第94話 手詰まり

 部屋の主の性格を現したかのような、飾り気のないドアを私たちはノックした。


「どうぞ、入って下さい」

「失礼しますわ」


 クレア様を先頭にリリィ様、私の三人でお邪魔するのは、バウアー王宮内にある宰相サーラス=リリウム様の執務室である。

 サーラス様の執務室でまず目を引いたのは、無数に立ち並ぶガラス細工のようなものの群れだった。

 ガラス細工は小さなペーパーウェイトから、謎のオブジェとおぼしき大きなものまでがある。


「これは……ガラス細工、ですか?」

「いえ、氷細工です。水魔法の応用で、溶けない氷で作りました」


 そう言えば、サーラス様の魔法適性は水の中適性だった。

 確か攻撃には向いておらず、得意としている魔法は暗示系だったと記憶している。


「趣味なんですよ。下手の横好きですが、時々、買って下さる方もいるのです。まあ、ほとんどの場合、作品の出来よりも作り手の肩書きに興味があるようですが」


 執務机で書き物をしながら、冗談めかしてサーラス様が笑った。

 サーラス様はそう言うが、私にはなかなかセンスのいいものも混じっているように見えた。

 まあ、サーラス様自身のことは大嫌いだが。


「世間話はいりませんね。あなた方がここにいらしたということは、私に不正の疑惑でもかかりましたか?」


 一段落したのか手を止めると、落ち着いた様子でサーラス様が問う。

 後ろめたいことなど何一つなさそうな態度で、表情には笑みすら浮かんでいる。

 泰然自若という言葉がよく似合った。


 私たちがやってきたのは、サーラス様自身が言うとおり、不正追求のためだった。

 ロッド様の提案に乗るのは少し癪だったが、他に思いつく手もないということで、直談判を試してみることにしたのだ。

 ただ、あまり期待は出来ない。

 なぜなら、ここに来る前、すでにドル様の家で失敗しているからだ。

 何の成果もなくドル様の執務室を後にした際、別れ際に掛けられた言葉が蘇る。


『クレア、お前はもう少し賢いと思っていたのだがね』


 あの言葉が言葉通りでないことを私は知っているが、クレア様には複雑だったことだろう。

 自分でも父親の無実を信じたいのに疑わざるを得ず、あまつさえその父親からそんな言葉をかけられたのだ。

 まあ、内心有罪が確定せずに少しはほっとしていたかもしれないが。


 そんなことがあったので、今日のクレア様には元気がない。

 今日の主戦力はリリィ様だ。


「お、父様! いい加減になさって下さい!」


 耐えかねたように、リリィ様が糾弾の声を上げた。


「リリィ、大きな声を出さないで下さい。一体、何をいい加減にしろと言うんです」


 対するサーラス様は余裕綽々である。

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、私たち三人の前に立った。


「お、お父様の懇意にしていらっしゃった貴族の方々から証言がありました! お父様に賄賂を要求されたと!」

「そうですか。それで、証拠は?」

「ま、まだそんなことを仰るんですか! あれだけの数の方が証言しているんです! 言い逃れなど出来ると――」

「証拠は、ないんですね?」

「う、うぅ……」


 静かだが有無を言わせぬ迫力のあるサーラス様の声に、リリィ様は気圧されるように黙り込んでしまった。

 これは旗色が悪い。


「部屋を調べさせて頂けますか?」

「構いませんが、国政に関する資料はダメですよ」


 私の申し出に、サーラス様は条件をつけてきた。


「私たちには調査権限が与えられています」

「財務監査の、でしょう? 国政調査権は貴族院に与えられた権利です。あなた方個人に閲覧する権限はありません」


 痛いところを突いてくる。

 さすがに隙がない。


「見せて頂ける範囲で構いません。それでは、帳簿を出して下さい」

「ええ」


 私たちはそれからしばらく時間をかけて帳簿を調べた。

 だが、いくら調べても、矛盾の一つも出てこない。

 気味が悪いほどに健全な帳簿だった。


「そちらの金庫も調べさせて頂けますか?」


 執務机の脇には、頑丈そうな金庫があった。


「これはダメです。国政と外交に関する重大な機密が保管されています」

「それを信じろと?」

「どうしても調べたいというのなら、その権限を得てからいらして下さい」


 力ずくで明けようとしても、金庫の番号はサーラス様しか知らない。

 今のところサーラス様を罪に問う要素は何もないし、現時点では・・・・・不正の証拠のありかは分からない。

 打つ手なしだ。


「お父様……。リリィは悲しいです」


 もう帰るしかないという段になって、リリィ様がぽつりと言った。


「確かに物的証拠はないかもしれません。でも、調査を続けてきたリリィたちには分かります。お父様は不正をしていらっしゃいます」

「それは言いがかりというものです」

「どんなに誤魔化しても、神は見ていらっしゃいます。罪はやがて裁かれるでしょう。リリィはそうなる前に、お父様自ら罪を告白して下さることを祈ります」

「リリィ……」

「失礼します」


 そう言って、部屋を出ようとするリリィ様。

 私たちも後に続こうとしたが、


「待ちなさい」


 サーラス様に呼び止められた。


「リリィ、一つ覚えておくといいでしょう」

「……?」


 リリィ様が不理解の表情を浮かべた。


「祈りだけでは何も解決しません。何かを成したいと思うなら、その手を汚すことを恐れてはいけない」

「それは、お父様のことですか?」

「どうとでも。ですが……」


 そこでサーラス様は少し言いよどんで、


「リリィ……、あなたは哀れな子ですね」


 その意味を私が知るのは、もう少し後になってからのことである。


◆◇◆◇◆


「結局、ロッド様の仰る通りになってしまいましたわね」


 沈鬱な面持ちでクレア様が言う。

 トカゲの尻尾切り――まさにそれだった。


「歯がゆいですわ……。ここまで来て証拠がないなんて」

「リ、リリィもです」


 クレア様もリリィ様も真面目な人だ。

 その上、罪を犯しているかもしれないのが実の父親たちである。

 これで気に病まないわけがない。


「まだ、手がかりは残っていないこともないです」


 私が言うと、二人は顔を見合わせた。


「手がかりって、他の貴族を当たりますの?」

「いえ、貴族ではないんです」


 恐らく、貴族方面からのアプローチでは、二人を追い詰めることは出来ない。

 実は、私にはそのことはあらかじめ分かっていた。

 そしてどうすればいいのかも。


「レジスタンスに接触してみようと思います」

「レジスタンス?」

「……?」


 クレア様もリリィ様も首をかしげている。

 それはそうだろう。


「レジスタンスというのは……この国の革命勢力です」

「!?」


 二人の顔色が変わった。

 これも無理もない。

 クレア様もリリィ様も特権階級にいる人間だ。

 二人からすれば、革命勢力なんて敵以外の何ものでもない。


「馬鹿を仰い! そんな者たちと関わるなどごめんですわ!」

「リ、リリィもそう思います!」


 当然、二人からは反対の声が上がる。

 しかし――。


「なら、お二人は留守番していて下さい。私だけで会いに行きますので」


 私は譲るつもりはなかった。

 これは遅かれ早かれ必要な手順だからだ。


「考え直しなさい! レイはもうわたくしの身内ですのよ!? そんなあなたに、革命勢力が会ってくれると思いますの!?」

「思います」

「!?」


 クレア様の顔が説明を求めていたが、私はそれを黙殺した。


「とにかく、ここから先は私に任せて下さい」

「ダメです! 許しませんわ!」

「クレア様……」

「危険すぎます! もしもの事があったらどうしますの!?」

「大丈夫ですって」


 って言ったって説得力がないよね。

 どうしたものか。


「じゃあ、こうしましょう。私たちはレジスタンスの人たちに、革命なんていう物騒な真似はやめて貰えるように交渉しに行く。不正に関する交渉はそのついでというのは?」

「話して通じる相手ですの?」

「少なくとも、帰して貰えなくなる、なんてことはないと思います。だいたい、レジスタンスといってもまだ規模自体は小さな組織で、現時点では革命を起こすなんて夢のまた夢ですから」

「……」

「それに、私たちは貴族勢力ですが、不正貴族を取り締まる側でしょう? 全く話を聞いて貰えないっていうこともないと思います」


 私は言葉を尽くしたが、クレア様は納得していない様子だった。

 しかし――。


「そ、その方たちが、お父様たちの不正の証拠を持っていらっしゃるんですね?」


 乗り気な様子を見せたのは、リリィ様だった。


「リリィ枢機卿。まだお父様たちが有罪と決まったわけでは――」

「それについては私が保証します。彼らは必ず手がかりを持っています」


 証拠そのもの、ではないのだが。


「どうしてそんなことを貴女が断言出来ますの?」

「申し訳ありません、クレア様。それについては説明が出来ません」


 まさかゲームの知識だとは言えない。


「レイ!」

「クレア様、レイさんを信じてみましょう」

「リリィ枢機卿……あなた……」

「お父様も仰っていました。何か成すには手を汚すことを恐れてはいけない、と」


 リリィが哀れだっていう言葉の意味はよく分かりませんけどね、とリリィ様は力なく笑った。


「リリィはお父様に罪を償って欲しいです。お父様が自首なさらないのであれば、娘のリリィが証拠をつきつけます」


 だって、とリリィ様は続けた。


「だって、罪は必ず裁かれるものなのですから」

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