第69話 リリィ=リリウム

 精巧な彫刻がなされた石造りの門をくぐり、クレア様と私はそこに足を踏み入れた。

 建物の中ではランプと燭台の明かりが、歴史を感じさせる内壁を煌々と照らし出している。

 明るさを感じると同時に、どこか身が引き締まるような神聖さを私は感じた。


(ここが、精霊教会のバウアー大聖堂……)


 私たちがやって来たのは、精霊教会の総本山である。

 教会は世界各地に支部があるが、本部はここバウアーの王都にあるのだ。

 この世界の一大宗教とあって、建物はとても立派である。

 王宮にこそ負けるだろうが、クレア様のご実家であるフランソワ家の本宅をもしのぐ大きさである。

 もっとも、建物の存在意義からして違うのだから、大きさも違うのは当たり前なのだが。


「来てみたものはいいものの、どこで話を聞けばいいのかしら」

「あ、それなら受付に言えば係の方が応対して下さるそうですよ?」


 先触れを出したときにその旨は伝えられていたので、私はクレア様にそう言った。

 しかし――。


「正規の手順では教会の聞かせたい話を聞かされるだけですわよ。わたくしが知りたいのは、生の教会の姿ですの」


 そう言うと、クレア様は受付を通り過ぎてさっさと中へ入ってしまった。

 私は慌てて後を追いかけた。


「そうは仰いますが、それならどうなさるんですか? 教会内にも書物の類いはあるでしょうが、勝手に閲覧できるとも思えませんよ?」

「別に書物に頼る必要はありませんわ。その辺にいる人に話を聞けばよいのです。あ、ちょっと、そこのあなた――」


 入り口を過ぎて礼拝堂と思われる場所に出ると、クレア様はそこで祈りを捧げている修道女に声を掛けた。


「!? な、なんでしょうか……?」


 修道女は急に声を掛けられて驚いたのか、どこかリスかモルモットを思わせるような怯えた表情で応じた。

 黒いウィンプルに銀髪に赤い瞳を隠した、どこか儚げな少女だった。


「ちょっとこの教会のことについて伺いたいんですの。お時間はありまして?」

「あ……え、えっと……今は礼拝の時間ですので……」

「それなら、終わるまで待ちますわ」


 言外に、他を当たってくれませんかと言っているようだが、クレア様は空気を読まない。

 そうだった。

 最近、いい人めいた言動が多かったから忘れていたけど、この人傲岸不遜な悪役令嬢だった。


「え、えっと……その……」

「なんですの」

「ひぅ! ご、ごめんなさい……」


 クレア様は目力が強い人な上に威圧感というか高圧的な態度が凄いので、修道女はすっかり怯えてしまっている。

 クレア様の押しが強いというだけではなく、この修道女も気が小さいのだろう。


「別にあなた何も悪いことしてないじゃありませんの」

「……す、すみません」

「ほらまた。とにかく、お祈りを済ませてちょうだいな。わたくしたちはここで待たせて頂きますわ」

「……は……はい……」


 修道女は、一瞬ちらっと私に助けを求めるような視線を寄越したが、私が無言で首を振ると諦めたように礼拝を再開した。


「……」


 流石は修道女と言ったところか、神に祈りを捧げる姿はとても絵になっていた。

 先ほどまでの小動物めいたおびえは影も形もなく、一心不乱に祈るその姿はまるで一枚の宗教画のようだった。

 よく見ると、彼女は一介の修道女にしては身なりがよく、顔の造作も整っている。

 歳こそクレア様や私よりも若いようだが、平の(という言い方も変だが)修道女ではないのかもしれない。


「何を見とれていますの」


 少女の顔を観察していたら、クレア様がそんなことを言ってきた。


「いえ、別に見とれては……はっ!? ジェラシーですか!? クレア様、ジェラりました!?」

「何を言っていますのよ!? 別にジェラってませんわよ! っていうか、ジェラるってなんですのよ!?」


 などといつもの調子でじゃれていると、


「礼拝堂では静かにしろ、タコ」


 と、少女に暴言で注意された。

 クレア様と私は耳を疑った。


「えっと……?」

「あっ! そ、その……ごめんなさい……! リリィ、時々変な口調が混ざってしまうことがあって……」


 しきりに恐縮する少女。

 どうやらリリィという名前らしい。

 この子もただの小動物キャラではないようだ。

 ところで、一人称が自分の名前の子って可愛いよね。


「リリィ……? どこかで聞いたことがあるような……。まあいいですわ。それで、お祈りは終わりましたの?」

「は、はい。お待たせしました」


 リリィは居住まいを正した。


「わたくし、教会の制度について伺いたいんですの。最初は概略で結構ですので、お話しして頂ける?」

「きょ、教会の……制度、ですか? それでしたら、受付から広報担当に言って頂ければ……」

「わたくしが知りたいのは教会が見せたい教会の姿ではなく、現状の問題点も含めた生の教会の姿ですのよ」

「は、はあ……?」


 どうしてそんなことが知りたいんだろう、とリリィの顔に書いてある。


「私からもお願いします。クレア様は平民の貧困をどうにかしたいと考えておいでなのです」

「ひ、貧困を……?」

「はい。そのためには、教会の仕組みが手がかりになるのでは、と」

「……な、なるほど、それは確かに一理ありそうですね。リリィでよろしければお力になりたいと思います。ところで――」


 そこでリリィは私の顔をまじまじとみつめて首をかしげた。


「リ、リリィはどこかであなたにお目に掛かったことがありますか……?」

「実は私も、リリィさんとはどこかでお会いしたことがある気がするんですよね」


 あいにくどこでだったかが思い出せないのだが。


「……使い古された口説き文句ですわね」

「!? ち、違います! リリィはそんなつもりでは決して……!」

「そうですよ。私にはクレア様しか見えていませんよ? あ、ジェラりました? 今度こそジェラりましたよね?」

「ジェラってませんわよ!? だからいい加減、そのどこの言葉だか分からない言葉を言うのはやめて下さらない!?」


 またギャーギャー言っていると、


「だから礼拝堂では静かにって言ってんだろ、ボケナス」

「……」

「……」

「あわわわ……す、すみません……」


 わざとじゃないのかと思うほど明瞭な罵倒だったが、本人に悪気はないらしい。


「リリィ様、どうされました?」


 通りかかった身なりのいい年配の男性が、私たちの様子を見て声を掛けてきた。

 リリィ……様?


「あ、ローナ司教。こちらの方が教会について知りたいと仰るので、お話しさせて頂こうと思っていました」

「そのような雑事は、リリィ様のなさることではありません」

「で、でも、貴族の方……それも財務大臣のご息女に興味を持って頂けることなんて、滅多にありませんし」


 どうやら先ほどの私の勘は外れていなかったようで、リリィは教会内でも地位のある人のようだ。


「も、申し遅れました。リリィの名前はリリィ=リリウム。バウアー王国宰相サーラス=リリウムの娘にして、精霊教会の枢機卿をさせて頂いております」


 どう見ても私たちと二、三歳しか違わないように見える気弱な少女は、そう言ってぎこちなく笑った。

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