従者契約 Ⅰ
術後、サラマンダーの体勢を戻すと問題なく動き出した。
鎮静剤や全身麻酔を投与していた場合は覚醒までに時間がかかるものだが、今回は意識が残る硬膜外麻酔だった上に、その効果も魔法の解除と共に消えるために行動に支障をきたすことはなかった。
のたうったり、のけぞったりしていたサラマンダーからすれば、もうそのような痛みは消えたのだろうか。
のっぺりとした顔で、こちらをじっと見つめてきている。
体調的には間違いなく改善した上に、逃げもしない。これは好感触なのではないだろうか。
ふむと唸って未だに意思疎通中の竜をよそに、カドはサラマンダーの顔に手を差し伸べてみる。
すると、噛まれた。
情け容赦のない裏切りである。
「えっ、こんな様子でも噛んでくるんですか? まあ、多少は痛いこともしてしまいましたし、これ自体もあまり痛くないので別にって痛たたたっ! 噛む力がどんどん強くなっていますけど!?」
ツルっとした見かけのサンショウウオ系統なので歯はないかと思われたのだが、挟まれた手には微妙にトゲトゲとした小さな歯を感じる。
この、なんだろうか。
肉食動物に噛み締められたような明らかな痛みはない。ないのだが、大きなクリップで挟まれた時にも似た、圧力と痛みの狭間を行く感覚なのである。
しかもこの無表情のまま圧力が高まっていくのが辛い。ただの圧力ではなく、痛みの方面に針が振り切れてきた。
涙目になって立ち上がり、手を引き抜こうとしてもサラマンダーはぶらんとぶら下がるだけだ。
良い事をしたはずが、ゆるキャラに噛みつかれている現状は一体何なのだろう。
カドは説明を求めて竜に目を向ける。
すると、竜は呆れた様子で口を開いた。
『確かに痛みは改善した。しかし腹痛があるそうだ』
「そりゃそうですよっ!? 卵管に繋がる血管を調べる際や、動かすには多少なりとも腸を触っています。それ自体の痛みとか、腸が定位置に戻ろうとする蠕動運動と一緒に多少痛むくらいは不妊手術の犬猫だって普通に……痛い痛い!」
そういう説明は受けていないのじゃ。
と、無表情なゆるキャラの静かな怒りを感じるのは気のせいだろうか。未だに強まる圧力に、耐えかね、カドはサラマンダーの体をぺしぺしとタップして降参を示す。
――というひと悶着がありつつも、数分後には噛みつきからも解放された。
勝利の誇示なのか、サラマンダーは仰向けにぐったりしたカドの頭部に前脚をついて空を仰いでいる。
シュールなこの状況に苦笑を浮かべていたリリエに頭を撫でて慰められた後、カドは改めてサラマンダーと向き合った。
「それで、従者契約についてはどうでしょう?」
『約定は約定である。問題はない』
「そうですか。それはなによりです」
こうして逃げないこと自体、その意向はあったのだろう。
流石に目線を合わせるために這いつくばるとまではいかない。あちらに頭を上げてもらうことで、正座でもなんとか目線を合わせた。
従者契約。
この魔法は使い魔のような完全な主従とは違い、お互いの魔力を融通してパートナーになるという意味合いが強いようだ。
パートナーになるならば、相手に何を望み、何を返してもらいたいのかは明確にした上で合意するのが契約らしいだろう。
カドはこの契約に関しての思いを告げる。
「えー、噛みつきサラマンダーさん。何か色々あった気がしますが、僕は割と君に期待をしています」
ぬめーっとした顔に向けて言っても、伝わっているのか伝わっていないのか定かではない。
そう思っていたところ、竜が口を開いた。
『竜種や悪魔、そうでなくともゴーレムや怪鳥、魔狼と言った名のある加護に馴染みのある種ではなく、何故己にそのようなことを言うのかと疑問に思っているようだ』
見かけ通り、思考能力が弱かったりするのだろうか。“ようだ”と付け加えるように、ここには微妙に竜の解釈も入っているのだろう。
彼が言うものに関するこの世界の一般常識は知らないので何とも言えないところだ。
『例えば境界域の第一層にも小さな竜やワイバーン、レッサーデーモンが稀にいる。また、程々に見かける鳥や狼の幻想種にも強大な上位存在の例がいくつかある。強くなる素質がある種族なら、同系統の先駆者がいるということだ。こ奴らにはそれがないのだよ』
少しばかり困っていたところ、竜が補足してくれた。
竜や悪魔はもとより、グリフォンやケルベロスといった幻想種の例がある鳥や犬の方が将来有望ということらしい。
確かに神話上のサンショウウオなんて聞いたことがない。精々、その名前の通りの炎の精霊くらいだろうか。
それを聞いたカドは息を吐いた。
彼らの言うこともわかる。しかし、自分が求めた方向性とはまるで違うので、それでは語れないのだ。
「言いたいことはわかりました。でも、別に僕は強い生き物は求めていないんですよ。冒険者みたく強くなろうとかっていう思いもないです。今の君の力が、僕にとって魅力的だったから言っているだけです」
そう、このサラマンダーを従者にすれば役に立つと思ったことがある。それはグリフォンやケルベロスには真似できないであろう話なのだ。
少しばかり目のくりくり度がアップした気がしないでもないサラマンダーに対し、カドは言う。
「手術の時は手術室の消毒が必要です。紫外線だの、ガス滅菌だのがあるんですけど、そんなものを用意できる当ては今のところ思いつきません。その点、サラマンダーさんの特技は良いですね! 締め切った部屋の温度を上昇してもらって、後で下げてもらえばいいだけです。部屋単位の乾熱滅菌すらできる能力ですよ、これ!」
カドは意気込んで言うものの、竜もリリエも、当然サラマンダーも理解できた様子はない。
「はい、続いて二点目ですね」
その辺りのことはカドの視野には入っていない。
話すだけ話したので、彼はもう第二の理由に突入していた。
「君の粘液は温度を下げれば固まります。液体から、ある程度の強度を持った個体に変化するって凄い利点です。それを利用して、注射器のシリンジも作り放題です。それどころか、そういう筒状のもので水を噴出させつつ先端を火で炙ると、物凄く細いカテーテルも作れます。事実、プラスチックのシリンジで同じことをして、目の涙点に挿入できる細さの管すら作れますからね!」
カドとしては、大から小まで医療器具を賄える点として素晴らしいと絶賛しているつもりだ。
しかし周囲としては『?』のマークがさらに量産されただけである。
雰囲気として褒めていて、画期的っぽい。そんな印象を与えているだけだ。
「あとは毒に関しては相性がいいかもしれません。現在、見つけている点としてはそんなところです。もちろん、パートナーとしての契約なんですから、衣食住ならぬ、医療、食料、住居で医食住も提供します。それが僕の目的と、利点ですね」
そこまで伝えたカドは、どうでしょう? と改めて意思を確認する。
これには通訳をする竜が悩ましそうに顔をしかめていたのだが、しばらくすると回答があった。
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