序章《002》
指定された公園でAI制御の『完璧過ぎる』笑顔を浮かべる女性エージェントから銀色のアタッシェケースを受け取り、トランクに放り込む。
目的地のF.オーバー工業本社までは、概算でざっと一五キロ。
マシンをぐるりと回してコンテナサイズの金属製ダストボックスに危うく掠めかけ、大きな公園を出ると、早速、敵対ディーラー達が噛みついてきた。
ガガクンッ!! とカナメはシフトレバーを次々と切り替えていく。普段は五速までしか使わない中、六速、七速と跳ね上がっていく。
速度計は一挙に時速三〇〇キロ台まで駆け上がる。
だがこれでも常夏市では日々の一コマに過ぎない。真後ろから迫る追っ手の派手なスポーツカーもまた、ルームミラーから消える事はない。ビルの壁や街灯に防犯カメラはたくさんついているが、咎める者は誰もいない。
フロントガラスに表示されたマップを眺め、右手側、助手席のツェリカが怪訝な声を放つ。
「旦那様、最短ルートを外れておるぞ!?」
「そのまま通ったら一発でやられるよ」
大通りを突き進み、信号を無視して交差点で鋭角にカーブを切る。減速は無理矢理にギアを落として任せ、ハンドブレーキは後輪を滑らせるために強く引く。ギャギャギャガリガリ!! と路面にタイヤの黒い三日月を大きく描き、真横から突っ込んできたトラックをギリギリでかわしながらも右折に成功。
ハンドブレーキとシフトレバーを操作していると、やはり追っ手もわずかに遅れてついてくる。この程度で脱落する腕でもないらしい。
しかも真っ赤なスポーツカーの真上のルーフが開き、そこから男が上半身を出してきた。両手で構えているのは、
「サブマシンガンじゃぞ!!」
「これだけ揺れているんじゃ当たらない」
パパパンパパン!! と短い連射が続くが、カナメの言う通りタイヤや燃料タンクが撃ち抜かれる事はなかった。だがすぐ近くのアスファルトに火花が散る光景はあまり見ていて楽しいものでもない。
「スキル付きのダットサイトなんかを装着していればオートエイムを使ってくるかもしれん。自動的に照準を合わせられたら揺れも何もなかろうが!!」
「何でAI制御のマギステルスがいちいち銃撃を恐れるんだ」
「わらわだって当たれば痛いからに決まっておる! 致命傷を負えばダウンして『固まる』し、神殿たるマシンが壊されても敵わん!」
「別にマシンが吹っ飛ばされたってAIのメインデータが消える訳でもないだろう」
「世に蔓延る神殿や聖堂が本当に機能美だけを追求しておるように見えるのかえ? マシンの輝きには他のマギステルスへの見栄というものもあるのじゃ! この屈辱。わらわの神殿に傷がつくという事はな、浴室の曇りガラスぶち抜かれて魅惑のシャワーシーンが表通りから覗き放題になるのと同じと思うがよい!!」
「何だそんなもんか」
「きいー!!」
「ツェリカ。機械任せのオートエイムなら一層揺れに弱いんだ、こんな振動と強風の中でまともに狙いをつけられる訳がないだろう?」
ハンドルを握るカナメは涼しい顔だったが、その内に追っ手の赤いスポーツカーの様子が変わってきた。業を煮やしたのか、いったんルーフから車内に引っ込むと、別の武器を取り出して肩に担ぎ始めたのだ。
ツェリカが目を剥いた。
「おいおいおい、ロケットランチャーではないかえ!?」
「誘導機能はないから気にしなくて良い。直撃しない限り、炎に巻かれても即死ダメージにはならないし」
「またオートエイム頼み?」
「どうせ外れる。その辺のダストボックスでも吹き飛ばすのが関の山だ」
「何故言い切れる!?」
「匂いで分かるもんさ、ここにはあのチリチリした感じがない。まだまだ大丈夫」
「例の獅子の嗅覚かえ? 武器や衣服についたスキルじゃないものを言われてもじゃなー!」
と、その時だった。
ふと思った。九ミリの鉛弾が散らばる程度ならともかく、ロケットランチャーの弾体が派手に外れて歩道に突っ込んだらどうなるか。
そういうアクシデントも込みでマネー(ゲーム)マスターの醍醐味ではあるのだが、折悪く歩道沿いではコツコツ型のディーラー少女が真面目にフルーツを売り歩いているところだった。
「……、」
「おい、旦那様?」
決断は一瞬だった。
ぐんっ!! と一気にブレーキペダルを底まで踏み込む。ミントグリーンのクーペが巨大な掌で行く手を阻まれたように急減速する。余裕ぶっこいてシートベルトをしていなかったツェリカのおでこが危うくフロントガラスに叩きつけられそうになる。
そして体感的にはほとんど真後ろへ吹っ飛ぶにも等しいミントグリーンのクーペが、背後から迫る赤いスポーツカーへと逆に接近する。真横に並ぶ。並走する。運転席とルーフ上、二人の男がポカンとした顔でこちらを眺めている。
カナメはツェリカの膝の上にあった短距離狙撃銃『ショートスピア』を右手一本で掴み、運転席側のガラスを叩き割った。
オートエイムなどに頼らず、手動照準で赤いスポーツカーの運転手、その額のど真ん中を正確に狙う。
引き金は一度。
派手な銃声はない。カチンッ、という金属のツメを弾くような音だけが響き、相手方の窓ガラスと脳天がまとめてぶち抜かれる。赤いスポーツカー全体の制御が外れ、ルーフに別の男を残したまま近くにある防犯カメラ付きの信号機へ激突していった。
そしてツェリカはツェリカで絶叫していた。
「うおおおおおァァァああああああああああああああああああああああああ!? わらわの神殿、わらわのステータス、わらわのマシンが!! 何をしておるんじゃ旦那様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「なに、何だって!? 風がごおごお鳴ってて聞こえない!!」
「すっとぼけるなよ旦那様! 何をどうしたところでどうせフルーツ売りの女が旦那様に感謝する事はない。だというのに大事なガラスを犠牲にしてえっ、きいいー!!」
「人助けっていうのはな、見せびらかして見返りを求めるようなものじゃないんだよ」
適当に応対して文句を封殺していると、次の動きがあった。
まるで道を塞ぐような格好で、大型のタンクローリーが横から交差点へ突入して急ブレーキを掛けてきたのだ。当然、後ろからも他の車が迫っている。今のままでは挟み撃ちだ。
「どうするのじゃ旦那様!?」
「前のデカブツをどかす」
「はっは! クールな返答じゃのう。じゃが具体的にはどうやってだ!?」
ツェリカの叫びに、カナメは強風の中で短距離狙撃銃を片手で弄びながら、
「フロントガラス割って良い?」
「ふーざーけーるーなァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
舌打ちすると、カナメは割れた運転席側の窓から強引に右腕を伸ばして片手で銃口を向ける。どう考えてもスコープを覗ける環境ではないのだが、経験則だけで照準する。
狙いは人間で言うならヘッドショット。
車の場合は燃料タンク。
耐久力に関係なく、一発当てれば確実に破壊できるウィークポイント。大型タンクローリーの場合は、後部の派手で頑丈なタンクとは別に、前面牽引車両の真下に四角いタンクが別にある。
一発撃つだけで良かった。
ッッッドン!!!!!! と派手な音を立てて燃料タンクが爆発する。後部の円筒タンクを重石にしたまま、それでも牽引車両側がほんのわずかに真上へ跳ねる。
手を引っ込め、その隙間へ最高速度のミントグリーンのクーペを強引にねじ込ませる。
わずか一メートル強の空間を突っ切り、直後に再び巨大な顎が閉じる。ほんの少し遅れた追っ手達の車が次々とタンクローリーに激突し、派手な破壊音を連続させていく。
ルームミラーで背後を確認しながら、カナメはこんな風に呟いた。
「ひとまずは安心かな」
「……またもや別の道から複数の車が向かってきておるが」
「不測の事態に備えて待機していた組だろう。さっき潰したのが一軍選手で、今度は二軍。質はさらに落ちるから問題ないよ」
「何故言い切れるのじゃ?」
「もうF.オーバー工業の本社に近い。予定通りの襲撃だとしたら、大戦力はもっと手前に配置しておくはずだろう? だって、そうじゃないと」
言い終わるより早かった。
歩道に人がいないのを確認すると、ミントグリーンのクーペがまともに突っ込んだ。バリアフリー用の緩やかなスロープを利用して、まるでスキージャンプのようにカーボン素材の車体が大きく宙を舞う。十字路を飛び越え、ポール状の車留めの列を飛び越えて、そのまま一挙にF.オーバー工業本社のビルへと突っ込んでいく。正面玄関でも地下駐車場でもなく、途中階の窓ガラスに向けて、だ。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
助手席でツェリカが叫んだが、ひとまず無視。
派手にガラスが砕け散る。カナメはハンドブレーキを引いて車体を進行方向とは直角にずらし、四つのタイヤ全てを使って急減速させる。会議室のテーブルと椅子を蹴散らし、壁際へ退避していたAI役員ギリギリの位置で車を停める。
一方、追っ手の車両団は狙ってというより勢い余ってF.オーバーの敷地内へ踏み込んでしまったようだった。
直後の出来事だった。
ドガドガドガドガッッッ!!!!!! という太い爆音が連続した。ミントグリーンのクーペ側からでも、追っ手側からでもない。あるいは複合装甲の塊といった風情の装甲車、あるいはビルとビルの間を高速で飛び交う攻撃ヘリ。それらが追っ手を集中的に銃撃しているのだ。
呆れたようにカナメは言った。
「……本社警備のPMCに捕捉される。事前の根回しもしないで真正面からAI傭兵とぶつかるなんて自殺行為だよ。無限に湧き出る兵隊相手に有限の残弾で立ち向かってどうするんだか」
PMCは契約企業の敷地内しか守らないが、その火力は圧倒的だ。いくらディーラー達があらゆる非合法行為でもって金や商品を望み通りに操ると言っても、そう簡単に企業の本社や工場を爆破、その業務を妨害する事はできない。……だからこそ頭を使うのが楽しいのだが。
ともあれ。
敷地内まで入ってしまえばもう安心だ。カナメ達を、というより『企業の利益となる』アタッシェを守るためにAI制御の傭兵達が動いてくれる。PMC側の複数の装甲車や攻撃ヘリから睨まれ、生き残っているディーラー側の追っ手達も慌てて急ブレーキをかけていく。万に一つも敷地内に足を踏み入れ、ペナルティで爆砕されないように。最低限、遠距離からの狙撃にだけ気をつけて、カナメはミントグリーンのクーペからゆっくりと降りる。
が、何故だかツェリカは助手席から降りてこようとしない。
「どうした、早くしろツェリカ」
「うう、他人の私有地というのが好かんのじゃー。わらわ達マギステルスは契約の関係上、ディーラー個人の所有物と所持金しか扱えんからのう」
もちろんドアを開ける、通路を歩くくらいならできるだろうが、消火器を掴んで殴りかかる、金庫を開けて札束を盗むといった行為は不可能という訳だ。
……とはいえ、カナメの所有するマシンのハンドルを握ってAI社員を撥ね飛ばしたり、ライフルを握って銃乱射はできるというのだから色々と緩々なストッパーだ。
もしかしたら、行動の責任をディーラーに押し付けられる形に整えているのかもしれないが。
「とにかくお前の力がいる。好き嫌いは後にしてくれ」
「ぶー」
渋々といった調子でドアを開けるツェリカを後目に、カナメはトランクの中のアタッシェケースを取り出す。メチャクチャになった会議室の壁際で、AI役員は『完璧過ぎる』笑顔を浮かべて応じてくれた。
「お疲れ様でした。依頼内容の履行を確認、契約に従ってそちらの口座へ入金させていただきます」
カナメはひらひらと手を振った。
正規の依頼料はどうでも良い。今は石ころ同然のアルミの山だ。
「ツェリカ、金属関連の取引価格を確認!」
「ほいほい、予定通りに進んだんじゃから予定通りに跳ね上がっておるじゃろう。ははっグラムあたり一スノウの底辺資材がこの数分で一万倍まで膨らんだぞ。ストップ高もクソもない自由なビジネスとは怖いのう。早いトコ売り抜けんと管理AIの手で取引停止になるかもしれん!」
悪魔の笑みと共に、明るい緑と白のレースクイーン衣装、ジャケット、ビキニトップス、ミニスカート、手袋、膝上までのブーツなどの表面いっぱいにF.オーバー絡みのアルミニウムやクックノイドの取引の推移が折れ線グラフで網羅されていく。
匂い、とは厳密には違うのかもしれない。
ヂリッ!! と、電気とも痺れとも違う、得体の知れない感覚がカナメの鼻の頭を嬲る。
「でもまだだ。一万倍じゃ足りない」
「旦那様……? 人の話を聞いておったのかえ?」
「あと五分待つ。目標は二万五〇〇〇倍。そのタイミングまで待機」
「取引が殺到すれば通信混雑が起こる! いいや、値が上がり過ぎれば買い手も身を引くぞ!? わらわ達はあらかじめ大量に確保しておるから有利とはいえ、アルミそのものはその辺の空き缶からでも取り出せる。買い手のF.オーバー側が狂騒状態から覚めれば複数の売り手を見比べてお買い得なディーラーを選ぼうとするじゃろう。誰も買わんのではアルミの山も意味がないじゃろう!!」
「あと二分三〇秒」
「取引は一万分の一秒単位で繰り返されておる。数秒なんて投資の世界じゃ永遠に等しい。波が引いたら一発じゃぞ、宝の山は再び石ころ同然に戻る!!」
「あと九〇秒」
「~~~ッッッ!!!!!!」
「信じろ、俺の鼻を」
「獅子の嗅覚か? 眉間から鼻っ柱にかけてメチャクチャ皺寄っているんじゃが!!」
いつ落ちるか分からない吊り橋の上を赤ちゃんがハイハイで進んでいるのを目の当たりにしたように唇を噛むツェリカ。
だがカナメは待つ。
待ち続ける。
そして。
ピッ、とレースクイーンの衣装、ビキニトップスに流れるグラフがある一線を越えた。カラー自体が警告の赤色へ切り替わる。
「ッ!! ライン到達。二万五〇〇〇倍じゃ!!」
「じゃあ持ってる資材全部流せ。持ち腐れになっては意味がない!」
「了解、と。……ふいい、危なっかしい」
いくつもの数字がツェリカのボディラインをなぞる。
単純にF.オーバーの他に転売狙いで集まってきたのか、ピラニアのように無数のディーラー達が放出したアルミ資材に喰いついた事で、莫大な利益が転がり込む。だがその直後にグラフが一気に急下降を始めた。早くも値崩れが起き始めている。
たった数分間の天国。アルミ缶は再び元のゴミに戻っていく。
ほんの数秒遅れていれば、一緒に墜落に巻き込まれていただろう。
カナメの鼻の頭にあった、あのチリチリする感覚はどこかに消えていた。
「ざっと数万スノウのアルミの塊が概算で一七億スノウの利益を生んでくれたのう、旦那様」
自分の会社の未来がテニスのラリーのように右へ左へと派手に流れているにも拘らず、AI役員の顔色は全く変わらない。
カナメの方も気にかけなかった。
二人は車に戻りながら、
「これでようやく第一段階、軍資金の獲得まではクリアだ」
「こいつを元手に、『遺産』の確保に動くと」
「特別なミッションだ。これくらい用意しないと歯牙にもかけてもらえない」
「ま、それが最高の答えなんじゃろうが」
ツェリカはフロントガラスに映る各種のグラフや数値、売買記録などを眺めながら、こんな風に言ってきた。
「でも良いのかえ? ゲーム内通貨の一スノウと現実通貨の一円はほぼ等価値で取引できる。つまり旦那様は今、高校生の身分で一七億円を手にしている事になるのじゃが」
対するカナメの答えはシンプルなものだった。
「それでもこちらが優先だ」
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