イーリアスに対する悪あがき Ⅱ

 カドはイーリアスとの戦闘の意志を固める。


 相手はクラスⅣの冒険者だ。近接戦闘が得意で、不治の呪詛も使う。

 もちろん消耗なんて一切ない。先程の接近状態から引き離される際、掴んでいた彼の右腕に血の滲むひっかき傷を残せただけで、コンディションは最良の状態から揺るぎないだろう。


 一方、カド自身はといえばクラスⅤの魔素を持つが、生まれたてで体が馴染みきっていない。

 クラスⅡ相当の実力があるトリシアには負けると竜に言われた身だ。

 その彼女からの魔素吸収で力は補充されたが、クラスⅣを相手にするには程遠い。


 この場にはスコットとハルアジスを倒した分の魔素が漂っている。

 それを無理矢理にでも吸収すれば実力の底上げくらいはできるかも知れないが、正攻法ではまず間違いなく勝ち目がないだろう。


 使える魔法は以下の通りだ。

 第一位階魔術

〈初級治癒魔法〉〈魔素吸収〉〈毒素生成〉〈操作魔糸〉〈死者の手〉〈魔法付与〉

 第二位階魔術

〈従者契約〉〈使い魔創造〉〈毒霧〉〈腐敗〉〈病魔招来〉〈対価契約〉


 ものの見事に直接戦闘に使えないものばかりである。闘技場で顔を突き合わせて戦うとしたら百年経っても勝ち目がなさそうだ。

 だが、こういうものは使いようである。


 持てる力を使い尽くすためにも、カドは竜に呼びかける。


『ドラゴンさん』

『次は何事だ? 我はあと数十秒でそちらに――』

『部屋にイーリアスがやってきて、不意打ちで首を刺されました。これから交戦するので、戦術の助言をしてください』


 竜と問答をする暇などなかった。

 死を受け入れる姿勢からの変化はイーリアスも察したのだろう。

 自分の右腕に視線を落としていた彼はいつでも剣を振るえるように構え直した。


「……どうした。やっぱり介錯でも必要か? それとも、まだ何かあるか?」

「ええ、はい。三途の川を渡ろうとしていたんですけど、彼岸の人に来るなと言われまして」


 これだけ警戒を重ねてきた冒険者だ。

 狸寝入りなんて仕掛ければ逆に隙を突かれるだけだろう。カドは正直に答えて立ち上がる。


 こうして会話をしているうちにも、状況を把握した竜の動揺が感じられた。

 けれども、意識の共有から伝わるのは、そんな表層の感情のみではない。カドが自分の能力が許す限りの対抗手段を考えていることも伝わったのだろう。


 時間の無駄でしかない成り行きの説明なんて求められなかった。

 生き残る最善手として、戦術のみが伝えられる。


『――汝が勝るのは素質のみだ。逃げ場のない閉鎖空間を逆手に取れ。力を振るって圧倒せよ!』


 そんな声と共に、戦いのイメージが伝わる。

 まるで歴戦の経験を貸し与えられるかのようだ。

 見えてきた光明に口元を緩めると、イーリアスはさらに警戒を高めて剣を構えてきた。


「さっきまでの聞き分けの良さはどこに行ったんだか。いや、聞きたいのはそこじゃねえ。痩せ我慢で立つだけならまだわかる。だがお前、なんで平然と喋ってる?」


 先程までは呼吸すらまともに出来ず、這いつくばっていた。

 今のように立ち上がっていたら、会話どころか呼吸さえできるわけがないのだ。


「ああ、これですか。どんな仕掛けがあると思います?」


 問われるままに答えるバカなどいない。

 これはただ単に、呪詛と死霊術師の能力の相性が良いだけだ。


 竜の治療を終え、〈初級治癒魔法〉の分析を始めた過程ですでに気付いていた。

 この傷は確かに癒やすことは出来ない。けれどもただそれだけである。


 血管という管を両断されたなら、ほんの数ミリだけ〈血流操作〉で橋渡しをしてやれば血液は正しく循環する。

 死霊術士の治癒魔法の特性から考えると、この呪詛との相性は非常に良かった。そういう話である。


 これから何日もこの状態を維持するなら問題が発生するだろう。しかし、生死を争うこの瞬間には何の影響もない。

 こんな生命維持の手腕も、アルノルドの治療があったからこそ上達した。経験は一つさえ、無駄にする気はない。


 カドは返答する代わりに魔法の詠唱を始める。


「亡者の腕よ――」

「チィッ!」


 戦意を認めたイーリアスは最短距離で突っ込んでくる。

 そう。カドはどう見ても近接戦闘タイプではない。彼からすれば剣のひと振りで終わる相手だ。

 ただしそれを許すかどうかは別問題である。


 カドは詠唱に集中しながらも、ちらとサラマンダーに目を落とした。

 前衛がいないのだ。こういう場合の時間稼ぎは相棒に任せる。


 〈従者契約〉もあってある程度は意思疎通が適っているので、呼びかける必要もない。

 傍らにいるサラマンダーに対し、魔力を貸し与えて得意技を発動してもらう。


「――っ!?」


 これはクラスⅤの魔力を用いて行われた昇熱だ。

 無論、イーリアスどころかカド自身も巻き込む形だが、これは致し方ない。耐えられる範囲ギリギリには抑えてもらっている。


 自爆技ではあるが、意味はある。

 魔素の質が高いカドなら何とか耐えられるレベルでも、それ以下のイーリアスではもっと強く作用するのだ。42℃の体温には耐えられても、47℃になれば無事ではいられないという例でも考えればいい。

 イーリアスは警戒してすぐに急制動をかけた。


 けれども昇熱の範囲が際限なく広がっていくのを目にして歯噛みしている。


「闇より出でて――」


 おまけに、カドの詠唱が進んでいることで再攻撃を決心したようだ。


 ああ、そうなるだろう。

 なにせこちらには刃物を防ぐ武器はあっても、捌き切る技量がない。


 だったらどうすればいいだろうか?

 それに関しては竜の知恵が指南をしてくれる。

 曰く――突っ込め、だ。実に竜らしいことである。


「なっ……!?」


 二メートルもない間合いだ。互いに前に出れば距離はすぐに詰まる。

 イーリアスは慌てて対応しようとしたが、振り遅れた剣はカドの肩に当たって止まった。あまりに近づいたために額同士がぶつかって膠着状態に陥る。


 肩の薄皮は断たれただろう。鎖骨の末端もダメージを負っただろうが肩甲骨に食い込んでそれ以上は進まない。

 振り下ろされる刃物に対してなら、根元の方が振り下ろしにくいしダメージも低いのは必然だ。


 しかし、こんな対処をまともに実行すること自体がイーリアスにとっては信じられないらしい。

 驚愕の表情を浮かべた後、強く睨まれた。


 戦士のお作法なんて知ったことではない。こちらは全力で生き残るだけだ。

 カドはただただイーリアスを見据えたまま、詠唱を完成させる。


「――生者を縛れ。〈死者の手〉!」


 配分などない。

 クラスⅤという魔素の質を惜しみなく注いで形にする。


 これは魔素が固形化した手が地面から生え、運良く相手を掴めれば行動を阻害できる代物だ。力の込めようによって数や大きさ、握力は変わる。

 初級の術というだけあって、普通の戦士ならば恐るるに足りない代物のはずだった。

 しかし、部屋を埋め尽くすほどの手を生じさせてみたらどうだろうか。


 熱に、無数の手だ。

 技術のない素人であろうと、力に任せて制圧してしまうならば話は変わる。


「これぞ死中に活を求めるって奴ですよね」

「何を言ってやがる!?」


 イーリアスは苦し紛れに声を上げた。

 けれども彼に出来るのは逃げの一手だけだ。


 〈死者の手〉の一、二本なら彼は難なく払いのけるだろう。

 けれど、十本以上ともなればそうもいかない。カド以上に昇熱のダメージを負う彼は、束縛されれば茹で上げられて終わりなのだ。


 撤退の判断を下すのが早い。

 彼は即座に退いて手を振り切り、外に逃げ出した。


 カドはサラマンダーを拾い上げてそれを見送る。


「逃げられたらドラゴンさんどころか、僕も終わりです。追いますか」


 外にはまだまだハルアジスの弟子がいることだろう。閉鎖空間という地の利もなくなる。

 カドは注意を引き締め、一歩を踏み出した。

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