第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《002》




 ボロボロになったミントグリーンのクーペは修理工場に預け、カナメ達は茶色く錆びたトタン小屋の集合体となった街並みを歩いていく。


「へえ、あっちこっちで出物があるな。ガレージで中古車もたくさん売っているみたいだし」


「おい、旦那様……」


「あの修理費と時間コストだったら、やっぱり適当に安い中古車を買って『再契約』するのも悪くはないんじゃないか、ツェリカ? なあなあ」


「だっ、ダメじゃダメじゃ!」


「別に前のマシンを売却するって訳じゃないさ。あれはじっくり修理工場で直してもらうとして、その間は激安中古車でも構わないだろう。二台目! だとすればさっさと買ってログアウトもできるんだけど」


「そんなの絶対認めんぞ、マシンはわらわの神殿でもあるのじゃ」


「そもそも所持品リストに一台きりの方が合理性はないじゃないか。潰された時のために、安い中古車を一台買って隠れ家に置いておくのは悪くないと思うけど。ツェリカだってあのクーペが実際に爆発炎上したら困るだろ、契約の関係で俺が所有するマシンしかハンドル握れないんだから」


「愛着の問題じゃ! そういう浮気性はぜえーったい複数持ちした途端に一台一台のメンテを怠るようになる。スペアがあると考えるから運転も雑になってガッツンガッツンぶつける! 世の中には何十台もマシンを抱えてその日の気分でホイホイ神殿を鞍替えする尻軽マギステルスもおるが、わらわはどうあっても嫌じゃ! 考えなしの奉遷ほうせんなんぞ失敗するに決まってる、居心地悪くなってモジモジさせられるに決まっておるのじゃー! 珍しく子犬の瞳で甘え声を出してもダメじゃからな!!」


「つまり何が何だかイメージが湧かない」


「そうさのう。旦那様は王室御用達天蓋付きベッドを持っているからと言って、そこで満足して隣に敷いた毛羽立ったむしろで心地良く眠る事はできるのかえ? もふもふの枕を選ぼうがアロマを焚こうがシルクの透け透けネグリジェに着替えようが、元がダメなら全部ダメなのじゃ!!」


「何だそんな事か」


「ぐぼるもるがるわうげぶるっちゃ!! あ、あああ、あんごるもあーっっっ!!」


「そうは言うけど、あれだけまるっと修理したらもうほとんど別物なんじゃないのか?」


「げふっ、げふん! 芯はきちんと残っておるっ!! わらわの神殿、請来の陣と言えばあれしかないのじゃ、そもそもこれから本格的に『銀貨の狼Agウルブズ』と事を構えるんじゃろう。面倒がって半端なスペックの中古車に命を預けたら、後で困るのは旦那様じゃぞ。資金注入は一本化が常道じゃ、ステータスの成長方針を複数に分散させたらろくな目に遭わんのは分かり切っておるじゃろうが!」


「ツェリカー」


「めっ!!」


 そんなやり取りに耳にしながらも、ミドリは疑問に思っていた。


 カジノと言われてもピンと来ない。


 道というより隙間のような場所でうずくまってトランプを切ったりサイコロを転がしたり……くらいなら想像がつくが、この錆色ばっかりの第三工業フロートにきらびやかなカクテルやカードテーブルなどが並べられた本格的なカジノなんてあるのだろうか。


 疑問に、カナメはあっさりと答えた。


「どこにだってあるものさ。ここはマネー(ゲーム)マスターなんだから」


「でも、あるのは錆びたトタンの小屋ばかりじゃない。フロートって事は地下に広大な空間が広がっているって訳でもなさそうだし」


「ミドリ。さっき俺はここが元々何だったって説明した?」


「?」


「経営難で放棄された元国際空港。そういう場所には、特有のVIP空間があるんだ」


 カナメは適当に角を曲がりながらそう言った。


 その向こうに言われた通りのものが広がっていた。


 解体途中で放棄されたのか、輪切りにされた大型旅客機だ。


「うわあ……これが?」


「ファーストクラスをそのままカジノに流用しているんだよ。エコノミーは映画館の代わりで、ビジネスは高級レストランだったかな。映画館の方に行けば今ならコテミツゴールドラッシュとかやっているはずだ」


「くふふ。ビジネスクラスだと食事中にテーブルの下や衝立の向こうでオトナのマッサージをしてくれるという噂も流れておるがのう」


「(ギロリ)」


「蒸し返すなツェリカ。何故か俺の足が踏まれるこの理不尽をどう思う?」


 やはり動きを止めて久しい感じのタラップ車を使って機内に入ると、黒い礼服の男が待っていた。


 本来ならいくつかの通過儀礼が存在するのだろうが、


、カナメ様」


「うん」


「本日はいかがなさいますか。景品の一覧はこちらになりますが」


「預けていたチップがそろそろ期限切れになるだろうから、それをまとめて引き出してほしい」


「即換金で?」


「いいや、しばらく遊んでいくよ。のテーブル位置は変わっていないよな?」


 腕を撃たれたカナメも(実は撃った)初顔のミドリも含めて、人物審査も金属探知機の出番もなかった。よほどカナメがここで金を落とし、多くの信頼をカジノ側から得ているのだろう。


 もういくつか気になる事がある。


 シックな室内音楽で満たされた機内を歩きながら、ミドリはやや唇を尖らせてこんな風に言葉を放っていた。


「おかえりなさいませって何よ……」


「言葉通りの意味でしかないと思うけど」


「景品っていうのは?」


「この店、あちこちで幅を利かせている質屋と提携しているんだ。チップの払い戻しは現金じゃなくて武器とか宝石とかの現物になる。換金したいなら例の質屋に行けば良い。ぐるぐる商品を回すから、カジノ側は勝っても負けてもあまり困らないって訳。……まあ、現物支給っていうのはパチンコとかパチスロからイメージが広がったのかもしれないけどさ」


「サマアリってのは何なの?」


「客もカジノ側も、全員イカサマありって特別ルールだよ」


 ツインテールの少女が軽く見回すだけで、様々なゲームがあった。比較的見慣れたトランプだけでもポーカー、ブラックジャック、バカラ、すでにこの辺りで目が回る。レッドドッグだの何だのになると、もう何をやっているかも分からない。


 トランプ以外だと、壁際に並べられたスロットやビデオポーカー、専用テーブルのサイコロは……クラップスとかいうのだろうか。分かるのは名前くらいで、何の目が出たら一喜一憂するのかも不明。そしてカジノのアイコンとしては、トランプと同じくらい有名なルーレット。赤と黒のマス目の台は奇麗なのだが、それ以外の感想がない。オモチャみたいなチップがズドンと積まれては熊手みたいなのでざざーっと運ばれていく、そんな印象しかなかった。


「で、旦那様よ。どこから手を付けるのかえ?」


「商品リストのてっぺん。ちょうど俺達の欲しいものがある」


「ほほう、まさか女かえ? ならばわらわに選ばせろー!!」


「(ギロリギロリ!!)」


「真面目にするんだツェリカ、俺の尻がつねられている」


 へいへい、とシリアスモードになったツェリカは自分のボディラインに情報表示し、大きな胸元に目を落としながら、


「『アシッドD』、これかえ? いくつかの強酸を奇跡のバランスで調合したもので、純金含むあらゆる金属を溶かす事ができる」


「そう、元々は金庫破りの素材らしいけどね。アレを潰すのにももってこいだ。そんな訳でミドリ……ミドリ?」


 気がつけば黒髪ツインテールの水着少女がいなくなっている。


 あちこち見回すと、ちょっと離れた場所に突っ立っていた。初めて見るのか、ドリンクを乗せたトレイを片手で運んでいるバニーガールをぽやーっと眺めている。


 ツェリカが意地の悪い笑みを浮かべてこう呟いた。


「……ムッツリめ」


「っ!?」


 慌てたように振り返るミドリだが、もう悪魔は止まらない。


 口に手を当て、ニマニマ笑いながら、


「くふふう。一見潔癖を装って旦那様を罵倒しておきながら、何じゃ、実は興味津々ではないかえ? ほうほう、ほほう。やはりクリミナルAOの血が流れておるようじゃのう! このムッツリ委員長、好きなら好きと言えばよいものを!! ほうれ、己を解放した世界は輝いて見えるぞー?」


「ツェリカ。どうしてお前がからかって俺がボカスカ殴られているのか説明を」


 両目を瞑り、顔を真っ赤にして駄々っ子のようにぐーを振り回すミドリの両手を掴んで、そしてカナメは顎で差して自分が遊ぶゲームを決めていく。


「あの辺で良いかな」


「えっ、ルーレット……?」


 ミドリが眉をひそめながら言う。


 こうしている今もテーブルではドレスの女がカクテルグラスを傾けながら、円形のホイールの内枠をくるくる回る球形のダイスの行方を目で追い駆けている。


 サマアリとは、イカサマの使用が認められたゲームの事らしい。が、手元のトランプをいじくるポーカーやブラックジャックと違って、あんな指先も触れられそうにない運任せのルーレットにイカサマの挟む余地などあるのか。


 疑問に対し、カナメは涼しい顔でこう答えた。


「でなければ、あの女があんなに馬鹿勝ちする訳ないだろう」


「ま、稼ぎ方はそれぞれじゃが、ギャンブル専門の輩もおるという訳じゃな」


 一通りゲームが終わり、配当のチップがドレスの女へ流れていくのを確認してから、カナメは適当な調子で席に着く。


 意外そうな顔をしたのは、チップの山に囲まれているドレスの女の方だった。


「ルールはきちんと把握してる?」


「一応は」


「だとするなら、万に一つも勝ちの目はないと思うのだけれど。サマアリのテーブルで、ひたすらわたくしと同じ目に追従し続けるというのはナシにしてちょうだいね」


「それ以外にもやれる事はあるさ」


 バニーガールが円形のホイールの中心から伸びたハンドルを掴み、回す。回転方向とは逆から小さな球状のダイスを投じる。


 〇から三六までのマス目の中で、ドレスの女は迷わず黒の一八番にチップの塔をごっそり投じていく。


「(……ディーラー名、ラプラシアン。その名の通り、ラプラスの魔物を使っておるな)」


 いつどんなイカサマが挟まるのか。訳が分からずにとにかくテーブルの動きへ目をやっているミドリに、後ろから抱き着く格好でツェリカは耳元へ囁くように言っていた。


 吹きかかる甘い吐息にむずかるように身をよじらせながら、ミドリは質問を返す。


「らぷ、何ですって?」


「(ラプラスの魔物。このマネー(ゲーム)マスターに運や偶然の要素はない。そう見えるだけで全ては演算されておる。バスケットボールをゴールへ投げるだけでも様々な公式や方程式が複雑に組み合わさっているが、もしも、その全てを正確に計算して答えを出せるとしたら?)」


「なっ」


「(おまけにあやつはカクテルグラスを手放そうとせん。温度差で表面に汗をかいたグラスをな。任意のタイミングで指先の水滴を散らし、ホイールとダイスの摩擦に干渉する。ここまでやれば、出目の予測どころか自分でコントロールもできるじゃろう)」


 そんな馬鹿な、いくら何でもそこまでは。


 ごくりと喉を鳴らすミドリだったが、ツェリカは特に凄む素振りさえ見せない。


 この程度なら驚くに値しないと、彼女は無言で告げている。


「でも……だとしたら」


 カナメは一体どうするというのだ。


 出目の完全予測どころかコントロールすら可能なドレスの女、ラプラシアン。同じ目に賭けてはならないというローカルルールが敷かれているなら、あれと一緒のテーブルにいる限り、ひたすら負け続けるしかないのではないか。


 そう思っていたミドリだったが、直後に予想もつかない事が起きた。


 ドン! と。


 カナメは〇の目に全財産分のチップの山を投じてしまったのだ。


 当然ながらラプラシアンの黒の一八番とは違う。『平常運転』なら一発で全額を失う流れ。


「……状況は分かってる?」


「勝てると思う目に張った。それだけだが?」


 二人の目線がわずかに交錯する。


 つまり腕の傷も気にせず、冷静な顔で暗にカナメはこう宣言している。勝ちの目を変える、もぎ取る。勝利の方程式であるイカサマの構造を崩す。お前はテーブルに張ったチップを全て失い、代わりに自分が賭け金の三六倍の配当をごっそりいただく、と。


 カクテルグラスの中身を軽く揺らしながら、ドレスの女はこう言った。


「できっこない」


 無手の指をテーブルの上で組み、カナメは涼しい顔で応じていた。


「とも限らない」


 そうこうしている間にも、円形のホイールの内枠をなぞるように小さな球形のダイスは回り続ける。あれが勢いをなくし、〇から三六番のどこかのポケットに入ればゲームが決まる。


「チップの山を動かすなら今しかないわよ。黒の一八番に直で重ねられるのはイラつくけど、赤か黒か、偶数か奇数か、別枠に置くなら特別に許してあげる」


「必要ない。赤にも黒にも、偶数にも奇数にも、どうせどこにも落ちない。結果は緑の〇番で決まっている。


「そんな事は、起こらない。万に一つも」


「鼻の頭で分かるんだよ。あんたからはひりつくようなあのチリチリした感じが来ない。乗り越えるべき壁もないんじゃ、怖がる必要なんかどこにもない」


 カラン、という小さな音が響いた。


 球形のダイスが勢いをなくし、内枠から落ちて、どこかのポケットに収まった。バニーガールがハンドルに手を伸ばす。今も回転し続けるホイールの動きを止めて、確認作業に移る。


 ミドリの視線は、まずラプラシアンの黒の一八番に吸い寄せられた。


 だがそこには何もない。


「なっ!」


 パニックに陥ったのか、ドレスの女は完全にダイスの行方を見失ったらしい。眩暈のように体をふらつかせる彼女と違い、ミドリはごくりと喉を鳴らして別の目を確認していた。


 赤でも黒でもなく、唯一の緑。


 〇の目に、小さなダイスがすっぽりと収まっている。


「……ありえない」


 カクテルグラスを、自分の武器を、カタカタと小刻みに震わせ、ラプラシアンは言う。


「こんなのありえない!!」


「それを起こせるから、ここはサマアリのテーブルなんだろう?」


「進行役のバニーと組んでいるの? 私が勝ち過ぎているのが面白くないから、ここらで引きずり下ろすために!!」


「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。判断は勝手にしろ、それも含めてサマアリだ」


 腕の傷も気にせずカナメはくすりとも笑わずに、事実だけを言った。


「どうする。これ以上搾られるのが嫌なら、別のテーブルに退散した方が良いと思うが」


「っ!」


 それが余計に闘争心を煽ると……まあカナメは気づいているだろう。


 カクテルグラスの中身を一気に煽り、ウェイトレスから新しいドリンクを受け取りながら、ドレスの女もまた腰を据える。


 バニーガールがホイールを回し、ダイスを投じる。


「赤の二五よ、次こそ仕留める!!」


「残念、次も〇だ。勝利の女神はこっちについてる」


 ……しかし。


 一〇〇・〇%確実に出目をコントロールされている条件でカナメが勝っているのだから、何かしらのイカサマを使っているのは間違いない。だが少年はラプラシアンと違ってグラスを持っている訳でもなく、カジノ側が管理しているホイールやダイスに触れている様子もない。あれでどうやってゲームの流れに干渉しているというのか。


 ミドリの疑問は、やはり背後から抱き着いているツェリカが答えた。


「(あの女はグラスの水滴を使ってホイール上の摩擦を変動させ、出目を操っていると言ったじゃろう)」


「? それが……」


「(ならその水滴を飛ばしてしまえばよい。例えばエアコンの風。旦那様の立ち位置、腕の置き方、指の組み方……。そうしたものでもほんの少しだけ気流が変わり、いつもよりも早く、あるいは遅く、水滴が蒸発するとしたら? ゲームはラプラシアンの予想を超えた展開を迎えるとは思わんかえ?)」


「……ッッッ!?」


 ミドリは絶句してカナメの横顔へ目をやっていた。


 成功率一〇〇・〇%のイカサマを、暴くに留まらない。乗っ取って、搾り尽くす。それも自前の道具を一切持ち込まずに、ただテーブルに着くだけで。


「そんな、そこまで? そりゃすごいディーラーだっていうのは分かっていたけど、衣服についたスキルやマギステルスの補助でそこまで高精度の演算に手が届くものなの……!?」


「(まあのう。じゃが装備がどうのこうのの話でもない。仮にスキル関係の使用制限があったとしても何とかして答えを導き出すじゃろうな)」


「だって、え、それじゃあ順序が……」


「(阿呆。マネー(ゲーム)マスターは何をするのも人生かかってんじゃぞ。できませんじゃあ諦めますなんて次元で収まる訳なかろうが。だからやると言ったら絶対に確保する。暗算だろうがガラス玉集めてソロバンみたいな即席の計算機を組み立てようがな)」


 今度こそ、言葉どころか呼吸さえ止まるかと思った。


 だとすると、


(……あの豪華客船では、『銀貨の狼Agウルブズ』の連中も『こう』だった?)


 ごくりと喉を鳴らす。


 当たり前のように歩いていた場所がどれだけ危険だったのか。そして一人で何でもできると息巻いて、実際には無防備極まるミドリの背中を守るため、どれほどカナメが気を配って身をすり減らしてきたか。ようやくその一端のようなものが、見えてきた。


 物陰に隠れて弾幕をやり過ごすとか、両手で銃を構えてしっかり狙うとか、そんな次元ではない。


 第一線のディーラー達は、もっと別の段階から戦いを始めている。


(一体、あそこでは一秒間にどれだけの駆け引きが繰り広げられていたっていうの……?)


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