第4話 幽霊が見えない親友
教室に出ると彼女は誰かと話していた。珠理ちゃんより少し背が高く体格が良い。決して太っているわけではなく女性らしく必要なところに適切な量だけ脂肪が付いている。形の良い耳が見えるほどのショートヘアーがとても似合っている。少し丸身を帯びた顔には高い鼻と薄い唇が最適な場所にある。目が猫のような形をしていて珠理ちゃんを見ているときの目力が強い。もし彼女を描いて説明するならば多くの人は、まずその目を一生懸命に書くだろう。あと、笑うと見える小さなえくぼも。
「綾香。」
珠理ちゃんが彼女の肩を叩いて、こちらを指さした。ふたりがとことこと寄って来た。
「あなたが、達也君?いいなあ、幽霊見えるんでしょう。私、珠理とずっと一緒に居るのに一度も見たことないの。」
思った通りの人懐っこい声で僕に話しかけてきた。話している間も僕をしっかり見て、彼女の瞳に落ちてしまいそうだった。
「いい時間だから。見えるかもよ。」
珠理ちゃんのその発言と笑顔に全身の毛が立った。綾香ちゃんは慣れているのだろう笑顔で応えていた。まるで今日あった楽しいことを聞いてあげているみたいに。僕たちはゆっくりと玄関に向かった。彼女たちが前を歩きその後ろをついて行った。ふたりが仲良く話すのがとてもよく見える。
「それより、何抱えているの?」
綾香ちゃんが言った。
「ああ、これ?少女の幽霊。すごくかわいいよ。ねえ、達也君。」
そう言って珠理ちゃんがこちらを見た。ドキッとしたがすぐに彼女が前を向いた。
「いいなあ。幽霊見たい。」
あのケーキおいしそうと聞き間違えそうなテンションで言った。
だったら変わってあげようかとは言えなかった。
「今、教室に何人いた?」
不意に珠理ちゃんが言った。
「え、ひとりだったけど。他に居た?」
僕が答えた。綾香ちゃんに同意を求めたはずだが応えてくれなかった。明らかに彼女の顔が曇っていた。もしかして誰も居なかったのか。
「何の話、教室って何?そこ、中庭でしょ。」
彼女の言葉に愕然とした。あふあふと口を動かしているのを珠理ちゃんが見てきた。何とも意味ありげねな含み笑いなこと。
「戻って見に行ってみれば。」
後ろを振り返ることも怖くてできない。幾分、綾香ちゃんよりを歩きだした。よく晴れた真冬の朝よりも身体が縮こまっているのが分かる。不意に誰かに後ろから声を掛けられたら、彼女たちに抱き着いてしまうだろうと本気で心配した。
「今まで幽霊なんて見たことないのなんで?」
恐怖と不満をぶつけるように珠理ちゃんに聞いた。
「今までは気が付かなっただけかもよ。それに今見えているのは私と一緒にいることと、あと時間帯かな。」
終業式終わりの小学生みたいに嬉しそうに言った。
「私は見えないのに。」
綾香ちゃんが不満で口を膨らませて言った。その顔をやめてすぐに振り返った。
「達也君は幽霊が見えるんだね。」
目をキラキラさせて、彼女は僕を見た。むしろこっちがその目をしたい。いいなあ、見えなくて。
階段の踊り場には男子たちがたむろしていた。全員同じユニフォームを着ているから、部活終わりなのだろう。そこの横を通ると、制汗剤の鼻を刺すような臭いがした。
「学校って幽霊いっぱい居るのよ。今この廊下に10人ぐらいかなあ。何人見える?」
「5人。」
これには自信があった。だってさっきからチラチラと目が合っているのだもの。前を三人の女子生徒がこちらを時々見て、今ふたりのカップルの横を通った。
「ひとりも居ないよ。私たち以外に。」
また寒気がした。6月と言うのにカイロが欲しいぐらい。
「歩くの大変なの。ぶつかったりしちゃうからね。」
笑いながら彼女が言った。何がそんなにおかしいのだろう。
「珠理ちゃん。ときどき、変なことするよね。ときどき止まったり、壁にぶつかったみたいに突然吹っ飛んだり。私は知っているから大変ねえと思えるけど、知らない子たちは変な顔するのよね。しょうがないけどね。」
確かにこれだけ幽霊が見えてさらに触ってしまうと生活は大変だろう。見えない人たちには到底理解できないし、多くの人は幽霊とは触れられないものだと思っているだろう。幽霊と話しあやしている彼女の行動は他の人からしたら気味が悪いに違いない。
もし、僕も見えていないならば、そのうちのひとりだっただろう。そう思うと彼女の横顔を見て寂しい気分になった。
「私の友達は幽霊と幽霊を見える人だけ。」
ぼそりと彼女が言った。でも、彫刻で刻まれたみたいに僕の心の中に届いた。
そしてその中の一人になりたいと純粋にそう思った。
「私は見ないけど。」
えくぼを見せて言った。けど、慰めを求めているようだった。
「綾香は特別よ。親友だもの。」
わざとらしく、演技のようにも聞こえたが、それを言われて彼女の瞳はうるっときていた。綾香ちゃんは抱擁を求めたが、珠理ちゃんが慌てて避けた。彼女は空を抱きしめた。
本当にそこには何もなかった。
「何するの?」
その強い目で彼女を睨みつけた。かなり迫力があった。
「ごめん。でも、私、今女の子抱いているの。」
「そうだった。」
スイッチを押したようにパッと彼女の表情が明るくなった。どうやら納得したようだ。その一連のやりとりから彼女たちの仲の良さが伝わってきた。見ることが出来ないのにそれを一切疑わない。珠理ちゃんがそこに居るというから居るのだ。綾香ちゃんが疑う余地など全くない。果たして、それほど信頼関係の出来た相手は、僕には居るのか考えるまでもなかった。彼女たちに嫉妬を覚えたが、微笑ましく思えた。
ほんの少しだけ彼女たちに近づいて歩いた。
前から2人の女子生徒が話しながら歩いてきた。2人とも背が高くスタイルがいい。可愛さだけだと珠理ちゃんの方が上だが、雰囲気がとても派手でいわゆるイケてる女子だ。きゃきゃと猿のような高い笑い声を時折上げている。その空気に押されて綾香ちゃんが珠理ちゃんの後ろに行き少し乱れた1列になった。彼女たちが当たり前のように2列で横を通り過ぎた。
でも、何かがおかしい。直観だが確信はあった。
「どうしたの。あの子たち可愛かったよね。」
僕の様子に気が付いた綾香ちゃんが話しかけてきた。その声に反応して珠理ちゃんが足を止めてこちらを見てきた。何か言いたげな顔をしていたが無視をした。
「今、何人居た?」
綾香ちゃんに話しかけた。
「2人だけど。もっと居た?」
「2人だけど。」
後ろを振り返った。もう一度彼女を見た。左の色白の彼女だ。舐めるように下から上へと目線を動かした。後ろから真冬の氷のように冷たく痛い視線を感じた。
「綾香ちゃんちょっといい?」
そう言うと身を少しかがめ彼女のスカートを触った。そして、スカートを見比べた。
「ちょっと何するのよ。」
そう言ったのは珠理ちゃんだった。慌ててスカートから手を離した。キレた鬼のような顔でこちらを見てきたが、やっぱり無視した。
「スカートが違う。てゆうかスカートが二枚。」
ひらひらと揺れるスカートが段段になっていて変にフリルが付いたように見える。それに派手そうに見える女子にしてはスカートが長い気がする。
よく見ると靴下の少し上の部分だけがまるで日焼けしたように黒い。それ以上は息を飲むような白さなのに。
「重なっているのよ。達也君にはスカートから下しか見えてないのよ。私には、学校の制服を着たもうひとりが彼女に重なってみえるけどね。見えない幽霊なの、人をね。こういうこと結構あるの。」
珠理ちゃんが言った。
「そんな偶然あるんの?」
僕が言った。自分の目が大きく開いたのが分かった。
「別にたまたまじゃないよ。見えてないけど、共鳴し合っているの。彼女はたぶん今までずっと幽霊と一緒にいたんだと思う。そして、これからもずっとねえ。何も害はないわあ。幽霊にも人間にも。互いに存在自体も知らない。それでも、一緒に暮らしている。」
そう言うと再び歩き始めた。彼女の言い方はとても説得力があり、不安で壊れそうな僕を支えてくれる。
もっと知りたいと思った。幽霊についても彼女についても。
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