第121話 鍛錬

「さんじゅうに! ……さんじゅうさん!」


 休日の昼下がり。

 自宅の庭で気合いの入ったアレアの声が響く。

 アレアは木刀で素振りをしていた。


「! ……よんじゅうきゅう! ……ごじゅう!」

「よーし、よく頑張った。休んでいいぞ」

「はいですわ!」


 元気よく返事をしたアレアの頭を乱暴に撫でたのは、軽鎧をまとった隻腕の男性だった。


「アレア、お疲れ様。ロッド様もありがとうございます」

「おう、気にするな」


 私はテラスに設置したテーブルの上に、お茶と軽食を用意しながら二人に言った。

 鷹揚に頷いたのは、今は王族籍から離れたロッド様である。

 王位継承権を放棄して軍の責任者となった彼は、身分が市民になったことをいいことに、こうして時々ふらっと遊びに来る。


「レイおかあさま、ごらんになりまして!?」

「見てたよ。頑張ったね」

「きょうはごじゅっかいもふれましたわ!」


 興奮した面持ちで息を弾ませながらやってきた愛娘を、私もその汗を拭きつつ労った。

 アレアはくすぐったそうにしているが、自分がやり遂げたことに満足しているようである。


「さすがお前らの子だな。筋がいい」


 ロッド様はアレアを片手で器用に抱き上げると、そのまま高い高いし始めた。

 アレアはきゃっきゃと喜んでいる。


「血は繋がっていませんけれどね」

「そうなんだろうが、血が繋がってないのが不思議なくらいだぞ。コイツからは戦いの天性を感じる」


 ロッド様の言葉に、アレアだけでなく私まで嬉しくなる。


 ロッド様はアレアに剣を教えてくれているのだ。

 魔物という脅威が存在するこの世界で、魔法が使えないアレアは別の手段で身を守らなければならない。

 バウアーに住んでいる限り縁はないと思うが、この世界には魔族なんていうものも存在するらしいし。


 自衛の手段についてロッド様に相談してみたところ、稽古をつけてくれるという話になったのだ。

 以前は魔法主体の戦い方をしていたロッド様だが、軍の責任者になって以降、剣の鍛錬も欠かさず行っているらしい。

 元々、王子様方は護身のために基礎的な白兵術などはたたき込まれている。

 そんなロッド様に教えを請えるというのは、ありがたいことだ。


 それにしても、魔族、か。

 ゲームでは設定でしか見かけなかった種族だが、この世界で生きていくならばいつか邂逅するのだろうか。

 対策は考えておかないと。


「わたくし、けんにむいていますの?」

「おう。お前はきっと、オレより強くなるぞ。頑張りゃあ、剣神の域に達するかもな」

「けんしん?」


 聞き慣れない単語に、アレアが首を傾げた。


「一番強ぇ剣士のことだ。具体的に言えば、ナー帝国の皇帝だな」

「こーてーはつよいんですのー?」

「伝え聞く噂がどこまでホンモノか分からんが、噂通りなら、ヤツは剣だけでスースの一個大隊を叩き潰したことがあるらしい」


 大隊というのは軍隊における単位の一つで、大体三百から千人程度の部隊のことを言う。

 そんな大人数を剣だけでというのは流石に眉唾ものだと思われるかも知れないが、その噂が真実であることを私は知っている。

 それについては、また後々。


「こーてーって、どのくらいつよいんですの?」

「そうだなあ、世界で一番だな」

「ロッドさまよりも?」

「悔しいがそうだろうな」

「クレアおかあさまやレイおかあさまよりも?」

「魔法抜きだとそうだな」

「マナリアおねえさまよりも!?」

「マナリアは剣技もやべぇって聞くからなあ」


 アレアが目を輝かせている。

 そこに宿る光の名前は憧憬である。


「わたくしもがんばったらけんしんになれる?」

「おう、なれるかもしれねぇぞ。でも、それには一杯がんばらないとな」

「がんばりますわ!」


 そう言うと、アレアはまた素振りを再開した。

 ロッド様と私はそれを笑顔で見送った。


「……アレアばっかりたのしそうでずるい」


 頬を膨らませているのはメイである。

 メイは庭に座ってじっと目を閉じている。


「メイが今しているのだって訓練ですのよ?」

「つまんなーい!」


 早くも癇癪を起こしそうになっているメイに、クレア様がやれやれと苦笑する。

 アレアが今しているのは、魔法を使うための第一段階の訓練である。

 魔法を使う上で一番難しいのは、魔法という感覚を掴むその過程である。

 昔読んだマンガのセリフではないが、センスのないやつには一生できない。

 いくらメイがクアッドキャスターでも、この段階を越えなければ魔法は一切使えない。


「ほら、集中なさいな」

「むー……」


 クレア様に言われて、瞑想を続けるメイ。

 体を動かすのが大好きなメイにとっては、この上ない苦行だろう。


「体の内側に熱のようなものを感じませんこと?」

「うーん……。わかんない……」

「焦ることはありませんわ。ゆっくり、じっくり、メイのペースでいいんですのよ」

「うー……」


 魔法の感覚というのはとても抽象的なものである。

 語彙が発達してくれば理解の助けになるのだろうが、なにしろメイはまだ六歳だ。

 理解しろという方が無茶である。


「魔力の感覚は……そうですわね。メイがとっても嬉しい時に体の中で感じる感覚に近いですわ」

「うれしいとき?」

「ええ。心が沸き立つような、胸が躍るような、そういうこみ上げる感覚ですわ」

「うーん」


 とはいえ、クレア様とてそこで諦める人ではない。

 学院で魔法学の教鞭を執るようになったこともあり、彼女の教え方も以前よりずっと上達している。

 感覚だけではなく秩序だった理論を学ぶことで、相手にどうやったら伝わりやすいかを考えられるようになったのだ。

 元々が聡明なクレア様なので、メイが魔法を身につけるのはそう遠い未来の話ではないだろう。


「……わかんない!!」


 しかしそれは、今日ではないようだ。

 大きな声で叫ぶと、メイは大の字に寝転んでしまった。


「一日やそこらで身につけられるものではありませんもの。仕方ありませんわ」


 クレア様はすっかり拗ねてしまったメイを抱き上げると、そのままテラスへとやってきた。


「お疲れ様、メイ。クレア様も」

「……まほう、つかえない」

「すぐには無理ですわよ。焦らずじっくり行きましょう?」

「あっはっは! 史上二人目のクアッドキャスターも、開花するのはまだ先か!」


 ロッド様が豪快に笑う。

 その声に、メイがむっとした顔をした。


「すぐにつかえるようになるもん!」

「おう、そうか?」

「ロッドさまはアレアばっかりひいきするからきらい!」

「メイ、ロッド様にアレアを鍛えてとお願いしたのはわたくしたちですのよ?」

「しらない!」


 メイはすっかりへそを曲げてしまっている。


「あっはっは! 嫌われたな! いいぞ。魔法が使えるようになったら、一番にオレにぶつけに来い」

「いーっだ!」


 メイの悪態も、ロッド様は笑って受け止めてくれる。

 相変わらず、懐が深い人だ。


「ロッド様、最近はどうお過ごしですの?」

「例の大規模術式の試験運用が始まってな。結構、忙しい」


 ロッド様が言う大規模術式というのは、彼が開発した新しい魔法らしい。

 曰く、もうマナリアにだって負けねぇぞ、だとか。


「後は、最近妙に頻発してる地震の対策だな。王国民にとっちゃトラウマもいいところだ」

「ああ、最近続いていますわね」


 原作知識によれば、サッサル火山の噴火に関係する余震はないはずなのだが、どうもここ数ヶ月地震が多い。

 サッサル火山の噴火は革命のきっかけになったほどに、王国民にとっては非常に嫌な記憶なので、市民の間ではまたあんなことが起きるのでは、と不安が広がっているらしい。

 とはいえ、地震対策というのは以前にも触れたとおり、二十一世紀の日本ですら万全な対策が取れなかったものだ。

 今の王国に出来ることは限られているらしく、ロッド様は頭を悩ませているらしい。


「それ以外にも、外交と絡む部分が色々あってなあ」

「軍が外交に? ……物騒な話ではありませんわよね?」


 ぼやくロッド様の言葉に、クレア様が心配そうな顔をした。

 王国の新政権が安定して以後、クレア様も私も政治の舞台からは身を引いている。

 今の王国がどのような外交を行っているかは、新聞で伝え聞く程度しか知らない。


「まあ……、ちょっとな。ひょっとすると、二人にまた迷惑を掛けることになるかもしれん。そうならないよう努力はするが」

「やめて下さいよ。クレア様と私のラブラブな日々を邪魔するのは」

「レイ」


 心底迷惑そうな顔をした私を、クレア様がたしなめる。


「あっはっは! 二人は幸せそうだな。いやー、何より。でも、こじれたらいつでも待ってるからな、レイ」

「しつこい男は嫌われますよ」

「はっはっは!」


 笑って誤魔化された。

 っていうか、まだ諦めてなかったのかこの人。


「まあ、冗談はともかく、あんなこと革命があった後だ。市民の幸せは、できる限り脅かされないようにするさ」


 珍しく複雑そうな顔をしたロッド様は、そう言ってお茶をすすった。

 クレア様と私は顔を見合わせて、何やら雲行きが怪しくなって来ていることを感じたのだった。

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