雨の国〜晴れ待ち少女と旅の魔法使い〜
森川 蓮二
前編
あるところに小さな少女が暮らしていました。
少女の暮らしている国は、農作業で生計を立てる自給自足で成り立っていましたが、実はその国には近くの他の国とは違うある特徴があります。
それは年中ほとんど雨が止まないというものでした。
年間を通してその国は雨で、どんなに天気が良くても決して晴れ間が覗くことはありません。
そんな場所で暮らす少女は、家にいるときも学校で授業を受けている時も暇さえあれば空を見上げていました。
何故かといえば、晴れた空というものに憧れを抱いていたからです。
でも雨の降り続くこの国でその願いはかないません。
いつも空にあるのはどんよりとした雲で、物語に書かれるような澄み切った青はどこにもありませんでした。
空を見ることができない少女は、他の国から持ち込まれた本の中で語られる青い空や眩しい太陽を見上げた空に想像することでその気持ちを抑えていました。
しかしそんな気休めも長く続かず、少女はやがて雨の降り続くこの国を不満に思い始めていました。
ある日のことです。
少女は可愛いピンクの水玉の傘を差して国の外へと続く道を歩いていました。
傘に当たった雨がボボボッと音を立て、長靴でバシャバシャと濁った水たまりを踏みつけながら歩いていきます。
すると少女は、道から少し外れたところに生えている一本の木の下に見慣れないものを見つけました。
それは最初、少女の目には置物かなにかに見えました。
しかし、近づくにつれてそれがコートを頭から被った人であるとわかりました。
その隣にはまるでセットであるかのように一台のバイクが止まっています。
さらに近づいてみると木の下にいたのは若い旅人で、枝の間から落ちてくる滴を避けるために頭から茶色のコートを被っていました。
旅人はこちらに近づく少女の姿に気づいて、友人にでも会ったかのように片手を上げて挨拶をします。
「やぁ、こんにちは」
「こんにちは……」
「一人なのかい?」
少女は首肯しました。
「この先の国に住んでいるかい?」
重ねて旅人が質問してきたので少女は再び首肯します。
今度は少女が質問しました。
「ここで何してるの?」
「雨宿りさ。こんな雨じゃ、こいつを動かせないしね」
旅人は肩をすくめながら背後に鎮座するバイクの座席を軽く叩いて訊ねます。
「君の国に外の人が泊まれるような場所はあるかな?」
「……ある。私の家がそういうところ」
「本当かい? なら良かった。今日君のところに泊めさせてもらってもいいだろうか?」
その言葉に少女は心底驚きました。
雨ばかりで地面の状態の悪いこの国に、外から人が訪れることなどめったになかったからです。
旅人が国を訪れることを了解する意味で頷くと、少女は歩き出そうとします。
しかし旅人はその場を動こうとはしませんでした。
「どうしたの?」
「いや、雨が止むまで待っていようかなって」
「……知らないの?」
旅人は何のことかわからないとばかりに首を傾げます。
少女は再び驚きました。
どうやらこの旅人はこの国のことを何一つ知らないようです。
仕方ないとばかりに少女はこの国がどんなところであるかを短く、懇切丁寧に語りました。
旅人は少女の話を聞いて「なるほど」と一言漏らします。
「じゃあここでは雨はずっと降り続けるものなんだね」
「そう。ここの雨は止まないの。弱くなることはあっても止むことはないの」
「そうなのか。じゃあ仕方ないな」
そう言うと、旅人は被っていたコートを元に戻してバイクのセンタースタンドを降ろし、雨の中を歩き出しました。
少女はボボボッと雨が傘を叩く音を聞きながら、国への道を先導します。
しかし、途中から歩を緩めて旅人の後ろに回るとバイクの後ろを押し始めました。
「助けてあげる」
健気な行為に旅人は微笑みながら「ありがとう」と感謝の言葉を述べました。
―――――
すっかり濡れ鼠となって帰ってきた娘の姿を見て少女の両親は驚いていましたが、旅人が事情を説明すると大いに歓迎し、にこやかに部屋に入れてくれました。
旅人は少女の家に入る前にバイクを止める場所がないかを聞いて、少女の家の隣にある車庫へと運んでから家に入れさせてもらいます。
それから少女の家のシャワーを借り、豪華な夕食をごちそうしてもらい、そのお礼としていままで見てきた町や国の話をして食卓を大いに賑わせました。
明日国を案内してもらえるように手を回しておこうと少女の父親が言ったので、旅人はお礼の言葉を述べたあと「今日は疲れたので早く寝ます」と言って、自分に与えられた二階の貸し部屋へと階段を昇っていきます。
その背中を少女はじっと目で追っていました。
―――――
夜も更けてきた頃。
旅人のいる部屋の前で少女はぽつんと佇んでいました。
その足は扉の前を行ったり来たりしています。
しばらくそうして決心がついた少女がドアをノックしようとしたとき、旅人が中から顔を出しました。
「どうしたんだい、こんな時間に?」
旅人は特に驚いたような様子を見せず、優しげな声で少女に訊ねます。
少女の方は図ったかのように顔を出した旅人に目を丸くしましたが、一瞬言い淀んでから口に出しました。
「あの、旅人さんともっと話がしたいなって……」
そう言った少女を旅人はじっと見つめましたが、やがて口元をほころばせて紳士的な態度で扉を大きく開けてくれました。
「そういえば、まだお礼をしていなかったね」
部屋に招き入れるなり旅人は言いましたが、少女はお礼をされるようなことが思い当たらなかっため首を傾げます。
「ぼくをここまで案内してくれたお礼。実はぼくはね、魔法使いなんだ」
唐突に告げると、旅人はまっすぐに少女の目を見てさらにこう続けました。
「だから君の願いごとを一つだけ叶えてあげよう」
―――――
次の日。国民は朝から大騒ぎでした。
その視線の先には白く燦然と輝く太陽と、空をキャンバスに絵の具を塗りたくったような嘘のような青空が広がっています。
それは国の誰もが目にすることのなかった晴れの景色でした。
上を見上げ、初めて見る青空と太陽に皆が唖然としていましたが、やがてそれは困惑から歓喜へと変わり、やがて国中に伝播していきました。
「旅人さん、本当に魔法使いだったんだね」
その光景を自宅の二階にあるテラスから眺めながら、少女は向かいの席に座って紅茶をすすっている旅人に話しかけます。
本来なら今日旅人は、少女の父親に国を案内されるはずでしたが、突然空が晴れたことによってうやむやになってしまったのでした。
「まぁね。でも、あんまり大きなことは出来ないよ。基本はしがない旅人だからね」
旅人はそう言って肩をすくめると、少女のほうに目を向けます。
「本当にこれで良かったのかい? 君の願いは」
そう問われた少女はコクリと頷きました。
「うん、これでいいの。私は晴れが見たかったの」
少女は椅子の上に立って輝く太陽を眩しそうに目を細めながら手を伸ばします。
「いままで雨しか知らなかった。だから晴れた空が見たかったの。
だからなんでも願いを叶えてくれるって旅人さんが言ったときに迷わなかったの。
『この国に晴れをください』って」
はっきりと何の迷いもなく少女は言いました。
旅人はそれを見てしばらく黙っていましたが、やがて短く
「そっか」
と一言だけ漏らすと、また静かにカップの紅茶をすすり始めました。
「それにしても、今日は騒がしい一日になりそうだ」
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