第81話 トレーニング

 と、まあ、そんな訳で奉納舞の練習に参加しているわけだが、これが思っていた以上に大変だった。


「両手をゆっくりと上に……。そこで鈴を一振り。ゆっくりと膝を折って……中腰のまま止める。はい、また鈴を一振り」


 奉納舞は鈴扇と呼ばれる鈴の着いた扇を持って踊る。

 本番の衣装は薄手のひらひらした絹衣で、それなりに見栄えもするようだ。

 ただ、とにかくゆっくりした動きが多く、姿勢の維持がきつい。

 速い動きも大変だが、ゆっくりだからといって楽なわけではないのだということを、私はこの歳(今生ではまだ十六だが)になって初めて知った。


「レイさんはもうちょっと体力をつけなさい。今のままでは最後まで舞い切れませんよ?」

「はい」

「クレア様は素晴らしいです。初めて舞うとは思えない程の完成度です」

「社交ダンスで鍛えていますもの。これくらいは当然ですわ」


 リリィ様の申し出を受けたことを早くも後悔しつつある私に比べて、クレア様は余裕綽々だった。

 流石である。


「では、十分休憩。各自、水を飲むことを忘れずに」


 司祭長がそう言うと、半数ほどの舞い手たちが床にへたり込んだ。


「これくらいで音を上げるなんて、みなさん運動不足ですのね」

「いえ、クレア様が普通じゃないだけだと思います」


 クレア様は幼い頃から社交ダンスに加えて護身術の訓練まで受けているので、そんじょそこらの平民男性よりも身体能力が高い。

 もちろん、一般庶民として暮らしてきた私とは、比べるのもおこがましいほどの差がある。

 私がこれまでレレアのお母さんやキマイラ、そしてルイと戦って勝利を収めてこられたのは、クレア様のフォローがあったことと、何より魔法の存在が非常に大きい。

 ルイ戦でも分かるとおり、魔法がなければ私にはほとんど戦闘能力がない。

 逆に言うと、平凡な身体能力でも恐ろしい魔物に勝ててしまうほどの魔法の才能に恵まれているとも言えるのだが。


「明日から特訓ですわね。司祭長が仰る通り、今の体力ではとても持ちませんわよ?」

「クレア様が付き合って下さるのであれば」


 この機会に身体を鍛えるのもアリかもしれない、などと私が考えていると、


「レ、レイさんは水魔法の使い手と伺いましたけれど……?」


 おずおずと声を掛けてきたのは、リリィ様だった。


「はい。それが何か?」

「え、えーと。それなら踊りながら、疲れてきたら回復魔法で体力を回復すればいいと思います」


 あ、その手があったか。


「盲点でした。次からそうします」

「いいえ、そんな不正は許しません。やっぱり特訓ですのよ」

「えー」


 クレア様とご一緒出来るのはもちろんご褒美以外の何ものでもないが、私は基本的に面倒くさがりなのだ。

 ことクレア様の利害が絡まなければ。


「じ、実際、正規の舞い手である修道女たちは、みんなその方法を使っているのですが……」

「それはそれとして、レイが不抜けているのは見過ごせませんわ」

「別に不抜けてませんよぅ」

「黙らっしゃい」


 ぴしゃりと言われた。

 はい、ご褒美です。


「だってこのままじゃあ……」

「このままじゃあ……?」

「な、なんでもありませんわ!」


 何か言いかけたクレア様だったが、うやむやにされてしまった。

 なんだろう?


「はい、休憩終了です。後半の練習を始めますよ。整列!」


 司祭長の声で、私たちはまた群舞の隊列に戻った。

 去り際に、


「……だってこのままじゃあ、レイと踊ることも出来ないじゃないですの」


 クレア様が寂しそうにこぼした。

 後半の私がやる気マックスファイヤーだったことは言うまでもない。


◆◇◆◇◆


「ほら、腕が下がってますわ。こうですのよ、こう」


 翌日の早朝。

 学院の校庭の片隅で、クレア様と私は奉納舞の特訓をしていた。

 芝生の上にレジャーシートのようなものを敷いて座るクレア様と、その横でひたすら練習を繰り返す私。

 クレア様がつきっきりで手取り足取り腰取り教えてくれるなんて、と甘い期待をしていた私だったのだが、実際にはそれどころではなかった。


「クレア様。これ、なんですか?」

「何って……舞い手養成ギブスですけれど」


 各所に重りの着いた服を着せておいて、さも当然のことのように言わないで欲しい。

 こんなのが普通な訳がない。


「あの……これ、どこで?」

「昨晩、夜なべして縫いましたわ」


 得意げに言うクレア様。

 そうですか。

 クレア様のお手製ですか。

 初めてのプレゼントはもっと素敵なものが良かったですぐすん。


「さあ、初めからもう一回」

「ちょっと休憩させて下さい」

「だらしないですわね……」


 そうは言うが、このなんとかギブスをつけると、体力の消耗が半端ないのだ。

 私はその場にへたり込んだ。


「治癒魔法で回復してはいけませんわよ?」

「分かってます。体力が付かないからですよね」

「そうですわ」


 身体を鍛える場合に魔法で回復をしてはいけない、というのは、魔法学の基礎である。

 魔法は失った力を過不足なく回復させるので、おそらくスポーツ理論でいう超回復が起きないせいだと思われるが、詳しいことは分からない。

 とにかく、魔法を使うと身体は鍛えられないということが、経験的に知られている。


「もう、ギブスが汚れるでしょう。こっちにいらっしゃいな」


 そう言うと、クレア様は膝の上をぽんぽんと叩いた。

 え、嘘。


「クレア様、いいんですか?」

「何がですの?」

「いえその、膝枕ですよ?」

「そうですわよ?」


 クレア様はきょとんとしている。

 あるぇー?


「ほら」

「あ……」


 近づいた所に腕を引かれて、私はそのままクレア様に膝枕されてしまった。

 あれ?

 これ、夢?


「なんですの、その顔は」

「いえ、その……戸惑ってます」


 憧れのクレア様が。

 あの悪役令嬢であるクレア様が。

 ヒロインである私に膝枕?

 いや、あり得ないだろう。


「昔、わたくしが社交ダンスの練習に音を上げそうになった時、よくお母様がこうして下さいましたの」


 クレア様が昔を懐かしむように言った。

 私は自分の汚れた心を反省しつつ、目だけで続きを促した。


「わたくしだって、初めから今のように身体を動かせたわけではありませんわ。最初は嫌で嫌でしょうがありませんでしたの」

「負けず嫌いのクレア様が?」

「そうなったきっかけと言ってもいいですわね。わたくしは、何かが出来るようになるとお母様が褒めて下さるから、色んな事に挑戦するようになったんですのよ」


 思わぬ所で、クレア様の負けず嫌いの原点を知ってしまった。

 クレア様に関する知識には徹底的に目を通したし、お母様のことも知っていたが、そこまで深いことは流石に知らなかった。


「わたくしが最初に投げ出しそうになったのが社交ダンスですの。でも、私が投げだそうとしていると教師から聞いたお母様は、叱るのではなくて、こうして膝枕をしながらその意義を丁寧に説明して下さいましたわ」


 ほんの二、三歳の幼児相手にですわよ、とクレア様はおかしそうに、でも嬉しそうに笑った。


「わたくしのお母様はいつもそうでしたわ。わたくしのことを叱らずに、貴族たる者のあり方を丁寧に説明して下さいました。わたくしはそんなお母様が語るような素敵な貴族になりたくて、これまで頑張って来ましたの」


 でも、とクレア様は続けた。


「でも、その貴族であることが外的な要因によって終わらせられるかも知れないとは、さすがに思いませんでしたわ」


 クレア様はリリィ様から聞いた革命のことを言っているのだろう。


「クレア様は、貴族であることをやめられませんか?」

「無理だと思いますわ。そもそも、平民の貧しさをなんとかしようと思った動機そのものが、あんな生活をさせてはいけないという感覚ですもの。それはつまり、自分には耐えられないということでしょう?」

「……そうですか」


 まだ、クレア様は貴族であることを諦めさせるのは無理のようだった。

 でも、いずれは諦めて貰わなければならない。

 私のためにも。

 そして、あの人のためにも。


「変な話をしてしまいましたわね。ほら、立ちなさいな。続きをしますわよ」

「もうちょっと……。クレア様のふともも、やーらかいですね」

「立ちなさい」


 強制的に膝枕が終了された。

 解せぬ。


「クレア様」

「なんですの」

「平民の生活も、慣れれば悪くないものですよ」

「……そうかしらね」


 クレア様は苦笑した。

 そうは思えない、という顔だった。


「私が、必ずそう思わせて見せます」

「……そう。よく分からないですけれど、楽しみにしていますわ」


 その話はここまで、とクレア様は再び熱の入った指導に戻った。

 私は夢中で身体を動かしながら、どうしたらクレア様の頑なな心を動かせるかを考えるのだった。

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