魔王城 1F ある遭遇の記録

@kinka

第1話

 イーゼス暦1932年。

 魔法大国ジルアース。

 長らく平和だったその地に、突如人類滅亡を目論む謎の存在、魔王ザリンが現れた。

 悪魔達を束ね、魔王城を作りあげたザリンは、こともあろうかジルアースに攻め込み、領土の一部を奪うと、ジルアースを治めるカイロス王に対し、こう告げた。


 「ジルアースヲ支配サレタクナケレバ、魔王城ニイル我ヲ倒スガヨイ」


 それは、宣戦布告であると同時に、国を守ることを使命とした魔法戦士達への挑発だった。

 普通に考えれば、わざわざ敵の本拠地に乗り込む必要などない。

 だが、彼らは誇り高い選ばれた者達。罠だと分かっていても、そこに赴かないわけにはいかなかった。


 そうして始まったザリン率いる魔王軍と、ジルアース軍の戦い。

 魔王城があるのは、長年発見されていなかった秘境。始めのうちは、慣れない土地で戦っていた、ジルアース軍の劣勢だった。


 しかし、形勢は逆転する。


 魔法戦士達の中でもトップクラスの実力を持つ者達が次々とその力を発揮し、ジルアース軍を連戦連勝へと導いたのだ。

 やがて彼らは、魔王城への侵攻を開始。

 五階層ある内の第一層を制覇した。


 時を同じくして、古来から語られていた伝説の勇者も発見される。

 まだ少年でありながら、並の戦士以上の力を持つ彼は、ほんの少しの修行期間を経て、魔王城のある島へと送り込まれた。


 これは、勇者が魔王城に到着した日に起きた、ある出来事の記録である───


□□□□□□

 

 「お前、聞いたか?」


 「ああ。例のことだろ?」


 魔王城正門にある、ジルアース軍のキャンプ地。

 二人の若い魔法戦士が、世間話をしながら歩いていた。


 「そうだよ。とうとう魔王城ここに、伝説の勇者が来るんだとさ」


 「すげえよな。若干十四歳で、戦士長十人分の強さだろ」

 

 話題は今日この地を訪れる勇者について。

 新たな戦力が加わるという情報に、彼らだけではなく、ほとんどの戦士が心を踊らせていた。


 「戦士長一人の強さが、並みの戦士十人分だからな。単純計算で俺達の百倍は強いってことになる」


 「ひゃー、そりゃ、頼りになるな」


 「全くだ。一刻も早く魔王のやつを倒してもらいたいもんだぜ───と」


 会話に夢中だったため、前方への注意が疎かになっていた二人の戦士は、前から歩いてきた人物とぶつかってしまった。


 「やべ───」


 「悪い、ちょっと前見てなか───った、ん───」


 謝罪の言葉は最後まで続かなかった。恐怖のあまり、言葉を失ってしまったのだ。

 二人がぶつかったのは、人間離れした巨躯、額に一文字の傷痕、竜の尾を加工して作られた大剣を背負った男───戦士長の一人、ムラサメという人物だった。

 ムラサメは、表情を変えないまま、自分にぶつかってきた戦士二人を見下ろす。

 その鋭い眼光に、まだ駆け出しの二人は、すっかり怯えてしまう。

  

 「ヒッ………」


 「す、すみません! し、しし、失礼しました………!」


 平謝りする二人を無視して、ムラサメはその場を去る。

 ゆっくりと、地面を踏みしめるようにして歩くその姿からは、強者のオーラが放たれていた。


 そして残ったのは、互いに抱き合うように座り込む若い戦士二人と、事の成り行きを見守っていた、他の戦士達のみ。


 「………い、今のは」


 「ああ、ムラサメさんだ」


 未だ震えが止まらない二人は、自分達がぶつかった相手について、互いに確認するように語る。


 「十人いる戦士長の一人にして、うちの軍のエース」


 「誰ともパーティーを組まず、一人で悪魔を狩り続けることから、付いた二つ名は『孤高の剣士トップ・ソード』」


 「一時期は、勇者候補の一人でもあった方だ」


 「そんな人に、俺達、なんてことを………」


 「ま、また後で謝りに行こうぜ。な!」


 「そうだな。そうしよう」


 ようやく震えが収まった二人は、立ち上がり、再び歩き出す。


 「それにしても、あの人一体どこに行こうとしてたんだろうな?」


 「多分、魔王城の中だろ。あの人にとっちゃ、勇者が来ようと関係ない。ただ魔獣を斬るだけなんだろうさ」


 「なるほどな。やっぱり歴戦の戦士は一味違うなー」


 □□□□□□



 魔王城第一層。南区の端にある部屋に、ムラサメはいた。


 「ヌゥゥアァァァ───」


 狭い個室の中、振り絞るように声を出す。

 彼がこの部屋に入ってから、既に一時間。

 一向に終わる気配のない戦いに、さしものムラサメの額にも汗が浮かぶ。


 「フゥゥ、フゥゥゥ───」


 腹部を押さえながら呼吸を整える。

 だいぶ収まってきたにもかかわらず、未だ自分を解放しようとしない苦痛に、ムラサメは苦悶の表情を浮かべる。


 「クソっ、この俺が、まさか───ヌォ」


 再び襲ってくる、下っ腹から肛門にかけて熱くなる感覚に必死に耐えるムラサメ。


 彼が座しているのは、綺麗に磨かれた真っ白な椅子のようなもの。

 人間であれば誰もが使うであろう、排泄のための設備───便器だった。


 「やはり、昨日の薬草が傷んでいたか………」


 一人呟くムラサメ。腹痛の原因に当たりをつけた彼は、これからは新鮮な薬草しか食べないことを決意しながら、自分の中に巣くう邪悪な汚物を出し続けた。


 やがて、最後の波もなんとか乗り越え、ようやくひと段落したムラサメは、先刻の事を思い出す。


 「さっきの奴ら、話に夢中で俺に気づかないとか舐めた真似しやがって。あやうく漏れるところだった」


 そう言いながらムラサメは、壁に取り付けられているボタンを押し、ウォシュレットを使って、肛門付近を洗い流す。


 「それにしても、嬉しい誤算だったな。魔王城にトイレがあるだけでも驚きなのに、まさかのシャワートイレときた」


 予想外のトイレの使い心地の良さに、上機嫌になっているムラサメ。

 彼の言う通り、魔王城のトイレは全てが最新式のものであり、王国の下手な田舎の公衆トイレよりも、よほど整っていた。


 「どのトイレもしっかり掃除されているのがよく分かる。魔王め、やはり一筋縄ではいかないようだ」

 

 ムラサメは、停止ボタンを押して温かいお湯を止めると、最後の仕上げをするべくトイレットペーパーホルダーに手を伸ばす。


 「ふっ、後は紙が三角に折られていれば文句無───」


 そこで彼は気づく。この部屋に入ったその時、自分の命運は尽きていたのだと。


 「ば、馬鹿な───」


 彼は完全に油断していた。綺麗に磨かれていた便器に心を許してしまったが故の失敗。外出先で用を足すなら必ずしなければならない最低限の確認を怠っていたのだ。


 「紙が無い、だと───」


 トイレットペーパーが補充されていない。

 それは、どんな人間も苦境に立たせる最悪の状況。

 歴戦の戦士であるムラサメにすら、こればかりはどうすることもできない。


 「ふざけるなよ。こんなことがあってたまるか───」


 背後を確認し、予備の紙がないか確認するムラサメ。

 しかし、そこには何も置かれておらず、あるのは『トイレは綺麗に使いましょう』と、可愛らしく、ポップな文字で書かれた張り紙だけだった。


 「悪魔のくせにトイレを綺麗にとかほざくな! ───くっ、前言撤回だ。ここのトイレは失格だ。どんなに設備が整っていようと紙が無ければ話にならん」


 激高しながらも、ムラサメは次の手を考える。

 通常、トイレで紙が無かったなら、誰かから紙を投げ込んでもらうしか方法は無い。

 しかし、いまこの場には、ムラサメ以外に人はいなかった。

 それもそのはずで、このトイレがある南区は、既に散々調べつくされた場所であり、よっぽどのことがなければ、人が訪れることはないのだ。


 (ほとんどの戦士は今日訪れる予定の勇者一行を出迎えに行っているはず。つまり、誰かが今すぐにここを訪れる可能性は、ほぼゼロ。しかも、今日は勇者達の歓迎会を開くから、魔王城内部に入る必要性だってない)


 考えれば考える程絶望的な状況であることが分かり、意気消沈するムラサメ。


 (こうなれば、ズボンを下したままここを出て、隣のトイレから紙を取るしかない)


 ケガの功名とでも言うべきなのだろうか。

 それは、周りに誰もいないからこそ可能な手段であり、今のムラサメにとっては、最善の一手でもある。


 (勝負は一瞬だ。転ばないよう慎重に、かつ、少しでも早く隣のトイレに移動する───)


 覚悟を決め、ドアのロックを外すムラサメ。


 (よし。行くぞ───)


 立ち上がり、ドアを開けようとしたその時だった。


 何者かの足音が、ムラサメの耳に届いた。

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