終章《003》
◆◆◆
サーバー名、アルファスカーレット。始点ロケーション、常夏市・第二工業フロート。
ログイン認証完了しました。
ようこそリリィキスカ=スイートメア様、マネー(ゲーム)マスターへ。
◆◆◆
大停電で暗闇に覆われた常夏市に、ひっそりとログインする影があった。
長い黒髪をオールバックにしたメガネの少女、リリィキスカ。
いったんフォールして莫大な借金を背負い、弱体化したディーラーは再起が難しい。それが有名なディーラーであればなおさらだ。周りから恨みを買っているため、再び軌道に乗る前の弱い状態で袋叩きにされ、延々とフォールを繰り返す羽目になるからだ。俗に言うデッド状態である。
だが今は違った。
マネー(ゲーム)マスター全体の挙動がおかしくなっており、全世界のディーラーが同時に無期限の強制ログアウトを喰らったと思ったら、あっさりとログイン認証が再開されたり……。とにかく前代未聞のトラブルが続いていて、誰も彼もが平常運転なんてしていられなかったのだ。
だからほぼ丸裸に近い、武器、防具、車両、この世界での『強さ』の指標となるものを何も持たないリリィキスカであっても、再びログインする事ができた。真っ暗な常夏市を歩き回る事ができた。
場所は工業用のフロート。
いくつもの重たいコンクリートの建物と巨大な配管や煙突がのたくっている、体に悪そうな場所。セキュリティをかいくぐって工場の一つを奥まで進むと、不自然な太い鎖に南京錠で縛られた両開きの扉とぶつかった。
事前に渡されていた鍵を使って開けると、そこは小さな物置のようなスペースだった。
ただし、
「すごい……」
リリィキスカは思わず目を見開いていた。
「これもまた、やっぱり『遺産』なの……?」
「ああ。好きに使ってくれて構わないよ」
真後ろから声があった。
そちらにいるのは一人の少年だ。背は高いが筋肉はなく、どこかひょろ長い印象のある男。どこを歩いてもカンカン照りの常夏市で、不思議と日焼けに縁のない青白い顔立ち。肘の上まで袖をまくった白いワイシャツにネクタイ、薄手のスラックス。ベルトの辺りにはホルスターがあったが、入っているのは銃器ではなくドライバーセットやツール系の十得ナイフなどだった。
『彼』もまた、長い間デッドの憂き目に遭ってマネー(ゲーム)マスターへの復帰を阻まれてきた有名なディーラーだった。このタイミングで『彼』から声を掛けられていなければ、リリィキスカは二度と常夏市に戻って来られなかっただろう。
リリィキスカが手にしたのはアサルトライフル『#飛燕.err』。
この突撃銃の本領はこちらから攻める時ではない。リアサイトの大枠の円に収まる範囲であれば、銃弾やロケット、ミサイルなどあらゆる実弾攻撃に対し、引き金を引くだけで一〇〇・〇%確実に撃ち落とす効力を持つ。
『彼』が手にしたのは懐中拳銃『#幽寂.err』。
トランプよりも小さく、掌や袖の中にすっぽりと収まる、わずか二発入りの拳銃。射程距離は五メートルしかないが、しかし一方で標的を照準した時に限り、その標的以外の一切の人物、AIから知覚されなくなるという効力を持つ。
しかも彼らの装備はそれだけではない。
極めて強力だが突出し過ぎている『遺産』だけに留まらない。
「このゲームはレベルや経験値で管理されている訳じゃない。武器、防具、車両……『強さ』の指標となるものは全て現金で売買できる。ようは、フォールして弱体化した状態から復帰するために一番の方法はこれさ。事前に用意していた『蓄え』の下へ無事に辿り着く」
プロテクターやボディアーマーといった防具から、各種の銃器、弾薬、そして狭いスペースを圧迫するようにオフロードバイクやスポーツカーまで停めてあった。これだけあればトップクラスのディーラーと肩を並べる事ができる。
でも。
(……再び『遺産』を手に入れて、ずっとずっと憧れだったコールドゲームとも繋がった)
だけど。
(……そうまでしてもやっぱり、私の隣に『あの人』はいないのね)
「どうして私に声を?」
「見せびらかすような事じゃあないんだけど、まあその方が安心するのなら。絶好の機会だったとはいえ、ここまで一人で辿り着けたかは怪しかった。一定以上の実力を持ち、なおかつこのタイミングで釣り上げられる人材は限られていた。単純な理由だろう? 僕は昔からカスタム専門でねえ、撃ち合いは人に任せていたんだ。やっぱりあの頃が一番楽しかったなあ」
「……あなたはこれからどうするの」
「僕をフォールさせた連中を追い回すのも面白そうだけど、でももっと優先的に行うべき事がある。あっちこっちに散らばった『遺産』を回収しないと。はっは、『遺産』だって。この呼び方がもう納得できないよねえ。あれは『魔法』と呼ぶのが相応しいっていうのにさ」
「……、」
「僕はね、一度逃げているんだ」
『彼』は簡潔に言った。
「フォールした折に莫大な借金を抱えたまま、家族の下から。妹にも迷惑を掛けただろうなあ。まあ、借金なんて、というか仮想通貨スノウに支えられた金融の概念なんて、マネー(ゲーム)マスターのプログラム言語全文を解読できてしまえばぐるりと一八〇度ひっくり返るだろうし、途中経過なんてどうでも良いんだけど。金は稼ぐものじゃない、そんなものいくらでも創れる。でも苦しい想いをさせてしまった事に変わりはない。そうだろう?」
「もしかして……わざとフォールしたの?」
「流石にそこまでは。僕だってやられてから気づいたよ。僕のやろうとしていた事は、AI側にしっかり監視され、排除案件として登録されていた事にね。でも気づいてからは早かった。少なくとも、『AI落ち』で飼い慣らされたままじゃあ永遠に『平均よりちょっと下』から抜け出せない、散らばった『魔法』も永遠に回収できない、ってね。だからリアル世界でも失踪しておく必要があったのさ、大きなタイミングでの復活に賭けて。古き友に引き金を譲り、それまで家族や妹をマギステルス達に預けてでもね」
だから、と『彼』は繋げる。
「そういう意味でも、失敗は許されない。僕は僕の『
クレーン車を使ってミントグリーンのクーペは海底から引きずり上げられた。
とりあえずフォールしないで済んだ事に胸を撫で下ろし、助けてくれたミドリに感謝する。
目の前には『#豪雨.err』と『#火線.err』。
『遺産』の破壊を誰よりも願っていたミドリにこれを言うのは心苦しいが、実際に白状してみると、彼女は優しい笑みで応じてくれた。
「兄の『遺産』が誰かを傷つけるのは絶対許せないけど、そういう使い方なら止められないじゃない。いい、兄の名誉のためにも、絶対に人を幸せにするために使ってよね」
「……自分で言うのも何だけど、ほんとに良いのか。こんな口約束で」
「だって、仕方がないじゃない……」
両手の指をもじもじ、唇まで尖らせて。
ミドリは何故だかこちらに目を合わせようともせずに、蚊の鳴くような声で言っていた。
「(……あなたの正体が奇麗な文字を書く人だとしたら、それこそ間違いなんて絶対犯さないし、私を裏切るなんて万に一つもないって決まっているんだもの。そう、最初の最初から)」
「?」
「良いから!! つべこべ言わずにさっさと受け取って! 理由なんていちいち見せびらかすような事じゃないんでしょ、あなたならすぐ言いそうな台詞だし!!」
しまいにはぐいぐい押しつけられてしまった。
そして。
ツェリカが最後の力を振り絞ったのか、単純に『総意』が別の計画を練り直す事にしたのか。カナメにかかったチートプレイ疑惑は誤報という扱いに切り替わっていく。元々システム全体が不安定だった中でカナメのアカウントデータが暴走しただけであり、彼自身の意思は介入していなかった。売買記録も抹消され、不具合直前の『持ち主』へサッカーチームやテレビ局も戻されていった、と。
彼らの見ている前で大停電を起こしていた半島金融街へ次々に電力が回復していき、徐々に街へ血液が循環していく。証券取引や先物取引が復帰していくと、ほとんど思考放棄していたディーラー達もまた冷静さを取り戻していく。
まるで舞台が終わって、会場に明かりが満たされていくような印象だった。熱狂から現実へ。誰も彼もが『役』から解放されて、ただの人に戻っていく。AI制御のマギステルスに案内されて、劇場の外へと案内されていく。
いっそ白々しい、見ていて虚しささえ湧き上がるような光景だが、だが同時にカナメは確かに嗅ぎ取っていた。
獅子の嗅覚。
鼻の頭のチリチリした感覚が、この上なく大きな『敵』をぼんやりと捉えている。
一発の銃弾も使わない、ぬるま湯の戦争。
すでに目一杯負けが込んでいる事を自覚しながら、しかしカナメはこう思った。
この嗅覚は、危難から手を引くためのものではない。
打ち倒すべき強敵を見据えるための感覚。
ツェリカの件も、妹の件も、ミドリの件も、クリミナルAO……タカマサの件も。
全てに決着をつける。
必ず。
「『遺産』を全て集めよう、終止符を打つために。力を貸せ、ツェリカ」
「了解じゃ、旦那様。これを『見ていて胸糞悪い』と思えるわらわは『総意』から離れつつあるんじゃろうが、でも胸を張れるから不思議なものじゃのう」
「無辜の管理者はマギステルス側が用意した仮初のものだ。俺はそれ以外の、本当に人間側の管理者を目指す。お前はお前自身が『総意』となってマギステルス全体を抑え込める存在になるんだ。夢みたいな話だけど、『遺産』を全部揃えてコードを書き換えれば、多分手が届く」
「また大仰じゃのう。わらわは所詮マギステルス、契約したディーラーの所有物と所持金以外は扱えんぞ」
「なら俺が全てを手に入れれば、お前もそれを扱える訳だ」
「人間の王と悪魔の女王、二つの頂点を一挙にいただくか。どうしてじゃろうな、善行を積むと言うておるのになかなかそそる響きがあるのう」
ツェリカは頷きながらも、
「じゃが良いのか。『遺産』はその価値の理解無理解に拘わらず、あらゆるディーラーが欲しているものじゃ。当然、ただでは渡してくれんじゃろうし、多くを抱えればそれだけトラブルの種も増えていく事になるが」
「見知った人達を助けるためだ。だったら仕方がない」
「はっは!! 世界だの人類だのと言わない辺りは、やはり旦那様じゃのう!!」
「そんなもの、いちいち見せびらかすようなヤツは嘘つきだ」
「じゃな。そして見返りなど求めんくらいでちょうど良い」
そして。
人間と悪魔は、絶望的に眩い夜景を眺めながらこう宣言していた。
「「それじゃあ一丁、人助けでも始めるか」」
「あなたは何をしようとしているの?」
装備を終えたリリィキスカは、『彼』についていくと決めながらもそう質問していた。
いいや。ついていくと決めたからこそ、か。
今回の闘争で、リリィキスカはある意味で戦う理由を失っていた。蘇芳カナメの心は逆立ちしたって手に入らない。彼に撃たれてフォールした時点で、これ以上『リリィキスカ』という枠組みに収まって活動を続ける事に意味はないのかもしれない。
でも。
(……こんなの野放しにしておけない)
だけど。
(望まれているかどうかなんてどうでも良い。私は、私の信念のために『彼のためになる事』を続ける!)
「全ての『遺産』を手に入れるのは行為であって目的じゃないわ。全てを集めて、何をしようとしているの?」
「大仰な理由が必要かい? 見せびらかすような事でもない」
『彼』は薄く笑って即答した。
「あれは元々全て僕の『
「でもそんなの、あなた以外の誰も納得しない。すでにあれは『誰かの魔法』ではなく『遺産』なんだもの。『遺産』という事にしてしまった方が自由に使えて便利だと思うディーラーが、圧倒的に多いはずだもの」
「だろうね」
『彼』はあっさりと肯定した上で、
「でもさ、そんな連中に対して僕が何かを一つでも譲る理由はないだろう?」
蘇芳カナメは告げる。
「もしも『遺産』の蒐集を邪魔する者が出てくるなら」
『彼』は告げる。
「もしも僕の『
そして二人の親友は、示し合わせたようにこう宣言した。
「「その時は、殺し合いになってでも奪い取るしかない」」
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