大な概念には違いないからだ。


 でも、社会がある程度成熟してくると、そういった二分法的な区別では追いつかなくなってくるのも確かだと私は思う。

 誰の中にも、男性性と女性性という二つの要素が、同時に存在してる、と思うのだ。

 中には男性でも女性でもない第三の性別を自認する人や、そもそも性というものが上手く認識できない人だっていることも分かっている。

 二分法的な性別概念は、そういった人たちにとっては残酷だ。


「……そんな話、どうでもいいじゃないですか」

「まあ、普通の人にはあんまり関係ない話かもね。でも、知識として知っておいてくれると嬉しいなって私は思うよ」

「……そうですか」


 あれ?

 珍しくイヴが素直に頷いてくれた。

 デレた?

 デレ期来た?


「あれぇ? あれってヨエルじゃないですかぁ?」


 ラナが指を差す方向を見ると、背の高い後ろ姿が見えた。

 青い髪というのはこの世界でも比較的珍しいので、多分ヨエルだろう。


「ヨエル」


 私は後ろ姿に向かって呼びかけたが、聞こえなかったのか、ヨエルは曲がり角を曲がって行った。


「あの方向って……確かフィリーネの書いてくれた地図によると、色町ですわよね?」


 帝都のような一国の中心都市にも――いや、だからこそというべきなのか、性を売り買いするお店は存在する。


「普段澄ましていても、彼も男性ですのね」

「へー、アタシが目の前で着替えていても全く動じないヨエルがねぇ」

「……いやらしい」

「……」


 私は性を売り買いすることについては中立的な立場だが、そういった場所の危険性もまた無視しない。


「ちょっと、行ってきます」

「あっ、レイ」


 私は三人から離れてヨエルの背中を追いかけた。

 しかし、


「……見失った……?」


 かなり急いで走ってきたつもりなのだが、角を曲がるともうヨエルの姿はなかった。

 前後左右に視線を巡らせるが、やはり特徴的な青髪は見当たらない。


「……何やってるんですか。一人で行って、迷子になったらどうするんです」

「イヴ……」

「……女性一人でこんな場所を歩くことの意味くらい、先生なら分かるでしょう」

「ごめん」


 でも、ヨエルがもしこういう場所を利用しているのなら、止めないまでもせめて正確な知識を教えて上げたかった。


「戻りますよ。もたもたしてると、変なのに捕まります」

「……うん。なんだかどっちが先生だか分かんないね」

「私の方が年齢はずっと上ですし」

「え!?」

「なんですか、その反応。学問をするのに年齢は関係ないでしょう」

「いや、イヴすっごい若く見えたからさ」

「……お世辞はいらないです」


 イヴはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 本当は何歳なんだろう。

 完全に年下だと思ってたのに。


 ヨエルのことも心配だったのだが、だからといってイヴを連れてこんな場所をうろつくわけにもいかない。

 年齢は問題ではない。

 イヴが実際に何歳だろうと、彼女が美少女であることが問題なのである。

 心配して後を追いかけて来てくれたのだろうし、これ以上迷惑を掛けるわけにも行かない。


「戻ろっか」

「……はい」


 後ろ髪を引かれる思いだったが、私はイヴを連れてその場を後にした。

 考えてみれば、私はヨエルについて完全に思い違いをしていたのだ。

 そのことが分かるのは、もう少し後になってのことである。

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