第166話 小さな鬼教官

「っつーわけで、だ。今日からお前らを鍛えてくれんのがこの人だ」

「よろしくおねがいします」


 一同から動揺の声が漏れた。

 ここは帝国厨師省の調理室である。

 広々とした清潔な空間に、大きなキッチンがいくつも備え付けられ、後ろの方には氷室とおぼしきものがある。


 厨師たちの前に立ったのは、ちんまい人影だった。

 私は隅の方から声援を送っている。


(アレア、頑張れ)


 料理勝負の末に厨師たちと共同して帝国料理の改善に当たることになったのだが、それを中心となって進めるのが彼女である。

 勝負に参加した他のメンバーもそれぞれ役割を与えられて様々な仕事に奔走しているのだが、アレアは若い厨師たちの指導という役割を与えられている。


「厨師長、本気ですか?」

「なにがだよ」

「いくら厨師長たちが勝負に負けたからって、こんな小さい子に……」

「ああん、文句あっか!?」


 異論を唱える若い厨師の一人に、厨師長が凄んだ。

 若い厨師はその迫力に圧されて一瞬詰まったが、負けずに言い返す。


「俺らは若くても、誇りある帝国厨師の一員です。それがこんな子どもに教えを請うなんて……」

「おめぇさんがたはおいらたちの料理勝負を見てなかったのかい」

「見てました。見てましたけど、あれはどちらかというと、料理の腕よりもコンセプトの敗北でしょう?」


 若者の言うことには一理ある。

 料理自体の味は、厨師長たちだって負けてはいなかった。

 むしろ、単に味だけを問題にするならば、彼らの方が勝っていた可能性すらある。


「そりゃ確かにな」

「でしょう? 浮き彫りになった課題である帝国の料理だって、外部の彼女たちよりも、俺らの方がずっとよく知ってます。教わることなんてありませんよ」

「それは違うぞ」


 最後の声は出入り口の扉の方から聞こえた。


「ど、ドロテーア陛下……!? それにフィリーネ様も」


 皇帝と皇女のお出ましに、厨師長を始めとする厨師たちが一斉に臣下の礼を取った。


「よい。余は無駄は好かぬ。話を先に進める」

「皆様、お楽になさって?」

「貴様らはこやつに学ぶべきことなどないと言ったが、それは違う。重ねて否定しよう」


 ドロテーア重々しく言って続ける。


「帝国の正餐改善については、厨師長を始めベテランの厨師たちに任せている。そなたたちに期待するのは別のことである」

「と、仰いますと?」


 若い厨師が聞き返す。


「貴様らには帝国の料理に新しいものを取り入れて貰う。このアレアはそこに立っているレイ=テイラーの秘蔵っ子である。新しい料理への造詣は深い」


 厨師たちの目が改めてアレアに注がれる。

 アレアはといえば、腕を組んで顎をくいっと上げて、得意げな表情をして仁王立ちしている。


「なら、レイさんの方に教えを請えばいいじゃないですか」

「レイには他にもやらせることがある。それとも何か? 余の采配に不満があると申すか?」

「い、いえ、そういうわけでは……」


 まあ、厨師達の不満もごもっともなのだが、現状、バウアーの人員にそれほど余裕はないので勘弁して頂きたい。


「貴様ら厨師にも誇りはあろう。だが、帝国の未来のために、ここは学ぶ姿勢を見せてはくれんか。余とフィリーネも参加するでな」

「陛下が!?」


 ドロテーアの言葉に、厨師達が動揺した。

 当のドロテーアはと言えば、そんな厨師たちには構わずに、アレアの方へ歩いて行く。

 その後をフィリーネが慌てて追いかけていく。


「アレアよ。先日の働きは見事であった。本日はよろしく頼む」

「よろしくお願いしますね」


 そう言うと、ドロテーアとフィリーネは自分の半分くらいしかない背丈の少女に頭を下げた。

 それがまた厨師たちのざわめきを誘った。


「かしこまりましたわ。でも、そのかっこうはだめですわよ」

「む? なにか問題があるか?」

「おおありですわ。どこのせかいによろいをつけたままりょうりをするひとがいますのよ」

「ふむ。なら脱ぐか」


 そう言うとドロテーアは甲冑についた帝室の紋章に触れた。

 彼女が纏っていた漆黒の甲冑が消失する。

 恐らく、ドロテーアの甲冑は魔道具なのだろう。

 彼女自身は魔法を使えないのだが、これにはちょっとした仕掛けがある。

 それについてはまた別の機会に。


「ちょっ、陛下!?」


 甲冑が消えれば、当然その下が露わになるわけで、ドロテーアは今下着姿である。

 本人は何も気にしていないようだが、厨師たちには男性も多い。

 実年齢はともかく、見た目は二十代か三十代にしか見えない美人の下着姿に、彼らが一斉に回れ右した。

 ふむ、紳士的で大変よろしい。


「へーか、じょせいがみだりにはだをさらすものではありませんわ。はやくこれにきがえてください」

「見られて困るような身体はしておらん。しかしまあ、貴様の言うとおりか」


 ドロテーアがフィリーネの持って来たコック服に袖を通した所で、やっと話が先に進む。


「というわけで、余とフィリーネも料理を習う。料理などどうでもいいと思っていたが、先の勝負で少し考えを改めたのでな。美味い料理はいい」


 おお、と厨師たちから歓声が上がった。

 それはそうだろう。

 今まで厨師たちは力を十全に震えなかったのは、ドロテーアが料理に関心を持たなかったことが大きい。

 その彼女が積極的に料理に関わろうと言うのだから、厨師たちにとっては朗報だろう。


「このアレアは余が教えを請いたいと選んだ相手である。異論は許さぬ。精一杯学べ」


 ドロテーアの一声は鶴の一声となった。

 厨師たちも渋々ではあろうが、アレアから学ぶことを了承してくれたようだ。


「では、これからみなさんにおりょうりをおしえますが、そのまえにひとついっておくことがございますわ」

「?」


 こほん、と一つ咳払いをしてから、アレアは厳かに切り出した。


「これからわたくしのことはアレアせんせいとよぶように。はつげんのさいしょとさいごにアレアせんせいをつけるように」


 アレアがなんか言い出した。

 私は頭を抱えた。

 これ、完全にレーネと私のせいである。


 彼女がまだバウアーの王立学院にいた頃、男女逆転喫茶の講師を務めたことを覚えているだろうか。

 あの時彼女はメイド道を説くために、変なスイッチが入っていたのだが、アレアのこれもその亜種である。

 今日、ここに立つ前に、アレアにはレーネと私でフラーテルとブルーメの最新料理事情をたたき込んだのだが、その時にレーネがまた例の悪癖を発動したのである。

 お陰でアレアは、人に教えるときはこう言うものだと思い込んでしまっているらしい。


「それは必要なことか?」

「へーか、はつげんのさいしょとさいご」

「アレア先生、それは必要なことか。アレア先生?」

「おしえるがわをうやまうこと、おそわるがわをそんちょうすること、どっちにもたいせつなことですわ」

「アレア先生、そうか、アレア先生」


 ドロテーアは何故か面白がるような表情で、アレアの言うことに従った。

 他の面々は不服そうだが、皇帝が自らそれに従っているのだ。

 自分たちがそれに背くわけにもいくまい。


「それではアレアせんせいのおりょうりきょうしつをはじめます。おへんじは?」

「「「アレア先生、はい、アレア先生」」」

「こえがちいさいですわ!」

「「「はい! アレア先生!!」」」

「よろしい。ではきほんのきほん。おこめのたきかたから――」


 そんな風にして、帝国の若手厨師たちへの講義が始まった。


「そんなことでフォンダン・オ・ショコラがつくれるとおもいまして? おかしづくりはざいりょうのけいりょうがいのちですわ。チョコレートもきちょうなのですから、きっちりはかりなさい!」

「アレア先生、はい、アレア先生!」

「パンをふつうのナイフできるんじゃありませんわよ! せんようのナイフをよういして、きるちょくぜんに火であたためるように!」

「アレア先生、はい、アレア先生!」

「クリームブリュレはなまクリームをけちらない! プリンになってしまうでしょう!」

「アレア先生、はい、アレア先生!」


 アレアの講義は叱咤激励を伴いながら順調に進んでいるようだ。

 皇帝とフィリーネも一生懸命料理を覚えている。

 ドロテーアは何となく楽しそうだが、フィリーネの方はどこか複雑そうだ。

 時々、私の方をもの言いたげに見てくる。

 はて?


 講義は数日に及んだ。

 最後の講義を終えた受講生達は、


「「「アレア先生……はい……アレア先生」」」


 と、みな目からハイライトが消えていたが気にしない。


「思うのだが、余などよりもアレアの方がよっぽど洗脳の魔法使いではないか?」


 ドロテーアの言うことも、気にしないったら気にしない。

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