マギステルス・バッドトリップ

鎌池和馬/電撃文庫

【First Season】

序章《001》


◆◆◆


 サーバー名、アルファスカーレット。始点ロケーション、常夏市・第二工業フロート。


 ログイン認証完了しました。


 ようこそ蘇芳すおうカナメ様、マネー(ゲーム)マスターへ。


◆◆◆


 目の奥に突き刺さるような、極彩色の光の乱舞が少年へ襲いかかる。


 ぐっ、と喉の奥で何かに耐えると、眩暈どころか吐き気さえ誘いそうな嵐はやがてぼんやりと景色の像を結んでいく。


 時間にして数秒。視界のピントがきっちり合うと、そこは天井の低い右ハンドルのスポーツカーの中だった。停車中の車内で運転席にすっぽりと収まったカナメは、ルームミラーに映る顔へ目をやる。サラサラした茶色い髪に好戦的なつり目の顔立ち、服装はぶかぶかのワイシャツの袖をまくり、滅法首回りを緩めた赤いネクタイ。両手に目を落としてみれば、モバイルウォッチをつけた手の延長線上に青系の薄手のズボンを穿き、モバイルポーチをくくりつけた自分の足が見える。一瞬何が何だか分からなかったが、ややあって、ようやく状況に理解が追い着いた。


『これ』は今の自分だ。


 そして、『ここ』が『どこ』なのかも。


 ドアを開けて外へ出る。


 南国らしい、陽射しは強いが湿度の低いカラッとした熱気が待っていた。アスファルトとコンクリートに支配された海辺の工業地帯だ。今まで彼が乗っていたのは海沿いの道端に停まっていた小柄なツーシーターのクーペで、カラーリングはミントアイスみたいに派手な緑色だった。


 そしてボンネットには妖しい魅力を振り撒く美女がうつ伏せで寝そべっていた。


 時折、ヤシの実に突き刺したストローで中身を吸って喉を潤している。


 まるで浜辺で日光浴を楽しむような格好だが、服装は水着とは少し違う。白いビキニの上から、薄いグリーンのミニスカートや丈の短いジャケットを羽織っている。おそらくレースクイーンの衣装をモデルにしたものだろう。トイドリーム、メガロダイバー海運、証券フィアンマ。艶めかしいボディラインをなぞるメーカーロゴは単なるプリントではなく、液晶画面やプロジェクションマッピングのように絶えずスクロールしていた。


 だが格好よりも先に、まず目を引くものは別にある。


 ふわりとしたロングヘアはミント色に染めてあり、頭の左右から飛び出したヤギというより牛に近い二本の白い角に、背中から広がるコウモリの翼、腰の後ろから伸びる、サスマタやクワガタのように先が二つに分かれた矢印状の尻尾。


 カナメは寝そべる悪魔にこう語りかけた。


「ツェリカ」


「何じゃ、旦那様。相変わらず時間に正確な事じゃのう」


 姿勢を変えずに微笑むレースクイーン。


「一体そこで何をしているんだ」


「そこのドライブレコーダーで自撮りの真っ最中じゃ。このような絶世の美貌を残してやらぬのは世界に対する冒涜じゃからのう」


 カナメが何か口に出そうとした時、ツェリカが寝そべるスポーツカーの方から軽い電子音が鳴った。クラクションというより携帯電話の着信音に近い、軽いものだった。


 途端に車体全体に大小無数の文字列が踊る。レースマシンのスポンサー用ステッカーのようにも見えるが、違う。磨き上げられた車体全体がモニタであり、カナメにとって最も見やすい車体側面に大きく四角いウィンドウが表示された。


 何かの動画メッセージなのか、画面端ではカウントが進む中、ウィンドウの中ではショートヘアの女の子が若干緊張した面持ちで目線を左右に振っている。自分撮りとはいえ、カメラ慣れしていないのかもしれない。


 というか、口調からして普段と違う。ガッチガチだ。




『ええと、お兄ちゃんへ。


 私はこれから友達のみっちゃんとターニャと一緒に映画を観に行こうと思います。コテミツゴールドラッシュ。例の、無事に回避できたスイス恐慌をテーマにしたヤツだって。誘われた時は色々複雑だったけど、いつまでも閉じこもっているのもなんか違うし、これも良い機会って切り替えてみたいかな。


 行っても良いよね?


 問題なければメールで外出許可のオッケーください。


 ……っていうかああもう急いで! 意外とこっち時間ないんだし!!』




『こちら』の街にも映画館はあるが、妹が語っているのは別枠で、全くのリアル世界での話。カナメは目線を動かしてデジタルなキーボードを操作すると、妹のアドレスへ外出許可の承認メールを返す。


 ちなみにツェリカは呆れ果てていた。


「過保護じゃのう」


「自覚はあるけど、これはアヤメの方が望んでいる事なんだよ。放っておくと逆に拗ねる。胃袋を握られている身としては乗っかる以外に道はない」


「ほほう、料理は妹任せなのかえ?」


「いいや、父さんと母さんが普通に代わりばんこ。ただしアヤメのヤツはフラストレーションが溜まると勝手に台所に入って気分転換を始める。簡単に言うと『隠し味』をみんなに内緒でドバドバ入れてその日の料理を台無しにする。逆らわないのが身のためさ」


 そして本題はそちらではない。


 雑用を済ませると、スマホと連動したモバイルウォッチで時間だけ見て、カナメは確認作業に戻る。


「留守にしていた間の状況を知りたい。マシンのコンディションは?」


「お買い物リストにある通りじゃ。燃料からタイヤの空気圧含めてオールグリーン。仕事の前じゃからのう、中も外もピッカピカに磨いておいたぞ。ご褒美のドリンク一杯も含めてパーフェクト」


「武器」


「トランクの中に短距離狙撃銃と弾薬を一式。じゃが良いのか、注文通りとはいえマガジンは一本しかないが」


「F.オーバー工業関連はどうだ」


 そこまで尋ねると、ツェリカはごろんとボンネットの上で転がった。


 うつ伏せから仰向けに。背中の翼が潰れる形になったが、特に痛がっている様子もない。その肢体を露わにしながら彼女は答える。


 ビキニトップスにミニスカート。レースクイーンの衣装表面をなぞる文字列の中に、F.オーバーの文字が一際大きく踊る。数ケタの数字が次々と横方向へスクロールしていき、さらにはグラフまで表示された。


『メーカーロゴ』の正体は企業のものだが、別に提携先スポンサーなどではない。


 注目銘柄や株価指数の他、商品・資材の取引価格など関係各社の情報をリアルタイムで表示しているのだ。


 ツェリカは胸元から太股まで自分の衣装をなぞり、指先でボディラインに浮かぶグラフを示しながら、


「ご覧の通りの赤字続きじゃ。材料のレアアースが高騰しておるせいでな。ただし誰かが行き詰まった研究にヒントを与えてやれば、じゃろうがのう?」


 よし、とカナメは呟いた。


 バスケットシューズでアスファルトを踏んでミントグリーンのクーペの後部に回り、トランクの扉を上へ跳ね上げて、悪魔が言っていた通りの武装を取り出す。短距離狙撃銃『ショートスピア』。赤いゴムで覆われた折り畳みのストックとグリップが特徴的で、全体的なデザインも『アサルトライフルから長所を伸ばした』というより『ハンドガンを大型化して銃身を伸ばし、ストックを取りつけた』といった方が近い。扱う弾丸もライフル弾ではなく四五口径。敢えて音速ギリギリに届かない辺りをキープする事で、飛距離よりも消音性を重視したモデルである。


 マガジンは拳銃のようにグリップ下から差し込むのではなく、ライフルのように別口の差し込み口がある。そこに弾倉を突っ込んで初弾を装填する。


「ツェリカ、助手席へ」


「了解、旦那様」


 二人してミントグリーンのクーペに乗り込む。カナメは右側の運転席だ。どういう仕組みなのか、ツェリカの背中の翼は奇麗に格納され、丈の短いお飾りのジャケットから滑らかな背中が露わとなった。当面、武器は運転の邪魔なので助手席のツェリカの膝の上へ放り投げておく。鍵を挿すとクラッチペダルを底まで踏んでから、イグニッションボタンを押してエンジンに火を入れる。


 ガォン!! という怪物じみた太い咆哮が炸裂する。


 ハンドブレーキを戻し、ギアを一速に入れてから右足の底でアクセルペダルをなぞると、クラッチペダルからゆっくりと力を抜いていく。駆動系が滑らかに噛み合い、二人を乗せたスポーツカーはスペックとは裏腹に、レコードに針でも置くような安全運転で左側通行の道へ合流していく。


 常夏市は尖った鮫の歯のような半島と、海側に広がるいくつかの島々、そして人工的な工業フロートなどの陸地と、サンゴ礁の海をぐるりと円形に繋ぐ巨大環状橋とで構成される。カナメ達がいたのは縦横数キロ大の第二工業フロートだったが、無骨な工場や配管で満たされた灰色の大地の上でも、すでにコソコソと動く他のディーラー達が見て取れた。


 さて、金融取引をギャンブルにせず、確実に勝つ方法と言えば何だろうか。


 例えば事前に企業間の大きな動きを掴んでから売買を行うインサイダー。もっと言えば企業役員や大物投資家を脅迫しての買収劇。根も葉もない噂を撒いて企業価値を落としたり、サイバー攻撃で技術情報を盗み出したり、何だったらパズルを解くように新技術の図面をネット動画に上げて技術革新を無理矢理引き起こしたり、ライバル企業の新商品を積んだトレーラーや貨物列車を爆破してしまうなんて手もある。


 もちろんリアル世界でそんな事をすれば大問題だ。


 だけどここでは別。


 何しろマネー(ゲーム)マスター……現実のルールからは切り離された空間なのだから。


『ハンツ、アーヘンなどのブランドで知られるアースガルド自動車が、戦車や装甲車などの軍需産業に進出していた事実が、一部週刊誌などで報道されています。AI報道官はこの情報に対し……』


『食糧分野の続報です。食用昆虫の効率的な増産と貧困対策を大々的に宣伝していたレイニーガール研究ですが、経営実態はほぼ白紙である事が明かされ……』


『経営陣の内部分裂が囁かれていたラッシュ総合商事ですが、先頃記者会見において取締役会議の総意により会長の追放を決定したとの発表がありました。これに対し会長側はPMCの他、ディーラーなどからも兵力を募集する旨を掲示しており、闘争の激化が……』


 あくまでもゲーム内の放送。ステレオのスイッチを入れれば洋楽か経済関係のニュースばかり流れているのも、そういうイベント告知なのだ。伸るか反るか、AI大企業に追従して金を儲けるか潰しにかかって以下略か。オープンワールドの攻略法は自由自在である。


「ミッション内容の確認」


「わらわ達は現在、リアル世界の一円玉でお馴染みアルミニウムをどっさり買い集めておる。今のままでは何も動かんが、一時間以内にアルミの価値がズドンと跳ね上がれば、比例してわらわ達のストック分の価値も千倍万倍と膨らむ。数万スノウ程度で購入した金属塊を億単位で売り捌けるチャンスがやってくる。というかそうする、それ狙いで事を始めた。F.オーバーなんていう傾き始めた大企業を利用しようとしとるんじゃし」


 元から価値が高く、一グラム三〇〇〇スノウ以上する純金やプラチナも魅力的だが、底辺一グラム一スノウのアルミニウムだって使いようだ。誰でも簡単に買えて、グラムあたりの値段が一スノウ上がっただけで倍の儲けが出る。


 ミントグリーンのクーペは第二工業フロートを抜けて、高速道路のように長い橋に出る。一面は青と言うより緑色に近いサンゴ礁の海。緩やかなカーブを描き続ける橋の上を、ちんたら進む他の車をかわしながらカナメは先を急ぐ。


 速度計はあっという間に時速二〇〇キロへ。だが死の感覚がまとわりつく事はない。この辺りはレースゲームの感覚でも残っているのか。


「そのために必要な事は?」


「F.オーバー工業はカメラ関係のAI企業じゃが、現在の地位は一〇番手以下。普通に暮らしておれば見る事も聞く事もないクックノイドなんつーレアアースが高騰しておるせいで、半導体関連に足を引っ張られておるからの。ただし中小企業が知財の価値も分からずに放り投げた『新技術』をF.オーバーに流すと、なんとびっくりそこらに転がっておる普通のアルミで代用できる時代がやってくる。F.オーバーは業界トップに躍り出て、わらわ達がしこたま抱え込んでおる金属塊の値段も爆発的に跳ね上がる」


 フロントガラスのあちこちにウィンドウが重なり、F.オーバー工業が今後必要とするであろうアルミニウムの物量と取引価格の予測値、公園から本社までのいくつかのルート、予想される敵ディーラーの質と量、襲撃予想地点などが次々と表示されていく。


「なら、具体的に何をすれば良い?」


「半島の公園でアタッシェケースを受け取り、同半島F.オーバー工業本社まで届ければ良い。ただし、こいつは従来のクックノイドと新規アルミニウムの戦争だ。全ての妨害を自力で振り切らなければご破算じゃな」


 ようは、マネー(ゲーム)マスターとは、あらゆる非合法行為が許可された金融取引ゲームと考えれば良い。ディーラーと呼ばれる参加者達はバーチャル金融街『常夏市』に身を投じ、いかにして初期資金を増やせるかを競い合う。レベルアップ制度などはなく、武器、防具、車両など、『強さ』に直結する項目は全て『現金』で売買可能。貧乏人は空き缶を小銭に変えて再起を願い、真面目な者は土地や店舗を買ってコツコツ商売を始め、時には金融取引に手を出して、敵対するディーラーと戦い建物を吹き飛ばす。そういう世界なのだ。


 長い長い橋は終わり、鮫の歯のように鋭い半島が迫る。


 白い砂浜、街路樹や花壇として生い茂る椰子の木にハイビスカス。そして鏡のように陽の光を照り返す数々の高層ビル群。あらゆる欲望を呑み込み、肥大させ、時にはディーラーの制御すら外れてしまう、金の巣窟。


「最後に確認するぞ。準備の方は?」


「いつでもどうぞ、旦那様」


 直後に、ミントアイスのように派手なスポーツカーは半島金融街へと突入した。






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