【Third Season】第八章 PMC本社に挑め BGM#08“Laser Art.”《008》
8
夕暮れ、オレンジ色の輝きがキラキラと瞬いていた。
ミドリが天を仰いで、
「天気雨!? マネー(ゲーム)マスターってこんなのまであるの!?」
「リアル世界で起きる事なら何でも起きるよ」
言いながら、カナメはカナメでガレージからミントグリーンのクーペをレッカーで引っ張り出していた。何故車輪を使わないのかと言われれば、
「とりあえず図面通りに装着はしてみたが、やはりぶっつけ本番は怖いのう」
「練習時間なんかないし、ぶっつけ本番だからタカマサの予測から外れる事ができる。あいつの『#閃光.err』を見たろ。まともな道路に沿って地上を進んだって、密林公園まで繋がるルートは三六〇度全部タカマサに把握されているはずだからレーザービームで狙い撃ちだし、かと言って金に飽かせてステルス戦闘機なんか使ったって以下略だ。そもそも何もない大空なんて、高層階の外周通路をぐるぐる引きずり回されている『#閃光.err』の独壇場だよ」
「そりゃ分かるがの。飛ばした瞬間に横風一発でバランス崩して墜落、なんて事にならなければよいが」
ツェリカは激しめの天気雨も気にせず、くびれた腰に片手をやって自慢の愛車へ目をやっていた。
スキーブーツと板を連結するようだった。
ミントグリーンのクーペのシャーシ、その真下からはめ込むようにして、カスタムパーツが取り付けられていたのだ。だから、車輪は動かない。代わりに車体の四隅に大仰なプロペラがついていた。巨大なドローンというか、昔懐かしいレーシング仕様のオモチャの四駆みたいとでもいうべきか。
地上を走る訳にはいかない、大空を舞う訳にもいかない。
ならどうするか。
「空飛ぶ車。こいつを使って、低空飛行でビルの谷間をすり抜ける」
前後左右、基本的な操作は車と同じだが、上昇と下降だけハンドルに新しくボタンを取り付けて対応する必要があった。ドライブバイワイヤ、つまりハンドルやペダルの操作を電気信号に置き換える方式なので操縦関係の変換もそう難しい話ではない。
その場で浮かぶのは簡単だが、車のようにカーブするのではなく車体全体がその場で回る旋回になるのと、制動を掛けても路面の摩擦を使ったブレーキとはならない辺りに注意が必要だ。
「よっと」
隣では、やはり大型バイクに手を加えたミドリがシートにまたがったままおっかなびっくり車体を浮かばせていた。二輪の場合は前と後ろの二つしかプロペラがないため、車のカナメよりバランスを取るのが難しそうに見える。こちらは全身でバイクを倒して曲がる。
『カナメ>やっぱりこっちに乗った方が良いんじゃないか?』
『ミドリ>過保護過ぎ。ツーシータなんだからぎゅうぎゅうでしょ』
カナメは視線を助手席の方へ振った。
確かにそちらでは、ただでさえグラマラスなツェリカの上へさらにダークエルフのシンディが向かい合ってのしかかり、揉みくちゃになっていた。メガネが視線に気づいたようで、
「色々想像なさっていただいて構いませんよ?」
「むぎゅう!? 貴様、まさか物理的に下剋上でもしようとしておらんじゃろうな!」
マングローブ島から半島金融街までは、テスト飛行も兼ねて環状橋の真下を潜り、ずらりと並んだ橋げた相手にS字のスラロームを繰り返す事にした。道順を無視して海の上をショートカットもできるのだが、高いビルにあるコンテナ状のレーザー兵器がどこまで飛ぶか分からない以上、遮蔽物もない大空なんて無暗に飛び回るべきではない。
元々は、次世代の空飛ぶ車が普及した時、旧式扱いされてしまう従来の自動車を救済するためのカスタムパーツだった。昔々、地デジ化に間に合わなかったブラウン管テレビ用のチューナーみたいなものだ。しかしここまでの品になると、車好きとはいえツェリカ一人だけでは対応しきれなかっただろう。同じく、愛車のためならいつまでもガレージの籠っていられる系のシンディの協力は不可欠であった。
ハンドルを握って車の中に収まっているからか、あまり飛んでいるという感覚はない。操縦というより運転だ。ヘリや飛行機など、特別な乗り物を操っている感じはしなかった。強いてあげるなら、雲のようなふわふわしたものの上を車で走っているのに近い。
『ミドリ>オモチャの延長線上と思っていたけど、意外と速度出るわね。もう二〇〇超えてる』
『カナメ>やっぱり路面と接していないから、カーブとブレーキはかなり「滑る」ようだ。ミドリ、橋げたにぶつからないように注意』
『ミドリ>分かってる。けど色々試させてよ、こんなトコで激突していたらビルの谷間なんか潜れないでしょ』
『カナメ>ミドリ、横風!』
言っている傍から流されそうになっているツインテールの少女に、慌ててカナメはチャット越しにメッセージを飛ばした。
海の上の環状橋に沿って真下を潜り抜け、半島の港湾部まで到着するといよいよ本番だ。橋の下から飛び出して一気に高度を上げると、カナメのクーペとミドリの大型バイクは磨き上げられたビル群の谷間へ飛び込んでいく。
どこもかしこもオレンジ色に燃え上がるようだった。強化ガラスの壁はもちろん、そこらじゅうに降り注ぐ天気雨も宝石のような輝きを散らばらせる。
『カナメ>タカマサの待つ密林公園の端まで一〇キロ超。この速度なら目と鼻の先だ』
『ミドリ>ひゃー』
『ツェリカ>しっかしやっぱり金融街まで来るとレンズの数が違うのう』
『ミドリ>えっ、私達目立っちゃってる?』
『シンディ>あっはっはミドリ様のカワイイお尻がバズってるう☆』
『ミドリ>ああん!? 今どういう状況になってんのSNSはァ!?』
背の高いビルの群れに身を隠しつつ、道路の道筋を無視して背の低いビルは飛び越していく。しかしこれでも完璧ではない。いったん捕捉されたら最後、『#閃光.err』の威力があればビルごと貫いてカナメ達を蒸発させる事も可能だ。ネットで注目を集めてしまっているという事は、誰の目にも触れてしまう。当然、タカマサ本人にも。
つまり対応する必要がある。
カナメはこう尋ねた。
「シンディ、例のものは?」
「うふふ。今回は私大活躍ですね」
不気味に笑いながら、メガネのダークエルフは自分の柔らかい体と助手席のシートを使って覆い被さるようにツェリカをサンドイッチしていた。あのレースクイーンの悪魔が頭におっぱい乗せられてジタバタするとは珍しい事態だ。シンディは楽しげな顔でヘッドレストにしがみつきながら、何やらお絵描き用画板サイズのタブレット端末をいじくっている。
ゴッッッ!!!!!! と。
割とすぐ近くを、恐るべき閃光が一直線に突き抜けていった。
泡を食ったミドリが反射的に高度を下げようとするのを、カナメはメッセージを飛ばして制する。それでは背の低いビルの避雷針で真っ二つにされるだけだ。
しかしミドリが驚いたのはそこではないようで、
『ミドリ>何で今外したの!? 見られていたら一発って話だったのに!!』
メガネのシンディが大きなタブレットを軽く振り、カナメの方に投げキッスを飛ばしていた。どうやら成功らしい。
ヴィウ!! という電気シェーバーに似た羽音の正体は、カナメやミドリのマシンを浮かばせているプロペラとは別のものだ。
何か巨大な塊が、カナメ達の後ろから追い越していった。
『カナメ>東西南北全方位から例の密林公園目がけて、ランダムに一五〇〇機ほど無人のドローンを飛ばしている。見た目の上では、きちんと遮蔽物に隠れて命を惜しむようなコースでな。タカマサには最強の対空兵器「#閃光.err」がある。だけどヤツの処理能力を超える飽和攻撃を一斉に仕掛ければ、レーザー一本じゃ対応しきれなくなるはずだ』
『ミドリ>せんごひゃく……』
『カナメ>変換忘れているぞミドリ。あと、金が全てって訳じゃないけど、金があれば選択肢の幅が広がるってルールは前にも説明したはずだよな』
リアル世界で無線の飛行機やヘリの模型が一機一〇〇万円以上もしていた頃に比べれば、空撮用のドローンも随分安くなった。しかし軍用の長距離偵察モデル、車やバイクと見紛うサイズとなると流石に家電量販店のレジャーやオモチャコーナーでは手に入らない。どの道レーザーを浴びれば即撃墜なので素材強度などは気にしていないが、それでもスクーターくらいの値段はかかる。それの一五〇〇倍が、ざっと命綱に掛けられる値段となる。
「パビリオンのオークションで競り落としたから、実際にはかなり節約できたと教えてやればよかろうに」
「あら、オークションなのに節約なのですか?」
「建設関係の談合と一緒じゃよ。あらかじめ参加者全員に根回ししておけば、一切値は釣り上がらず最低価格のまま競り落とせる。あの性悪ドレス女、途中から気づいておったが疑惑だけではオークションを止められなかったようじゃの。涙目の膨れっ面で値段を確定させておったぞ」
これが最初から適正価格が設定されているフレイ(ア)の質屋で調達していたら、何倍も膨れ上がっていたはずだ。『こちらが絶対に必要な品』だとバレたら天井知らずになるだろうし。お金があれば選択肢は広がるが、安く買い叩く方法があるならそちらを頼るのは当然だ。
「旦那様、そろそろ郊外に出るぞ」
中心から離れるほどビルの高さは減じていく。つまり、タカマサの目を誤魔化すための遮蔽物が消えていく。当然、光の速度で進むレーザー兵器に対し、目で見て避けるのはほぼ不可能と考えるべきだ。
ないものねだりはしない。
利用できる遮蔽物がないのであれば、こちらから作るしかない。
『カナメ>ミドリ、地図の情報を共有するぞ。移動ルートはこっちに任せろ』
「シンディ、任せたぞ。ドローンを密集させろ!!」
ヴィウ!! という電気シェーバーのような羽音が一気に存在感を増した。
まるで砂嵐やスズメバチの大群だ。フロントガラスから真正面の景色が見えなくなるほどの、文字通りの密集。ガカッ!! ゴガッッッ!! とそれらを押し返すような格好で立て続けに凄まじい光の柱がすぐそこを突き抜けていく。飛んでくる、という感覚ではなくほとんど水平に走る落雷のようだ。瞬きした時には空間を焼いている。それでもかろうじて直撃は避けた。全てはシンディが操作している囮のドローンの群衆制御と、カナメ自身の獅子の嗅覚に従ったコース取りの組み合わせだ。
機械でできた雲を纏い。
光の弾幕に向かって、こちらから突っ込んでいく。
(飽和攻撃の応用だが、さて本物の『遺産』相手にどこまで通じるやら……)
『ミドリ>見えてきた!! あれよね、ジャングル!!』
この辺りに来るとビルは三階か四階くらいまでしかないので、ほとんど役に立たない。屋上ギリギリだと避雷針、テレビアンテナ、貯水タンクなどの障害物があるので、カナメ達はそのさらに少し上で高度を合わせていた。そして寂れた街並みの端が、すでに緑色の熱帯雨林に侵食されかかっているようだった。巨大なジャングルと動物園が共存している、超大型の密林公園。あの中心にそびえる高層ビルの中に、今や宿敵と化したタカマサは待っている。
「すみませんカナメ様、予期せぬ横風です!!」
『カナメ>ミドリ、ドローンの分布が限界だ。とにかく森に飛び込め!!』
「ツェリカ、『遺産』を寄越せ。それからハンドル任せた!!」
急ぐだけでは間に合わない。
だからカナメは土砂降りの中で運転席側のドアガラスを開け、大きく身を乗り出した。
肩で担ぐように構えているのは二つ折りの対物ライフル『#火線.err』。『遺産』の効果により射程距離は無限大であり、カナメの狙撃の腕と組み合わさった場合、直線的に射線が開けていればどのような相手でも確実に撃ち抜く事ができるようになる。
つまり。
レーザー兵器『#閃光.err』と、条件は五分……!!
ガカァッッッ!!!!!! と。
彼と我、双方から必殺の一撃が飛んだ。
対物ライフルの莫大な反動だけで、空中にあるミントグリーンのクーペがわずかに跳ねた。
オレンジ色の天気雨を切り裂くようにして、二種の攻撃が交差する。
高層外周のコンテナからのラスト一発、絶対の光学砲撃はカナメ達を狙わなかった。ジャングルの中央にそびえる高層ビルに向けて飛んでいった極太の徹甲焼夷弾を撃ち落とし、溶接じみた白い閃光と共に蒸発させてしまったのだ。
タカマサは、きっと気づいていた。
何より迎撃を優先しなければ、屋上のコンテナに一発撃ち込まれていたと。
「……、」
ともあれこれで、足りないラグは埋めた。
密林公園まで入れれば上出来。運転席に引っ込んだカナメはハンドブレーキの傍にあった別のレバーを掴むと、一気に引く。速度を殺さずに『空飛ぶ車』のカスタムパーツの太い金具を外して無理矢理分離すると、そのままの勢いで密林公園の遊歩道へ飛び込んだ。感覚的には川に石を投げて跳ねさせる水切り遊びに近い。
車内に身を引っ込め、カナメは目線でフロントガラスのキーボードを操作する。
『カナメ>ミドリは!?』
『ミドリ>無事だっつの。だから過保護過ぎ!! 私のお兄ちゃんか!?』
危なげなくミントグリーンのクーペの隣を併走する大型バイクがあった。とはいえ、彼女は剥き出しのままなのだ。ワイヤートラップを引き合いに出すまでもなく、辺りの茂みから真横に飛び出た木の枝一本と接触しただけで首や腕が取れてもおかしくない。
オレンジ色の天気雨の中、大量の水飛沫が飛び散る。
思ったよりも水はけは悪い。遊歩道はともかく、左右に広がる土の地面は半分くらい水没していた。順路沿い、所々に置いてある電子レンジやキャラメルのような四角い檻の中では、居心地が悪そうに猛獣達が一段高い遊び場に身を乗り上げていた。クレーンやトラックで檻ごと厩舎に戻してもらうのはまだまだ先になりそうだ。
場所によっては大きな流れまでできているようだ。南国の木々の中、泥水の中でタコライスや野菜ジュースなどのキッチンカーが何台かひっくり返っているのが見える。しかし観光客や従業員の姿はなかった。こうなる前に公園全体を封鎖したのだと信じたい。
「あと五キロほど、といったところかの」
「だがおそらく敷地内でタカマサは『#閃光.err』を使わない。外周通路のトレーラーから撃ち下ろすと地下のケーブルやビルを支える基部まで傷つけかねないからな」
「楽観的な予測じゃな、相手は『あの』タカマサじゃぞ」
「大丈夫、こちらも『この』カナメ様でございますよ?」
そして危難はレーザー兵器の『#閃光.err』だけとは言っていない。ここは巨大なレジャー施設であると同時にPMCの要塞でもあるのだ。そしてタカマサが過去にリリィキスカと手を結んでいたように、よそのディーラーの力を借りている可能性も低くない。
この局面で、できる事をやらない、などという選択はありえない。
クリミナルAOは、自分で思いつく全てを使って待ち構えているはずだ。
ギャリギャリギャリ!! という、カナメでもミドリでもない、全く別のタイヤの悲鳴があった。しかも一つではない。こちらを狙って木々の向こうを並行に走っているのか。
『カナメ>ミドリ、冥鬼の機嫌は?』
『ミドリ>今日は大丈夫よ、普通に出てきてくれるみたい』
「ツェリカ、シンディも。『遺産』の使い方は分かるな。サポート頼む」
褐色ダークエルフがツェリカに抱き着いたまま靴のカカトでダッシュボードの蓋を開け、ツェリカが短距離狙撃銃の『ショートスピア』をそっとカナメの膝に乗せた。
(……いよいよだ)
こうなる事なんて誰も予測していなかったし、望んでもいなかった。
だけど確かに、コールドゲーム同士の戦争が始まる。
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