第76話 大橋零の初恋(4)
案の定、次の日から私は美咲のグループからハブられることになった。
一人になることをあれほど恐れていたのに、実際にそうなってみるとそれほどしんどいものでもないな、と私は思った。
むしろ上辺だけの関係を続ける必要がなくなって、せいせいした……とまでは言わないものの、煩わしさは減ったような気がする。
とはいえ、体育の授業で二人組を作るときや、これから予定されている修学旅行などの各種学校行事では苦労することになるのは間違いない。
体育の授業では、詩子さんと組むことが多くなった。
浮いている仲間という訳でもないのだが、彼女とはよくつるむようになった。
帰宅部だった私は、マンガ研究部だった彼女の部室にお邪魔して、他の部員も交えてマンガ談義をするようになった。
咲々コンビとは微妙な関係になった。
美咲からはあからさまに避けられていたが、小咲とは同じ図書委員だったので細々とした関係が続いていた。
とはいえ、小咲は美咲を気にしてあまりおおっぴらには私と喋ってくれなくなってしまったので、彼女と接するのは図書委員の時だけだった。
好きな人といられる時間は限られていたものの、以前よりも自分の気持ちに正直になった私は、月に数回の逢瀬(一方通行)を楽しんでいた。
もう一つ変わったことがある。
恐らく詩子さんの影響だろうが、自分でも創作をしてみたくなって二次小説を書き始めた。
感じ方は人それぞれなのだろうが、私は絵を描くのはとてもハードルが高いと感じたので、詩子さんの真似はしなかった。
文字の方は不思議と抵抗がなく、下手は下手なりに創作を楽しむことが出来たので小説に落ち着いたのだ。
詩子さんたち漫研の人たちはもれなくオタクだったために、良質なマンガ、ゲーム、アニメを知っていた。
私はそれらを読んだり遊んだり見たりしつつ、気に入ったキャラを題材に二次創作をしていた。
「うん、面白いと思う。荒さは目立つけど、なんか情熱を感じる」
「だね。私たちみたいに染まりきったオタクにはない瑞々しさみたいな」
「でも、文章作法はもう少し勉強するべきだね」
「そっかー」
今日も今日とて漫研の部室で作品を読んで貰っている。
書いてみると面白いんだこれが。
難しいけどね。
環境に恵まれているということもある。
漫研の人たちは私の拙い作品にも目を通してくれるし、誠意のある意見をくれたからだ。
この頃はクールジャパンなんていう標語はまだ無かったし、オタク趣味への理解もまだまだ浅かった。
だから、世間一般の評価はむしろ美咲のようなものが大半で、多くのオタクは肩身の狭い思いをしていたのだ。
そんな時に、同好の士に不自由しなかった私は、やはり恵まれていたというべきだろう。
「そういえば、零さん。イノオモの最新刊読んだ?」
イノオモとは詩子さんが貸してくれた「祈りと想いの間で」の愛称である。
ファンたちの間ではそう呼ばれているのだ。
「まだ。帰りに買って読むつもり」
「そっか。覚悟しておいた方がいいよ。凄い展開になってるから」
「なにそれ。わー、気になる!」
私は読むのが楽しみになったのだが、詩子さんの表情は優れない。
「え、なにか悪い展開?」
「ネタばれはしない主義だから。とにかく読んでみて」
◆◇◆◇◆
「うわー……」
凹んだ。
めちゃくちゃ凹んだ。
私は宣言通り帰りにイノオモを買い、帰宅後すぐに読んだのだが、詩子さんがどうして暗い顔をしていたのかが分かった。
「祥子様、死んじゃうなんて……」
祥子様というのは、ヒロインが想いを寄せていた先輩キャラである。
元は室町時代にまで遡る旧家に生まれた生粋のお嬢様である。
勝ち気でひねくれたところもあるものの、どこか憎めない性格で、作中でも随一の人気キャラだった。
前巻でとうとうヒロインが祥子様に思いを伝えようとする所で終わり、最新刊はどうなるのかとみんな期待していた。
「いや、衝撃の展開って、それはそうだけどさー……」
祥子様はヒロインに夜の公園に呼び出されたのだが、その途中で交通事故に遭って死んでしまったのだ。
今巻は悲しみに暮れるヒロインが、理解者キャラである聖先輩に抱きしめられるところで終わっている。
「これ、聖先輩ルートってことなのかなあ……」
亡くなった祥子様の遺体と対面し、泣き崩れるヒロインのシーンは確かに劇的ではあった。
正直、泣いた。
そこはさすが商業で書いているトッププロの筆力だと思う。
でも、この展開は正直、私はあまり好きではない。
「うー……」
このもやもやをどうすればいいのか。
以前の私なら、フラストレーションを解消する方法が見つからずに悶々としていただろうが、幸いなことに今は最適な趣味がある。
「祥子様の生存ルートを書いてみよう」
そう、二次創作である。
二次創作のいいところは、自分の趣味・願望を自由にぶつけられるところである。
もちろん、原作への理解と愛は言わずもがなだが。
作品の重大な出来事を別の展開にして「if」を書くのは、二次創作でよくなされる行為である。
私は夢中になって祥子様が生き延びた場合の展開を書き綴った。
「私なら、こう書く」
その日は夜遅くまでパソコンと向かい合っていた。
◆◇◆◇◆
「そう来たかー」
「私は零さんの展開、アリだと思う」
「私は原作派かな。なんだかんだで感動的だったもん」
翌日、私の書いたイノオモの二次創作を読んだみんなの感想がこれである。
イノオモ最新刊の展開はみんなにとっても衝撃だったようで、私の作品への論評も熱いものになった。
「詩子さんはどうだった?」
みんなの感想もありがたかったけど、私は誰よりも詩子さんの感想が聞きたかった。
「私は……どっちも好きだけど、どちらかって言われたら原作派かな」
「そっかー」
「ごめんね。零さんのが嫌いって訳じゃないんだけど」
「うん、分かってる。読んでくれてありがとう」
読んで感想を貰える、それだけでとてもありがたいことなのだ。
「詩子さんは聖先輩派だっけ」
「うん。だから最新刊の展開はアリだなって。零さんは生粋の祥子様原理主義者だったよね」
「そう……。だから今回のあれはショック過ぎる……」
「お気の毒」
がっくりと落ちた私の肩を、詩子さんがぽんぽんと気安く叩いた。
「最新刊の展開には納得いかないけど、私、一つ悟ったことがあるよ」
「それはこの二次創作に現れてるあれかな?」
「うん」
「そっか。じゃあ、するんだ?」
「うん。小咲に告白してみようと思う」
私が書いたイノオモ二次創作では、原作よりも早い段階でヒロインが祥子様に思いを伝えている。
そのせいで祥子様は交通事故には遭わないのだ。
なんのひねりもない改変だが、私にはまだそこまで文章を練る力はない。
その代わりに思いは精一杯込めた。
込めた思いは「告白は後悔しないうちに」である。
思い人はいつまでも自分の側にいてくれるとは限らない――イノオモ最新刊は私にそれを教えてくれた。
別に小咲が今すぐに亡くなるとは思っていないが、死別でなくても転校やら卒業やらで離ればなれになることはあるし、誰かが小咲と付き合うことになる可能性だってある。
私はイノオモの主人公にならないように、小咲に告白することに決めた。
「おー、ついに」
「いよいよだね」
「頑張って」
漫研の人たちも応援の言葉をくれた。
みんなには私の性的指向のことは打ち明けていたのだ。
それが受け入れられたことも、私が自分の境遇を幸せと考える理由である。
「いつするの?」
「明日かな。ちょうど図書委員の居残りがあるんだ」
「そっか。ファイトだよ、零さん」
「うん」
そう言って詩子さんは私を励ましてくれた。
でも、この時彼女の表情をよく見ていれば、彼女が私の選択を決して喜んでいなかったことに気がつけたはずなのだ。
私がそれを悟ったのはもう少し後のことである。
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