第95話 レッドキャップ

「そう言えば、野江先生の時は渋ってたのに空手部の先輩達はあっさり連れて来たね」


 ふと疑問に思ったのでお姉さんに聞いてみた。

 そりゃ先生が経営者の一族の内に押し掛けるってのは問題ってのは分かるんだけど、生徒達も最悪退学なんて事も起こり得るのに。


「あぁ、その事ね。空手部なんてどうでもいいし~」


「酷いよお姉さん!」


「アハハ、冗談よ。何だかんだ言ってね。理事長……じゃない。創始者はね、生徒に甘いのよ。ほら、そこの千花ちゃんが良い例よ」


 なんだ冗談か、びっくりした。

 しかし美都勢さんが生徒に甘い……か。

 それにドキ先輩が良い例って、あぁレッドキャップ事件!


「それって、血染めの……」


「ううぅ、その事は恥ずかしいぞ」


 いや、恥ずかしいって形容詞が似合う様な出来事じゃないんじゃないですか?

 血染めですよ?

 そう言えばずっと気になっていたんだよね。

 天才的頭脳の持ち主と言う事だけど、さすがに流血沙汰なんて警察が出て来てもおかしくない事件だし、なんで退学になってないんだろうって。


「先日美都乃ちゃんに聞いたんだけど、あれね間違いなのよ」


「間違い? でも先輩達が恐れおののいてたよ? レッドキャップって」


 ドキ先輩の顔を覗き込むと、『レッドキャップ』と言う言葉に反応して少し拗ねた顔をしている。

 どう言う事なんだ?


「千花ちゃんって、とってもかわいらしいでしょ?」


「うん、そうだね」


 もう一度ドキ先輩の顔を覗き込むと、『かわいい』と言う言葉に俺が同意した事に照れて顔を真っ赤にしている。

 とってもかわいい。


「去年の夏休み中の文化祭準備の時にね。他の姉兄達と同じつもりで、からかった男子が居たのよ」


「あ~、なるほど。けど他の姉兄と同じつもりってのはムカつくなぁ。誰だろうとからかって良い訳ないのに」


 かわいいと愛でる事は有っても千林シスターズ+1をからかう奴は俺が許さないぞ。

 多分、生徒会の皆も同じ気持ちだと思う。


「ふふふ、素直じゃない子だっているのよ。まぁ、話を戻すとね。千花ちゃんは自分よりもそれを通して姉兄が馬鹿にされたって思ってキレちゃったのよ。ね?」


 お姉さんが、ドキ先輩にそう言った。

 ドキ先輩も顔を真っ赤にして頷いている。

 そうか、自分の事で怒ったんじゃなく……、いやだからと言って流血沙汰はダメですよ?


「そして、近くに有った赤いペンキのバケツを思いっきり投げ付けたのよ」


「え? もしかして、血の惨劇ってそう言う……?」


 赤いペンキでって、そんなべたべたな理由なの?

 ドキ先輩の顔を見ると恥ずかしそうにしているので本当の様だ。


「まぁ、当たり所が悪くてその男子生徒は気絶しちゃったんだけどね。その所為で現場は阿鼻叫喚だったそうよ。幸いな事にその男子生徒はすぐに目が覚めて検査の結果も無事だったんだけど、あまりの衝撃から噂が独り歩きしてね。そんな渾名が広まっちゃったみたい」


「そうだったんですね」


「う、うん」


 ドキ先輩は悲しそうな顔をしている。

 恐らく、その噂が広がった事も勿論悲しいのだろうけど、そうじゃない。

 多分、自分の怒りのあまりに人を傷付けてしまったその時の事を思い出しているんだろう。

 ドキ先輩は小さい頃からその怪力によって人を傷付けて来た事に心を痛めていたと聞いた。

 そんな彼女が自分の暴力によって、真っ赤に染まり気絶した男子生徒を見た時の絶望感を想うと胸が張り裂けそうだ。

 勿論暴力は悪い事だけど、自分が大切と思っている事を汚された時、俺でも冷静でいられる自信なんて無いや。

 そこで俺は思い出した。


 俺は美都勢さんの大切な思い出を汚してしまった。

 だから、ここまで怒らせてしまったんだ。

 謝らなければ、謝って許して貰わなければ。

 俺はそんな思いから、思わずドキ先輩強く抱きしめた。


「ふわわぁ~。こーいち~。ど、どうしたんだ~。そんな強くぎゅーされると~」


 ドキ先輩が顔を真っ赤にしてあたふたしている。


「す、すみません。男子生徒が真っ赤になって倒れているのを見た時の千花先輩の心境を想うと、なんだか思わず……。怖かったでしょう? 千花先輩?」


「こ、光一ぃぃーー!! そうなんだよ。とっても怖かったんだ! ヒック、ヒック。うわ~ん」


 ドキ先輩は俺にその時の恐怖が分かって貰えた事が嬉しかったのか、泣き出してしまった。

 やっぱり、心の奥にずっとその事が溜まっていたんだな、可哀想に。

 俺は膝の上で小さい子供の様に……いや外見もまんま小さい子供なんだけど、そんなドキ先輩の頭を優しく撫でた。


「ふぅ、これが全自動攻略機って奴ね。すごいわ~」


「ちょ、お姉さん! 止めてよそれ! で、これと創始者の生徒に甘いってのはどう繋がるの?」


 ドキ先輩の『レッドキャップ』の真相を知れたのは良かったけど、なんか話がズレてない?


「あぁ、その事なんだけど、大事には至らなかったとは言え暴力事件には違いないわ。退学の話も勿論出たの。けどね、これは知っている人はほんの一部なんだけど、創始者自ら我が校の生徒達の問題は自分で治めると、相手の親御さんの元に頭を下げに行ったそうなのよ」


「な、それ本当? そんな事が有ったのか……」


 なんて事だ。

 もう学園経営からは一線を退いているのに生徒間の問題を停学だの退学だの言わずに治めようとするなんて。


「えぇ、勿論千花ちゃんも一緒に行ったのよね?」


「ヒック、ヒック。う、うん。あのおばあちゃんは怖かったけど、俺様の目をきちんと見てちゃんと諭してくれたし、光一の様に俺様の気持ちも分かって慰めてくれたんだ」


 ドキ先輩が泣くのを止めて、そう説明してくれた。

 なんて事だ……、皆から聞いていた話と違うじゃないか。

 ……いや違うんだ。


 それこそ夢の中の美都勢さんじゃないか!


「まぁ、大した怪我でも無かったし、元々の原因は相手にある。それ以上に千花ちゃんの謝った姿を見て許せない人類なんていないでしょ? その親御さん達も許してくれたそうよ」


「なるほど……。生徒に甘いってのはそう言う事か。そう言えば創始者の旦那さんが『何が有っても生徒は守る』と言う言葉が口癖だった。その志を受け継いでいるのか……」


 夢の中で幸一さんが言っていた。

 そうか、美都勢さんはその言葉も受け継いで守り通しているのか。

 いや、その前にも学園長も言っていたっけ、そもそも俺がこの学園に入れたのも、そのお陰だったって。


「あら、良く知っているわね。生徒会室でも何やら変な事言っていたし……?」


「え? あはははは。ほら、色々聞いたんだよ光善寺先輩と萱島先輩とかにね。そ、それより、だから空手部の先輩を連れて来る事にしたんだね。なるほどなぁ~。そんな事なら最悪でも停学程度に抑えてくれそうだね」


 夢の事を言っても説明が難しいし、自分でさえ理由が分からないんで誤魔化したんだけど、お姉さんはジト目で見て来る。

 う~ん、誤魔化し切れてないみたい。

 

「まっ、良いわ。話してくれる時まで待つわ。空手部を連れて来たのはそう言う事よ。とは言え、後ろの全員合わせても野江ちゃん一人分に満たないんだけどね」


「え? ちょっと待って? 野江先生そんなに強いの?」


 お姉さんから信じられない言葉が飛び出してくる。

 いや、まぁ空手部の先輩達はドキ先輩に一瞬で倒されてたりしたけど、それでもドキ先輩が規格外なだけと思っていた。


「野江先生は強いぞ」


 膝の上のドキ先輩が答えてくれた。

 さっきも百人力とか言っていたけどマジなのか。


「あたしの学生時代の事は知っているわよね? 色々話が伝わっているけど、あれ実はあたし一人の功績じゃないのよ。まぁ、そりゃあたしが一番目立っていのは否定出来ないけどね」


 突然の昔話に俺は首を傾げる。

 一人の功績じゃないってどう言う事?


「あの時はね、あたしを筆頭に野江ちゃんと、蛍が……、いやどうでもいいかあいつは。まぁ、トリオで不良共を退治していたのよ。とは言え、野江ちゃんは生徒会長だから覆面被ってたけど。覆面剣士マスク・ド・セイバーとしてそれなりに名が売れてたのよ?」


 おいおいマジか?

 なんて痛い二つ名だ。

 水流ちゃん、あんたなにやってんだよ。

 それにしてもトリオってどう言う事だろう?

 学園長? いや、さすがに無いな。

 それに『蛍が』って言い掛けていたし、他に仲が良い人でも居たんだろうか?

 まぁ、本人が言いたくないんじゃ聞かない方が良いかも。

 俺も言えない事が有るしね。


「学園でも俺様を止められるのは野江先生と、空手部の顧問の先生くらいだぞ」


 そ、そこまでなのか?

 恐るべし水流ちゃん。

 この前のヘッドロックは本当に手加減してくれていたんだな。

 こ、こわ~、一歩間違うと命がやばかったんじゃ?

 これからは怒らせない様にしなくちゃ。

 命あっての物種だしね!

 

「そ、そうなんですか。人は見掛けによりませんね」


「へぇ~、千花ちゃんを止める事が出来る人が他にもいるのね。って、悠長に話している暇は無いわ。さぁ、どんどん飛ばすわよ~! ちゃんと口を閉じてなさい」


 えぇ~! まだ飛ばすの? これマックススピードじゃないの?

 既にメーター振り切っている様に見えるんですけど?


 グオォォォォォン!!


 お姉さんがシフトレバーをガコガコしてアクセルペダルを踏みしめると、更に車が加速した。

 強烈なGが身体をシートに沈ませる。

 後ろの荷台から悲鳴が上がる。


「空手部!! 捕まってないと死ぬよ!!」


 お姉さんがバックミラーを見ながらそう大声を上げた。


「だから遅いって!! もっと早く言ってあげて!!」


 お姉さんのスピードに慣れたと驕っていたが、それは間違いだった事を知る。

 更にその先が有るとは……っ!


 唸るエンジン、泣き叫ぶ悲鳴。

 そんな混声合唱の騒音を奏でながら、俺達は目的地に向けて爆走する


「ひぃぃぃ!! お姉さん! もっとゆっくり!!」

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