【Second Season】終章《002》


「はあ、はあ……!!」


 少女の荒い息があった。


 どこをどう逃げてきたのかもう覚えていない。気がつけば盗んだ車も乗り捨てて、雑なコンクリートの壁に押し付けるようにして、ボロボロになった足を動かしていた。


 長身にライオンのような雰囲気を持つ少女だった。リアルの人間ではありえない猫目と退色した桜のような色合いの一本三つ編みに、ニットのタンクトップと際どいショートパンツ、さらに上から厚手のパーカーを羽織っている。ザウルス。かつては有力チーム『銀貨の狼Agウルブズ』に属していたディーラーのなれの果てであった。装備はほとんど素のままの衣服だけ。武器やスキルのついたアクセサリーなど、コレクター要素なんぞ気を配っている余裕はどこにもない。


 その手には、ありきたりな拳銃すらなかった。


 どこかで拾った防災斧。


 分厚い刃は血まみれになり、刃そのものもいくらか欠けている。


 ここは半島金融街からも離れた、娼婦島。


 マネー(ゲーム)マスターでも最も猥雑なエリアに、複数の足音が響く。


「良くやるな」


「……、」


 あちらこちらにいかにも特殊部隊といった感じの、いっそ映画や舞台の衣装っぽい黒一色の夜戦用軍服を着た男達が転がっていた。実は銃弾の貫通を阻止して衝撃を拡散・希釈化させる防弾系の装備だけでは、斧のような鈍い刃のフルスイングは凌ぎ切れない。力の加わり方が違うからだ。それでいてギリギリフォールしない範囲に傷を留め、自分でログアウトもできないまま延々と苦痛の時間を引き延ばしているのがポイントだ。具体的には手足なり肋骨なり、こういう時は骨が効く。


 ザウルス。


 銃撃戦、カーチェイス、仕手戦。何にしてもこの凶暴性こそが、彼女の名の由来だ。元来ゼロ距離、互いの銃身を手で掴める至近まで肉薄しての格闘を得意とするザウルスにとって、銃は絶対に必要なアイテムではない。ナイフでなければ戦えないという訳ではなく、たとえ長距離用の対物ライフルを持っていても構わず前へ出る。そういうディーラーだ。


 しかしそんな怪物を前にしても。


 その男は、真正面から歩いてきた。遮蔽物など気にしていない。度重なる戦闘で少女の手の内は全て暴かれてしまったのだ。銃を隠し持っている様子はなさそうだ、と。


 さしものザウルスも、呼吸量を調整する事で見た目の体力上限を底上げする『フィジカルスタミナ』などのスキルがなければ限界は来る。今すぐ手の届かない距離で銃を構えていれば問題ないと、そう判断された。


「フォールして無手、武器もスキルもろくなものじゃない状況だっていうのに、そこらに転がっているものを組み合わせてここまでやるとはな。だがそろそろ幕引きにしよう」


「マリエッタフラッパー……ソロバン勘定もできねえ殺し屋風情が……」


「依頼人のパビリオンからメッセージを受け取っているよ。生き恥で下拵えをしてから処刑しろ、だそうだ。そして良い所に逃げ込んだ。娼婦島だ。我々もあっちこっちで負債を膨らませてしまったからな。ここは悪趣味の見本市だ、どの店に放り込んでほしい? 何にしてもお前の手で赤字を埋め合わせてもらおう」


 銃でもナイフでもなく、斧を取ったのは間違いだったとザウルスは舌打ちした。これだと自殺には使えない。そして自分の車の運転席で五分以上待機シークエンスを消化するかフォールしない限り、マネー(ゲーム)マスターから離脱する事はできない。どれだけ本人の意思を無視して悲惨な状況に陥ろうともだ。


「抵抗するか? 構わんよ。ここは変態だらけだからな。本当に奥の奥まで行けば、手足が折れているくらいで買い取り拒否されるような事にもならない。多少値は落ちるだろうが、その分は数をこなして埋め合わせてくれ」


 直後。


 本当にその直後だった。




 ドタンッ!! と。


 真横から、マリエッタフラッパーの男の側頭部を撃ち抜く弾丸が飛来したのだ。




 それはオモチャのように小さなサブマシンガンだった。


 飛距離も命中精度もなく、とりあえず敵を追い立てるのに乱射する誘導用。


 しかし。


 しかしその猫背の少年は、実際に間に合った。


 マネー(ゲーム)マスターにどれだけのディーラーがひしめいていようが、現実に駆けつけられたのはMスコープだけだった。


「ザウルス、これを!!」


 余計な事を考える暇はなかった。


 空中でくるんと回るポンプアクションのショットガンを手に取った一本三つ編みの少女は今まで散々馬鹿にしてきたMスコープと背中を合わせ、そして混乱から回復するより早くこちらを囲むマリエッタフラッパーの残党達を射殺していく。


 彼女の好みに合わせたスラッグ弾だった。


 一粒の巨大な弾丸は、マグナム拳銃以上の破壊力で防弾板や吸収材に包まれた黒い夜戦用軍服の胴体を丸ごと食い千切る。元の硬さに加えて防弾スキルも上乗せしているようだが、四五口径の拳銃弾を確実に防ぐ程度の『バレットプルーフ』ではスラッグ弾は抑え込めない。ウワサに聞くマザールーズのような重ね掛けの権化でもない限り、防御スキルも万能ではないのだ。


「てめっ!!」


 所詮は遮蔽物のない開けた場所だ。射撃の腕の良し悪しに関わらず、犠牲を覚悟で乱射すれば処刑はできると考えたのだろう。構わずカービン銃を構えるマリエッタの殺し屋達だったが、


「銀魅、アタックです。殺せ!!」


 どんっ!! という鈍い音があった。


 横合いから全速力で突っ込んできた痛車仕様のSUV四駆が刺客を踏み潰した音だった。


 Mスコープは元々『待ち』の達人。


 得意とするのは爆弾やトラップ。


 自分自身は威力の低いサブマシンガンで適当に弾をばら撒くだけなのも、つまりそういう事だ。キャラクターグッズで埋もれた猫背の少年にとって、鉛弾は離れた場所にあるスイッチを押すためのダンジョン攻略ツールでしかない。鉛弾である程度のダメージを与えた上で、確実に轢ける位置へ激昂した標的を誘い出すところまで含めての銃撃戦なのだ。


 SUV。


 Mスコープの愛車はボンネットが出っ張った4ドアだからか、全体的にはファミリー向けのセダンとワゴンを足して二で割ってオフロード仕様へ整え直したようなフォルムだ。後から足したバンパーの角度を調整できるのは、もちろん敵の車を大きく外へ吹き飛ばすか人間を車体の下に引きずり込むかでモードを変えるためだ。主人の眼前で急ブレーキをかけたSUVをそのまま盾にして、ボンネットの真横へ潜り込んだMスコープは残りの害虫駆除業者を始末していく。


 しばし、ザウルスは少年の背中を目で追い駆けていた。


 大きなリュックを背負ったその後ろ姿は、これまでとは何かが違った。


「あなたのマギステルスはどうしました? マシンは!?」


「……えっ、あ……。く、車は何台か乗り換えたけど、全部どこかで燃えてる。シャルロットは来た道引き返せば倒れているのを見つけられるはずだ。私には助けてやれなかった」


「分かりましたよ。まずはあなたのマギステルスを拾って新しい車を買い直すところから始めましょう。銀魅、運転代わってください。ザウルスも乗って、早く!!」


 Mスコープは運転席、ザウルスは助手席、雪女はドアを開けてグッズを詰めた箱だらけの後部座席へ。満身創痍で疲労困憊なせいもあるだろうが、こうまで素直に従っている事実に、ザウルスは自分で驚いていた。


 痛車仕様のSUV四駆をぐるりと回し、しつこく残っていた殺し屋を回し蹴りのような格好で車体側面を叩き込んで轢き殺してから、Mスコープの操るマシンはザウルスの辿ってきた道を引き返していく。


 猫背の少年は痛車仕様の表示を気にしているようで、


「うう、ぼくの嫁がへこむほどキスさせてしまうだなんて……」


「?」


 人狼型のマギステルスはすぐに見つかった。露出の多い、V字の水着にも似た挑戦的なコスチュームだったからか、傷口についてもより強調されていた。急所を撃ち抜かれ、道端で倒れた石像みたいに固まっていたのだ。顔をくしゃっと歪めるザウルスにはMスコープは声を掛けず、アニメにゲーム、データアイドルなどのグッズまみれとなった後部座席の相棒へ声を投げる。


「銀魅、お願いします」


「……この小っこい冷蔵庫のミニバーを待っていた。完璧環境を整えた車から蒸し暑い外に出るのは……」


「風邪の時の保冷剤三つで手を打ちましょう。おでこに貼るヤツ」


 パッと顔を輝かせる雪女と一緒に陰気な少年は車から降りて、傷ついて『固まった』マギステルスを後部座席へ詰め込んでいく。作業自体は単純だが、どこに伏兵が潜んでいるか分からない状況で車の外に出る事自体が命懸けだったはずだ。


 運転席に戻りながら彼は的確に言った。


「首や胴体が千切れている訳じゃありません。お腹の弾もきちんと抜けてる。あの程度なら三〇分くらいでダウン状態から回復するでしょう」


「そうかよ……」


 こういう時、常に勝ち気で人を足蹴にしてきた凶暴なザウルスは、ストレートに感謝の言葉を口に出せない。


 Mスコープの方は気にする素振りすら見せなかった。


 今の一戦だって、自分の命と人生をなげうつような決断だったのに、だ。


 ずっとずっと遠くへ行ってしまった少年は、ハンドルを弄びながら男の横顔を見せて呟いた。


「ザウルス。あんな事があった後で申し訳ないんですけど……」


「何だよ?」


「えと、その、なんて言ったら良いのか。ああもう、切り出し方が難しいな。くそっ、学園モノとか異世界転生とかだと初っ端からみんな好き好きモードだし」


「言えよ! あれだけでっかい借りを作っているんだ。私にも何かさせてくれ!!」


「良いんですか?」


「ああ」


 息を吸って、吐いた。


 猫背の少年は無理して背筋を伸ばすと、決死の覚悟で言い放った。




「ザウルス!! ぼくと付き合ってくだひゃい!!」




 そして反射的に一本三つ編みの少女の拳が飛んでSUV四駆は蛇行し、道端の街灯に激突して動きを止めた。


 真っ赤な蒸気機関みたいになったザウルスは、助手席からそれこそ噛み付くように叫ぶ。


「てっ、てててててテメェふざけてんのかこんな最悪の状況で……!!」


「だってこうしないと、『銀貨の狼Agウルブズ』のみんなを助ける方法が流れてしまうんですよ! チタンとか、ハザードとか!! 彼らが今どうなっているかザウルスだって気になりませんか!?」


「順番に話せ」


 鼻から息を吐いたザウルスに問い質され、しどろもどろになりながらMスコープは事の顛末の説明に入った。『財宝ヤドカリ』の長、フレイ(ア)との契約条件についてもだ。




 この広い世界で意中の人を見つけ、告白しろ。


 成功しても良いし、今回に限っては失敗しても構わない。


 本物の駆け引きを体感しろ。




 チッ、という露骨な舌打ちがあった。


「……よそのチームの後ろ盾を手に入れるため、か」


「すみません」


「何で謝るんだよ。テメェの言う通りだ、私だって他の連中がどうなったか心配だったし。あん? そういやまとめ役のリリィキスカはどうした」


「……、とりあえず無事ですよ」


 ザウルスは自分で認めるほどがさつな少女だが、Mスコープの返答にわずかな間があった事と、猫背の少年が淡く笑った事に気づかないほどではない。


 彼女は一本三つ編みの頭をがしがし掻いて、


「わぁーったよ。詳しい話は聞かないでおいてやる。人の人生はそれぞれだ、チームってのは協力し合うもんであって、縛り付けるようなもんじゃねえ」


「今のぼくは縛る側かもしれません。それでも手を貸してくれますか?」


「フレイ(ア)とかいう変態野郎の話なら私も耳にした事がある。そいつを騙し切れたら丸く収まるんだろ。チタンやハザード達を助けるためだ、恋人モードの演技くらい付き合ってやる」


 そこまで言うと、ザウルスは助手席のシートに背中を預けた。


 疲れが溜まっているのかもしれない。当人が思っているよりも。


 SUV四駆は本気のワンボックスやキャンピングカーに比べるとやや手狭だが、それでも一般的なセダンよりは大分大きな空間を確保している。


「シートを倒して、寝てしまっても構いませんよ。とりあえず半島の適当なカーショップまで送りますね。マリエッタフラッパーの連中が張っているかもしれませんので、選択肢の幅は広げておきたい。中古でも構いませんか?」


「ああ……。こっちは借金まみれで世話になる身だ、金については自力で稼げるようになってから返す。ログイン・ログアウトの作業ができれば今は何でも構わねえよ」


「こっちは一足先に銀魅の金融取引を軌道に乗せていますから、もうすぐ億単位の仮想通貨スノウが定期で転がり込んできますけど」


「そういやお前、そんなナリしてアパレル系に強いんだっけか」


「本来は女の子に着せるコスプレ方面ですけどね……。サイトに公開されている型紙データや色見本から所属デザイナーのセンスや企業全体のコンセプトをジャッジして、次に流行を捉える会社を予測すれば良い。こんなの秒もかかりません」


「でもってだからどうした。こいつはケジメだよ、借りてるもんは利子つけて全部返す」


 痛車仕様のSUVが再び動き出した。


 四駆の心地良い揺れに身を任せながら、ふとザウルスがこう尋ねてきた。


「だけどどうして私なんだ? その、女らしいディーラーなら他にもいるだろ」


「一体どこに? ぼくは皆さんと違って社交性はありませんから。『銀貨の狼Agウルブズ』以外の知り合いなんて、バーチャルにもリアルにもいませんよ。まして女の人なんて。データアイドルもマギステルスもダメとなると、リリィキスカと、ザウルスと、ええと他には……」


「へっ。妥当な選択って訳か」


 ハンドルを操りながら、Mスコープはシンプルに答える。


「はい。そもそも意中の人と言われても、頭に浮かぶのはあなたしかいませんし」


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 返事はなかった。


 凶暴な少女の顔がくまなく真っ赤に茹で上がっている。


「あの、ザウルス?」


「うるせえよ馬鹿!! コミュ障にも程度ってもんがあるだろ。どうして、そのっ、そういう事をしれっと口に出しちまうんだ根暗野郎!!!!!!」






「お、おおおおおお。おおおおおおおおおおお……。な、なんか引きずられておる。オレンジ色の火花がバリバリ出ておる……」


「あれタイヤ残ってるの? お腹で直接路面を擦ってない?」


「きいーっ!!」


 やたらと長い黒塗りのリムジンをレッカー車代わりにして表通りを爆走。後部のウィンチでミントグリーンのクーペを引きずり回している。意地でも潰れた助手席に潜り込むレースクイーン衣装の悪魔や赤い紅葉柄の大型バイクでついてくる黒ゴス調のフリルビキニにミニスカートのミドリ達と一緒に、そのまま馴染みのガレージへ突っ込んだ。高級車と言ってもレーシングよりセレブリティー向けの店舗ではあったが、金さえ積めばどんなニーズにも応えてくれるだろう。スマッシュドーターとかいう有名な暴力ディーラーを用心棒として雇っているので、滅多な事がない限り弱っているところを狙うハイエナディーラー達に狙われる心配もない。


「それはそうと、カナメ様はどちらにいらっしゃるのでしょう?」


「……おい不健康なお色気担当ダークエルフ。まさかと思うが復活早々わらわの旦那様に惚れ込んだとかカミングアウトするつもりじゃなかろうな?」


「むしろ今回はブラッディダンサーの魔の手からカナメ様を庇って撃たれているため、扱い的にはクリミナルAO様と同等です。はあ、はあ。……つまりこれから私は英雄としてカナメ様に担がれる訳ですね。今までは下から見上げてお慕いしておりましたが、たまには女王様というのも悪くありません……」


「今回に限ってはわらわも冥鬼も普通に撃たれとるわばかもん!!」


「ど、どうしよう。私だけ撃たれてない……」


「ミドリもショック受けてんじゃねえよ!! そもそもこれみよがしに自分の傷を見せびらかすシンディが英雄なんぞになれる訳なかろうが!!」


 ほとんど潰れた鉄くずと化したミントグリーンのクーペに少女達が集中している隙に、リリィキスカはそっと息を吐く。ウェイトレス服のサスペンダーのように胸を絞るホルスターのせいで、ちょっと苦しい。それでも気分を落ち着けると、彼女は停車したリムジンから離れた。


 肩にかかった長い髪を片手で払い、暗がりで呼びかける。


「ソフィア、待機解除」


「あいさー。キスカ様、お久しぶりです。何があったんですか?」


「ひとまず、クリミナルAOに義理立てする必要はなくなったみたいだからね」


「はあ」


「保護ロックしたメールを開いてもらえる?」


 はいっ、という元気な声と共に、カジノのディーラー衣装に似たベストに様々な文字が躍る。


 メーラーと連動した彼女の衣装にはこうあった。




『リリィキスカ=スイートメア様。




 検索に手間取りましたが、このたび、あなた様がゾディアックチャイルドの一つ「蠍の執着」である事が判明いたしました。


 つきましてはこちらで指定するユニコーン総合病院で精密検査を受けていただいたのち、我々「総意」側と共に行動する事をご提案いたします。


 あくまでも判断はあなた様の自由意思に委ねますが、選択によっては不利益が発生する可能性も考慮してください。


 我々は、あなた様を非常に高く評価しております。


 敵に回して成長を待つくらいなら早い段階での排除も辞さない、という意味においても。


 自覚的にコントロールできなかった事で、かえってあなたの真価がクリミナルAOに露見していなかったのは幸いでした。




 吉報を期待しております。


 マギステルス、その総意より』




「……、」


 おでことメガネのリリィキスカはそっと息を吐いた。


 不穏な空気は嗅ぎ取っていた。


 あの勝負の行方がどうあれ、ただ黙って従っているだけでは追い着けない。やはり伝説、コールドゲームの英雄達に喰らいついていくためには、後を追うだけではダメだ。どこかで山を張って、先回りをしないと届かない。


 たとえ、それが悪魔からの誘惑であったとしても。


 人智を超えた悪魔のゲーム。そのバグやエラーの領域へ直接踏み込め。


「ソフィア」


「あいさー」


「私はこれから病院に向かうわ。どっちみち、この肩も何とかしたいしね。あなたは頃合いを見計らって適当にリムジンを転がして。ガレージにいる子達の注意を引いてちょうだい」


「了解しました」


 優しく、好感が持てて、それでいて機械的な音声だった。


 さて、どうだろう。


 カナメやタカマサ、そしてブラッディダンサー。


 彼ら伝説級のディーラー達の接し方は見てきた。ではリリィキスカはどう考えて、マギステルスとの距離感を決めているのだろう。そしてその生き方は、自分の命や人生まで預けられるほど完成しているのか。


「どうしました?」


「いえ」


(それでも、一歩)


 ゆっくりと息を吐く。


 まだまだ目標とする人物の背中は遠いらしい。


(この一歩から……)


「行ってくるわ、ソフィア」


「あいさー、キスカ様」


 そして最後に。


 ここだけ妙に滑らかな、大人びた言葉が出てきた。







 常夏市・半島金融街の中心地。


 博物館の形で偽装されていた『遺産』の保管施設から、ふらりと出てくる影があった。


 右手にぶら下げたのは短距離狙撃銃『ショートスピア』。


 蘇芳カナメだった。


「はあ、ふう……」


 生き残ったにしては、その息は荒い。とても勝ち残ったとは言えない状況でもなかった。とはいえ、あれだけの状況であれば逃げ延びただけでも十分に僥倖と言えるだろう。


 企業本社や発電所などを守るPMC相手の乱戦なんて、カナメ級のディーラーでも歓迎すべき状況ではない。逃げ場を失えばそこでフォールしていた可能性は十分にある。


 一発もらえばそこでおしまいだった。


 直前のブラッディダンサー戦で何発も弾を喰らっていたのも大きい。


「ぐっ」


 広い道路を挟んで、向かいのビルへ。


 ほとんどスクラップ同然のミントグリーンのクーペはツェリカに預けてしまった。瀕死の状態で、移動力と装甲の象徴であるマシンに頼れないというのは想像以上に緊張させてくれる。


 カナメは歩道からその外壁へ静かに寄りかかる。


 鎮痛効果のあるスキル『レデュースペイン』に頼っていたら、逆に緊張の糸が緩んで意識が落ちていたかもしれない。今は痛みも必要な時だった。


 AI制御のPMC達が『施設の中しか守らない』よう設定されていたのはせめてもの救いだった。愛車が手元になく、徒歩での移動も難しいこの重傷では囲まれてしまったらおしまいだ。


 そう。


 元のパラメータが底上げされている上、倒しても倒しても無尽蔵に増援がやってくるPMC戦では、真正面から撃ち合いをしても仕方がない。できるだけ早く警戒範囲から抜け出して、無事に逃げ切った時点で勝利とみなして問題ないはずなのだ。


 それなのに。


(想像以上だ……)


 未だに中から銃声が聞こえる。


 火蓋が切って落とされた瞬間、カナメは重たい体を引きずって迷わず外を目指した。だがタカマサは違う。『遺産』に頼っているとはいえ、彼は自ら望んで奥へ向かったのだ。


 いくら増援が来ても構わない。


 むしろ殺せば殺すほどスコアの差が開いていく。


 そこまでやっても、タカマサにとって得する事は何もない。


 蘇芳カナメに現実を見せつける。あるいは率先して安全に彼を逃がす。


 それだけのために。


「……銃撃戦は苦手じゃなかったのかよ、タカマサ」


 いいや、実際には違う。あれはカナメやブラッディダンサーのような、撃ち合いを制して殺すためのアクションではない。


 むしろレスキュー、仲間を庇ってしんがりを務めるための技術だ。


 どんなに奇麗ごとを言ったって、マネー(ゲーム)マスターは撃ち合いで同じディーラーを殺すゲームだ。だというのにあいつはたった一人だけ人を助けるために腕を磨いて戦っていた。


 ゲームの種類、見ている世界が違い過ぎる。


 気づくべきだった。


 あいつは昔からそういうヤツだった。他のディーラーと戦うなんて言われたら足が震えて動けなくなるかもしれない。だけどカナメの妹を庇う時は、迷わず射線に飛び込んでいった。


 だから。


 自分の妹を守れなかった少年にはまだ、あの時の差を埋める事ができない。


(軍隊と消防は、建物の扉や壁を破壊して中へ踏み込むにしてもロジックが全く違う、か。してやられたな。道理で全く動きを先読みできなかった訳だ……)


 実際のスコアの比率は、おそらく一対五〇以上。


 最新鋭のステルス戦闘機のデモンストレーションを見せつけられるような、圧倒的な戦力差。


 今のカナメとタカマサは、そこまで開いてしまっている。


 そして最も恐ろしいのは、これだけの実力を隠しておきながら『銃撃戦は得意じゃない』と笑って言い切ったタカマサの心か。


 そもそもカナメは無尽蔵に湧くPMCの真正面に立とうなんて考えない。ブラッディダンサー戦で深手を負っているから、ではない。万全の状態でも絶対に避ける。何しろこっちは一発当たっただけで人生全部失い借金地獄に陥るのだ。倒しても倒しても終わりの見えない戦いで、しかも挑んでもこちらは何も得られない。リスクとリターンのバランスが完全に崩壊している。


 ドンッッッ!! という恐るべき音があった。


 カナメが背後を振り返る前に、猛烈な粉塵に呑み込まれる。おそらく博物館に偽装した保管施設が内側から破壊されたのだろう。どこの誰が、などと問うまでもない。


 爆発的に膨張する粉塵の山を無理矢理吹き散らすように、巨大なプロペラを二つ携えた金属の塊がゆっくりと降りてきた。小型の輸送機に匹敵する積載量を誇る、軍用のティルトローター機だった。金さえあれば大抵の事はできてしまうマネー(ゲーム)マスターとはいえ、かなりの大盤振る舞いだ。


 これで『遺産』は彼のもの。


 おそらく機内に積んでいたフォークリフトやホイールローダーでも使って、それこそ短時間でごっそりと回収していった事だろう。


 飛び立つティルトローター機の行方は、果たしてマギステルス達の『総意』すら掴めるのか。血まみれで壁に寄りかかるカナメにできるのは、ゆっくりと視線で見送るくらいだ。


「冗談じゃないぞ、まったく……」


 がさりという音が懐で響いた。


 丸めた紙が擦れるような音。逃げる途中で『これ』を掴んだのが、せめてもの救いか。


 月を見上げて、認めるしかなかった。


 やり方を変える必要がある。


 クリミナルAOは、銃を突き付けた程度では止まってくれそうにない。『遺産』に頼っているとはいえ、現実にタカマサはPMCのひしめく保管施設を力業で制圧していった。やっている事は最低でもブラッディダンサーと同じラインは確定で、おそらくはそれ以上。しかもタカマサはT字サブマシンガンの『#導火.err』しか使えないという訳ではない。次会った時には別の『遺産』を掴み、全く異なる戦い方をしてくるかもしれない。


 しかし一方で、蘇芳カナメは知っている。


 タカマサにはタカマサの理由がある。だけど彼は、簡単にそれを口から出さないと。


「……本当の人助けは、わざわざ見せびらかすようなものじゃない、か」


 何かある。


 カナメがまだ掴んでもいない、切迫した何かが。


 だけどそれ以前の話として、カナメにも譲れない理由があった。ツェリカも、妹も、ミドリも、大切な人達の涙を見てきたのだ。もうあんな真似は許さない、絶対に。


 それに何より。


 安定的に仮想通貨スノウを稼ぐだけの『殺す』ディーラーでは、タカマサを救ってやれない。






 一方で、だ。


(事が『魔法』絡みとなると人間のディーラーを誰彼構わず雇い入れる訳にはいかないし、マギステルスに頼るなんて言語道断だったけど……意外と何とかなるもんだ、スマホの自動操縦。法律の壁さえなければ仕組み自体は宅配ドローンと一緒か)


 大都市の真ん中にティルトローター機を呼びつけたタカマサ自身は、ずんぐりした貨物室を占有する大量の『終の魔法オーバートリック』には興味も持っていないようだった。機内に積んでいたフォークリフトやホイールローダーを使って大雑把に運び込んだ宝の山だったが、そもそも一つ一つ自分でカスタムしたのだ。今さら目を輝かせて飛びつくような新鮮味はない。


 彼にとっての興味は小さくなっていく下界にあるようだった。


 より正確には、現場近くに残してしまった一人の少年。


「……『#導火.err』か」


 思わず笑ってしまった。


終の魔法オーバートリック』は確かに強大だ。タカマサの『#導火.err』の場合、タンク、配管、ガスボンベ、車両、手榴弾、マガジン、スマホのバッテリーまで、引火・破裂するものであればどんな品でも一発当てるだけで爆発させられるT字のサブマシンガン。この場合、外殻の厚みや保護機構は無視して良い。ある意味で撃ち合いゲームの花形とも言える爆破アクションの権化。しかしタカマサが頼りにしているのは、カナメやブラッディダンサーのような殺しの撃ち合いではなかった。そういう方向には才能が伸びない事は百も承知である。


 よって、正反対。


 彼は現場で侵入路を構築したり入り組んだ屋内で的確に人を捜す方法に際して、レスキューのロジックを拝借した。


 人を殺すためだと足がすくんでも、人を助けるためならいくらでも踏み込める。


 それがクリミナルAO、タカマサの本質である。


 かつて古き友の妹を庇った時も、そうだったように。


 あるいは今現在。自分のフォールのせいで負わせた借金の中で苦しみ、AI企業に縛られた、同じ血を引く霹靂ミドリについても。


 彼は変わらない。


 ただ、取り得る方法の幅が広がっただけだ。


「……、」


 常夏市は撃てば爆発する『危険物』がゴロゴロ転がっているし、AI制御のPMC達の性質もある。彼らは基本的に味方の同士討ちは避けるし、マップデータに従って戦術を構築する。頻繁に壁を爆破して図面にない新たな道を作り、死なない程度の打撃を与えてPMC兵を通路に転がしておくと『目の前にある最短ルートを無視して、わざわざぐるりと遠回りしてくる』といった思考のエラーが発生するケースがあるのだ。


 そう、バグやエラー。


 マネー(ゲーム)マスターの中では、あってはならない事。


(……だけどこんな小手先じゃ、カナメの腕には届かない)


 一つの場所で大量のPMCを一掃した事で、カナメはこちらをブラッディダンサーと同レベルの射撃の腕を持っていると考えているかもしれない。ところが実際にはそうではない。『終の魔法オーバートリック』は、そこに一丁あるだけでバトルのルールを変えてしまう、というだけだ。ルールを知り、バトルについてこられる場合は話が変わってくる。


 少なくとも、『#導火.err』ではカナメを倒せない。


 なら、具体的にどんな『終の魔法オーバートリック』ならあの怪物を仕留められる?


 結局のところ、タカマサは本気の戦いをしていない。ブラッディダンサーにしても大量のPMCにしても、相手の知らないルールを使って右往左往したところに鉛弾を叩き込んだだけだ。


 だけどカナメは違う。


 相手が十分に戦える状況であってもタカマサの背後にいた精鋭PMCを三人同時に撃ち抜く。ただ乱射して派手な爆破で倒すだけでなく、ミドリやタカマサなど守るべき者を同じ盤に同居させた上で、苛烈かつ精密に戦場を渡り歩く。最初の交差でもタカマサは爆発物を利用して面の爆風で二人仕留めたが、カナメは点の狙撃だけで三人仕留めた。いいや、彼が本気になれば倍の数でもやってのける。


 単純な撃破スコアだけでは測れない。


 実際、ブラッディダンサーの最期では、タカマサの引き金は間に合わなかった。形だけは銃口を跳ね上げたが、きちんと撃てたのはカナメだけだった。




『#導火.err』さえあれば、タカマサと同じ事は誰でもできる。


 だけど『ショートスピア』を渡されても、タカマサにカナメと同じ事はできない。




「……まだまだ遠いな」


終の魔法オーバートリック』は基本的に裏をかく。


 だからこそ真正面から強い少年は、どこまでも眩しい。


 都市型狙撃と極至近での閉所戦闘を同時にこなす、集中力と瞬発力を兼ね備えた傑物。そこにゾディアックチャイルドの一つ『獅子の嗅覚』まで上乗せしてくる。その稀少性については理解していた。いや、そのつもりだった。


 がさりという音があった。


 博物館に偽装した保管施設では、『終の魔法オーバートリック』の他にも集めていたものがあった。部分的なコピーやボイスレコーダーの音声記録など、『リスト』の断片とも言える資料。タカマサからすれば、当然全て頭に入っているのでこちらについては必要ない。むしろ抹消してしまった方が他のディーラーに対して有利となる品でしかない。


 それでも敢えて、確認の意味を込めて一通り回収してみた理由は一つ。


。誰かが持ち去った……)


 元々、あれは形にする必要のなかったものだ。


 タカマサ本人であれば、手書きで暗号文をルーズリーフに書き殴れるのだから、変換の手順は全て頭の中に叩き込んである。にも拘わらず乱数表を資料として残してしまったのは、彼の心の弱さに起因するものでしかない。


 絶対に秘密にしなければならない。


 そう分かっていても、本当に信頼できる誰かとは秘密を共有したい。そんな可能性くらいは残しておきたい。


 そういった、己の弱さを振り切れなくて。


「参ったね。……カナメ以外にいるものか。あの怪我で、あの乱戦で、本当に良くやるよ」


 ここで足踏みしてくれれば、それで済んだ話だった。


 だけど、そんな都合良くは進まない。


『獅子の嗅覚』はゾディアックチャイルドの一角。いち早く危難を察知する力だが、それは恐怖から逃げるためのものではない。常に倒すべき敵を正確に捕捉してくるのだ。


 親友の少年には、タカマサの胸にあるような弱さはない。


 かつてあった、伝説的なチームの直接戦闘担当。コールドゲームの死神とまで呼ばれた狙撃とカーチェイスの達人。必要であれば、彼は目的のために突き進む。自らの手で銃を構え、その人生を奪うと分かっていながら引き金を引いてでも。


 彼は余計な言い訳なんかしない。


 それで身近な誰かの涙を拭えるなら、ありふれた笑顔を守れるのであれば。


 最強のディーラー、蘇芳カナメは止まらない。


 絶対に。






































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