【Second Season】終章《001》


 死屍累々だった。


 傷を負わずに済んだのは、せいぜい霹靂ミドリくらいのものか。


 マギステルスのツェリカや冥鬼はもちろん、カナメやタカマサといった伝説級のディーラーさえ流血にまみれている。これが全て、ブラッディダンサーという一人の男によってもたらされた傷だった。それも、思う存分撃ち合いゲームを楽しみたいという理由だけでだ。


「痛っつ……。だ、旦那様。いい加減に衣替えしてスキルを付け直しても良いのではないかえ? 痛みを半減させる『レデュースペイン』とか出血量を抑える『ブラッドダウン』とか色々あるじゃろ」


「まだだ」


「マギステルスはディーラーとスキルを共有しているって事を忘れてんのか!? わらわ無用な痛みで悶えている真っ最中じゃぞ!!」


 と、そこまでわーっと叫んだツェリカは、小さな子供のように唇を尖らせた。


 大きな胸の前で彼女は右と左の人差し指をつんつんくっつけながら、


「……旦那様とて同じように撃たれておるのじゃろう? わらわ達マギステルスは最悪このまま死んでも『ダウン』して奇麗サッパリ復活するだけじゃが、ディーラーはそうではない。そのまま死んでフォールしてしまうのじゃぞ」


「大丈夫だよ、ツェリカ。消えてなくなったりしないさ」


 ツェリカがどこか弱気なのは、風邪の時にしおらしくなる特有の心境か。あるいは一度は容赦なくフォールしたタカマサを前にしているからかもしれない。


「よし」


 そのタカマサは、そっと身を屈めてマギステルスの様子を確認していた。


 シンディ。カナメの妹が退会したタイミングでどこかへ引っ込むはずだったダークエルフのマギステルス。


「おかしなパッチを当てられていたようだけど、異物は取り除いた。これで彼女は自由になるはずだ。後はダウンから回復するのを待てば良い」


 あっさりした口振りだった。


 自分で設定した目的以外の雑念を排除する『ゾーン』や指先の動きを精密化する『マニュファクチャー』などのスキルには頼っているが、逆に言えばそれだけだ。レア度は3から4、探す所を探せば普通に手に入る程度でしかない。根本的に何を調べてどういう予測を立て、何を取り除けば状況が改善するかのジャッジは全てタカマサ一人の頭脳にかかっている。


 これがクリミナルAO。


 全ての『終の魔法オーバートリック』を創造した、伝説的ディーラー。


 ただ撃ち合って金を稼ぐ蘇芳カナメとは違う。道具の扱いでは右に出る者がなく、ゲームの世界を牛耳る悪魔達の予測すら超えてしまった人間だ。


 ここで強がっても意味はない。分からない事は素直に尋ねるに限る。


「退会したディーラーについていたマギステルスがどうなるのか、じかにその瞬間を見た事はないが……自由っていうのはどういう事だ? いきなり天高くに飛び去ったり地獄の門が開いて引っ込んだりする訳じゃないのか」


「アヤメちゃんには無辜の管理者として押し付けられた役割がある。自分では退会したつもりでも、マネー(ゲーム)マスターの中でアカウントデータは生きているんだろう。僕達のマギステルスがデジタルな預金口座なら、シンディはアヤメちゃん本人すら存在を忘れている休眠口座に近いのかな。ほら」


 言いながら、タカマサはカナメの方に何かを放り投げてきた。


 足首をぐるりと囲んでいた、金属の枷。


 しかし、


「元々はウンディーネの装飾品だったんだろうね。一発でシステム側に警報が飛びそうだから試したいとも思わないが、異なるマギステルス同士のパーツを無理に掛け合わせた場合、おかしな不具合や競合が起きるかもしれない。あくまで可能性の話だけど、複数のセキュリティソフトを同じコンピュータにインストールするとケンカを始めてしまうようにさ。『終の魔法オーバートリック』であれだけみんなに迷惑をかけた僕に言えた義理じゃないけど、こんな大雑把な手を使って、よくAI連中の『総意』に睨まれなかったものだ」


「……いいや」


 カナメは遮るように言った。


 彼にはタカマサのように理詰めでブラッディダンサーの頭を分解するほどの叡智はない。だが戦う者としての直感はこう告げている。


 これもまた、あらかじめ性能の決められたスキルでは引き出せないものだ。


「睨まれていても平気な顔して生き残るだけの腕があったんだろ。あるいは、あの戦闘狂にとってはそっちの方が楽しかったのかもしれない。みんなノーマルでも悪戦苦闘している中、わざわざ自分一人だけ極悪な難易度へ吊り上げるようにさ」


「かもしれない。スイス恐慌も僕達コールドゲームも、どうでも良かったんだ。ただ、焼け付くようなスリルの中で本物以上の戦いができれば。恨みも怒りもない。本当に心の底から、ただの撃ち合いゲームとしてマネー(ゲーム)マスターを満喫していた訳だ……」


 もはやタカマサは苦笑すら交えていた。


 似ているようでも、全然違う。彼の目は、蘇芳カナメとブラッディダンサーの隔たりを明確に捉えていただろう。


「とはいえシンディの場合、別にコマンドが重複していたり、ブラッディダンサーの操り人形にする機能をつけられていた訳じゃないよ。。従わせるならストレートな暴力があれば良い。それが人間であれ、その定義の外にいる存在であれ。常夏市は広大だけど、街の外に逃げられる訳じゃないからね」


「……ヤツもヤツで、徹底的だな……」


「そうだね。唯一暴力以外の行動、例えばヤツが頭を撫でるために体を動かせたのは、ウンディーネだけだったんだろう。ブラッディダンサーは最悪のディーラーだったけど、僕とは違ってシステムの裏をかこうとはしなかった。二つの銃と二つの砲でどんな道理を踏み倒すにしても、頼るのは全部自分で磨いたテクニックだけだ。これだけ僕の『魔法』をかき集めておいて、自分で使う気は一切なかったって言うんだからね。そこだけは尊敬できるよ、呆れの方が強いけどね。……でもそんな彼の伝説も、もう終わった。悪夢は去ったんだよ、カナメ」


 そんな風に言い合う少年達の背中をそっと眺める影があった。


 マギステルスのツェリカと、彼女に肩を貸しているミドリだ。


「良いの、輪の中に入っていかなくて」


「……うるさいわい」


「ま、時間はたくさんあるわ。ゆっくり近づいていくのが良いんじゃない?」


 気持ちは理解できなくもない。ミドリだって、もういないと思っていた兄をこの目にしているのだ。しかし即座に飛びついて泣き喚く事ができないのは、一対一ではないから。思春期という複雑極まる壁に遮られているからだろう。


 こういうのは後で来る。


 ログアウトした後に自室で一人になってから、枕に顔を押し付けて号泣するかもしれない。そんな風にミドリは考えていた。だけど一回くらい、素直に感情を出せなくたって構わない。だってここで終わりではない。ここからは毎日だって会える、そうに決まっている。


 その時だった。


 バタバタという乱暴な足音が近づいてくるのが分かった。


 同じ館内からだ。


「いったん外に出た方が良さそうだ」


 カナメはそう言った。


「ここは博物館の敷地内だし、しかもマギステルス側にとっては重要な『遺産』の保管庫でもあった。今の今まで増援増援また増援で無尽蔵に湧き出るAI制御のPMCどもが手出しをしてこなかったのは、ブラッディダンサーのヤツが皆殺しにしてきたからだ。堤防は消えた。早くしないと取り囲まれるぞ」


「そうだね。ミドリ、君のマシンは大型のバイクだったはずだ。まだ動くなら早く拾っておいた方が良い。カナメのクーペは……」


「そっちはどこから侵入してきたんだ? ちなみに正面ロビーにミントグリーンに塗られた現代アートのオブジェが飾ってあるぞ。いや、もう塗装も剥げているかな」


「ならリリィキスカ君、申し訳ないけどもう一仕事頼む。君の巨大なリムジンを正面につけて、お尻のウィンチで引っ掛けてカナメのクーペを表に出してくれ。私有地の中で置き去りにする選択肢だけは避けたい」


「ツェリカ」


「っ、分かってるわい!! 何が現代アートのオブジェじゃ、どんな形になろうがこのツェリカを奉る大事な神殿じゃぞ! わーらーわーが面倒みーるーっ!!」


 忙しくなってきた。


 再び動き始めたPMCどもとうっかり鉢合わせしないよう、少女達が廊下や窓から各々移動を始めた時だった。


 誰にも気づかれないように、カナメとタカマサは視線を交わしていた。


 全員が立ち去った後。


 いいや、そうなるように少女達をけしかけた後だった。


 そして。




 ざりっ!! と二人は一定の距離を開けて向かい合う。


 まるで西部劇の早撃ち勝負のように。




「……ミドリが立ち去るまで待っていてくれてありがとう。カナメ」


「こちらこそ」


 彼の目には、一体どんな世界が見えているのか。


 タカマサはこう続けたのだ。


「そして一つ、問題が残っていたね」


「ああ」


 カナメにはカナメなりに、『遺産』を全て集める理由がある。マギステルスの総意による人間社会や『その上』への侵攻を食い止め、なおかつ、ツェリカという個人を消滅させずに保つ。人間側の『遺産』はカナメが独占し、マネー(ゲーム)マスターのプログラム言語を全て解き明かす。彼の所有物を管理する形で、ツェリカはマギステルスを統べる女王となる。リアルとバーチャルの総取り、これが見知ったみんなを救う最善の道だ。


 だけど、タカマサもタカマサでここまで来た。


 元々の『遺産』の持ち主は彼なのだ。その価値が分かっていないはずがない。何のビジョンも持っていないはずがない。


 そうなると、


「タカマサ、お前のビジョンを知りたい。お前は『遺産』を集めて何をする気だ?」


「作った本人を前にして『遺産』と呼ぶかい?」


「人智を超えた悪魔のゲームに対し、どう戦うかって聞いているんだ」


「ま、良いだろう。僕は人間社会を人間に返すのが最優先だ。見ての通り、マギステルスには頼っていない。僕にもパートナーはいるけど、総意と繋がっている以上は信じきれない。『彼女』には申し訳ないけどね」


「……ブラッディダンサーほど苦悩している感じでもないな」


「根っこが冷たいんだろうね」


 あっさりとタカマサは認めた。


「一挙両得できる方法があれば良いけど、どちらか片方と言われたら僕は人間とマギステルスの内、同じ人間を取る」


「その方法があると言ったら?」


 即答であった。


 驚いたような顔になり、しかし、タカマサは首を横に振る。


「素晴らしいけど、信じきれないよ。カナメ、本気で言っているんだとしたら君は覚悟が甘い。そいつは妥協の産物だろう? 人間とAIは、本質的には相容れない存在だ。ましてマギステルス達の真の姿が、AIですらないとしたらなおさらね」


「ツェリカを見捨てたくない」


「分かるよ」


「いいや、お前には分からない」


 きっぱりとカナメは言い切った。


 その眼光が鋭さを増す。それはようやく再会できた古い友に向けるものではなかった。


「実際に捨ててしまえたお前には、絶対に」


「決裂かな?」


 霹靂タカマサはゆっくりと両手を挙げた。


 しかしそれは降参の合図ではない。手先の器用な英雄には、ヤツ自身がカスタムを極めた『遺産』がある。


 そして蘇芳カナメも応じた。


 ゆっくりと両手を挙げつつも、今までにない勢いで腰の横、ベルトに無理矢理差した短距離狙撃銃の『ショートスピア』に意識を集約していく。


 距離は五メートル。


 そこからさらに両者は一歩ずつ前へ。


 腕を振り回しただけで掴みかかれるほどではないが、銃を使えば素人でも必中の至近距離。


 タカマサがブラッディダンサーに一発お見舞いしたのは『#導火.err』と呼ばれるT字に簡略化されたサブマシンガン。引火性さえあればどんなタンクや配管でも一発で確実に爆破し、条件次第では戦車や戦艦でも葬り去る可能性を持っているらしいが……素直にこれを使ってくるとは限らない。『遺産』は重ね掛けできないが、持ち替えて効果を切り替えられるらしいからだ。


 辺りには無造作に撒き散らされた宝の山、世界を変える『遺産』の群れ。


 しかしそちらには視線を投げず、真正面から戦友二人は睨み合う。


「……実を言うとさ、僕はマギステルス達への最後の切り札は『魔法』ではないと考えていたんだ」


「何だって?」


「カナメ、君の持っている獅子の嗅覚だよ。こればっかりは装備品のスキルでは再現できない。その延長線上にある僕の『魔法』でもね。チート紛いの『魔法』ならプログラム言語を解析するためのエラーを誘発できる? いやいや、それならもっと危ないものがすぐそこにあるじゃあないか」


「……、」


「ゾディアックチャイルドだ。君のような体質の持ち主を、僕はそう呼んでいる。七〇億人もの人間達の中で、AI社会の支配を逃れられるのはわずか一二人。例えばすでにチェスの対局において人類はコンピュータには絶対叶わないと決まってしまったけど、。僕の『魔法』と組み合わせれば、僕の方の作戦は成就する。……これが最後の誘いだ、乗る気はないかい? 君の方法は『可能性』、だけど僕の方法は『確実』だ」


「断る」


「まあ、だと思ったよ。僕の英雄。そういう優しい所が好きだった」


 バタバタバタ、という足音が近づいてきた。


 それが一線を越えた。


 AI制御の無遠慮な兵隊達が踏み込んできた直後だった。


 そいつが二人の合図となった。


 ゾディアックチャイルドと『終の魔法オーバートリック』。


 二人は世界の端と端。両極に位置する、この危機に対する切り札。




 ばばんっ!! と。


 お互いの右手が腰の横に伸び、そして激しい銃声が炸裂した。




 片方はタカマサの持つT字のサブマシンガン『#導火.err』。


 だがその乾いた銃声に紛れて、カナメの側からも無音の四五口径が飛んでいる。


 しかし、だ。


「大した腕だ、カナメ」


 クリミナルAO、霹靂タカマサの笑みは崩れていなかった。


 その背後で、バタバタと音を立てて何かが倒れ込む。『遺産』の保管施設を守る、AI制御のPMC達。それもまとめて三人分。彼らの脳天には奇麗に赤黒い穴が空いていた。


 カナメもカナメで、わざわざ背後など振り返らなかった。


 壁に沿って走るガス管でも破裂したのか、安全圏ギリギリの距離から耳をつんざく爆発音が響き渡る。もちろんPMCを巻き込む形でだ。


「……そっちこそ。カスタム専門で撃ち合いは俺に任せてくれるんじゃなかったのか? どこかで訓練を積んだのか、最初からその腕があったのか」


「だけど舐めているのかな? たかが『魔法』を一つ持ち出したくらいじゃ、ご自慢の『獅子の嗅覚』は反応に値しないと」


「……あんたは撃てないよ、タカマサ」


 ビタリと銃を向けながら。


 一方で、苦いものを噛み潰すようにカナメは声を搾り出した。


 相手が戦いをやめてくれない。


 ひょっとしたら、ブラッディダンサーも同じ苦悩を味わってきたのかもしれない。


「ミドリが泣くところはもう見たくない。妹も、ツェリカもそうだった。あんたを死なせてしまったから、あんなものを見る羽目になったんだ。俺の人生最大の汚点だよ」


 その言葉を受け、親友にわずかな変化があった。


 虚をつかれたような顔になったのだ。


 可燃物の引火と爆発。


 外殻の厚みや保護機構などお構いなし。


 ある意味で撃ち合いゲームのロマンとも言える爆破アクションの権化たるT字のサブマシンガンを油断なく構えながら、しかし英雄は困ったように笑う。


「先延ばしというのは分かっているのかな。どっちみち、僕も君も『魔法』を必要としている。ここで物別れに終わっても、いずれ激突の時はやってくる」


「……、」


「おいおい。唇を噛むなよ、まるでこっちが悪者みたいじゃないか! 別にカナメは弱い者いじめをしている訳じゃない。全力で潰しに来ても誰も文句は言わないさ」


 そうだな、という繋ぎの言葉があった。


 彼自身もわずかに迷う素振りを見せたが、それどころではなくなってきた。館内が騒がしくなってきたのだ。ただでさえ立入禁止の私有地へ長時間居座った上、警備を担当するPMCを直接射殺した。これで本格的にAIどもから命を狙われる羽目になる。


「ひとまずここを何とかするのが先か。ついでだ。カナメ、勝負をしよう」


「先に建物から出た方が勝ち? あるいはできるだけ多くの兵の注目を集めて生き延びる?」


「いいや、単純に撃破数勝負」


 思わずカナメは親友の顔を二度見してしまった。


 特殊なスキルは使わないとはいえ、元のパラメータがケタ外れ。しかも倒しても倒しても永遠に増援が湧いて出る。PMC戦は戦って勝つというよりは、無事に逃げ切れるかどうかで判断するものなのに……。


「ブラッディダンサーにもできたんだ。PMC殲滅は人類の上限を超える難題じゃないよ」


 タカマサは肩をすくめただけだった。


 何故か、だ。


 カナメの鼻にビリビリとした違和感があった。獅子の嗅覚。しかしこれはどういう事だ? その痛みは際限を知らない。本当に、どこまでも。このまま放っておけば、ブラッディダンサーを超えてしまいそうなほどに……ッ!?


 そして英雄はコインを弾いた。


 気軽に。


「さて。それじゃあ位置について、だ」


「待っ」


「……これはくだらないゲーム。だからスコアの形で知ると良い。僕と君の、歴然とした違いをね」




 直後だった。


 コインが床に落ちた途端、獅子の嗅覚が爆発した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る