第1章22話 いよいよ『ムーヴ』に行ってみましょうよ

 帝國の襲撃から一夜が明けた。

 水魔法と氷魔法、風魔法を覚えた俺は、もうドゥーリオで学べる魔法はないであろう。

 それでも、俺はフユメに連れられ魔法修行へと向かう。


 修行の場へ向かう途中、俺たちはドゥーリオの街を歩いた。

 人間で構成された帝國軍兵士に数人の隣人を殺害されながら、しかし住人たちは、帝國軍兵士と同じ人間である俺たちを憎むことはせず、前向きに生きていこうとしている。

 この街の人たちは、本当に強く優しい人たちだ。


 街を歩いてると、千切れた鉄骨が痛々しい桟橋が、俺たちの前に現れる。あの桟橋は、デイロンを倒すために俺たちが壊してしまった桟橋。


 そんな場所で、1人の女性が釣り糸を垂らし、その側で1人の男性が口をへの字に曲げていた。


 女性は、白のワンピースに黒いジャケットのようなものを羽織った、長いブロンドヘアと垂れ目が魅力的な女性。

 男性は、今にも血を吐き出しそうなまでに厳しい表情をした、ローブらしきものに身を包む細身の男性。


「あれ? あの2人って、まさか……」


「マスターとコンストニオさん!」


「フフ~ン、2人とも元気そうだわね」


 俺たちを『ステラー』に転移させたあの時と同じく、にこやかに手を振るラグルエル。

 当然、なぜラグルエルがドゥーリオにいるのか、という疑問が俺の頭に浮かんだ。

 ただ、俺の疑問はコンストニオの嫌味な口調によって遮られてしまう。


「まったく、勝手なことをしてくれたものだ」


「コンストニオ」


「この世界の生物がいくら死のうと知ったことではないが、お前らが殺したとなれば、これは大問題だぞ!」


「コ・ン・ス・ト・ニ・オ」


「一定の文明レベル以上に達した世界に干渉することは、『プリムス』にとっての禁忌に触れたも同じだ! お前らには処罰が――」


「クラサカ君とフユメちゃんを責めないで。私が、許可を出したのよ。魔王と戦うには、実戦経験も必要でしょ。あれは魔法修行よ。魔法修行の過程で人死にが出ても、それは原則として干渉には当たらないわ」


「屁理屈を……」


 これは、俺たちが帝國軍と戦闘を交えたことが問題になるかどうか、という話だろうか。

 『プリムス』の事情をよく知っているであろうフユメは、コンストニオの指摘にだんまりを決め込んでいた。

 きっと『プリムス』では、コンストニオの指摘は正しいのだろう。


 まあ、現場を知らない上司の戯言ざれごとだと思えばそれまでだ。ラグルエルの屁理屈・・・にコンストニオは反論できないでいるようだし、この話は俺が気にするようなものではない。

 ラグルエルとコンストニオの話が終わると、ラグルエルは俺たちに言った。


「ねえクラサカ君、もう強力な魔法も使えるようになったし、実戦経験も積んだんだから、いよいよ『ムーヴ』に行ってみましょうよ」


「それって、魔物と戦ってみろ、ってことですか?」


「ええ、その通りよ。フユメちゃん、クラサカ君は十分、魔物と戦えるわよね」


「はい、事前情報と照らし合わせても、負けることはないと思われます」


「ほらほら、フユメちゃんも大丈夫だって言ってるんだから、行きましょうよ」


 そう言いながら、ラグルエルはすでに『ムーヴ』へ転移するための準備を終えている。

 選択肢などないのだ。俺は今から『ムーヴ』に転移し、魔物と戦うしかないのだ。


 どうして『プリムス』の人たちは、こうも強引なのだとため息をつきたい気分であったが、実のところ、魔物を倒せる自信が俺にはあった。

 ラグルエルの誘いを断る理由はないし、断ったって断れないのなら、やるしかない。


「面白そうなので、行きます。真の英雄の第一歩にもなりますし」


「フフ~ン、そう言うと思ったわ。じゃあ、早速『ムーヴ』へ転移させるわね」


 とうに準備は終えていたのだから、転移は一瞬の出来事だ。

 複雑な幾何学模様が彫り込まれた紙の上で、フユメが躊躇なく俺の体に密着し、俺は相変わらず鼓動を倍の速さに加速させる。

 ラグルエルは「目的地『ムーヴ』。転移開始」と呟き手を振る。一方でコンストニオは、猜疑心のこもった視線で俺たちを見送った。


 転移のための紙は光り輝き、俺たちは少しの間、『ステラー』とお別れだ。 


    *


 光が消え俺たちの視界に映ったのは、寄り添うようにずらりと並べられた、赤茶色の三角屋根をかぶった石造りの建物。それらに囲まれた、カラフルな露天が軒を連ねる石畳の広場である。

 広場に面した教会らしき建物の、天を貫かんばかりの尖塔は、俺の好奇心に火をつけた。


「ここが……『ムーヴ』か。すごい! ファンタジー世界そのままだ! ファンタジー世界の広場に転移するとか、ファンタジー的展開そのままだ!」


 レーザー飛び交う宇宙時代の『ステラー』とは正反対の、『ムーヴ』という世界に足を踏み入れたことにより、救世主という言葉にようやく実感が伴う。

 俺はならず者世界で悪戦苦闘する金欠男ではなく、妄想と創作の中にしか存在しないはずのものになったのだと、ようやく確信できた。

 こうなると俄然、魔王討伐に対するやる気もうなぎ上りである。


「よし、魔物はどこだ。勇者の力を見せつけてやる」


「待ってください。この街、おかしいです」


「おかしい? どこが?」


「どこがって、どこもかしこもです。人が誰もいないんです。いえ、人だけじゃありません。生物と呼べるものが見当たらない」


「言われてみればそうだな」


 ファンタジー世界に興奮する俺とは違い、いつの間にか俺の側から遠く離れていたフユメは冷静であった。


 彼女が口にした通り、広場に生命は感じられない。あるのは無機物ばかり。

 晴れた空に照らし出された広場は、不気味なまでに静まり返っている。

 まるで死が降り注いだかのようだ。


「君たち! そこで何をしている!?」


 広場で佇む俺とフユメの耳に飛び込んだ、力強い女性の声。

 声のした方向に目を向けると、そこには白銀の鎧に身を包み、立派な剣を携えた1人の女騎士が、強張った顔つきで立っていた。

 『ムーヴ』で最初に出会った人が女騎士。絵に描いたようなファンタジー的展開である。


 ただし、静まり返った街に厳しい表情をする女騎士とは、あまり良い組み合わせではない。

 フユメは女騎士に問いかけた。


「何かあったんですか?」


「避難命令が出ているだろ! 聞いていなかったのか!? 何者かの手助けにより魔物の大部隊の進軍は抑えているが、もうすぐそこまで魔王軍が迫っていることに変わりはない! 死にたくなければ、早くこの街から逃げるんだ!」


 必死に叫ぶ女騎士の口調からは、厄災がすぐそこまで迫っていることへの焦りと恐怖が滲み出ている。

 はじまりの街で魔王軍の攻撃を受けるとは、この『ムーヴ』という世界、やはり難易度が高そうだ。

 とはいえ、今の俺は多少の魔法修行を積んだ身。


「ちょうどいい。魔物を探す手間が省けたな」


「気をつけてくださいね。『ムーヴ』では五感で覚える魔法修行は機能しませんから、死ぬだけ無駄ですよ」


「そうなのか? まあ、問題ない。死んだってフユメが蘇生してくれるだろ」


「なるべく労働はしたくないんです」


「おや、本音が出たな」


「ち、違います! ソラトさんが死んでいる間は、私は無防備になってしまうので――」


 必死で言い訳を口にするフユメだが、そんな場合ではなくなった。

 広場に面した教会の上には、いつの間に現れた魔物が、害虫でも見つけたかのごとく俺たちを見下していたのだ。


 その魔物は、灰色の肌にコウモリのような翼を広げた、鎧に身を包む男。魔物図鑑にも大きく取り上げられていた、龍人である。


「ヨウヤク見ツケタゾ、人間」


 脳みそに直接語りかけてくるような龍人の声。

 漏れ出した強い魔力をまとった言葉が、そのようにさせているのだろう。

 こいつは強いと、俺の魔力が騒ぎ立てる。


 女騎士は体を震わせ、つぶやいた。


「魔族四天王……炎使いのフロガ……!」


 名前を聞いただけでも、手強い相手であることは容易に想像がつく。

 『ムーヴ』ではじめて出会った魔物が魔族四天王とは、運が良いのやら悪いのやら。


「街ひとつを燃やし尽くせるアイツか」


「ソラトさんの水魔法と氷魔法なら、相性が良いですね」


 事前情報を持っている俺とフユメは、フロガの前でも冷静さを保つことができた。

 しかし、女騎士は違う。

 彼女は強大な敵を前にして、なおも俺たちに向かって叫んだ。


「君たちは早く逃げろ! ここはこの私がなんとかする!」


「いや、悪いけど、逃げるべきはそっちだ。ここは俺に任せろ」


「な、何を言っているのだ!? 相手は魔族四天王だぞ!」


「だからこそだ。あいつを倒せるのは、俺しかいない」


「ソラトさんの言う通りです。すぐには信じられないかもしれませんけど、ここはソラトさんを信じてください」


「ふざけるな! この私は栄えある騎士だ! 神への忠誠を果たすため、民間人を置いて逃げることなどできない!」


「そうか。じゃあ、一緒に戦うか」


 戦いたければ好きにすれば良い。1時間後には滅ぶ世界で、女騎士を説得している時間もない。俺は俺の戦いを、女騎士は女騎士の戦いを全うすれば良いのである。

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