おまけ 獣医と養蜂業

 大木の中身をくり抜いて作った浴槽にエワズが焼いた石を入れることで沸かした風呂にエイルが入っている最中、カドは妖精のために蜂の巣箱を作っていた。


 しかもただ板を箱状に組み立てるわけではない。

 それぞれの板は内面を火で炙った上で蜜蝋を塗りたくり、それを合わせていくのだ。底のない枡のようなものが次々と出来上がっていく。


 エワズはその過程を奇異の眼差しで見つめていた。


『何故、それほど手間をかけているのだ?』

「それはもちろん、蜂に発生する病気を防ぐためですよ」

『虫なぞでも病を患うのか?』

「それはもちろん。ウイルス、細菌、寄生虫は人間や動物だけでなく魚や虫でも感染します。農畜産物振興の役割だってある獣医は鳥類と哺乳類だけじゃなく、魚と蜜蜂も対象に仕事をします。まあ、魚と蜂に関しては特に法律で定められていないので、獣医以外が診療しても大丈夫なんですけどね」


 僕がいた国ではですが、とカドは後付けする。


『家畜は理解できる。運搬、農耕、騎乗用の大動物は求められておった。貨幣の代わりに使われることもあるほど重要視されていた資産であるな』

「そうですね。それと同じく、蜂も農業の基軸となる点で重要なんです」


 そう言ってみるも、エワズは首を傾げた。

 まあ、理解できないのもわからなくはない。自然溢れるこの世界においてはまだ蜂蜜を採取できるという以上の意味は持たないだろう。


「ちなみに聞いてみたいんですけど、この世界には見渡す限りが畑の場所ってありますか?」

『ふむ。穀物畑ならあるいは。しかし、限られるであろうな』

「あー。花がすっごく小さい植物はちょっと蜂に関する説明の対象外です。あれらは密に生えつつ、風を媒介にする受粉なので」

『……どういうことだ?』

「受粉や人間や動物で言うところの交尾と同じです。単純な生物の場合は、分裂して自分のコピーを作ります。そうして増えるのは簡単なんですが、一つの毒や病気で全滅する恐れがあります。それを防ぐために受粉や交尾で新たな血筋を入れることが必要なんですが、これをどうやって説明するかというと……」


 カドは悩む。


 無性生殖の分裂を説明したところでわかりにくいだろう。

 改良によって種をなくしたバナナも分裂とほぼ同じで、ほんの数種から株分けしている。そのため、新パナマ病等の病気で一品種がほぼ壊滅することもあった――なんて言ってもこちらの住人では理解できない。


 しかし意外なことにエワズは一人で答えを見つけた。


『言わんとすることはわかる。五大祖も同じだ。剣のみでは対応の幅が狭まり、生きて行けぬ。故に盾や槍などを扱える純系冒険者を支援し、死後に遺物化すれば混成冒険者を作る元として一派の亜流とする。他種を混ぜ込むことによる生存戦力よな』

「おおっ、それです! 一つ一つの生物が持つ病気への抵抗力なんかも同じようなものです!」


 思わぬ解答にカドは拍手で称賛する。


「それと同じく花も他から受粉しようとするんですよ。その際に思いついたのが、花に蜜を蓄えて虫をおびき寄せ、そいつに花粉をくっつけることで他の花に受粉させようという作戦です」

『ほう。そのような仕組みが?』


 花の蜜を吸う虫は見ても、そういう理屈を考えたことはなかったのだろう。エワズは感心した様子で息を吐いた。


「はい。しかし、虫の行動範囲はせいぜい数キロ以内です。地平線まで続く規模の農場や、外界と仕切るビニールハウスなんかだと受粉させてくれる虫がいなくて作物が実らないんです」

『びにーる、とな?』

「その辺りは無視でオッケーでーす」


 大した意味もないためにそこはさらりと流す。

 エワズは多少残念そうにしていたのだが、話が長くなるのでそこはまた後日だ。


「というわけで、規模が大きい農業ほど養蜂による助けが重要になってくるんです。実際、養蜂業界のお金の動きとしてはハチミツや蜜蝋の売上なんて微々たるもので、受粉用の蜂のリース産業の方がずっと高いくらいです。農業が発展し、山を削って畑にするほど重要な産業になってくるわけですね」

『故に治療をする者も必要になるというわけか』

「そこは産業動物の悲しいところで、病気は時間とコストがかかるので予防が中心です」


 ようやく概要の話が終わりとひと息はいたカドは、続いて蜂の巣の前へと歩いていった。

 彼はそこで働き蜂が巣の外に捨てた蜂の死骸を拾う。


「蜂は偉いもので、病気などで死んだ蜂はこうして巣の外に放り出します。例えば目に見えるもので言えば、蜂に付くダニのミツバチヘギイタダニによるバロア病。蜜蜂の呼吸孔である気門から入って気管に寄生するアカリンダニ。原虫に感染したことによるノゼマ病。その他、細菌による腐蛆病、ウイルスによるサックブルード病などなどがあります」

『カドよ。あまり難しいことを言うでない。妖精が呪詛でも侵されたように悶絶しておる』

「あれは僕が一ヶ月みっちり仕込んだことによるトラウマを発症しているだけなので気にしないでください」


 エワズがその光景に目を細める一方、カドは少しも振り返らない。

 すると、エワズは複雑そうな表情を浮かべた。


『汝は生き死にが関わらない点では、時折、悪魔的ではなかろうか』

「気にしないでいいでーす!」


 殺虫剤をかけられた虫のごとく周囲で悶絶する妖精を見ないふりで躱したカドは話を続ける。

 エワズの目には若干の呆れが混じり始めたのだが、構いはしない。


「とまあ、たくさん言いましたが、僕ら獣医の管轄は消費者の口に入るハチミツに関することで、受粉用のリース業についてはノータッチです。あちらは食の安全に直接関わるものじゃないので、農家と養蜂家の約束事になります」

『ハチミツに関しては関係があると?』

「はい。変な薬物や細菌対策の抗生物質がハチミツに残留しないように注意を促すことも重要ですし、他の病気についても一緒にチェックできます。ただし、エワズが微妙な顔をした意味もよくわかります。実際、この分野においては僕らにできることが少ないので、本格的に業としてやっているところしかチェックしないって地域もあります」

『それは何故だ?』


 エワズは意外そうな顔をする。


「さっき言った病原体はどこにでもいるんですよ。届出伝染病、法定伝染病というかなり重要視されて、発生すれば市町村からお知らせをするくらいの病気でもです。実際、めちゃくちゃに活発で元気な蜂群でも、厳密な検査をすると見つかるくらいありふれています。女王は毎日たくさんの卵を産み、蛹がちゃんと育ち、働き蜂はちゃんと働けている。これが最重要なんですよね」


 またも想像できていない様子のエワズに、カドはさらに説明を噛み砕く。


「周囲に咲いている花がなくて餌になる蜜や花粉がない。箱の管理が悪くてジメジメしすぎ、日光の当たりすぎ、暑すぎ。新女王を作りすぎて一つの群がすぐに分割される、もしくは女王が死んだせいで働き蜂不足となり、巣の掃除や害虫の排除、温度管理、餌の調達が回りきれない。こういう点の管理と対処を養蜂家が適切にできないと病気になるわけです。人間で言うと日和見感染でしょうか。蜂は群一つを一個の生物と捉えるべきものなんです」


 例えば砂糖水や花粉団子を給餌したり、蜂の数に対して巣箱の内部が広すぎるからわざと巣を小さく区切ることもある。

 養蜂とは何もやっていないようで、そのような管理も必要なものなのだ。


「さて、そこでいざ病気が発生したらどうでしょう?」


 カドはパンと手を叩いて一区切りし、話を新たなところへ移行させる。


「蜂は何度か言ったように、巣から数キロは飛びます。盗蜜と言って、他の蜂の巣から蜂蜜を奪ってくる蜂もいるんですよ。そういう接触から、蜂の病気が他の巣に伝染しかねません」

『ほう。あれらは巣ごとで全く関わりがないかと思ったが、異なるのか』

「基本的には独立していると思いますし、正確なところは不明ですが、接点はありますね。例えば蜜源でもかち合うことはあるでしょうし」


 そこまで言ったカドは肩を竦める。


「ともあれ、蜜蜂について勉強しただけの獣医なんて数百、千群以上を飼育する本格的な養蜂家にとってはただ認可をしてくれるだけの役人です。知識もあちらが圧倒的に上ですから。ただし、頼られる部分もあります」


 肩身が狭いと話した一方で、カドは指を立てた。


「ハチミツって割と高価です。でも養蜂って、手を出そうと思えばできるんですよね。だから暇がある老人とかが少数だけ飼おうとするんですが――」

『管理が下手故に病を患わせるか』

「そうなります。蜂は数キロは飛ぶので、蜜源の奪い合いや病気の発生に関係する巣箱の配置に関しては漁場争いのようにシビア。養蜂家は養蜂業界の振興には乗り気ですが、そういう点を気にして、新規参入者に対して冷たいこともまあまああると聞きます」

『なるほど。よくわかったぞ、カドよ。もうこの辺りで良い』


 話も熱が入ってきたところだ。

 まだまだ深みがあると説明しようとしたところ、エワズは水を差してくる。


「え。まだスムシ予防の話や王台の管理とか、微酸性電解水による消毒とか、家畜化した蜜蜂と野生の蜜蜂の話とかしてないですよ? あ、ちなみにこの重箱式の巣箱は野生の蜜蜂用です」

『うむ、やめるのだ。開けてはならぬ箱があると我は良く学んだところ故な』


 いやいや、そうは言わずと強引に押し通そうとしたが、尻尾を顔面に巻きつけられ、宙吊りにされては仕方がない。

 息ができずに失神してしまう前に尻尾をタップして降参を示す。


「なんて酷い仕打ち……」

『そのような知識があるとわかっただけでもう良い。それに、我が得たところでどうしようもなかろう。汝とて、それは農業のための知識であろう? ここでは生きるための技術を磨くのも必要ぞ』


 頭でっかちでは野生で生きていけるものか。エワズの主張はそんなところだろう。

 しかしながらカドは、え? と疑問を呈する。


「いやいや、これも応用の方法はありますよ。妖精養蜂ではなく、実戦的な意味でも」

『なに……?』


 エワズは疑わしく思っていることを微塵も隠さない様子だ。

 カドは正座をして向き直り、自分の思惑について彼にも意見を求めようと決めた。


「ほら、魔物や幻想種の中にはヘルホーネットとか巨大な蜂がいますよね」

『いるな』

「巣の周囲をチェックします」

『うむ』

「捨てられた働き蜂の死因を分析します」

『……うむ』

「ダニ、細菌、ウイルス。何でもいいので理由がわかったら、死霊術で――」

『もう良いぞ』


 再び尾で吊るし上げられたため、タップをして仕切り直しである。

 改めて向き合ったところ、エワズは感心を通り越して呆れていた。


『よもやそのような点まで考えようとは……』

「死因がそこらに転がっているとか、倒し方の見本市です」

『汝が何故、死霊術師の適性があったか得心いった。治癒師なぞ、似合わぬ』


 人間だったら顔を押さえていたところだろう。エワズは頭が痛そうである。

 けれども、知識はあるのだ。非力な人間としてはそれも武器として利用して何が悪いだろうか。


「死んだらそこまでですし、治癒なんて肉体に任せればいいですからね。魔法が使えるんならできないことができた方がいいに決まっています」


 だからこの死霊術師という点についてはまだまだ可能性を見出しているとカドははしゃぐ。

 それが頼もしくも不安であるらしく、エワズの表情は浮かなかった。


「あの、お風呂ありがとう。凄く気持ちが良かった」


 そんな話をしていたところ、エイルが戻ってくる。

 風呂に入ったことで彼女は身が温まっただけでなく、心なしか気の持ちようまでほくほくとした様子だ。

 そして、ハイ・ブラセルの塔で入手した服のサイズも合ったらしく、ダボついた様子はない。


 そんな彼女に目をやったカドは「いえいえ」と軽く返事をした後、ふと彼女の尾に目を留めた。

 穴もなにもなかった服を、尾が貫通している。その点に注目しているのだ。


 そう。エイルの尾は手のように分岐した尾の付け根が多少太い。それがどうやって通ったのかが気になってしまう。

 興味が先行したカドは、カサカサと這うように近づこうとしたが――途中でエワズの尾によって宙吊りにされたのだった。

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