第139話 危機一髪

「あなたは……?」


 クレア様が険しい顔で魔族を睨んだ。

 魔族は少し眉をひそめて、


「キミは確か元貴族だと思ったがね。人に名前を尋ねる時は、まず自ら名乗ると教わらなかったのかね?」


 岩場に腰掛けたまま、魔族は揶揄するように言う。

 クレア様は警戒を解かないまま、薄く笑って答えた。


「これは失礼しましたわ。わたくしはクレア=フランソワ。仰る通り、バウアー王国の元貴族ですわ」

「ふむ、やはりキミだったか。私はアリスト。人間と違ってファミリーネームは持たない。魔族の将――三大魔公の一人さ」

「!」


 アリストと名乗った魔族は、そういうとゆっくりと岩場に立ち上がった。

 蓄えた髭――と言っていいのかどうか分からないが――を撫でつつ、ゆるゆると視線をこちらに向けている。


 魔族については、よく分からないことが多い。

 原作知識を持つ私でも、魔族についてはそれほど多くのことを知らないのだ。

 無印でもレボリリでも魔族の存在は明示されているが、実際に遭遇する場面はない。

 設定資料集においても、魔族は自分たちの領地――ナー帝国のさらに東――で引きこもっているということ、ナー帝国が長年魔族と争いを続けていること、魔物は魔族の配下であること――その程度しか触れられていない。


 三大魔公などというものは聞いたこともなかった。

 だが、その名称からして魔族の有力者であることはうかがい知れる。

 ただのモブ魔族というわけではあるまい。

 これはひょっとして危険なのではないだろうか。


「ご挨拶ありがとうございますわ。それでアリストさん。あなたのご用件は?」

「ふむ……。いや、一つ、主命を受けて近くまで来たんだが、人間の姿を見かけたものでね。一仕事済ませてしまおうかと思ったのさ」


 アリストはゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる。

 一見、隙だらけに見える。

 だが、こちらから手を出していいものかどうか判断がつきかねた。


「お仕事ですの。それは大変ですわね。ちなみにどんな内容かおうかがいしても?」

「なに、大したことはないんだ。クレア=フランソワ。キミに頼みがあってね」

「わたくしに?」

「うむ。率直に言おう、クレア。キミ――」


 アリストが笑った。


「ちょっと死んでくれないかね?」

「クレア様!」


 私はとっさにクレア様の足下を陥没させた。

 クレア様の体が地中に落ちる。

 そのすぐ上を黒い閃光がなぎ払った。


「おや、よく避けたね」

「あなた……!」


 私が地面を戻すと、顔を出したクレア様が憎々しげにアリストを睨んだ。

 アリストは涼しい顔をしている。

 今のは……魔法?

 見たこともない技だった。


「クレア、逃げマスヨ!」

「魔族相手にこの人数は不利です!」


 フリーダとフィリーネが口々に撤退を提案する。

 私も賛成だ。


「ええ、わたくしもそうしたいですわ。でも、先方はどうもそれを許してくれる気はないようですわよ?」

「その通りだとも。まあ、逃げたい者は逃げるがいいさ。どうせ人間はいずれ死ぬのだから」

「言いますわね。でも、そう簡単に行くとは思わないことですわ!」


 クレア様が炎槍をけしかけた。

 先ほどケルベロスに放った数の倍、十にも及ぶそれがアリストに殺到する。


「児戯だな」


 アリストは避けようともしなかった。

 全ての炎槍がその体に着弾する。


「そんな……」


 クレア様の呆然とした声が響く。

 アリストには傷一つついていなかった。


「そんな下級魔法では私を傷つけるのは不可能だよ。大人しくやられたまえ」


 アリストが手を水平に振ると、闇を凝縮したような弾丸がクレア様へと飛び出した。


「させない!」


 私はとっさにクレア様の目の前に土の防壁を作った。

 しかし――。


「児戯だと言っただろう」


 土の防壁を粉々に砕きながら、黒弾は防壁を貫通してクレア様へと襲いかかった。


「ハッ!」


 クレア様に当たる直前、フリーダがその全てを剣で叩き落とした。


「ほう、今のも防ぐかね。なかなかどうして、やるものだ」

「それはドウモ!」


 フリーダはブーストした脚力で魔族との間合いを一瞬で詰めると、魔力を帯びた剣を袈裟懸けに振り下ろした。


「ふむ、それは少し痛そうだ」


 アリストは一歩体を引いて剣を避けた。

 そこへ、


「アースファング!」


 私の土属性中級攻撃魔法がアリストの足を挟み込んだ。

 これで動きは取れまい。


「貰ったデース」


 フリーダが振り下ろした剣を今度は逆袈裟に振り上げた。

 今度こそ――!


「What!?」

「惜しいね。だがまだまだ」


 フリーダの剣は、長く伸びたアリストの爪で受け止められていた。


「祝福を受けた武器に中級魔法も使うか。では私も少し本気を出そう」


 そう言うと、アリストは無造作に石の虎挟みを踏み砕いた。

 中級魔法でもこれか。


「上から行く。受け止められるものなら受け止めてみたまえ」


 アリストが右腕を振りかぶった。

 フリーダが剣で受けようとする。


「ダメ、フリーダ! 避けて!」


 猛烈に嫌な予感がして、私はそう叫んでいた。

 フリーダは寸前で防御行動を回避行動に変えた。


「Oh……、嘘デショウ……?」


 身体は避けたが、引き切れなかったフリーダの剣は真っ二つにされていた。

 あの爪は、魔力のこもったフリーダの剣以上の切れ味があるということらしい。


「フリーダ、下がりなさい!」


 クレア様の鋭い声に、フリーダが後ろに跳んだ。

 その直後、


「光よ!」


 すでに発射態勢に入っていたクレア様のマジックレイがアリストを襲う。

 しかし、


「ふん」


 アリストも闇色の閃光を打ち出し、それを相殺する。

 光と闇はしばしせめぎ合ってから対消滅した。


「マジックレイでも仕留めきれませんの……」


 クレア様が悔しげに唇を噛んだ。

 こちらが魔物退治で消耗しているとはいえ、アリストの強さは本物だ。

 とても今の状態で勝てる相手ではない。


「足止めします! その内に撤退を――」

「させんよ」


 私の言葉を遮って、アリストが空に向かって手を突きだした。

 彼を中心に闇が膨れ上がった。

 直後に走る衝撃。


 ――私は数秒意識が飛んでいた。


 気がつくと辺りはすり鉢状に地面が削られており、何かが爆発したかのようになっていた。

 フリーダ、フィリーネが倒れ伏すのが見えた。

 二人は立ち上がろうとしているが、傷が深いようだ。


「クレア様!」

「くっ……」


 膝をつくクレア様の目の前にアリストがいた。

 クレア様は気丈にその目を睨み付けているが、アリストは意に介さない。


「終わりだ、クレア=フランソワ。滅びよ、


 爪が振り下ろされるのが、酷くゆっくりと見えた。

 私は馬鹿だ。

 魔族はゲームの中では空気の設定だったから、出くわさないとでも思っていたのか。

 魔物という人間社会への立派な侵略行為がずっと続いていたというのに。

 帝国に来る際、あらゆる危険を排すると誓ったのは嘘だったのか。

 それでもあがこうと、苦し紛れに残りの魔力でコキュートスの発動を試みるが、とても間に合わない!


 全てが終わろうとしたその時、何かがアリストの爪を弾き飛ばした。


「さ、させません!」


 二人の間に割って入る、小さな人影が見えた。


「あなた……」

「お、お久しぶりです、クレア様」


 両手に輝きを放つ短剣を携えたその人影は、修道服を身に纏っていた。

 翻るウィンプルの下には、銀色の髪の毛と赤い瞳。

 私はその人物に見覚えがあった。


「リリィ様!」


 そう。

 すんでの所でクレア様を救ってくれたのは、リリィ=リリウム元枢機卿その人だった。

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