第84話 舞う乙女
収穫祭が始まった。
王都の夜は人で溢れ、様々な出店も立ち並んでいる。
秋の収穫物で作られた食べ物や飾り物が飛ぶように売れ、都は一年で一番活気のある日を迎えていた。
私はと言えば、奉納舞の用意をするために大聖堂の一室にいた。
舞のための衣装に着替えて出番を待つ。
「レイ、『準備』はいいですこと?」
「はい。滞りなく」
「リ、リリィは緊張してきました……」
何も知らない人なら普通に奉納舞についてのことを言っているように聞こえるだろうが、私たちの間では別の意味合いがある。
もちろん、ユー様問題解決の悪巧みのことである。
「クレア様、リリィ様、して頂くべきことは分かっていらっしゃいますね?」
「もちろんですわ」
「は、はい」
この作戦にはみんなの協力が不可欠なのだ。
この場にはいない、ロッド様やセイン様も。
リリィ様のうっかり属性に一抹の不安を覚えるものの、ここは信じるしかない。
「リリィ様、例のものを」
「は、はい、ここにあります」
私が促すと、リリィ様はブレスレットのようなものを二つ差し出してきた。
「では、後は手はず通りに」
私は二人から離れると、奉納舞の責任者である司祭長に話しかけた。
「申し訳ありません、司祭長。お花摘みに行きたいのですが」
「もう舞が始まります。我慢できないのですか?」
「はい」
「仕方ありません。急いで行ってきなさい」
「ありがとうございます」
私は一礼すると急いでその場を離れた。
◆◇◆◇◆
奉納舞は大聖堂のすぐ外にある祭礼場で行われる。
中央に大理石で出来た広い舞台があり、周りをぐるりと観客席が囲っている。
席は満員御礼で、立ち見を含めれば数千人はいるだろう。
正直、後ろの方の人は見えないと思うのだが、それでも人だかりはどんどん増えていく。
この奉納舞は縁起物とされていて、同席するだけで御利益があると考えられているためだ。
人々は今か今かと奉納舞の始まりを待っている。
舞台に隣接した貴賓席には、王族たちの姿もあった。
ロセイユ陛下、リーシェ王妃、ロッド様、セイン様、ユー様、さらにはサーラス様もそこにいた。
ざわざわとした祭礼場にゴーンと低い鐘の音が響いた。
大聖堂の主鐘である。
いよいよ奉納舞が始まる。
ざわざわとした人の声が、波が引くように静まっていった。
今宵は満月。
舞台は月明かりと松明に照らされ、神秘を感じさせる空気があった。
極薄の絹衣をまとった舞い手が、しずしずと入場して来た。
頭には銀細工の冠、手には鈴扇を持っている。
舞い手の中には、クレア様、リリィ様、そして「私」もいた。
舞い手たちは舞台に上がると、円を描くように並んで膝をついた。
静寂を破って、横笛の音が高く響いた。
続いて大太鼓の低い音が重く響く。
弦楽器が和音を奏で、小太鼓がリズムを刻む。
そこに、シャン、シャンという鈴の音が加わった。
舞い手たちが伴奏の間隙を縫うようにして、右手に持った鈴扇を鳴らしている。
ゆったりとした動作で、舞い手たちが動き出した。
舞い手の衣装は踊りに支障が出ないように工夫されているが、あちこちにひらひらとした布がつけられている。
舞の動作に合わせ、袖や裾が宙に美しい曲線を描いた。
最初は静かだった舞の伴奏が次第に大きく、激しくなっていく。
だが、舞い手たちの動きは飽くまで緩やか。
その差が、観客たちに不思議な感動を呼び起こす。
舞い手たちが、もっと舞えと言われているような、それに抗っているような。
「あの舞い手、凄いな」
声を出すことがはばかられる中、思わず、といったようにこぼされる感嘆があった。
それを聞いた他の人々も、それが誰を指しているか分かった。
舞い手の中に、ひときわ背の高い舞い手がいた。
動きこそ他の舞い手と変わらないものの、その舞い手からは明らかに他の者とは違っていた。
「なんだろう。泣いているような、喜んでいるような……」
「ああ、とにかく感情をぶつけられている感じがする」
緩慢な動作は、まるで鎖に縛り付けられているかのよう。
でも、腕の一振りに、一歩の足の踏み出しに、観客はなぜか心を揺さぶられる。
その舞い手は、禁じられた感情を初めて許されたかのようだった、と後に誰かが書物に記した。
「あれは、レイ=テイラーだろ。ほら、平民で王立学院に入学を許されたっていう」
「ああ、あの子か。でも、あの子は修道女じゃないだろ? どうして奉納舞に?」
観客たちは少しの間困惑を覚えた。
だが――。
「そんなことどうでもいいじゃない。大したものよ、あれは」
誰かが言ったとおり、些細なことを気にする者はほとんどいなかった。
それほどに、その舞い手の舞は圧倒的だった。
いつまでも見ていたい。
観客たちはそんなことすら願ったが、やがて曲は終わりに近づく。
舞い手たちは中央に集まり、もがくように、あるいは歓喜するように舞った。
そして――。
シャン。
最後に大きく鈴扇を振ると、両手を大きく広げながら、舞台にひざまずいた。
一瞬の静寂の後、観客から大きな歓声が沸き起こる。
――よりも早く。
「聞いてくれ、民よ!」
凛とした声を響かせたのは、先ほど他を圧倒する舞を見せた舞い手――つまりは「私」だった。
しかし、声は私のものではない。
いち早く気がついたのは、リーシェ王妃だった。
「なっ……、ユー!?」
「私」が手首に巻いたブレスレットを噛み千切った。
私だった容姿が、瞬く間にユー様のそれに変わる。
いや、それは正確ではない。
身長こそ高いものの、ユー様の身体は曲線的なシルエットをしていた。
極薄の絹衣に覆われた胸元も、内側から確かに押し上げられていた。
端的に言えば、女性の身体だったのである。
「どういうことです!? じゃあ、このユーは!?」
「申し訳ございません、リーシェ様。私です」
私も手首のブレスレットを外すと、正体を現した。
「レイ=テイラー!? どうしてこんな!?」
王妃が悲鳴のような声を上げる。
「ユー様に命じられました。理由は存じません。ただ、王子の代わりにここにいろ、と」
実際に提案したのは私だが、この嘘は私の安全を保証するために必要なことだった。
このブレスレットはリリィ様提供の姿形を変える魔道具である。
祭具ではなく、リリィ様の私物だそうだ。
「どういうことだ? あれはユー様じゃないのか?」
「いや、でも、女だぞ」
「ユー様って女性だったの……?」
観客たちもようやく事態が飲み込めたようで、徐々に騒ぎになっていった。
しかし、唐突にその騒ぎがやんだ。
その場にいる者たちは、自分たちが声を出せなくなっていることに気がついた。
(ミシャ、上手くやってくれてるね)
姿こそ現していないが、これは彼女の仕業である。
こんな広範囲の音を操れるのは、彼女を置いて他にない。
「これまで皆を欺いていたことを申し訳なく思う。だが、これが僕の――いや、私の本当の姿だ」
沈黙の中、ユー様の声だけが大きく響く。
これもミシャの仕事である。
「これまで性別を偽ってきたが、私は女だ。これからは自分を偽らず、女として生きていきたい」
ユー様は毅然とした態度で宣言した。
リーシェ様が口をパクパクさせて何か言っているが、それは言葉にならない。
サーラス様も部下に何かを指示しようとしているが、言葉が封じられているために要領を得ない。
「民よ、どうか許して欲しい。代わりに私は、王位継承権を放棄する」
その言葉と同時に、王妃は倒れた。
あまりのショックに気絶したようだった。
同時に、皆の声が回復した。
辺りは大騒ぎになった。
「やってくれたな、レイ=テイラー」
私に呼びかけたのはロセイユ陛下だった。
なぜだか、その声に糾弾の色はなく、飽くまで穏やかなものだった。
「何のことでしょう?」
「……いや、そうだな。お前は何も知らんのだろうな。何も」
そう言って、ロセイユ陛下は苦笑いを浮かべた。
「結局、これでよかったのかもしれんな」
陛下はそれだけ言い残すと、王座から立ち上がった。
「サーラス。事態を収拾せよ」
「はっ」
サーラス様は部下たちに素早く指示を飛ばした。
私は拘束されることになった。
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