エルタンハスの街

 

 辺境からエイルの故郷や境界がある地域までは竜の翼でほぼ半日も要してしまう。そのため、カドたちはそれだけの時間を何かに使う必要があった。


 しかし、他の時間にも出来る睡眠などに使うのは実にもったいないことである。

 カドは今ここでしかできないことをするつもりで、竜の背でエイルと向かい合っていた。

 気まずそうにする彼女に反し、カドははきはきと喋りかける。


「じゃあ前もって質問しておきましょう! エイルは地元に戻って手酷い展開が待っていたらどうします?」

「う……。あのね、カド。そういうことを普通、聞く?」

「はい、聞いちゃうんです。これが」


 無神経にもほどがある。そんな思いがこもった視線はエイルのみならず、ちらと振り返るエワズにも向けられた。

 意識共有の方でもぐちぐちとお叱りモードを向けられているわけなのだが、カドはそのままエイルと向かい合い続ける。


「だって訓練は大事です。本番として実際にあった時、抜身の刃みたいな言葉や態度が向けられたりするかも知れないんですよ? それを間近に控えた今こそ備える意味があるんじゃないかって思うわけです」

「そ、それはそうなんだけど……」

「あと、エイルが凄く傷ついた場合、僕とドラゴンさんの会話術だけで前向きにさせるのって凄く難しい気がするんですよね」

「……うん。そういうの、わかっていても普通は言わないしね……」


 言う時点でどうしているのはカドとしても重々承知だ。

 けれども、今呆れられるのがいいか、何かがあった後に地雷原を渡るのがいいかと問われれば間違いなく前者がいい。


 それに、エイルは厳密に言えば忌み子でもない。そういう意味で、彼女の地元の人が何らかの誤解を抱いても改めさせる自信はある。

 一番恐ろしいのは、それをする前に修復不可能な溝が生じることだ。


(過保護なエワズの場合、エイルが地元に戻れる見込みもなしに連れていきそうにないですしね。大方、ちらほら見たっていう冒険者から近況を聞いていたんじゃないですか?)

『汝はそういう点には抜け目がないな』

(だって、第一層上位の魔物と、魔物に寄生してクラスⅡにランクアップさせる〈剥片〉が現れる境界付近が地元ですよ。地元が避難でもぬけの殻、最悪、壊滅していたなんてパターンもありそうです。心の準備以前に、備えるべきですよね)


 意識の共有化で、エワズと会話する。

 昨日と一昨日をかけてエワズが一人で行動したのはエイルの体調を慮っただけでなく、その下調べを済ませるためだったに違いない。


 そんな内緒話はエイルが気持ちの整理をしている合間にちょうど終わった。


「あのね、みっともない姿をまた見せちゃうかも知れないけど、いい?」

「大丈夫ですよ。汚いボロ姿も見ましたし、鼻水を流した涙姿も見ているので大抵はどうってことないです」


 エイルは申し訳なさそうな顔をしていた。しかしながら、カドがずけずけと言ううちに気の持ちようは変わったらしい。

 何やら表情が作り物のようにぎこちなくなっていた。


「そっか。そっかぁ。それじゃあ、私もカドのためになることをやってあげるね」


 素直な感謝の気持ちとは、ちょっと違う。

 静かな怒気でも混じるように言葉のイントネーションが乱れたなと思ったら、エイルはカドの“腕を取った”。触れたとか握ったという親愛の表れではない。関節を極める一歩手前として、腕を取られたのだ。


 引こうとすればもうすでに若干の痛みを感じる。カドはしてやられた顔で彼女を見つめた。

 すると、彼女はぎこちない笑みのまま答えてくれる。


「ほら、クラスⅤは頑丈だし筋力も私たちより上だけど、関節技では攻められないこともないんだよ? 変なことを言ったらその都度捻っていくから、カドも頑張ろうね?」

「あっ、そんなお気遣いなく……って、痛い痛い!? ここはまだ変なことは言っていないと思うんですけど!?」


 それとも、ここに来て辞退しようとした時点でギルティだったのだろうか。

 カドはギブアップのつもりでエイルの太腿をタップし――そこでさらに腕を捻られていくのだった。



 

 □



 

 途中に昼休みを挟みながらも移動を続けたカドらは、夕刻間近に目的地、境界中継点のエルタンハスの街に到着した。


 街は境界に挑む冒険者が作った拠り所というだけあって宿場町という雰囲気ではない。

 街を丸太の壁が覆い、いくつも櫓と木製の門まで設えられえいる。これは最早、関所や砦と言った方が適切な設備であった。


「私、帰ってきたんだ……」


 先程、散々カドの腕を捻りつつこれからの出来事を想定していたエイルであったが、実物を見ると何とも言えずに込み上げるものがあるらしい。

 けれど、何の意味もなかったわけではないようだ。彼女が感情を決壊させることはない。


「……〈剥片〉の影響かな。私がいた時より荒れているみたい。人はいるようだけど、皆は大丈夫かな」


 エイルが呟くとおり、街の設備はところどころ荒れているのが見えた。

 修繕をしていないのではなく、真新しい修理跡も破壊痕も混在していることから、修理が追いついていないことが伺える。間違いなく、戦闘が常々あったのだろう。


 そんな場所に幻想種の竜が近づくのだ。

 街人を刺激しないように速度を落として近づき、事前に街の上空を旋回してからようやく村の正門の手前に着陸する。


 これだけ主張をしておけば、攻撃の意志がないことまでは伝わらなくとも、ちょっと雰囲気が違う幻想種だということは伝わっただろう。

 こちらからは街に入らず、三十メートルほどの距離を取って待っていると武装した警備などが出てきた。


 完全な戦闘準備というわけではない。警戒を込めての対応というところだろうか。本当に敵意があるならば門を開いて人が出てくることなんてなかったはずだ。

 この街の要職らしき凄みを備えた人物が数人の警備が共に出てくる。


 傷がよく入った年季物のプレートメイルを身に着けた四十代の男と、この街の自警団だろう。加えて、門の近くで待機している中にはエワズの報告通りいくらかの冒険者が見えた。

 エワズのことを見知っていることから、対話を考えてくれたと見てよさそうだ。


 加えて、変化が生まれた。

 こちらのメンバーにいたエイルに気づいたのだろう。

 この街の関係者と思しき彼らはエイルを目にして明らかに目を潤ませていた。


 カドはエワズと共に彼らの様子を観察する。


(敵意や動揺じゃないですね。驚きと喜びでしょうか)

『うむ。自警団はエイルの兄の死体はすでに回収していたそうだ。そこになかったエイルと兄のホムンクルスがこうして一つの身として帰ってきたのだから、事情は察したのだろう。良き人々だ』

(ええ、本当に)


 カドとの予行練習が影響しているのだろう。エイルは彼らに吸い寄せられるように一歩一歩近づいていったが、まだ涙を流す一線は越えていなかった。

 同じように歩み出てくる要職の男性――エイルの父親と思しき人物も同様だ。


「あ、のね……。お父さん、私だけが……ごめんね……」

「いいんだ。帰ってきてくれただけでどんなに嬉しいか……! ……おかえり、エイル」


 父親は嗚咽を噛み殺しながら、言葉を口にしていた。

 それは彼女が一年前までずっと聞いていた声と変わらぬものだったのだろう。彼が広げた腕に、エイルは迷わず飛び込んでいた。


 勢いを考えずに跳び込んだあまり、彼女は父のプレートメイルで頭を打ってしまったようだ。涙で崩れかけた顔でエイルは照れ臭そうにする。

 父親はそれすらも愛おしそうに抱き締め――ついには二人とも涙を流し始めた。


 とてもいい家族で、いい街なのだろう。二人を邪魔すまいと控えていた警備も、こんな二人を見て涙ぐんでいた。周囲からは「おかえり」などと歓迎の声が投げかけられている。

 忌み子じみている容姿に対して不安を抱いた様子は微塵も感じられない。


 それを見たカドは安堵の息を吐いた。


(エワズ。これにて僕らはまた二人旅になったわけですね)

『何も問題はない。帰るべき場所があったのだ。祝福だけで十分であろう』

(はい、僕もそう思います。ところで――)


 めでたし、めでたし。そう締め括りたいところ、カドはこの感激の風景の向こう側を見た。

 この街の警備に混じる冒険者。そこに異様な影を見たのである。


(なんか物凄いオーラでクラスⅣの女の子とリリエさんが見つめてきているんですよね。なんですか、あれ。凄く逃げたいんですけど……)

『ふむ。無理であろう。あのような気配を出すのは大抵、捕食者。汝のような魔術師型では、同格であってもちと不得手であろう』


 リリエに関してはいろいろと世話になったのに、挨拶もなしに別れてしまったので怒られるのはわかる。しかし、近くの女の子については全く身に覚えがない。

 ぞわぞわと肌が粟立つのを覚えたカドは一歩二歩と後ずさる。

 せめてこの感動の風景を台無しにしないようにと配慮する良心につけ込み、逃げられないかと考えたのだ。


 だが、件の少女とリリエは、ざっざとカドよりも早歩きで近づいてくると彼を捕獲するのであった。

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