番外編5.その苦しみは罰ではなくて
※リリィ=リリウム視点のお話です。
コンコン、と木製の扉をノックします。
夕暮れの薄闇の中、その建物の扉の意匠には精霊教のシンボルである羽根があしらわれているのが見えました。
ここは精霊教会のスース支部である、スース北修道院です。
「はい、どなた……?」
「せ、精霊教会のシスターをしています、リリィと申します。訳あって巡礼の旅をしているのですが、食べ物を分けて頂けないでしょうか」
中から顔を覗かせた初老のシスターに、私はつっかえつっかえ説明しました。
シスターは私のことを観察するようにしげしげと見つめた後、
「今どき巡礼をなさるなんて、敬虔な方なのね。私はシスター・リレット。もちろん、食料は分けて差し上げますよ。ほら、お入りなさい」
目尻のしわを深くして、そう言ってくれました。
「ありがとうございます。助かります」
私はお礼を言うと、修道服についた埃を落としてから修道院の中に入れて貰いました。
バウアー大聖堂に比べると、スース北修道院はとても小さな建物でした。
まあ、大聖堂と比べたらどの修道院も小さいに決まっているのですが、ここは特に小さいように思えます。
建物も古く、そろそろ立て替えを考えた方がいいような、そんな造りです。
私はシスター・リレットの後を歩きながら、それとなく室内を観察していました。
「ボロでびっくりなさったかしら」
「え、ええ、はい……じゃなくて!」
シスター・リレットの言葉があまりにも何気なかったせいで、私はうっかり本音をこぼしてしまいました。
慌てて取り繕おうとしますが、私はあまり言葉が上手ではありません。
あたふたしていると、
「うふふ、いいのよ。本当のことだから。私と同じで、この修道院もおばあちゃんなの」
そう言ってシスター・リレットは鷹揚に笑いました。
「た、立て替えをなさらないんですか?」
「それも考えたのだけれど、この修道院は私の代で閉じることになっているの。近くに大きくて新しい修道院が出来たから」
「そ、そうなんですか……」
「ええ。だから、ここはこのままにしておこうと思うの。お金は取っておいて、取り壊すのに使って貰うわ」
修道院は基本的に裕福ではないことが多いです。
お金は精霊教会全体で融通し合っているとはいうものの、やはり優先順位というものはあります。
近い場所に二つも修道院はいりません。
もしかすると、スースの精霊教会はこの修道院が古くなってきたから、新しい修道院を別に建てたのかも知れませんし。
「ああ、ごめんなさいね。ここにはあまり人が来ないものだから、ついつい余計なお喋りをしてしまうわ」
「い、いえ、お気になさらないで下さい」
「ふふ、ありがとう」
「し、シスター・リレットはここにお一人でお住まいなのですか?」
「他に二人、若いシスターと一緒よ。そうね……ちょうどリリィさんと同じくらいの年齢かしら」
と、シスター・リレットが言ったちょうどその時、
「シスター・リレット、お客さん?」
「……」
私より少し背の高い二人の修道女が奥から顔を出しました。
私は息が止まるかと思いました。
「れ、レイさん!?」
二人のうちの背の高い方の修道女は、生き写しかと思うほどにレイさんにそっくりだったのです。
突然大声を出した私に、レイさんそっくりの修道女は怪訝な顔をし、もう一人はその陰に隠れてしまいました。
「私の名前はイーリェだけど……」
「……レイじゃない」
二人の否定の言葉に、私は我に返りました。
そうです、レイさんがこんな場所にいるはずがありません。
彼女は今、クレア様との新婚生活真っ最中なのですから。
そう、新婚……。
「……うっ……うぅ……」
「ちょっ……どうしたの!? 突然、泣き出したりして」
「いえ、ちょっと辛いことを思い出してしまいまして……」
「……この人、情緒不安定……」
レイさんのそっくりさんには心配され、もう一人には呆れられてしまいました。
「あらあら……、どうしましょ。食料を分けて欲しいとだけ言われていたのだけれど、これは一晩泊まって行って貰った方がいいかしらね?」
私たちの様子を眺めていたシスター・リレットが、のんびりとそう言いました。
「い、いえ! そんなご迷惑をおかけするわけには……」
「遠慮することないわ。イーリェ、マリ。リリィさんにお部屋を用意して差し上げて」
「はーい」
「……はい……」
なぜか泊めて貰う方向で話がまとまり始めています。
「ほ、本当に大丈夫ですから!」
「ここはシスター・リレットの厚意に甘えておきなよ。それに……悪いけど、ちょっと身なりを整えた方がいいって」
思いのほか押しの強いイーリェさんに背中を押されました。
言われて自分の姿を見下ろすと、修道服はあちこち擦り切れ、かなり薄汚れていることに気づきました。
ちなみに口数の少ない方がマリさんだそうです。
「お裁縫は出来る方?」
「う……あ、あまり得意ではないです」
「そんな感じだよね。とりあえず部屋でこれに着替えて。修道服は繕っておくから」
苦笑すると、イーリェさんは部屋着を見繕って渡してくれました。
「す、すみません……」
「同じシスター同士、助け合うのは当たり前でしょ? じゃあ、着替えたら呼んで」
「……もうじきご飯……」
そう言うと、二人は部屋を出て行きました。
「……ご厚意に甘えようかな」
これまでの旅路でも、修道院に泊めて貰うことは何度かありました。
でも、こんなに積極的な親切を受けたのは初めてのことで、私は胸の奥が温かくなるのを感じました。
◆◇◆◇◆
「それでは日々の糧を得たことを、精霊の主に感謝して――」
「「「「いただきます」」」」
食堂――という言葉からイメージされるほど広くはない部屋で、私は三人の修道女と共に夕飯を頂くことになりました。
食前のお祈りを唱えてから、私はパンに手を伸ばしました。
献立はパンと空豆のポタージュにゆで卵――精霊教の修道院としては標準的なものです。
作ったのはイーリェさんだそうで、そういえばレイさんもお料理が得意だったなあ、と私はまた少し切なくなるのでした。
「少しは落ち着いたかしら」
一つ目のパンを食べ終わった頃、シスター・リレットが優しく言葉をかけてくれました。
「は、はい。先ほどは失礼しました」
「ふふ、いいのよ。何か悲しいことでも思い出しちゃったの?」
「……じ、実は、失恋を……」
「まあ」
しぶしぶ白状した私の言葉に、シスター・リレットは微笑ましいものを見る目を向けてきました。
「リリィさんみたいな可愛い人をふるなんて」
「……見る目がない……」
他の二人は同情的です。
私はいたたまれなくなって話題を変えようとしたのですが、
「ねえ、相手はどんな人?」
「……聞きたい……」
イーリェさんとマリさんが食いついてきました。
察するに、この修道院で暮らす二人は、新しい話題に飢えていたのでしょう。
珍客がもたらしたコイバナは丁度いいデザートだったに違いありません。
「す、素敵な人です。とっても。でも、彼女にはもう心に決めた人がいて……」
「そっかぁ……」
「……それは辛い……」
もごもごと言った私の言葉に、イーリェさんとマリさんはますます同情の色を深めます。
しかし私は、大きなうっかりをしでかしたことに気づいていませんでした。
「彼女?」
「あっ……」
シスター・リレットが耳ざとく聞きとがめました。
表情こそ険しくはないものの、明らかに詳しい説明を求める顔をしていました。
これは……白状するべきなのかどうか……。
「もしかして、リリィさんは女性に思いを寄せてしまったの?」
「……は、はい……」
穏やかな、それでいて誤魔化しを許さないシスター・リレットの口調に、私は正直に答えるほかありませんでした。
精霊教は同性愛には否定的です。
表だって迫害したりはしませんが、恋愛は男女でするものという考え方が支配的なのです。
私は咎められるかなと覚悟をしました。
「そう……。そうなのね」
しかし、シスター・リレットはそれ以上何かを言うことなく、静かに食事に戻りました。
「……?」
なんとなく、不思議な空気でした。
気まずいというのは確かなのですが、でも、それだけではないような。
私はこの雰囲気の意味するところは分からず、結局それから何も言わずに食事を終えました。
◆◇◆◇◆
「リリィさん、起きてる?」
その日の夜、もうあとは寝るだけという時間になって、部屋の扉をノックする音が聞こえました。
「は、はい。まだ起きています」
私はベッドから身体を起こして身なりを整えました。
「入ってもいい?」
「ど、どうぞ」
ノックの主はイーリェさんでした。
「こめんね、夜分遅くに」
「い、いえ。どうなさいましたか?」
「……ちょっと、相談したいことがあってさ」
そう言うイーリェさんは、とても深刻そうな顔をしていました。
レイさんそっくりの彼女がそんな顔をしていると、まるでレイさん本人が落ち込んでいるかのようで、私は落ち着かない思いがします。
「り、リリィでよければ相談にのりますよ。何でも話して下さい」
精霊教会の枢機卿として、他人の相談に乗る術は学んでいました。
大聖堂では腫れ物扱いだったために、それを活かす機会には恵まれませんでしたが、これはいい機会かもしれません。
「ありがと。相談っていうのは……その……」
イーリェさんは口ごもってしまいました。
言いづらいことなのでしょうか。
「イーリェさん、ここに座って下さい」
私は座る位置を少しずらしてベッドに隙間を作ると、そこにイーリェさんを招きました。
イーリェさんは少し躊躇う様子を見せましたが、やがて隣に座ってくれました。
「悩んでいても、言いにくいことってありますよね」
「……うん」
「お夕飯の時に話したリリィの思い人――レイさんは、ちょうどリリィのそんな悩みをすくい上げてくれた人なんです」
「……」
私はまず、自分のことをイーリェさんに話しました。
レイさんとの出会い、同性愛者である引け目を救われたこと、クレア様も一緒になった不正貴族摘発、そして――私の裏切りも。
私の身分や登場人物のプライバシーは伏せましたが、旅に出る前にあったことのあらましを、私はイーリェさんに話しました。
「リリィさん、そんな波瀾万丈な人生を歩んできたんだ? なんか悩みなさそうなのに」
「ひ、酷いですよー!」
「ふふ、ごめん」
そう言って短く笑ったイーリェさんは、表情をまた少し堅くして、
「相談っていうのは、マリのことなんだ」
「……もうお一方の同居人さんのことですね。リリィにはとても仲が良さそうに見えましたが……」
イーリェさんの陰に隠れるようにしていたマリさんは、イーリェさんのことをとても信頼しているように見えました。
「うん、仲はいい。いいんだけど、マリが私に向ける感情と、私がマリに向ける感情は……多分、違うの」
「それは……」
ひょっとして。
「多分、私も同性愛者なんだと思う」
おどけるように言ったイーリェさんの顔は、でも笑っているのに辛そうで。
「マリとはね、幼い頃からずっと一緒なの。私たち二人とも、親に捨てられてさ」
イーリェさんもマリさんも、シスター・リレットを母親代わりに、まるで姉妹のように育ってきたのだ、と彼女は言いました。
「私が姉で、マリが妹。端から見たらきっとそんな感じだし、マリもシスター・リレットもそう思ってる。でも、私は違う。違うことに気がついちゃったの」
妹同然の存在を性的な目で見てしまう罪悪感。
それを悟られることの恐怖。
そして、自分の思いを不純なものと説く精霊教の教え。
まるで世界が自分を否定しているみたい、とイーリェさんは語りました。
「ねぇ、リリィさん。私はどうしたらいいの? 私、こんなことを思ってしまう自分が大嫌い……」
とうとう空笑いも出来なくなり、イーリェさんはすすり泣きながら顔を伏せてしまいました。
私はいても立ってもいられなくなって、その身体を抱きしめました。
イーリェさんはそのまましばらく泣き続けました。
彼女の頭を撫でながら、私は懸命に考えました。
どうすればこの傷ついた心に寄り添って上げられるかを、私なりに。
「イーリェさん、まず最初にあなたに言うべきことは、あなたが抱える苦しみは、罰ではないということです」
私の言葉に、イーリェさんがはっとした表情で顔を上げました。
私は続けます。
「誰かを好きになる、ということは理屈ではありません。それはもう、自分でもどうしようもないことなんです。そして、それは決して罪ではありません」
「でも、精霊教は――」
「精霊教の教えのうち最も大切なものは何か、イーリェさんはご存じですか?」
反論しようとするイーリェさんを抑えて、私は問いを投げかけました。
怪訝な顔をしつつ、イーリェさんは少し考えて、
「精霊神様の下では、誰もが平等であること」
「その通りです。それが一番大事なんです。その他の教義は歴史の過程で後から付け足されたものに過ぎません」
「それが……?」
「誰もが平等であるならば、同性愛者が思いを否定されるのはおかしくありませんか?」
「!」
それは、彼女にとって思いも寄らない考え方だったようでした。
私は、まるで過去の自分をそこに見ているような気持ちになりました。
「レイさんはもっと論理的に同性愛を肯定して下さった気がしますが、リリィにはそこまでのことは出来ません。でも、そんなリリィでも一つだけ自信を持って言えることがあります」
「それは、何ですか?」
私は慎重に言葉を選び、こう言いました。
「神様は、あなただけを罪人にするようには、世界を作っておられない、ということです」
これは、信仰に生きる私がたどり着いたこと。
もしかしたら信仰のない人にとっては、何の薬にもならないかもしれない、でも切実で重要な真理。
「同性を好きになるリリィやイーリェさんにとって、確かにこの世界は辛いものに思えるかも知れません。でも、世界を辛いものにしているのは、神様ではなく人です。そこを間違えてはいけません」
信仰の核心は神様への信頼です。
信仰に生きる者にとって、神様から否定されていると感じることは、自己の絶対的な否定に他なりません。
そうなった者の行く末は、信仰の否定、世界の否定、果ては自分からの逃避――すなわち死です。
「まずは自分の思いを肯定しましょう。全てはそれからです」
「……」
イーリェさんは深く考え込んでいるようでした。
修道院の夜は穏やかで、私たちは世界から取り残されたような静けさの中にいました。
でも、信仰に生きる私たちには分かっています。
神様は、常に隣で見守っていらっしゃる。
「……でも、マリには振り向いて貰えないかも知れない」
「それは仕方のないことです。異性愛者の方だって、自分の思いを肯定して貰えるとは限らないでしょう? そこは甘えてはいけないところです」
もっとも、異性愛を正常とする社会規範のせいで、同性愛者の思いが実りにくいというのは動かしがたい事実ではあります。
とは言え、そこは相手のせいではありませんし、そうした社会規範を変えていくことこそ、今を生きる私たちの使命だと思います。
少なくとも、私の尊敬するあの人は、ずっと何かと戦っていました。
「……まだ整理つかないけど、少し腑に落ちた気がする。私のこの苦しみが罰ではないって言って貰えて嬉しかった」
呟くようにそう言うと、イーリェさんは目元を拭って笑ってくれました。
「マリに応えて貰えるかどうかは分からないけど……うん。私だけは自分の思いを否定しないようにするよ。ありがとう」
どこか吹っ切れた様子の彼女は、やっぱり私のよく知るあの人に似ているな、と思いました。
◆◇◆◇◆
「それでそれで!? それからどうなったんですの!?」
「え、えーと……」
「がっつきすぎです、クレア様。リリィ様が引いてます」
旅から帰ってきた私は、レイさんとクレアさんのおうちにお邪魔して旧交を温めています。
土産話として話したうちの一つが、クレア様に大ヒットしたらしく、食いつきが凄いです。
出されたお茶を飲む暇もないような状態を見かねたのか、レイさんがクレア様をたしなめました。
「ざ、残念ですが、その後のことはリリィにも分かりません。翌朝には、リリィは次の目的地へ旅立ってしまったので」
「イーリェさんに手紙を出しましょう!」
「そ、そこまでしなくても……」
「いいえ、いいえ。レイにうり二つの子なのでしょう? 一目、いいえ、二目は見たいですわ!」
そこですか。
クレア様、本当にレイさん好きですよね。
いえ、私だって負けないくらい好きですけれど。
「そんな……クレア様が浮気を!」
お茶を淹れ直してくれつつ、聞きとがめたレイさんがそんなことを言いました。
「そんなわけないでしょう。ずっとずっとレイにぞっこんですわ」
「クレア様……」
「敬称などいりませんわ!」
「クレア!」
「レイ!」
「……そろそろお暇した方がいいのでしょうか」
なんとなく遠い目になりつつ、私はレイさんが淹れ直してくれたお茶に口をつけました。
イーリェさんのことは私自身も気になってはいるのですが、あの後どうなったのかを確かめるのは少し怖い気もするのです。
自分なりに言葉を尽くしたつもりですが、人の感情はどうなるか予測がつきません。
イーリェさんの思いが実ったのかそうでないのか、どちらになったとしても、彼女がその後どうしているのか、何の保証もないのです。
でも、私は信じています。
どんなに辛いことがあっても、神様は信仰する者を決してお見捨てにならないということを。
――
ご覧下さってありがとうございます。
9月3日にLINEノベルのAndroid版アプリが公開になりました。
新作「Crying Hearts~泣いてる心をみつけたら~」をご覧頂けます。
作品への直リンクなど、詳しくは本日の近況ノートをご覧下さいませ。
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