第92話 噂

 その後、捜査はしばらくは順調に進んだ。

 司法取り引きで芋づる式の作戦が功を奏し、これまでに検挙した不正貴族は十人以上にのぼる。


 私たちのことはすぐに噂になったようで、やましいところのある貴族は帳簿を書き換えたり、資料を隠したりと隠蔽工作に走った。

 だが、帳簿というものはそうすぐになんとか出来るものではない。

 やましいところがあれば、どんなに隠してもやっぱりおかしなところが出てくるものなのだ。

 元々こちらにはロッド様を初めとするグループが長年にわたって調べ上げた資料がある。

 加えて、私自身に粉飾を見抜くノウハウもあるので、貴族たちの隠蔽工作は無駄な抵抗であることが多かった。

 悪徳貴族をバッタバッタとなぎ倒していくクレア様とリリィ様は、今や平民に大人気な時の人である。


 そんな訳で比較的トントン拍子に進んでいたのだが、ここに来て問題が生じていた。


「ド、ドル様やお父様に結びつく証拠は、一向に出てきませんね……」


 王宮に与えられた特務官用の部屋で資料を整理しながら、リリィ様がそんなことを呟いた。

 そうなのだ。

 下級貴族から始まり、一部の上級貴族にまで捜査の手は及んだが、ドル様やサーラス様につながる証拠は何一つとして出てこないのだ。

 いい線までは来ているという自負はあるが、あと一歩が足りない。

 ドル様とサーラス様は、よほど用意周到なのだろう。


「だからと言って、お父様やサーラス様は無実だ……ということにはなりませんのよね」


 クレア様の声にも力がない。

 決定的な証拠はないものの、状況証拠は十分すぎるほどあった。

 ドル様やサーラス様が不正を行っている可能性は高い。

 実際、捕まえた中級以上の貴族たちは、二人から賄賂の要求があったと口を揃えているのだ。

 でも、ドル様やサーラス様が実際にそのような指示を下した記録は何一つ残っていない。

 二人の牙城は堅固である。


 私たちが暗鬱した気分でいると、突然、ドアが開いた。


「よう、頑張ってるみてーじゃないか」

「ロッド様……」


 入ってきたのはロッド様だった。

 うげ。


「ごきげんよう」

「おう。クレアはあんまりごきげん麗しくないみてーだな?」

「捜査が暗礁に乗り上げていますのよ」

「まあ、そうだろうなとは思ったさ。他の貴族連中はともかく、ドルとサーラスはなあ……」


 私たちが引き継ぐまで捜査の先陣を切っていたロッド様だけに、私たちが直面している難題も理解出来るのだろう。


「いっそ、直談判してみるってのはどうだ?」

「何の証拠もないのにですの?」

「決定的な証拠はねーだろうが、状況証拠はあるだろ。それだけじゃ足りねえだろうが、実の娘にそれを突きつけられれば、何かしらボロは出すかもしれねーぜ?」


 そうだろうか。

 しかし、他に考えつくこともない、というのも事実である。


「まあ、やるかやらないかはお前らに任せるさ。オレはオレで仕事があるし」

「ロ、ロッド様は今は何をしていらっしゃるんですか?」


 リリィ様が尋ねた。


「王都は今、二つの噂で持ちきりだっていうのは知ってるか?」

「ああ、あの益体もない噂ですわね」


 クレア様はすぐにピンときたようだが、私にはなんのことか分からなかった。


「噂ってなんですか、クレア様?」

「レイって、鋭いときとぼけっとしているときの差が激しすぎませんこと?」


 なんかディスられた。

 我々の業界ではご褒美です。


「ひ、一つは精霊の怒りの噂。もう一つはセイン様のお生まれに関する噂です」


 リリィ様の言葉を引き取って、クレア様が説明してくれる。


「最近、山の精霊が騒がしい、貴族たちの腐敗に精霊たちが罰を下そうとしている、なんていう噂が広まっているそうですわ。大方、ここ数日で明るみに出た不正貴族たちの醜聞に腹を立てた民衆が作り上げた噂でしょうけれど」


 ああ、そうか。

 今になっても、その程度の広まり具合なのか。

 私は忸怩たる思いがあったが、それは顔に出さずにおいた。


「もう一つは、セイン様がロセイユ陛下の子どもではない、という噂ですわね。全く……平民は妄想たくましいこと」


 クレア様はお怒りのようである。

 今はどうか分からないが、クレア様はセイン様を慕っていた。

 好きな人のことを悪く言われれば、そりゃあ腹だって立つだろう。


「まあ、その二つの噂のことだ。不正貴族摘発がお前らに任せられたんで、オレはそっちを調べてる」

「王族たるロッド様が、そんな噂話に付き合うことありませんでしょう」

「いや、そうでもない」


 ぼやきにも似たクレア様の言葉に、ロッド様は極めて真面目な声で返した。


「セインの噂はともかく、山の精霊の怒りが降りかかったという事例は過去に実際にあるんだ。大昔だがな」

「そ、そうなんですか?」

「精霊教会の言葉で言えば、禁忌の火、だよ」

「あ、ああ……。サッサル火山の……ですか?」

「そうだ」


 以前、学院のお風呂を紹介したときにも説明したが、学院のお風呂は温泉である。

 ということは、王都は火山帯にあるわけだ。

 王都に一番近い火山がサッサル火山である。


「記録に寄れば、数百年前にサッサル火山が噴火してる。その当時、王都では悪政が蔓延っていたらしい」


 この時の噴火は、王都に壊滅的な打撃を与えた、と記録にあるそうだ。


「まさかとは思うが、民の不安もあるから無視も出来ない」

「セイン様の方の噂はどうですの?」


 ユー様に続いてお家騒動じゃありませんわよね、とクレア様が訊く。


「そっちに関しては、オレの口からは何とも言えん。聞きたきゃセインに直接聞いてくれ」


 そう言って、ロッド様は口を濁した。


「そういやあ、レイ。オレの求婚に応える気にはなったか?」

「いいえ、ちっとも」

「レイ!」

「あっはっは! いや、いいぞ。いやよいやよもなんとやらってな」


 アンタ一体何歳だと、私は言いたくなった。


「私たち、今忙しいですし、ロッド様もお忙しいんでしょうから、ふざけてないで仕事しましょう」

「へいへい。まあ、噂に関して、お前らも何か小耳に挟んだら教えてくれよ。じゃあな」


 そう言ってロッド様は部屋を出て行こうとした。


「あ、待って下さい、ロッド様」

「お? なんだ?」

「サッサル火山の麓に、小さな村がありましたよね」

「ああ、あるな」


 さすがロッド様。

 王国の地理には明るい。


「あの村は避難させた方がいいです」

「なんでだ?」

「噴火した場合、吹き出したマグマが直撃します」


 私の言葉に、ロッド様は顎を撫でた。


「そりゃあ、俺だって避難させてやりたいとは思うが、噴火が起きる“かも”だけじゃあ、人は動かんぞ?」

「……ですよね」


 やっぱりダメか。


「まあ、気には留めておく。それじゃあな」


 そう言うと、ロッド様は手をひらひらさせて部屋を出て行った。


「レイ、あなたねえ……」

「ストップです、クレア様。結婚の件は棚上げするってことに決めたじゃないですか」

「……そうでしたわね」


 クレア様はまだ何か言いたげだったが、とりあえずそれ以上は言わないでくれた。

 愛だね!


「……」

「どうしました、リリィ様?」


 私はリリィ様が堅い顔をしているのに気がついて声を掛けた。


「い、いえ……、なんでもないんです」

「何でもないってことはないでしょう。お顔が真っ青ですわよ?」


 確かに、リリィ様の顔色は悪い。


「き、禁忌の火のことが……気になりまして」


 サッサル火山の噴火のことである。


「か、火山は……本当に噴火するんでしょうか……?」

「気にしても仕方ありませんわ。精霊のお怒りなど、人知の及ぶことではありませんもの」

「そ、それは……そうなのでしょうけれど」


 でも、とリリィ様は続けた。


「記録にある噴火では、大変な被害が出たそうです。リリィたちは何の備えもしなくていいのでしょうか……?」

「リリィ枢機卿。王室や貴族は何の備えもしていないわけではありませんわよ?」


 なおも心配そうなリリィ様に、クレア様が冷静に指摘する。


「王都には農作物の不作に備えた備蓄もありますし、有事に備えた軍という組織もあります。仮に噴火が起きたとしても、全く何も出来ないということはありませんわ」


 クレア様の指摘は正しい。

 正しいが、それだけでは足りないことを、私は知っている。

 そして――。


 噴火が起こるまで、残された時間はもう少ないのだ。

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