第82話 雨

「僕はどうしたいか、かい?」


 そろそろ学院が始まるという日の朝、クレア様と私は王宮のユー様の元を訪れていた。

 本来であれば王子様に会うには指定の手順で面会を申し入れ、受理されるまでには時間がかかる。

 学院にいる時がむしろ例外的なのだ。

 だが今回は、リリィ様経由で「ユー様の病気についてよい治療法がある」という特殊な理由をつけて申請をしたため、面会はすぐに叶った。

 表向きにはクレア様が謁見者、私がユー様の問題を解決出来るかも知れない「医者」という位置づけでの面会だった。


 ユー様とミシャの問題を解決して行くに当たって、私はまずユー様の意志を確認したかった。

 ミシャからある程度話を聞くことが出来たが、伝聞というものは往々にして歪んで伝わるものである。

 ユー様ご自身がどうお考えなのかを直に聞きたかった。


「選択の余地などないのですよ、ユー様」


 ユー様の忌憚ないところを聞きたかったので人払いをと申し出たのだが、王宮全体にも関わることだけにユー様と二人きりとはいかなかった。

 監視役ということなのだろうが、サーラス宰相が同席している。

 この人も忙しいんだろうから、来なくていいのに。

 相変わらず私のサーラス様への印象は最悪である。


 ラーサス様は私たちに向き直って続けた。

 あれ、ソーラス様だっけ?


「私もお気の毒だと思いますが、ユー様には王子でいて頂かなければ困ります。事はもう、個人の意志などと言っていられる大きさではありません」

「サーラス様のお考えも分かりますわ。もちろんそれはわたくしもこのレイも承知しております」


 言外に私たちの問いが世迷い言であるというサーラス様の言葉を、クレア様がやんわりと受け止めた。


「しかし、それはそれとして、ユー様ご自身が本音の所でどう思っていらっしゃるかも知っておかねば、いざ男性化が叶った後もお気持ちの部分でフォローが出来ません」


 無理を続けるならばあらかじめそれなりの準備が必要だ、とクレア様はサーラス様を諭す。

 いつも思うのだが、こういう公的な場でのクレア様は驚くほど理知的である。

 普段の傲岸不遜なワガママお嬢様の姿は、影も形もない。

 完璧な令嬢としてのクレア様の姿が、ここにはある。


「つまりあなた方は、ユー様の性別をどちらに固定するかはともかくとして、お気持ちのケアのためにユー様の本音を聞いておきたい、と言うのですね?」

「左様にございます」


 ふむ……、とサーラス様は思案するように顎に手を添えた。

 そうしていると、サーラス様はとても美しく見える。

 リリィ様に似た銀髪と赤い瞳に冷たく整った顔の造作は、王宮内外に幅広い女性ファンがいる。

 ゲームのプレイヤーたちによる人気投票でも、かなり高位置にいたはずだ。

 一般的な男性が美人に弱いように、一般的な女性もやっぱりイケメンには弱い。

 クレア様第一の私には何も響くものはないが。


「クレアたちの言うことも一理あると思います、ユー様」

「なら、遠慮なく言ってもいいんだね?」


 監視役のサーラス様が譲歩したことで、ユー様は自分の気持ちを明らかにすることにしたようだった。


「僕としては……やっぱり、戻れるなら女性に戻りたいね」

「ユー様……」

「そんな顔しないでよサーラス。仕方ないから、男性でいることは続けるさ。でもね、気持ちの部分はどうしようもないんだよ」


 懸念の表情を浮かべるサーラス様に、ユー様は申し訳なさそうに言った。


「今でも月に一度、満月の日に自分の身体に戻れているから、かろうじて心身のバランスを保っていられるんだ。これが男性の身体に完全に固定されたら、さすがに平気ではいられないと思うよ」


 ユー様は飽くまでいつもの王子様的な表情を崩さなかったが、私は今の言葉には紛れもない本音が含まれていると思った。

 前世において、私自身が同性愛者だったこともあって、色々なタイプの性的マイノリティの人たちと交流があった。

 その中には性別違和に苦しむ人もいたが、そういう人たちも異性の服装をしたり、ホルモン剤を服用したりして精神の安定を図る人たちがいた。

 もちろん、それらの方法は根本的な解決にはならない。

 当時の日本の医学力を持ってしても、ある性別として生まれついた身体を逆の性別に完全に変えることは不可能だった。

 それでも、対症療法だとしても、性別違和に苦しむ人たちにとって上述の方法は欠かせぬものだった。

 根治にならないからといって、対症療法に意味がないとするのは間違っている、と私は思う。


「クレア、レイ、何か解決方法はあるのですか?」


 サーラス様が私たちに問う。


「レイに発言の許可を頂けますか」

「構いません。私は名よりも実を取る方です」

「ありがとうございますわ。レイ」

「はい。方法は二つあります」

「聞きましょう」


 あると聞いて、サーラス様が身を乗り出してきた。


「一つはこのままの状態を続けること、です」

「……それでは何の解決にもなっていないのではありませんか?」

「ユー様に男性でいて欲しいと考える王宮と、女性でありたいというユー様の願いを両立するには、今の状態が一番だと考えます」

「……もう一つの方法は?」


 少し落胆した様子でサーラス様が先を促した。


「もう一つは……ユー様を女性にする方法です」

「……あなたは私の話を聞いていましたか? すでにその選択肢はないと――」

「表向き、ユー様を廃嫡します」

「……何を言い出すのですか、あなたは」


 私は言葉を重ねる。


「ユー様を世継ぎの王子として扱い続けなければならないから、話がややこしくなるのです。ユー様をそのしがらみから解き放って差し上げれば、別にユー様の身体がどちらであろうと構わないはずです」

「王宮の恥部をさらけ出せというのですか?」

「そうではありません。廃嫡した後、ユー様はご病気になったと発表して修道院に行って頂きます。お側仕えを何人かつけ、ユー様にはそこで過ごして頂きます。行動範囲に多少の制限はつきますが、お身体に関することは全て解決出来るはずです」

「自分が何を言っているのか分かっているのですか?」


 サーラス様の怜悧な声が飛んでくる。

 踏み込みすぎただろうか。


「それは……僕に一生、修道院で幽閉生活を送れと言うことかい?」

「基本的にはそうですが、幽閉ではありません。最初の内はどうしてもそうなるかもしれませんが、髪を伸ばしてお化粧をしてしまえば、高位の修道女として外へ出ることも可能なはずです。幸い、ユー様はお顔立ちが女性らしいですから」


 私だって幽閉生活を送ることが解決方法だなどということを言うつもりはない。

 多少の不便は我慢して貰うことになるが。


「レイとやら、男性として身体を固定する方法は?」

「私は存じ上げません」

「……問題を解決する方法があると言うから、ユー様との謁見を特別に許可したのに、これでは何の意味もないではありませんか」


 やれやれと肩を落とすサーラス様。

 いや、そうではない。


「サーラス様。ユー様が本来の性別で生きられるようになることを解決と呼んではいけないのですか?」

「いけません。王宮の意志は飽くまでユー様に男性として生きて頂くことなのですから」

「王位継承者は他に二人もいるのに?」

「いいですか、レイ=テイラー。あなたは廃嫡と簡単に言いますが、本来廃嫡とは重い罪を犯した王族に課せられる刑罰なのですよ? そんなものをユー様にさせるわけにはいきません」

「今の状態を続けることの方が、ユー様にとってはよっぽど刑罰だと思います」


 私は食い下がった。


「……少し、言葉が過ぎますね。クレアならともかく、平民のあなたが王宮の暗部に口を出す必要はありません」

「ユー様にはなんの罪もないのに、リーシェ様の暴挙の尻拭いを一生させる気ですか」

「謁見は終わりです。下がりなさい」

「サーラス様!」

「……レイ、気持ちは嬉しいよ。でも、世の中にはどうにもならないことだってあるんだ」


 そう言って儚げに微笑んだユー様は、今にも消えてしまいそうだった。

 男性として生きることを強いられた十数年間が、ユー様から女性として生きるという選択肢を選ばせないようにしている。


「レイ、ここまでですわ。ユー様、サーラス様、ありがとうございました」

「この件に関して、次はないと思って下さい」

「……かしこまりましたわ」


 私はまだ言いたいことで一杯だっただが、クレア様に引きずられるようにしてユー様との謁見場から退出した。

 外に出ると、雨が降り始めていた。

 王宮を出たところで、二人して迎えの馬車を待つ。


「……レイ……あなたねぇ……」

「クレア様はあれでいいと思ってるんですか!?」


 クレア様が呆れたような声色で声を掛けてきたので、私は多少気色ばんで言った。

 雨足が、少しずつ強くなっていく。


「いいとは思ってませんわ。でも、ユー様も仰っていたとおり、世の中にはどうしようもないことってあるんですのよ」

「それをクレア様が仰るんですか。理想から現実に逃げ込みたくないと仰っていたのは、ただの建前ですか」

「……あなたはいつからそんな口を叩けるほど偉くなりましたの」

「偉いとか、偉くないとか関係ありません。でも、ユー様お一人も救えないようでは、平民全てを救おうとするなんて夢のまた夢です」

「レイ!」


 クレア様の強く咎める口調で、私は我に返った。

 しまった、言い過ぎた。


「……申し訳ありません」

「何を熱くなっていますの。らしくないですわよ?」

「美咲がそうだったんです。彼女……いえ、彼は別の性別で過ごすことを強要されていました」


 前世の話である。

 美咲は女性として生まれ、男性になりたがっていた子だった。


「やはり今回のユー様と同じように周りの理解が得られず、無理を続けた結果……自殺しました」

「!」


 私は目を伏せていたので見えなかったが、クレア様が息を飲むのが聞こえた。


「彼女は自分の願いが聞き届けられなかったから死んだんじゃありません。自分の願いが、周囲に迷惑を掛けるのに耐えられなくて死んだんです」

「……それは……辛いですわね」


 私と一緒にツチノコを探す仲になってから、美咲はよくこぼしていた。

 どうして心の性別のまま生まれなかったのだろう。

 他の人が当たり前に享受していることを、我慢しなくてはいけないのはなんでなのか。

 自分が男性だったなら、小咲とも一緒になれたのに、と。

 私は精一杯彼女の力になろうとしたが、結局、彼女の傷を癒やすには足りなかった。


「美咲の場合、解決方法がありませんでした。彼女は別に異性病だった訳ではないからです。でも、ユー様には解決方法がちゃんとあるんです。なのに――」

「もういいですわ。いらっしゃい」


 そう言うと、クレア様は私を抱きしめてくれた。

 私はたまらなくなって、クレア様にすがりついた。


「今でも思い出すんです。お葬式の時に美咲の棺にすがりついて泣く小咲の姿を」

「そう」

「なのに、世間は……美咲の両親すらも彼を責めました。美咲が弱かったのがいけない、美咲の苦しみの方が間違っているって」

「そう」

「もう二度と、あんなことは繰り返してはいけません。亡くなってからでは遅いんです、本当に」

「そうね」


 私は泣いてはいなかった。

 でも、クレア様はまるでぐずる赤ん坊をあやすように優しく、いつまでもいつまでも私を抱きしめてくれた。


 雨はいつの間にか、どしゃぶりになって私たちの声をかき消すまでになっていた。

 馬車が来るまで、クレア様はずっと私を抱きしめ続けてくれた。


 その日、雨がやむことはなかった。

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