第71話 マイノリティの主張

 それからしばらくはリリィ枢機卿のもとに足を運ぶ日々が続いた。

 クレア様は色々とショックを受けつつも、あるべき社会のあり方について模索しているようだった。

 私は日本の民主主義の概念をそれとなく提供し、クレア様の理解を手助けしていた。


「す、少し休憩しましょうか。今、お茶を入れさせます」

「ありがとうございますわ」

「あ、私は少しお花摘みへ」


 勉強が一段落した所でお茶会となった。

 私はその前にお手洗いに行きたかったので、席を外した。


 その帰り道。


「リリィ様、今度は財務大臣のご息女ですって」

「いやね……汚らわしい」


 お茶を入れるように命じられたのであろう、二人の修道女が何やらリリィ様について陰口を言っているのを聞きつけてしまった。

 盗み聞きするつもりはなかったが、思わず続きに耳をそばだててしまう。


「やっぱり、リリィ様が同性愛者というのは本当なんですね」

「ユー様という婚約者がありながら、不潔なことだわ」


 ああ、リリィ様のこと、どこかで見たことがあると思ったら、ユー様の婚約者キャラだったのか。

 ゲームには登場しない、設定資料集だけの存在だったので忘れていた。

 彼女には名前すら設定されておらず、なにか秘密があるとだけ書かれていたはずだが、それは性的指向のことだったのか。


「変態的な性癖を持っていても、宰相様の息女というだけで枢機卿になれるんだから、いいわよね」

「それだけじゃないらしいですよ。なんでも次期教皇を期待する声もあるとか」

「教会の権威が汚れるわ」


 以前にも触れたと思うが、この世界で同性愛は異端である。

 いや、地球でもそうではあったが、それでも尊重しようという動きが始まっていた。

 この世界ではそんな思想上の潮流はない。

 ゆえに、彼女たち個人だけに責任がある訳ではない。

 この世界の人間は多かれ少なかれ、彼女たちと似たような考え方をしているのだ。


 でも――。


「それはあんまりにも一方的過ぎやしませんか」


 私は我慢ならなかった。


「えっと、あなたは……?」

「クレア様のお側仕えの方ですよね? 何か?」


 修道女たちは先ほどまでの毒はどこへやら。

 自分たちは敬虔な精霊教徒です、というふりでそしらぬ顔をした。


「同性愛はそんなにいけないことですか?」

「えっと……」

「少なくとも、自然なことではないと思いますけど」


 誤魔化すのは無理と悟ったのか、私の直球ストレートな問いに対して、一人は言葉を濁しもう一人は一般論で応じた。

 言葉を濁した一人はもう一人に対して「やめなよ」などと言っているが、もう一人の方は徹底抗戦の構えである。

 この世界において修道女の社会的地位は決して低くはない。

 少なくとも貴族の側仕えをする平民よりはずっと高い。

 修道女の中には、貴族の息女だったものさえいるのだ。

 一介のメイドに遠慮する理由はない。


「自然、とは?」

「だって、同性愛のカップルからは子どもが生まれないじゃありませんか。非生産的ですよ」


 これは同性愛を攻撃するときにしばしば使われる論拠だ。

 次世代を残さない、非生産的な愛であるというもの。


「子どもを産むことが正当な愛の条件であるなら、子どもを産めない異性愛のカップルもダメということになりますね?」

「それは……」

「そもそも、自然であることが正しい、ということであるならば、あなたは病気になったとき医学のお世話にならないのですか? 医学だって厳密な意味では自然な状態から外れていますが」


 それは治療院という事業を行っている教会を否定するも同然のことだった。

 こんな形で反論されるとは思わなかったのだろう。

 私に反論してきた修道女は顔を赤くして言葉につまった。


「詭弁を……!」

「どこが詭弁なのか具体的に仰って下さい。そうでなければ、あなたの主張は感情論に過ぎないと判断します」

「どんなにもっともらしいことを言っても、同性愛は普通ではありませんしごく少数の異端です! 自分たちが普通でないことを弁えるべきです」


 今度は数に話を置き換えてきた。


「同性愛者が異性愛者に比べて数が少ないことは認めます。ですが、だからなんです? 数が少ないことはいけないことですか?」

「それが普通でない証拠でしょう」

「数が多ければそれは確かに『普通』でしょうが、では数的な意味で『普通』でないことのどこがいけないのかと伺っているのです」

「それは……だって……」

「ご自分の性的指向がたまたま多数派であったからといって、それがそのまま少数派を攻撃していいことにはなりません。それは単なる数の暴力であって正義ではありません」

「くっ……」


 私の主張にはいくつか机上の空論というか、理想論も含まれている。

 だが、地球のマイノリティ論で論理武装しているため、旧態依然とした考え方しか持たない彼女に、議論で負ける道理はない。


「理屈はどうでもいいわ! 気持ち悪いのよ!」

「結局、そこですよね。生理的な嫌悪感なんです。自分たちには理解出来ない。理解したくない。だから攻撃する」

「それのどこがいけないのよ!?」

「いいですか、それこそを差別というんです。教会の教えは、精霊神の下の平等を謳っているのではなかったのですか? あなたの価値観は、教義に反してはいませんか?」

「!」


 そこまで言うと、修道女は顔を青くした。

 信仰に篤い修道女ほど、その教義から外れることを恐れる。

 彼女はきっと敬虔な精霊教徒なのだろう。


「私はあなたを論破したり貶めたりしたい訳ではありません。同性愛者に対する偏見から自由になって頂きたいだけです」

「……」

「理解しろとはいいません。でも、せめて尊重して否定しないで頂けませんか?」

「……あなた自身も同性愛者なの……?」

「はい」


 彼女は攻撃的な色を収めて歩み寄る姿勢を見せた。

 この修道女は決して悪人ではない。

 繰り返しになるが、彼女の考え方はこの世界の多くの人と形を同じくする一般論なのだ。

 彼女はそれを言葉にしたに過ぎない。


「すぐには……無理。でも、あなたが言いたいことは一応、理解出来た。考えてみるわ。反論を思いついたら、またぶつけるかもしれないけど」

「ありがとうございます。十分です」


 それまではらはらしながら見守っていたもう一人の修道女と一緒に、彼女は去っていった。

 思わぬ時間を使ってしまった。

 しかもなんだか、私らしからぬ難しい話をしてしまったし。

 これは早くクレア様成分を補給しないといけない。

 戻ったらとりあえずクレア様にセクハラしよう。


 などと考えて元の場所に戻ろうとすると、


「……」


 リリィ様が立っていた。

 何も言わず、呆然としたような表情だった。

 

 そして、その瞳から宝石のような涙をはらはらとこぼしていた。


「ど、どうなさいました、リリィ様!?」

「……ます」

「はい?」

「ありがとう……ございます……」


 リリィ様はうわごとのようにそう言うと、私に抱きついてきた。

 慌てて抱き留める。

 背の高い私より頭二つ分くらい小さい体は、驚くほど軽かった。

 いや、私が摂取したいのはクレア様成分なんだけど、でもリリィ様もなんかいい匂いがするね!


「……今まで自分の恋愛感情を罪だと思っていました……それをあんな風に……」


 さめざめと泣くリリィ様。

 どうやらリリィ様が同性愛者であるというのは、先ほどの修道女たちの思い込みではなく本当のことだったようだ。


「リ、リリィの気持ちを肯定して下さったのは……レイさんが初めてです。自分の考えを堂々と発言なさるレイさんは、とってもかっこよかったです……」


 涙に濡れる目でリリィ様は私を見上げた。

 あ、やばい、可愛い。

 いや、私にはクレア様という人がですね?

 などと、私が色々と自分と戦っていると、


「リリィはレイさんに恋をしてしまったかもしれません」


 と、リリィ様が特大の爆弾を投げつけてくれた。

 そのとき、かたっとリリィ様の背後で物音がした。


 あちゃー。


「……へぇ……ふぅーん?」


 そこには、鬼のような顔をしたクレア様が腕を組んで仁王立ちしていた。

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