第6話 不和
次の日の朝。
グレイゴーストは海洋で錨を降して停泊していた。
順調に航海スケジュールは消化されており、問題も特に起きていない。
しかし、艦橋で周囲を警戒していたバートンは双眼鏡を手に盛大にため息をついた。
シエルと交代でこの周辺監視を行っているのだが、こうしてなんの変化もない周囲の景色を双眼鏡で覗く日々がもう何日も続いている。
「何をやっているんだか……」
一週間も空を漂流した身でいうのもなんだが、慣れてくると船の日常はとても退屈だった。
やることといえば、起きてメシを食べて甲板か艦橋で警戒をして、またメシを食べると今度は故障の修理などをし、メシ食べたらあとは寝るだけという食事と雑務を交互におこなう凡庸な日々が続いているのだから、どんな人間も飽きがくるというものだ。
遥か先の地平線をみながら、無意味な時間の浪費に対してバートンは自らに問いかけたが、もちろんその問いに答える者はいなかった。
「ねぇ、バートンーッ!」
不意にキャッキャとはしゃぐ声とともに名前を呼ばれ、甲板に目を向ける。
前部甲板ではシエルが楽しげに海鳥たちにエサをやっていた。
「そんなところにいないでこっちに来たらー?」
鳥に襲われているようにしか見えないシエルを見て、よく飽きもせずにいられるものだとバートンは苦笑いしかできない。
そうやってしばらくシエルは戯れていたが、大きな波が船にうちつけると同時に鳥たちが一斉に甲板を飛びさる。
バートンは艦橋を後にしてシエルの元へ向かう。
だが、彼女の近くまで来たところで側にヘームルが控えていた。
「あ……」
思わず声を漏らして目を逸らす。
バートンの反応には気づかず、シエルがその手を取る。
「ねぇ、見て見て! イルカイルカ!」
興奮した声につられて海面に目を向けると、グレイゴーストのすぐそばに数頭のイルカが群れていた。
イルカたちは海面から顔を出したかと思えばグルグルと泳ぎ回っている。
「見ててね。面白いことが起きるから」
いたずらっぽい笑みを浮かべたシエルは手慣れた動作で指笛を鳴らす。
同時にイルカたちが一斉に潜り、しばらくして空高くジャンプした。
水しぶきをあげながら再び海中に消えるイルカをバートンは甲板から身を乗りだして追った。
「お前、イルカまで手懐けてんのか」
「前にこの海でケガした子を看病したら気に入られちゃって。それからたまにここに来てるの」
楽しげにイルカたちに指示を出すシエルを眺めるバートンだったが、すぐに表情を曇らせる。
原因は昨日のヘームルの一件のことだ。
自らシエルの兄であることを名乗ったへームルは自分の正体については彼女に黙っておくようにとバートンに念押ししてきた。
だが、本当に黙っていてもいいのだろうか。
死んだ両親や兄のことを口にしたシエルの家族を思う気持ちは本当だと思う。
なら彼女に兄が生きていることを伝えるべきではないのかという疑問が頭をよぎる。
しかし同時に不安もあった。
唯一の肉親である兄の姿がケーブルの繋がった脳みそだけだということを聞いてシエルはどう受け止めるだろうか。
いくら明るくポジティブなシエルもショックを受けることは容易に想像できる。
彼女を傷つけてまで言うべきことであろうか……。
真実を告げるか告げないか。
たったそれだけのことが頭の中をグルグルと巡っては帰ってくる。
幸いというべきか、へームルの方から話しかけては来ないことが唯一の救いだった。
「ねぇ、どうしたのバートン?」
我に帰ると、シエルが不思議そうな顔でこちらを覗きこんでいる。
「悪い。ちょっと一人にしてくれ」
その淀みのない真っ直ぐな瞳を直視できず、バートンは立ち去ろうとした。
しかしシエルはノコノコと後をついてくる。
「悩み事? 私でよければ聞くよ。ねぇってば」
「いや、いまはそういう気分じゃないんだ」
「そんなこと言わないでさ。ほら、全部話して楽になっちゃったら〜」
「やめろ、本当にお前の相手をしたくないんだ」
「とか言って聞いてほしいんでしょ? 本当素直じゃないん――」
「いい加減にしろってッ!」
思わず声を荒げてからハッとして振りかえった。
シエルは半端に腕を伸ばした状態で目をまん丸くして固まっていたが、やがてしゅんと視線を下げる。
「…………ごめん」
「いや、俺のほうこそ悪い……」
なんとなく気まずくて目を逸らす。
八つ当たりするつもりなどなかったのに。
重い沈黙が場を支配する。
耐えられなくなったバートンは苦虫を噛み潰したような表情で目についた反重力ボードを手に取ってグレイゴーストを離れた。
名前を呼ばれた気がしたが構いはしない。
いまはただ頭を冷やす時間が欲しかった。
誰もいない。ただひとりになれるところへ。
そうして気づけば海面はかなり遠ざかっており、グレイゴーストも見えなくなっていた。
ゆっくりとボードを進ませながらバートンは肩を落とす。
このままでいいはずがないのはわかっている。
でも、バートンには抱えた問題を伝える術が思い浮かばない。
そして悩みの矛先をシエルに向けて、あまつさえその場から逃げだした。
自分の情けなさが嫌になってうなだれていると、ふと眼下の海を一隻の船が航行しているのに気づく。
それ自体はなんてことはない。
だがバートンはその船に見覚えがあるような気がした。
どこかの浮島で出会った船だろうか。
そう考えてバートンはゆっくりとボードを降下させて船に近づいてみる。
だが船が掲げている旗を見て、バートンは息を飲んだ。
交差した骨の上の描かれた骸骨――海賊だった。
それを理解すると同時に銃声に炎に包まれる船、そして空での漂流。
すべてが脳内を駆け抜け、足がすくむ。
最大船速で航行している海賊船はバートンの悩みなど知ることもなくみるみる小さくなっている。
ふとその方角を見ると海賊船が向かう方向にはグレイゴーストが停泊していた。
行かなければ。
一瞬の逡巡ののち、バートンは海賊船の後追ってボードを引き返した。
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