第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《018》




「ッ!?」


 リリィキスカもまた、スコープ越しに状況を確認していた。


 一見すると屋上を越えて一直線にダイブするミントグリーンのクーペに目線を吸い寄せられるが、


「……赤いバイクがいない? ソフィア! 映像確認できる!?」


『あいさー、キスカ様』


 運転席のエルフは迅速にコマンドを実行する。一〇センチ以上の厚みのある窓ガラスいっぱいにウィンドウが広がっていく。


 コマ送りしていくと、ミントグリーンのクーペの動きに紛れて赤いバイクの少女が屋内へ逃げ込んでいる。あのビルは二〇階建てだが、バイクの力を借りて非常階段を駆け下りたり、途中で吹き抜けなどをショートカットすればあっという間に地上へ辿り着くだろう。


 ここから地上へ目をやってみるが、


(……暴風雨のせいで煙ってまともに見えない!! このままだと近づかれる!!)


 マネー(ゲーム)マスターでは経験値やレベルアップ制度はない。


 強さに関するパラメータは、武器や衣服で管理される。それらは全て金で買える。


 つまりは、


「ええい、補正系のスキルが邪魔!! 集中力強化もあてにならない!!」


 余計なスキルを自分から『削ぐ』。


 優れた狙撃手として、自らの感覚を優先する。そんな時もある。


 リリィキスカはブラウスもタイトスカートも脱ぎ捨てて、真っ赤なビキニの水着一丁になる。ついこの間までは下着だったが、蘇芳カナメとのアクシデントを経て考えを改めたのは内緒である。


『#火線.err』は射程距離無限大という馬鹿げたスペックを持った対物狙撃ライフルだが、しかし問題がない訳ではない。あまりの重量のせいで人の腕ではまともに取り回しができない事、使っているのが高威力かつ有害な白燐系の焼夷効果を生み出す特殊弾頭であるため、間近の標的を迎撃すると自分も炎や煙に巻かれかねない事などだ。


(彼はどこに……?)


 改めてチャットを申請する。


 とりあえず応答はあった。ただし反応は鈍い。クーペを経由しておらず、処理能力の低い携帯電話越しに無理矢理通信を繋いでいる。リアル世界ならともかく、一万分の一秒単位で熾烈な取引を繰り返すマネー(ゲーム)マスター内ではこの速度差は絶望的だ。


(つまりクーペにはいない。心中はしていない。蘇芳カナメはまだ屋上にいる!!)


 確信と共に、最後通牒を放つ。


『リリィキスカ>「#豪雨.err」をこちらに渡しなさい』


『カナメ>渡したらどうなる。助かるのは俺だけか?』


『リリィキスカ>霹靂ミドリも考えるわ。クリミナルAOの身内なら色々と使い道はあるもの。そうね、「丁重」に扱うと約束するわ』


『カナメ>話にならない』


『リリィキスカ>エンジンの出力を忘れているの? 最高速度と瞬発力なら私のリムジンは誰にも負けない、この狭い屋上からでも大ジャンプはできる! クリミナルAOの身内に頼っているようだけど、私が別の屋上へ飛んで仕切り直せば接近戦は挑めなくなる!!』


『カナメ>だったらどうした』


『リリィキスカ>屋上もAI企業の私有地で、放っておけばじきにPMCに包囲されるわ。私はここであなたを足止めし、頃合いを見計らって別のビルへ移れば良い。PMCの「契約」範囲の外へ。リミットは迫っているわよ、さあどうするの!?』


『カナメ>すまない、リリィキスカ。確かに状況は最悪で、俺は今まで経験した事もないくらい追い詰められている。それは認める』


 その言葉はある種の肯定であり、しかし全てを否定するための助走でしかなかった。


 続けざまに、少年はチャットを介してこう告げたのだ。


『カナメ>だけど今、ちょっと面白くなってきてる。不謹慎極まりない事にさ』


 そこ以上はなかった。


 単純に、通信を切られた。


 あるいは、それが答えだった。


(馬鹿野郎が!!)


 こんな時に思い出す。


 かつてあった伝説的なチーム、コールドゲーム。


 ちっぽけな少女を撃ち合いから助けた彼らが言ったのは。


 そう、確か。


 なら、今度はあんたが俺達を助ける番になってくれ。


(っ)


「ソフィア! 危険な賭けになるけど再加速! 地上に下りた別働隊を翻弄しながら蘇芳カナメをぶち抜く!! 準備して―――」


 言いかけた時だった。




 チュンッ!! と。 リリィキスカの肩に、何かが掠めた。




『それ』は灼熱の塊だった。


『それ』は風を切る凶器だった。


「……、?」


 最初、リリィキスカは意味が分からなかった。


 じわじわと肩を蝕む痛みが膨らんでいくにつれて、無理矢理にでも自覚させられる。


 撃たれた?


 距離九〇〇。どう見積もったって五〇〇メートル届けばマシな方な、遠くの標的を狙うのではなく目の前で人質を盾にする犯人の頭を正確に撃ち抜くためのあの短距離狙撃銃で、当てに来た???


「なァ……に、が……ッ!?」


 射程の短い銃でも、それを延長する方法はあるにはある。


 例えば実際の標的の位置よりも銃口をわずかに上げる。野球の遠投と同じく、曲射弾道で飛距離を取る。だけど、そんな方法を使ったって流石に想定される飛距離を二倍近くも延長する事はできないだろう。


 だとすれば。


 ゾクリ、と肩の熱が吸い取られるほどの悪寒が、全身を駆け巡る。


(ま、さか)


「ソフィア!! 気象図を確認! より正確にはサイクロンの暴風!!」


 答えを出すまでもなかった。


 曲射弾道に加えて、このケタ外れの暴風。それを追い風に使って飛距離を高めていたのだ。狙撃に際しては邪魔者以外の何物でもないこの風を、あの少年は己の武器へと変えてきた……!?


(そんな事が可能なの……?)


 蘇芳カナメは事前にミントグリーンのクーペを捨てている。つまりAI制御のマギステルスの力を借りて弾道計算をしている訳でもない。


(そもそも曲射で点の狙撃を成功させるのだって神業なのに。それは理論上は可能かもしれないけど、実際のサイクロンは様々な向きから突風が乱れて絡み合っているのに!? そんなの、神業のさらに向こうへ突き抜けているじゃない!!)


 そして狙撃や砲撃の世界では、一発目は本命ではなくわざと外す場合がある。


 大雑把に狙いをつけて射撃し、理論上の照準と実際の着弾点を見比べて、誤差を測るためだ。そのデータを反映した二発目からは、精度が格段に跳ね上がる。


 一発目でさえ、肩を掠めた。


 ならば、その次に待っているのは?


 リリィキスカは今、まごう事なきクリミナルAOの『遺産』の一つを手にしている。あまりの力から『終の魔法オーバートリック』と揶揄され、ゲームバランスを平気で崩す対物狙撃ライフル『#火線.err』。使い方次第ではリアル世界の国家さえ財政破綻で滅ぼせる電子戦略兵器を手にしながら……しかし、掌にじっとりとした汗が浮かぶ。


 恐怖を感じている。


 同種、いいやそれ以上の兵力を前にしたような、この緊張。


 あるいは。


 蘇芳カナメとは、道具に頼らずそれ本人が『終の魔法オーバートリック』に匹敵する存在なのではないか……?


 そんな幻想の海を泳いだ時だった。


 バン!! と勢い良く背後でドアが開閉する音が響き渡った。


 慌てて振り返ってみれば、真っ赤な大型バイクにまたがったツインテールの少女が屋上へ乗り出してきたところだった。


 彼女のその手には。


 五〇〇メートル以内では無敵の性能を誇るショットガン『#豪雨.err』が握られていた。


「あ」


(神業の狙撃さえも、囮? 本命は、裏の裏をかいて表だった!?)


 ミントグリーンのクーペがゴミの山へ没する前に、トランクの中から引っ張り出していたのか。


 何にしても、この至近では『#火線.err』の長所を活かす事はできない。


 今から防弾仕様のリムジンへ引っ込もうにも間に合わない。




 爆音。


 そして『魔法』が炸裂する。




 相手方に一瞬の躊躇があったのは、敵をフォールに追い込む事が何を意味するかを考えたからか、それとも単純に人を撃つ行為に抵抗があったからか。何にしても、長い黒髪をツインテールにした少女は何か、己の中の矛盾を強引に押して引き金を引いたようだった。


 その時。


 リリィキスカはとっさの判断でリムジンの扉を大きく開け放ち、それを盾にする格好で走り出していた。


 だが『遺産』に執着するあまり、超重の『#火線.err』を手放せなかったのは災いしたか。


 ガイドライトの光が舐める。リリィキスカは勘違いもしていた。それはライトの光を浴びたものに二〇〇〇発の散弾を浴びせる『魔法』なのだ。どれだけ分厚い防弾ガラスだろうが、光を透過してしまうのでは守りにならない。


 ッッッゴン!!!!!! という咆哮の直後に、一〇センチ以上の防弾ガラスが粉々に散った。その先にあるリリィキスカの片腕が奇妙にねじれて曲がった。『#火線.err』が落ちるが、今度こそ気にかけていられない。歯を食いしばってなおも走り続け、二発目が放たれる前に必死で逃げ出そうとする。


 どこへ?


 決まっている。




 大空へ。




 どうにもならなかった。


 途中で何度か壁や手すりに激突し、減速はしていたものの、それでも二〇階以上の高さ。横殴りの雨で濡れるアスファルトに激突した瞬間にフォールしなかったのは、意識がまだいくら残っていたのは、それだけで奇跡と呼べるものだっただろう。


「……、……」


 仰向けに転がる。


 鉄錆臭い匂いが雨に溶けて、まるで潰れた蛙がふやけていくよう。


『#豪雨.err』を真下にかざしてガイドライトの光を浴びせれば通り一帯に死の雨を降らせる事もできたはずだが、何故だかトドメは来なかった。


 屋上に残した『#火線.err』の回収が優先されたのか。


 あるいは。


 カツン、という足音が聞こえてきた。


 一体どんなルートを使ってショートカットしてきたのか。暴風雨に打たれながら少女の顔を見下ろしているのは、蘇芳カナメだった。その手にぶら提げているのは短距離狙撃銃の『ショートスピア』。市販品に毛が生えた程度の得物で、『魔法』を実現する死神。


 とんでもないバケモノだった。


 見上げて、思わずリリィキスカは微笑む。


「……どうして……」


 最後の最後に何が出てくるかで、その人物の本質は決まる。


「どうして、あなたは手に入らなかったのかしら……」


 であれば、リリィキスカの未練はそこに集約された。


「いっぱいおめかししたのよ。言葉遣いにも気を配った、仕草や身振りでも女を見せた。心強い仲間をたくさん用意して、後ろ盾の投資家だって一〇〇〇人くらい確保して、『遺産』だってこっそり匿って。私はこんなにすごいんだぞ、こんなにも色んなものを持っているんだぞ。きちんとあなたに示す事ができたはずなのに」


「……、」


「誰も彼も、それで手に入った。『銀貨の狼Agウルブズ』のメンバーだって、結局はそうだった。手に入らないものなんて、何もなかった。なのにどうして……生まれて初めて心の底から欲しいと思ってしまったものだけが、手に入らなかったのかしら……」


「……、」


「ねえ、おぼえている?」


 くすりと笑って。


 血まみれの少女は、倒れたまま少年へ目をやっていた。


「すべてを手に入れて、『遺産』にまで手を伸ばして……こんどは、今度は、私があなた達を助けられるくらいに成長できたのかしらね、……?」


 それからいくつかの言葉の応酬があった。


 やがておでことメガネの少女は満足そうにゆっくりと目を閉じる。


「……他の女の手で撃たれて死ぬなんて真っ平だわ。逃げ惑って屋上から落ちたなんていうのも論外……」


 最後の願いを。


 伝える。


「そうね。もしよろしければ、惚れた男の手で殺してもらえないかしら。それならきっと、私は笑ってフォールできる」


「……、」


 返事はない。


 もう顔も見えない。


 だけど引き金が引かれるまでの一瞬。わずかな躊躇を見出して、リリィキスカは満足そうに肩の力を抜いた。失うのが惜しいと。意識的であれば無意識的であれ、心のどこかで思ってもらえただけで。


 直後の出来事だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る