来客
@MIYUKI_K
第1話 来客
「来客」
「拝啓、白百合の香水を身にまとった君。ご機嫌いかがですか。ご存知かもしれませんが、最近僕のまわりは太陽の光が強すぎて、うまく早起きできません。いつかの君は僕を蛭の様だと比喩しましたね。とてもよく覚えています。朝日が眩しすぎることも相まってですが、なんせ日焼けができない性質なので、赦してやってください。君が赦してくれないと僕の脳内は、君だけで充満してしまいますから。そうそう、そんな恋愛馬鹿の仮面から脱却を目指して熱海に来ております。珍しくポストカードなのは、そのせいです。なので、文字を綴るのはこの辺にしておきます。それでは、また近日お会いするまで 僕より 愛おしい君へ」
緑のインクは思った以上に滲みやすくて、どうにも見難い。どうせ君に送るのだから、素敵なものにしたかったな。そんな気分を少しでも誤魔化すかのように、惰性のムスクを振り掛けた。黴が生え蟲の液体が滴る。液体は緑から深緑。最後には場内から躍り出た。
玄関から扉をうるさくたたく輩。おまけに、
「ゴメンクダサァイ!ゴメンクダサァイ! 」
そんなことを言うものだから僕は堪らなくなって、開門をするしか無くなってしまった。
「急に押しかけてきて、何の用だね、用はあるのかね」
「へぇ」
「ご用件は」
「真人間になりたいと思って。その仕方をご教授願いにきたんですわ」
「バカ言え、お釈迦様どころか閻魔様さえ許さない」
「いやでもよく言うじゃあありませんか、電光石火は山を越え、屍さえ超えるって」
「ほう、じゃあね花を買うのが必須条件さ」
「花ですか」
「花だよ」
「花」
「その花をね、相手に例えるのだよ」
「つまり無機物に情愛を与えるわけなんですかぇ」
「そうだ、どうしたら相手が振り向いてくれるのかを花で良く考えるのだよ。触るのもよし、枯らせるもよし。ドライフラワーにするのもよし、潰すのも大いによし」
「で、アンタさんはどうしたんでぇ」
「それは人様に聞くことじゃないさ」
正午二時。郵便物を懐に挟み歩く。私の裾は酷く汚れていて、不機嫌になりかけている。肝を潰した仮面を被った女性が話しかけてきた。
「東京のお兄さん、アンタ。アンタだよ。お前さんの色男ぶりは酷く評判だよ。一体なにがしたいのかね。一世一代の女の沙汰をもらったらすぐ捨てるなんぞ…本当に馬鹿野郎だよ」僕は右頬と帽子を上げ視線を横に俯く。
「気高い女性…冗談よしてくださいよ。その上私は紫の君がいますから」
「今時そんな偶像を言うのかね。およしよ、お兄さん」
「いいのです。僕は世間の惰性にすぎませんから」
「あんたねぇ、そう言えども…幾らの人がお兄さんに騙されてると思ってんのさ」
「はぁ、検討もつきませんね」
「お兄さん、あんたね…」
女性はなにか言いたげに、ぼくの視線を横目に絶った。手紙のインクが更に踊った気がした。緑が僕の服に着手し、白のシャツと混ざり合う。
「それでは、ごめんください」
赤糸が唇に貫通し、糸の残像は暗闇に霧を切り続けたのだった。
正午二時半。郵便局は絶賛深夜営業中だ。目の前のドアには誰もおらず、男のいびきが響くだけ。目下には鈴。チリリンと音を撫でるが、一向に音は減らない。
「これはまた、どうにも…」
そう思った時、ガラッと目の前の扉が開いた。男が目の前に立っていたのだ。僕はこれぞと思い、
「失敬。郵便を頼みたいのだが」
「へぇ」
そう男は気だるそうに答えた。
「ポストカードを一通」
「ポストカードですか、これはまた珍しい。これだと…八十二円ですね」
「八十二円」
白い机に小銭の音がよく響く。チャリン、チャリン。
「これで」
「お兄さんの名前は書かなくて宜しいんで?」
「えぇ」
「あんた、切り裂きジャックみたいだね。こんな夜中にわざわざ届けにこなくても。名前の記入もないし…」
笑い声が空気に触れ倍音が耳に伝わった。頭の中の静寂に雑音が入ったみたいだった。胃液が逆流しそうなほど、気分が悪くなった。思わず、
「おじいさんね。その冗談はキツイですよ。あまり笑えませんよ」
彼の頬は左だけつり上がった。
午後五時。僕は東京行きの電車に乗っている。白百合に会うためだ。彼女の家はお世辞にも目新しいとは言えないが、その古めかしさが僕を安心させるのだ。目をつぶり、情景を鮮明に思い出す。彼女の独り部屋はワインレッドで包まれている。当の本人の肌も負けず劣らず、絹の様に白い。素晴らしいコントラス。赤に染められた部屋に独り生える白肌。想像するだけでも光悦。でも気に喰わないのは、大衆芸術には認められないこと。だけれど、僕が認知できているだけでも喜ばしいことなのだ。と自身を鼓舞し、彼女にあげる花を考え続けた結果をボソリと呟いた。
「うん、やっぱり橙黄色の百合は君にしか似合わないなあ。美しい君にはそれでも有り余るけれど。なぁ、愛おしい君」
来客 @MIYUKI_K
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