第27話 クリームブリュレ

「それで、なんでクレア様が一緒なの?」

「どうしても着いてくるって聞いて下さらなかったの」


 約束の時間になって現れたレーネは、クレア様を連れていた。


「何か作るのでしょう? わたくしが味見して差し上げますわ」


 部屋着姿のクレア様はあくびをかみ殺しながらそう言った。

 健康優良児なクレア様は、普段ならとっくにベッドに入っている時間である。


「ちょっとレーネ。クレア様には内緒って言ったじゃない」

「ごめんなさい。誤魔化しきれなかったの」


 クレア様からちょっと離れて二人でこそこそ話す。

 まあ、私がブルーメの関係者だって知られなければいいか。


「クレア様、起きてられます?」

「子どもじゃないのですから、夜更かしくらいします」

「じゃあ、クレア様はあちらの椅子にどうぞ」


 クレア様のために観覧席を用意する。

 上着を脱いで、腰掛けたクレア様にかけた。


「?」

「春とはいえ、夜は冷えますから」

「……ふん」


 面白くもなさそうにそっぽを向いたクレア様だが、やはり寒いのだろう。

 上着は振り払われなかった。


「それじゃ始めるよ、レーネ」

「うん」

「今日作るのはクリームブリュレっていうお菓子だよ。レーネはプリンは作れるよね?」

「ええ」


 それなら多分、大きく躓くところはないな。


「まず、小鍋に牛乳と生クリームを入れるよ。バニラビーンズを加えたら、鍋を火にかけてひと煮立ち」


 バニラビーンズはさやごとで構わないが、少し刻んでもいい。


「牛乳だけじゃなくて生クリームも使うんだね」

「うん。そこは普通のカスタードクリームとはちょっと違うよ」


 すぐに違いに気がつく辺り、さすがメイドを長く続けてるだけのことはある。


「別のボウルに卵黄と砂糖を入れて、泡立て器でよく混ぜる。さっきの鍋のクリームを加えてさらに混ぜて、ざるでこして別のボウルに移す。そしたら、ボウルの底を氷水にあてて混ぜながら粗熱をとる」


 ここまではいいかなとレーネに確認を取ったところ、大丈夫との返事が返ってきた。

 レーネは几帳面にメモを取りながら手を動かしている。

 余談だが、この世界において紙は貴重品である。

 いかにレーネがこのレシピに入れ込んでいるかが分かると言うものだろう。


「ココットに流し入れて、百度に予熱したオーブンで七十分くらい焼く。ブリュレをゆらしてみて、中央がぷるっとゆれるくらいが焼き上がりかな。粗熱をとって、できれば冷蔵庫でしっかり冷やして」


 ここまで出来れば、ブリュレはほぼ八割方出来上がったと言っていい。


「材料は微妙に違ったけど、これってほとんどプリンだね?」

「レーネ。ここからが重要なんだよ。よく見てて」


 あとはクリームブリュレの要であるカラメル層を作るだけなのだが、この時代にバーナーなんて便利なものがあるはずもない。

 オーブンを使う手もあるが、もっといい方法があるのだ。

 私は砂糖と洋酒を取り出した。


「食べる直前に表面に砂糖をまんべんなくまぶして、さらにお酒を振りかける。お酒は出来るだけ度数の高いヤツがいいかな」


 私はマッチを取り出して火をつけると、ブリュレの表面に近づけた。

 炎が上がる。


「火、火が付いてますわよ!?」

「落ち着いて下さい、クレア様。これはフランベという料理の技法です」


 慌てたクレア様を宥める。

 火属性魔法使いの割に、火に敏感だね。

 あるいは、炎使いだからこそ、炎の怖さをよく知っているということなのかもしれない。


「一度冷まして、同じ作業をもう一度繰り返すとより美味しく出来るよ。後は冷まして完成」


 ココットをクレア様の前に差し出した。


「ではクレア様、味見をどうぞ。レーネも食べてみて?」

「……い、いただきますわ」

「頂きます」


 フランベを見た後だからか、クレア様がおずおずとスプーンを伸ばす。

 と、そのスプーンが跳ね返される。


「表面がカチカチですわ」

「カラメルになってるんです。スプーンで割って、クリームと一緒に召し上がって下さい」


 クレア様が慎重にスプーンで叩くと、カラメル層は簡単に割れた。

 クリームと一緒にすくって、口へ運ぶ。


「! これは――!」

「美味しい! これ、とっても美味しいよ、レイちゃん!」

「よかった」


 自分でも一口食べてみる。

 うん、まあまあの出来だ。


「普通のプリンよりも濃厚でしっとりしてますのね。表面のカリカリしたところも美味しいですわ」

「このカリカリがたまりませんよね。仕上げの方法……フランベだっけ? あれも人目を引くし、面白い料理ですよね」

「火属性魔法が使えるクレア様なら、普通に火であぶってしまえばいいんですけどね」

「自分で作るなんて考えられませんわ。料理はレーネとあなたに任せます」


 そこはやはり貴族のお嬢様なんだなあ。

 でも、そんな憎まれ口を叩きながら、夢中で食べてる姿は普通の女の子だなあ。

 あー、可愛いぞ、こんにゃろ。


「レーネ、分からないところはない?」

「うん、大丈夫だと思う。ありがと、レイちゃん」

「どういたしまして。あとこれを渡しておくよ」

「?」


 私は紙のメモを渡した。

 内容をあらためたレーネがびっくりした顔をする。


「これ、マヨネーズの!」

「しーっ! クレア様に気づかれないように」

「いいの?」

「うん。でも、私が許可するまでは作らないで」

「?」


 レーネが怪訝な顔をした。

 無理もない。

 私だって自分の言動を客観的に見たら、何してるんだろうと思う。


「これはね、保険なの」

「保険?」

「いずれ意味が分かるよ」

「……よく分からないけど、大事にしまっておくね」

「出来れば、暗記してメモは処分して欲しい」

「分かったよ」


 と、話がまとまったところでクレア様がブリュレを食べ終えた。


「もう一個食べたいですわ。作りなさい」

「クレア様。こんな真夜中に甘いものをたくさん食べたら太りますよ?」


 レーネがもっともなことを言う。


「もう一個くらいいいじゃないですの。明日からまた節制しますわ」

「でも……」

「いいから作りなさい。命令ですわ」


 わがままぶりを発揮するクレア様に、レーネが眉尻を下げて困っている。


「いいじゃない、レーネ」

「でも、クレア様のスタイルが変わったりしたら、旦那様に顔向け出来ないよ」

「一日くらい大丈夫だよ。なんならこの後、夜の運動するから。クレア様の部屋で」

「しませんわよ?」


 クレア様の氷点下のまなざしが心地よい。


「ああ、私の部屋がいいですか?」

「そういう意味じゃありませんわ!」


 どういう意味か分かっているらしい。

 クレア様ったら耳年増だこと。


「まあ、レーネ。練習だと思って、もう一回おさらいしてみよう」

「分かった。クレア様、明日はお食事軽めにして下さいね?」

「いいから早く作りなさいな」


 そんなこんなでもう一回、クリームブリュレを作った。

 レーネの作ったブリュレは初めてとは思えないほど上手な仕上がりだった。

 フランベの時、ちょっとやけどしてたけど。


「治してあげるから、手を出して」

「いいよ、これくらい。塗り薬ならあるから」

「私が治したいの」


 そう言って私はやや強引にレーネの手を取り、やけどを癒やした。


「ありがとう」

「お礼なんていいってば。女の子の指にやけどがあるなんて許せないだけだから」


 私なりの美学というやつである。

 水魔法に適性があってよかった。


「……仲がいいですわね」


 クレア様が面白くもなさそうに呟いたのを、私は聞き逃さなかった。


「嫉妬ですねクレア様! やー、困っちゃったなあ」

「違いますわよ! 図に乗るんじゃありませんわ、平民」

「あらあら」


 私がいつものようにからかい、クレア様がキレ、それをレーネが見守っている。

 なんでもない、でも幸せな日常だ。

 私はこんな日々をいつまでも続けていたいと思った。

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