天使の沙汰も可愛さ次第 Ⅲ

「思いやりのある子よ。金や権利への執着から難しい顔をしている人たちより贔屓にしたいってものでしょう?」

「何を愚かな。弱者の味方気取りであるなら、それであり続ければいいものを」


 〈灰を踏む者〉は突き放すもの言いだ。白く長い口髭のせいで口角は見えないが、嘲笑していることだろう。

 その他にもつられるように失笑や嘲笑はあった。


 リリエはそれらをよくよく見渡す。こういう空気は特に嫌いなのだ。ないことのように見逃すことなどできない。


「ええ、弱い者の味方。ここにいる人間なら彼がどういう経緯を持つ人間なのか勝手に調べをつけているでしょう? 残酷なものよね。憐れむべき彼を集団で追い回そうとしているのだから、贔屓してあげたくもなるわ」


 言葉が増えるにつれ、空気が軋む。

 誰がどうしているのかを一つ一つ見回した彼女は、殺気とまではいかないが、威圧を向けているのだ。笑い声なんていつの間にか消え失せた。


「彼もついつい死霊術師の一派を潰してしまったのは失敗ね。その事件を機に、ハルアジスのお零れ漁りを正当化しようとする人間が出てくるなんて考えていなかったんだもの。大蝦蟇が量の暴力だとするなら、あなたたちは数の暴力でしょう? いけないわ。そういう悪漢、私は今までひと通りなぎ倒してきたもの」


 それで、先程はそれぞれどんな反応を見せたか。

 リリエは一人一人視線で確認していく。


 その圧力は尋常なものではない。元から戦闘職として鍛えてきた者ならいざ知らず、商人などは呼吸も忘れて気絶するところだった。

 適度なところで切り上げた彼女は、改めて息を吐く。


「別の意義を見出すとすればそうね……相手はあまりに大きすぎるから、私と竜をもってしても殺しきれるかはわからない。けれどクラスⅤの死霊術師である彼ならば、成長すれば大蝦蟇を殺せるスキルを得るかもしれない。それに、私が大蝦蟇と戦えば無数の〈剥片〉が振るい落とされるわ。それに対処できる人物として、協力があるに越したことはないでしょう? 彼は適切に付き合えば良い子よ」


 場でお決まりだった扱いを禁じた途端、卑しい笑いはなくなった。

 一同が閉口するばかりだ。この話の行く末を誰がどう責任取る形で締め括るのかと、目立たぬようにして探り合っているのだろう。


 そんな中、ぱちぱちと拍手の音が響く。

 それを行ったのは〈黄金卿〉だった。


「結構なことではありませんか。幾度の遠征を経て、超え得ぬクラスⅣの壁。それを凌駕した存在が味方に付いてくれるというのは頼もしきことでは? それに加え、現状は黄竜が警告してきた事態そのもの。しかも、大蝦蟇が第二層への入り口を塞いだままであればクラスⅡ以上の冒険者の遠征もままならず、状況はより深刻化します。混成冒険者の技術が生まれたことで死は遠ざかったのです。持続可能な経済を目指すためにも、冒険者はその名の通り冒険すべきでは?」


 〈黄金卿〉は周囲からリリエに目を向けると、にこりと微笑む。

 四十代で、いい年齢の紳士然としたことだ。悪くはない――そのはずなのに、どことなく気持ち悪さを感じてしまう。


 ああ、きっとここには悪意が混じっているからだろう。天使はそういう点に敏感なのだ。

 だが彼は印象に反し、そのまま援護となる意見を続けた。


「経済界からすれば、深層での新資源の発掘は望ましい。また、治癒、錬金術師の意見を言わせてもらうと、忌み子をほぼ人間の状態で延命させたという彼には並々ならぬ関心があります。しかもクラスⅤというその魔力。落ち目であったハルアジス氏を補って余りある存在ではないですか」


 彼は商人に続き、治癒師の当主に視線を投げかけた。

 また、人権がないがしろにされがちな忌み子を延命させた点は、市民の味方である司法局にとっても好印象らしい。〈黄金卿〉が視線を向けると、彼らも好意的な反応を示す。

 場の中立として働きがちな天使は、リリエの訴えとあって元から味方だ。

 場の意見の過半数はこの時に固まり、リリエ、治癒師、錬金術師が後見を務めるという条件でカド、エワズ両名の保護が認められた。


 それからも議論はいくらかあったが、結局、冒険者の剣士と魔術師が批判的なだけだ。

 確たる反論も出ない空気のまま会議は落ち着き、小休止となった。


 この後、リリエとエワズが戦っている際の〈剥片〉処理にどの程度の人員を割くか話し合うらしい。

 リリエは引き当てたこの結果に少しばかり与えられ過ぎた気になっていた。


「うーん、予想外にいい結果ね。最悪、エワズだけは放置でカド君の保護をもぎ取ろうと思ったのだけれど」


 竜は強いので一人でも生きていける。うん、これは差別ではない。

 そんなことを思っていた時、リリエのもとに女性が掛けてきた。治癒師の当主、何とかの聖女である。


「ああっ、リリエハイム様。リリエハイム様! お会いできて感動です!」

「あら、治癒師の人――」

「それはともかく、件の彼はいずこにいらっしゃいますか!?」


 有名人なのに名前を知らないというのは失礼かな?

 ささやかな心配を抱きながら対応しようとしたところ、聖女は大いに食い気味で手を握り締めてきた。


 なんだろうか、この少女は。

 稀に見る若さの当主であることに一目置いていたところ、それ以上に頬を赤く上気させて近寄ってきたところに目を奪われた。

 心なしか、興奮ではあはあと息が乱れている。


「私も今は知らないわ。だからこれから見つけて大蝦蟇に挑――」

「ではでは、その戦に参加すれば御目通りできるというわけですねっ!? ああ、なんと素晴らしいことでしょう。異世界の人。どんな肉体で、どんな叡智を持っているのでしょうか。会えるかと思うと、心躍ります!」

「……そう。よかったわね」


 明後日を見て目を輝かせる彼女は熱を持った頬に手を当て、恋する乙女みたくしている。


 それを前にして、リリエは痛烈に感じた。

 これはいろいろな意味でカドと会わせてはいけない人種である。


「――では、そろそろ再開したいと思います。各々方、席に……」

「はいっ、はいっ! 治癒師、ユスティーナ・プレディエーリ。〈剥片〉討滅に従事いたします!」


 とてててと管理局の司会のもとへ駆けていった彼女は、そのまま勢い余って司会を床に押し倒していた。


 先程の〈黄金卿〉とは明らかに違う。

 天使は悪意に関して敏感だが、人間は多かれ少なかれその感情を持つ。組織を率いる者ならば、むしろそれを持つ方が自然なくらいだ。


 けれども治癒師の当主にはそれを一切感じなかった。

 それ故なのか、女の勘としての悪寒がぞわぞわと競り上がって堪らないのだ。


「彼女が気になりますか?」


 目をやっていると、件の〈黄金卿〉が人のいい顔で近づいてきた。


「ええ。彼女のこと、どうも記憶にないのだけれど通り名などがある子だったかしら?」

「彼女はこの一年で当主の座を継ぎました。あなたが耳にしていなくとも、無理からぬことでしょう。そうですね、彼女に関しては〈狂奔の聖女〉、〈人形遣い〉、〈愛多き御手〉など、異名を数えればキリがないと記憶しています」

「よし、断固阻止ね」


 およそ、治癒師に与えられる名ではない。

 強い不安を覚えた彼女はカドと彼女の邂逅を阻止しようと心に決めたのだった。

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