第49話 チェシャ猫は笑う

「クレア様、おはようございま――」

「そうなんだよ、あはは」

「ふふ、お姉様ったら」


 毎朝楽しみにしているクレア様のお召し替えをしようと部屋に行ったら先客がいた。


「やあ、レイ。おはよう」

「おはようございます、マナリア様、クレア様」

「あなた、遅いですわよ? もう着替えてしまいましたわ」

「……申し訳ありません」


 見れば、クレア様は服装はおろか髪型までしっかり整っている。

 あのクルクルヘアーにするのはなかなか難しく、レーネのいない今、私だけしか出来ないと思っていたのに。


「ちなみにお着替えと髪型はご自分でなさったのですか?」

「いいえ? お姉様がして下さいましたわ。とっても上手ですのよ」

「ふふ、昔はよくこうしてクレアの世話を焼いたものね」


 と、仲睦まじそうに笑い合う二人。


「そうですか。ありがとうございます、マナリア様」

「いやいや、これくらい」

「しかし、クレア様の身の回りの世話は私の趣味ごふんごふん、仕事ですから、明日からは控えて頂くようにお願い申し上げます」

「今、なんか不穏な言い回しが聞こえましたわよ!?」


 そう言われても、お召し替えの際にクレア様の身体を愛でるのは私の生きがいだし、髪の毛を整えるのは私の潤いだ。

 マナリア様に取られてはたまらない。


「いやいや。レイの方こそ仕事でしないでもいいよ。ボクなら楽しみでやれる。朝は任せて欲しいな」

「いえ、私も楽しんでやっているので、どうか私にお任せ下さい」

「そうですわよ、お姉様。お姉様にそんな使用人のような真似はさせられませんわ」


 マナリア様の言葉に、渋るクレア様。

 しかし――。


「ボクが使用人じゃあ、不服かい?」

「も、もう。お姉様ったらからかって」

「あはは、ごめんごめん。クレアが可愛いからついつい」

「うふふ」


 私を置いてけぼりで盛り上がる二人。

 なんの茶番なの、これ。


 まあいいや。


「クレア様そろそろ朝食を――」

「あ、クレア。そろそろお腹がすかないかい? 食堂へ移動しよう」


 私の言葉を遮るように言うマナリア様。

 ……今の、絶対わざとだ。

 その証拠に、マナリア様の目がいたずらっぽく笑っている。


「そうですわね。そろそろ行きましょうか」

「クレアは何を食べるんだい? ボクはミソシルっていう東方のスープが最近マイブームでね」


 クレア様の肩を抱き、マナリア様は部屋を出て行こうとする。

 これは……当てつけられている?


「何をしてますの、あなた。行きますわよ」

「申し訳ありません」


 荷物を持ってクレア様の後を追うが――。


「クレアはブルーメという料理店は知っているかい?」

「ええ、もちろん」

「実はそのブルーメに最近、ライバル店が現れたんだよ」

「あら、どんなお店ですの?」

「本店はアパラチアなんだけど、斬新なメニューを沢山発表していてね。今度、案内してあげるよ。エスコートは任せて?」

「まあ、お姉様ったら」


 楽しげに語り合う二人は完全に二人の世界に入っている。

 いや、私は使用人だから、これまでもクレア様と誰かが話しているときは控えていることの方が多かったのだが、今はマナリア様が意図して私を遠ざけているように思える。

 時折、ちらちらとこちらにどや顔して来るのが本当にうざったい。


 私は別に良いのだ。

 誰とくっつこうが、クレア様が幸せならそれで。

 事実、マナリア様が来てからのクレア様は、レーネがいなくなる前のように元気を取り戻した。

 そういう意味では、私はマナリア様に感謝すらしている。


「ちょっとあなた! これ、ハンカチじゃなくて下着じゃありませんの!」


 まあ、理屈では分かってても、気持ちがついてこないっていうのはあるけどね。


◆◇◆◇◆


 その後も、マナリア様の当てつけは続いた。


 頻繁に私の話を遮ったり。

 講義室でクレア様を通路側に座らせ、私とクレア様の間に座ったり。

 クレア様にチェスを教えるのを邪魔したり。

 昼食時にあーんして見せたり。


 よくもまあこれほどあからさまに、と思うほど、マナリア様がちょっかいを出してくる。


「ねえ、レイ。あなた大丈夫? 顔色が悪いわよ?」


 夜、自室に戻ると、ミシャがいつもと様子の違う私に気づいて声をかけてくれた。


「クレア様成分が足りない……」

「ああ、大丈夫そうね」


 平常運転だったわ、とさっさと布団に入ろうとするミシャを、私は必死で止めた。


「マナリア様のせいで、クレア様を愛でられないの! いじめてもくれないんだよ!? あーんってなんだうらやましい!」

「ああ、やっぱり大丈夫じゃないわね。いつもより酷いわ」


 私の愚痴に、ミシャはあきれ顔ながらも付き合ってくれた。

 本当に良い子である。


「あなた、マナリア様に何かしたの?」

「心当たりはないよ」


 これは半分嘘だが、マナリア様がクレア様に粉をかける理由には、本当に心当たりがない。


「いい機会だから、あなたもクレア様離れしなさいな」

「無理。クレア様は私の生きがいだから」


 クレア様なしの生活などありえない。


「なら、戦うしかないんじゃないの?」

「うーん、それはなんか、マナリア様の思うつぼな気がするんだよね」

「思うつぼ?」

「挑発されてる気がする」


 そもそも、ゲームでは主人公の味方だったはずのマナリア様が、どうしてクレア様の方に行っているのか。

 それがよく分からない。


「なら、我慢するしかないわね。別にクレア様と離ればなれになった訳でもないのだし」

「それしかないかなあ」


 まんじりともせず、私は布団に入った。

 その夜は、クレア様の両手をマナリア様と引っ張り合う夢を見た。


◆◇◆◇◆


 翌日もマナリア様の当てつけは続いた。

 私は極力無視していたが、マナリア様の挑発はやまない。

 マナリア様のことはどうでもいいが、クレア様がデレデレしてるのがちょっと……いや、かなり気に入らない。


 いや、これでいいのか。

 セイン様ルートからはだいぶ外れている気はするが、クレア様が笑っていられるならそれでいい。

 それでいい……はずだ。


「……忍耐強いんだね、レイ」


 我慢を続ける私にマナリア様がそんな言葉を掛けてきたのは、その日の夜だった。

 私はクレア様が眠りに落ちるのを見届けてから、自室に帰る途中だった。


「なんのご用件でしょうか、マナリア様」

「別に用件ってほどのことはないんだけどね」


 私とミシャの部屋のすぐそばの壁にもたれて私を待っていたと思われるマナリア様は、いつもの爽やかな笑みを浮かべたまま続けた。


「キミはクレアのことが好きなんだろう?」

「ええ」

「その割にはずいぶんおとなしいじゃないか。これだけ挑発してるのに」


 やはり確信犯か。


「クレア様のことは好きですが、別に私に振り向いて頂かなくても、クレア様が幸せならそれでいいので」

「……ふーん」


 私の答えに、マナリア様は初めてつまらなそうな表情を浮かべた。


「なーんだ。所詮その程度の想いだったんだね。がっかりだよ」

「は?」


 嘲るような声色で掛けられた声に、私は少しムッとした。


「その程度、とはどういう意味でしょう?」

「別にー? あ、気に障った? ごめんごめん。そうだよね。レイはクレアのことが好きなんだもんね。きっとボクなんかよりもクレアのことがよく分かってるんだろうね。それこそ、諦めがついちゃう程度には」


 いらいらが募る。


「安い挑発ですね、マナリア様。それでも一国の王女ですか?」

「うん、これでも王女なんだ。だからキミなんかよりもずっとクレアに相応しい」

「私は平民ですが、ことクレア様への想いでは、誰にも負けるつもりはありませんよ」

「諦めちゃってるくせに?」


 なんなのだこの人は。


「諦めてるんじゃありません。私はクレア様の幸せを一番に――」

「逃げてるだけでしょ? どうして自分が一番に幸せにしてみせると言わないの?」

「それは……」


 だって、私は平民でクレア様と同じ女性なのだ。

 私はクレア様の幸せのためになんだってするが、その幸せのためには、私はクレア様の伴侶として相応しくないと思う。


「逃げるなよ」

「逃げてません」

「なら、ボクから奪って見せなよ」

「ケンカを売っているんですか?」

「そうだよ。今頃気がついたのかい?」


 マナリア様は整った顔立ちを心底おかしそうに歪めて言った。


「キミのその中途半端な想いを、ボクが断ち切ってあげるよ。そのままじゃ、クレアもキミも可哀想だ」

「いいでしょう。そのケンカ、買いました」

「うん、それでこそだ。じゃあ、明日の放課後、運動場の魔法演習場で」


 逃げないでね、と言い残して、マナリア様は去って行った。


「……なんなの……? 本当に、なんなの、あの人……」


 私は事態をよく飲み込めていなかったが、クレア様への想いを馬鹿にされたことだけには、はっきりと腹を立てていた。


「……上等。四属性持ちクアッドキャスターだかなんだか知らないけど、目にもの見せてくれる」


 多分、私はキレていたのだろう、と後になって私は思い返すのだった。

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