第六章 教会編

第68話 クレアの悩み

「クーレーアーさーま!」

「あわっ……って、ちょっと、重たいですわよ、レイ」


 机に向かって本を読んでいるクレア様の後ろから抱きついてみた。

 柔らかくていい匂いがするね、うん。


 以前なら問答無用で振り払われていただろうが、今はこれくらいのスキンシップなら大目に見て貰えるようになった。

 我ながら素晴らしい前進だと思う。

 決して諦められている訳ではない。

 ないったらない。


「何を読んでいらっしゃるんですか? えーと……バウアー王国政体概論?」

「この国の政治・社会制度についての本ですわ」

「また難しい本を読んでいらっしゃるんですね」


 ここは学院の寮にあるクレア様(と、そのルームメイト)の自室である。

 品の良い木製の調度が並んでいる中に、クレア様の机がある。

 バカンスでの事件以降、クレア様はずっと難しい本とにらめっこしている。


 部屋の中にはクレア様と私だけで、彼女のルームメイトの姿はない。

 彼女はまだ帰都していないのだ。

 つまり、二人っきりなので悪いことし放題でsげふんげふん。


 学院が再開するまでまだ少し日にちがあるのだが、私たちは王都へと戻ってきていた。

 なぜかと言えば、クレア様が今の社会制度について勉強し直したいと言ったからだ。


 クレア様は学院の歴史や政治担当の講師に教えを請うて、紹介された本を読みあさっている。

 夏もそろそろ終わりとはいえ気温はまだまだ高い。

 私はクレア様の周りの空気を、水魔法で適温に冷やしている。


「クレア様、少し休憩なさいませんか?」

「もう少しで読み終わりますの。レイの相手は後でして上げますから、もう少しお待ちなさいな」


 やんわりと断られてしまった。

 バカンスでの一件はよほどクレア様に衝撃を与えたらしく、貧富の差をどうにか出来ないかとずっと勉強に打ち込んでいる。

 それはとても素晴らしいことだと思うのだが、構って貰える機会の減った私はちょっと寂しい。

 だからと言って、せっかく芽生えたクレア様の問題意識を邪魔するようなことはしたくない。

 貧富の差をどうにかしたいという考え方は、「私の目的」にも合致するものである訳だし。

 まあ、それについてはまたいずれ。


「クレア様、少し席を外しますね。お茶とお茶菓子の用意をしてきます」

「……」


 クレア様は振り向きもせずにひらひらと手を振った。

 これは私が冷たくされているのではなく、それくらい気安い間柄になったということである。

 そうだと言ったらそうなのである。

 決して、適当にあしらわれている訳ではない。

 自分に言い聞かせつつ、私はクレア様の部屋を辞して寮の調理室へと向かった。


「あ、レイ。戻ってきてたんだね」

「ユー様……。こんにちは」


 調理室でマドレーヌを焼いてクレア様の部屋に戻ろうとすると、ユー様に会った。


「久しぶりの故郷はどうだった?」

「特に感慨はなかったです」

「そう……。それは?」


 ユー様がマドレーヌに気づいた。


「焼き菓子です。クレア様に差し入れしようかと」

「美味しそうだね。一つ貰ってもいいかい?」

「ダメです」

「あはは、そうだよね。それは愛しのクレアのものだもんね」


 王族が平民に断られたというのに、ユー様は飽くまで朗らかだった。

 相変わらず内心何を考えているか分からないが。


「クレアと言えば、最近すごく勉強熱心らしいね?」

「クレア様は以前から学業に熱心な方ですよ」

「そうだけど、バカンス以降は輪を掛けて凄いっていうじゃないか。何かあったのかい?」

「……いえ、特にそういうことは伺っていません」

「ふーん……?」


 私は言葉を濁した。

 ユークレッドであったことは、表面上ルイが全てを解決したことになっている。

 クレア様が真相を闇に葬ってしまったので、あまりうかつなことが言えない。

 私の様子見てユー様は何を思ったのか、にこにことした笑みを深くした。


「従者も大変だね。ところで、平民の貧困について学ぶなら、教会のシステムも参考になるかも知れないよ」

「!?」


 急に話が飛躍した。

 いや、私の側からすればそれほど飛んでいないが、それはすなわちユー様にクレア様が何を考えているかがばれていることを意味する。


「そんな顔しないで」


 知らず、顔が険しくなっていたのだろうか。

 ユー様が苦笑交じりにそう言った。


「別にバカンス中に何があったのかは知らないさ。ただ、学院の講師たちが心配してるんだよ。クレアが平民運動に興味を持ったんじゃないかってね」


 ユー様が言うには、クレア様が請う教えの内容が平民運動と親和性を持っていることを、講師たちが怪訝に思っているということだった。

 言われてみれば、生粋の貴族主義者だったクレア様が社会制度や平民の貧困などに興味を示したら、そう思われても仕方のないことだろう。


「ボクは別に心配してはいないけどね。クレアは生まれついての貴族だから」


 でも、とユー様は続けた。


「この国の社会制度がこのままでいいとは僕は思ってない。彼女が僕と問題意識を共有してくれるなら、僕にとっては朗報だ」

「ユー様の仰りようこそ、問題発言ではありませんか?」

「あはは、そうかもしれないね」


 私のとがめにも、ユー様は飽くまで柔和に応じた。


「だから、これはここだけの話さ。別に僕が教会派の人間だからというだけではなくて、今のクレアには教会について学ぶことも有益なんじゃないかな。もっとも――」


 ―― 一度定まった生き方は、そう簡単に変えられるものじゃないけどね。


「? それはどういう……って、あっ!」

「これはアドバイス料ってことで。……うん、美味しい」


 ユー様はマドレーヌを一つつまんで口に入れると、茶目っ気たっぷりにウィンクして去って行った。


「……本当に食えない人」


◆◇◆◇◆


「ユー様がそんなことを?」

「はい」


 私が部屋に戻ると、クレア様はまだ本に熱中していたので、半ば無理矢理にティータイムへ誘った。

 嫌がられるかと思ったが、案外素直に勉強を切り上げてくれた。

 愛だね!


「教会……ね……」

「私は悪くない考えだと思います」


 カップに口をつけて考え込むような様子のクレア様に、私は肯定の意を示した。


「貴族からの寄付の還元や所得に比例した治療費などは、富の再分配の典型です。教会のシステムについて学ぶことは無駄にはならないと思います」

「そうですわね……」


 そう言うとクレア様はカップをソーサーに戻し、マドレーヌを一つ手に取って口に入れた。


「正直、王国の政治制度だけでは、貧困の解決に繋がる道筋は暗いと言わざるを得ませんわ。この国の政治の根幹たる王制や貴族制は、民から富を吸い上げるものですもの」


 私は頷いて続きを促した。


「もちろん、一方的に富を搾取している訳でもありませんわよ? 民のために政治を行い、領地を安堵し、敵国から民を守っているのも王族や貴族たちなのですから。でも――」

「でも?」

「流れない水は淀む、ということなのですわね。王国には腐敗の兆しが見られます」


 それは現王ロセイユ陛下の問題意識と形を同じくするものだった。


「民が王侯貴族に尽くし、王侯貴族が民を守る――それが形骸化しつつあるんですわ。全ての王侯貴族から志が失われたとはいいませんが、民のことをただの『財源』としか見ていない貴族もいるようですもの」


 それを知ったのは学院外の先生が書いた本からですけれど、とクレア様はうめいた。


「知れば知るほど、学べば学ぶほど、この国の末期的な姿が浮かび上がってきますの。わたくしは、こんなことすら知らなかったんですわ」


 はあ、とクレア様は重い溜め息をついた。


「それでどうするか、です、クレア様」

「レイ?」


 私の言葉に、クレア様が瞠目した。


「今まで知らなかったのはもう仕方がありません。それは確かに貴族としては罪なことかもしれませんが、今さら過去は変えようがありません」

「……そうですわね」

「知った今、これから何をするかを考えましょう。幸い、クレア様は地位も権力もあるお家柄です。クレア様が変われば、他の貴族たちも変わるかもしれません」


 これは半分以上、クレア様を励ますための方便である。

 人も社会制度も、そうそう簡単には変わらない。

 そして、ゲームの知識としてこれからの展開を知っている私は、クレア様のあがきがどれほど困難なものかも知っている。

 それでも――。


「……ふん。そんなこと、言われずとも分かっていますわ」


 クレア様は残りのマドレーヌを口に放り込むと、むぎゅむぎゅと咀嚼して紅茶と一緒に流し込んだ。

 貴族のご令嬢にしてはあまり褒められた所作ではない。


「メイドのくせに生意気ですわよ、レイ」

「申し訳ございません。大好きです」

「も、もう……!」


 私としては堅い話をするよりも、クレア様とじゃれていたいのだ。


「教会に行きます。先触れを出しておきなさい」

「かしこまりました」


 でも、クレア様が何かをしたいというのなら、私はそれに従うまで。

 クレア様自身に危険がない限り、私の行動基準はいつだってクレア様なのだから。

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